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剣聖、天使な娘を拾う  作者: ミューズ
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1 プロローグ

「お前ら逃がすなよ!絶対に仕留めろ!せっかく有利な場所に誘ったんだ。ここで逃がしたらチャンスはねーぞ!」

闇が支配する夜の森に切羽詰まったような男の怒号が飛ぶ。その声に応じて十人以上の男たちが矢を放つ。

ヒュン。ヒュヒュン。

月や星は厚い雲に覆い隠されて、その優しい綺麗な光は届かない。

そんな闇夜の空から十三本の矢が一人の男に降り注ぐ。

更に容赦無く十三人の男たちから追撃の矢が放たれる。

人一人を射殺すには十分過ぎる程の数だ。

一体彼らは彼に何の恨みがあるのだろうか。明らかにオーバーキルだ。

キンッ。キンキンキンッ。カキンッ。

いや。訂正しよう。これは決してオーバーキルなんかでは無い。むしろ全然足りないくらいだ。

「ボス。あ、あいつ死なねーぞ!」

「剣一つで矢を全部弾き飛ばしやがった!」

「馬鹿野郎!相手は剣聖だぞ!そんなことは百も承知だ。お前らもっともっと矢を放て!でもって矢を弾くのに釘付けになった所を一斉に叩くんだよ。分かったか!」

「「「「「「「「おぉぉぉぉぉっ!」」」」」」」」

二十六本もの矢をいとも簡単に全て弾き飛ばした男―剣聖―の圧倒的な剣捌きに、男たちは驚愕し、戦慄し、この場を立ち去ろうとする者まで出た始末。

明らかに士気が下がり始めて来た。

そんな情けない手下たちに、リーダーの男が鬼の形相で怒号を飛ばした。

それに応じて、手下たちは雄叫びを上げて奮い立った。

と言っても、ただただリーダーの剣幕が怖かっただけなのだが。

つまり彼らは嫌々戦っているという訳なので、結局のところ士気などこれっぽっちも上がっていないのだ。

故に・・・

「全く性懲りも無く同じ手を使って来るなんて。俺のこと舐めてるのか?」

放たれた総計三十九本の矢は、やはりと言うべきか、あっさりと全部完璧に弾き飛ばされてしまった。

しかし矢を放った直後に直ぐ様短剣を抜き走り出し、剣聖を仕留めに掛かった男たちだったが。

「ぎゃあぁぁぁっ」

「うごぁっ」

「ぐぉっ」

「ごへぇ」

それぞれ断末魔の叫びを上げて、皆続々と倒されてしまった。

「おいおい。俺たちが一斉に掛かっても勝てねーのかよ・・・」

「やっぱり剣聖は俺たちなんかに倒せる相手じゃねーんだ。リーダーには悪いが俺は帰るぜ」

「ああ。俺も」

「俺もだ」

剣聖の圧倒的な剣技の前に為す術も無く倒されて行った仲間の姿を見て、縮み上がった残党たちは次々に逃げて行った。

「ふう。こんなもんか」

襲い掛かって来た野盗たちを華麗な剣術で退散させた剣聖は、剣を鞘に収めて仕事を終えたとばかりにパンパンと両手を叩いた。

そのままローブやズボンもパンパンと叩いて埃を落とす。

そんな剣聖を見て、隠れて木陰から戦況を見守っていたリーダーの男が歯噛みする。

「クソっ。あいつらおめおめと逃げ出しやがって。ちくしょうっ。なら俺一人で殺ってやる。賞金は絶対ぇ分けてやらねー」

等と悪態を突くリーダー。

すると突然背筋が凍るような視線を感じた。

「っ!何だ?」

「おーい。そこの木に隠れてる人。まだやるか?」

バレていた。

今の剣聖の言葉は明らかに自分に向けてのものだ。

完全に居所が割れている。このまま隠れていても仕方が無い。

リーダーの男は遂に腹を括って剣聖の前に姿を現した。

「ああ。やるのね」

「何だそのめんどくせぇなぁみたいな呟きはよぉ!馬鹿にしやがってこの野郎!」

剣聖がぼそっと吐いた気怠げな呟きに怒りのボルテージをマックスにした野盗のリーダーは、顔を真っ赤にして目を血走らせて、短剣を抜き放ち剣聖に飛び掛かって来た。

「はあ。どうして俺はいつもこうなるんだ?」

~ ~ ~ ~

セークリッジ剣王国の最北端の名も無き寒村にディアルと言う男の子が誕生した。

母親の名はセリア。父親の名はガードフ。

ディアルは物心ついた頃から剣に興味を示し、三歳になった頃には既に子供用の木剣の素振り百回を日課とし、走り込みもしていた。

そしてそれを汗だくになりながらもこなしていたのだから凄いものだ。

修練をしている時の彼の楽しそうな笑顔はとても輝いていたものだった。

「ディアル。剣は楽しいか?」

夕食の食卓でガードフからそう問われると、ディアルは一切の躊躇いも無しに純新無垢な笑顔でこう答えた。

「うんっ!すっごいたのしい!」

「そうか。楽しいか。・・・そうか」

ガードフはディアルの答えを聞くと、申し訳なさそうな言葉尻となった。

「ディアルは本当に剣が好きなのね。ディアルが素振りしてる時の楽しそうな顔を見てるとママはとっても嬉しくなるわ。ディアルの笑顔は素敵だもの。ディアルにはいつもそうやって笑顔でいて欲しいって思ってるわ。でもママやパパじゃディアルに剣を教えてやれないわ。ごめんなさい」

「え?・・・やだ。やだよ!ぼく、剣もっとうまくなりたいよ!」

セリアが剣を教えてやることは出来ないと告げると、ディアルは目に涙を溜めて嫌だと抗議した。

「ディアルの気持ちは分かるが、こんな辺鄙な寒村に剣を扱う人なんかいないしなぁ。街に出れば道場っていうちゃんとした先生が教えてくれる稽古場があるんだけどなぁ」

「そんなところがあるの?!ぼくいきたい!どうじょうにいきたい!」

ディアルはガードフから道場について聞かされると、途端に興味を示した。

俯いていた顔をバッと上げて食い付いたことに一瞬驚いたガードフとセリアだったが、それだけディアルの剣に対する関心はとても深いんだなと思うと、親としても心苦しくなった。

道場に通わせてやりたいがお金が無い。

しかし息子の楽しみを抑圧して奪い取るなんて出来ない。

この歳で素振り百回が出来てしまうのだ。

ディアルにはもしかしたら剣の才能があるのかもしれない。

そんなディアルから剣を取ったら才能の芽を摘んでしまうかもしれない。

それはあまりにも惨い仕打ちだ。

そこでガードフとセリア、二人の思いが一致した。そして決断した。

「分かった。ディアル。道場に通わせてやる」

「ほんとに?!」

先まで暗く沈んでいたディアルは何処へやら。

ガードフのその一言でディアルに笑顔が戻った。

「本当にディアルは剣一筋ね。良いわよ。ディアルの為だもの。ママたち頑張っちゃうわ!」

「ああ。ディアルの泣いた顔なんてパパ見たくないからな。笑って楽しくのびのび生きて欲しい。そうパパもママも思ってるぞ。だからパパも今まで以上にあくせく畑耕して稼いじゃうからな」

「かせぐ?おかねを?」

「ああ。そうだ。道場に行くにもお金が掛かるからな。ってこんな話子供の前ですることじゃないな」

「ほんとよもう。気を付けてよねあなた。ディアルはそんなこと気にしなくて良いのよ。何も心配しないで明日からもまた頑張れば良いわ」

「ただ道場に通えるのは五歳からだ。だからあと二年はここで自分で頑張るしかないな。誰か剣の先生でも居れば良かったんだけどな」

「流石にこんな寒村にはそんな人居ないわよねぇ」

「わかった。パパ。ママ。ぼくがんばるよ。ごさいになるまでちゃんとまいにち剣のれんしゅうするよ。それでどうじょうにいってもっとつよくなって、パパとママをまもるんだ!」

ディアルの屈託の無い無邪気な笑顔に、ガードフもセリアも顔を綻ばせた。

こうしてその日の夕食は楽しい時間となったのだった。


ディアルはそれから毎日剣の修練に励み、早くも二年の時が経った。

ディアルは五歳になったのだ。

来月から道場に行けるようにもなっていた。

ディアルは毎日道場という場所に思いを馳せてワクワクしていた。

どんなことを習えるのか。どんな先生なのか。

ガードフから聞いたところ、他の子供たちも居るらしい。

一体どんな子と出会えるのか。

考えただけで今すぐにも行きたくなる。

ディアルは道場のことを考えてニヤニヤしていた。

と、そんな所に一人の厳格そうな初老の男性がやって来た。

「君がディアル君かね?」

「えと・・・はい」

「わしはウォルムの街で道場をやっておるゼーガンだ。君の父君から話を聞いておってな。何でも君は剣が大好きだとか。毎日素振りや走り込みに勤しみ、最近では筋力を付ける為のトレーニングを始めたとか。うむ。大変立派なことじゃな」

「あ、ありがとうございます!」

最初は怖い人かと思ったディアルだったが、口を開いたら村のおじいちゃんと何ら変わらないなと思える好々爺だった。

それに自分のことを褒めてくれるのは素直に嬉しい。

「その、ゼーガンさんは俺の先生になってくれるんですか?」

ディアルは気になって訊いてみた。

するとゼーガンは優しく微笑して答えた。

「ああ。そうじゃ。わしがディアル君の先生になる。来月ディアル君が道場に入門して来るのを楽しみに待っておるぞ」

最後にディアルの頭を撫でてふぉっふぉと笑って帰って行ったゼーガン。

「撫でられた。俺先生に頭撫でて貰えたぞ!もっとだ。もっともっと強くならないと。道場に行く前にもっと強くなっておかないと。良し。素振り五百回だ!」

道場の師範に期待されて俄然やる気になったディアルだった。


「それじゃあ行くね。パパ、ママ」

「ああ。行って来い」

「道中は気を付けるのよ」

「分かってる。暫く会えなくなるけど頑張るよ。絶対強くなって帰ってくるから」

ディアルはそう言って家を出た。

今日から道場に入門するのだ。

勢い良く駆けて行くディアルの背中を、ガードフとセリアは見えなくなるまで暖かく見守っていたのだった。


ディアルは念願叶って道場に入門した。

それから毎日厳しい修行をこなす日々。

しかしそれは決して嫌な毎日では無かった。

ディアルの生まれた村は、セークリッジ剣王国の最北端に位置する辺境もいいところの寒村だ。

年中の半分は雪に閉ざされるため農作物も多くは育たない。

そのため他の村と比べても稼げていないので、とても貧しい村なのだ。

ディアルも家族が貧しい生活を送っているのが分かっているので、だからこそ道場に入門したいと言ったのだ。

セークリッジ剣王国はその名の通り剣術が盛んな国で、剣術に秀でた者は騎士団に入ったり、更に魔法を扱える者は王宮騎士団に入れたりもする。

まあどちらにせよ高給取りなのは変わらない。

ディアルはその騎士になることを目指していたのだ。

道場で修行を積んで強くなって、騎士になっていっぱいお金を稼いで家族を助ける。

その親を思う孝行さと、生まれ持ったと言ってもいい程の剣に対する興味関心が、ディアルを突き動かしていた。

だから厳しい修行もキツいとは思っても嫌だとは思わなかった。

そんなこんなで五年の年月が経過した。


ウォルムの街の剣術道場は、弟子たちは五歳から十歳までの五年間そこで修行を積む。

ウォルムの道場の師範のゼーガンはマクガフ子爵家の元当主である。

現在は息子に当主の座を譲り、道場の師範となっている。

ゼーガンは貴族なので道場の月謝が格安なのだ。

ディアルは村の皆からも応援されてお金を出してもらっている。

そのためディアルは五年間道場で修行することが出来たのだ。

その分ディアルは村の皆への感謝の気持ちは強い。

この五年間毎日人一倍修練に励み、才能もあってか道場で一番の実力を持つ弟子となった。

そして今日道場を発つ。

「師匠。五年間ありがとうございました。師匠のおかげで俺はこんなに強くなれました。師匠の教えは絶対忘れません。これからも毎日剣の修行を積んでいきます」

「そうか。それは良い事じゃ。ディアルよ。村の人達に感謝することじゃ。君がこうしてここで修行をして強くなれたのは、村の皆がお金を出してくれたからじゃ。努々忘れぬ事じゃ」

「はい。もちろんです。本当にありがとうございました」

ディアルは帰る。生まれ育った故郷へ。

家族や村の皆が待っている。早く帰って報告しよう。強くなったよ、と。

ディアルは意気揚々とウォルムの街を出て行ったのだった。

両親のことや村の人たちのことを考えながら。

この時ディアルには知る由もなかった。

故郷の村が無くなっていたことなど。


「何だよ、これ・・・」

ディアルは愕然としていた。

村のあまりの光景に。

ディアルが帰って来て見たもの。

それは業火に焼き払われた無残な家々の姿だった。

真っ黒になった家屋の残骸。

灰も残らない物もあった。

生存者は皆無。

焼き尽くされてから何日か経っているのは理解できるが、情報が街に寄越されていなかったことから認知されていないのだろう。

やはり生存者は居ない。

そうと分かるとディアルの目に涙が溢れて来た。

「父さん。母さん。うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

みんな死んでしまった。父さんも母さんも村の人たちもみんな。

報告出来なかった。

俺こんなに強くなったよ、と。応援してくれてありがとう、と。

誰にも何も伝えられなかった。

その事が悲しくて、辛くて、情けなくて。大声を上げて泣いた。大いに泣きに泣いた。

そんなディアルを陰で見守っていた者が居た。ゼーガンだ。

実はディアルは、道場に入門してから定期的に両親から手紙を受け取っていた。

そしてゼーガンはその事を知っていた。

更にディアルが道場を出る日に、ディアルを迎えに道場まで足を運ぶとのゼーガン宛ての手紙を両親から受け取っていた。

しかし実際ディアルの両親はやって来なかった。

五年振りにディアルに会えると、文面だけでも相当楽しみにしていると分かる程待ち遠しそうにしていたにも関わらず、結局やって来なかった。

ゼーガンはそのことを不審に思い、直に村まで足を運んだのだ。

そして見たものが悲惨な焼け野原となった村落の残骸だった。

そしてその中で独り泣くディアルの姿も同時に見たのだった。


ディアルは一頻り号泣した後、そのまま地面に力無く座り込んでいた。

そこへゼーガンがゆっくり歩いて来た。

「ディアル君」

その声に驚いたように振り返ったディアル。

「師匠?どうしてここに?」

状況が上手く呑み込めておらず、震える声で尋ねたディアル。

その表情は、何故今ここにゼーガンが居るのか、と言った風だ。

これにゼーガンは、温もりの感じられる微笑を湛えて優しく包み込むように言った。

「ディアル君を迎えに来たのじゃよ。残念ながらこの村の人々は皆亡くなってしまわれたようじゃ」

「父さんも母さんも死んじゃったのかな?」

「恐らくじゃ。そこでじゃ。うちに来ないか?」

「え!?」

目を丸くして驚いてみせたディアル。

それもそのはず。

道場の師匠であるゼーガンにうちに来ないかと言われたのだ。驚かない方がおかしいことだ。

「良いの?いや、良いのでしょうか?」

「ほほほ。そう畏まらんでも良い。家族を失ったのじゃ。悲しいじゃろう。寂しいじゃろう。その辛苦はわしには計り知れぬ事じゃ。わしでは何の慰めにもならぬかもしれぬ。本当の親は君の御両親しか居ないのじゃからな。しかし家も無い、資金も無いのでは生きては行けぬ。だから来ぬか?これはディアル君が決めるべき事じゃ」

優しくも厳しいゼーガンの問い掛けに、ディアルは暫しの時を黙考し、二三度頷いて決断を下した。

「俺、行きます。師匠のもとへ行きます」

その眼はもう何の曇りも無かった。

むしろ明日への希望の灯火が少しではあるが灯っていた。

これを見てゼーガンは目を細めて鷹揚に頷いた。

そして温かい声音でディアルを抱擁し言葉を掛けた。

「歓迎するぞ。ディアル」

こうしてディアルはゼーガンの養子となった。

そしてそれから二年間、ゼーガンの息子となったディアルは道場に居た頃よりもみっちりハードな修行をこなし、更に力を伸ばして行った。

そして十二歳から三年間騎士学院に通うこととなった。

特待生として入学したディアルは、入学後も特別クラスでトップ成績で学院生活を過ごし、トップ成績のまま卒業。

最早同年代に敵無し状態であった。


騎士学院を卒業したディアル。

首席で卒業したので、各都市の騎士団や王都の騎士団、更には王宮騎士団と引く手数多。

更になんと、卒業試験を視察に来ていた王宮騎士団長から直々にスカウトが来ている。

これにはゼーガンも手放しで大喜び。

息子の成長を喜ぶその顔は、初老のお爺ちゃんとは思えない程若々しい笑顔だった。

しかしディアルはそんなゼーガンを申し訳なさそうな表情で見詰めていた。

期待を裏切る形となってしまうからだ。

でも何時までも黙っている訳にはいかない。

ディアルは意を決して進路を話すことにした。

「あのさ、父さん」

「ん?何じゃ?」

何時にも無いディアルの真剣な表情に、ゼーガンは少し驚き気味な表情で振り返った。

「俺の進路のことなんだけどさ」

「ふむ。どうするか決まったのじゃな。では王宮騎士団に入るか?それとも他の騎士団に入るか?折角王宮騎士団長様から直接の勧誘を頂いたのじゃから、わしは王宮騎士団に入団すべきと思うのじゃが、どうするのじゃ?」

「えっとね。言いにくいんだけど。その・・・」

「何じゃ歯切れが悪いのぅ。はっきり言わんか」

「俺、闘剣士になる」

それは、ゼーガンに衝撃を与えるには十分な内容だった。

ゼーガンは、今ディアルが何を言ったか分からなかった。

鏡で今の自分の顔を見たら赤面物だろう。

それ程にゼーガンは驚愕していた。

「い、今、何と?今何と言ったのじゃ?」

「闘剣士になりたい、って言った。えっと、もしかして何かまずかった?」

ディアルは闘剣士になりたいと話したら、驚かれるだろうとは思っていたが、まさかここまで驚かれるとは思いもしていなかった。

そのため今の発言に何処かおかしな所でもあったのかと不安になって、問い返してみたのだ。

「いや、別にまずい話な訳では無い。無いのじゃが。闘剣士とはどういうものか、ディアルは解っておるのか?」

鋭い双眸。ゼーガンの瞳の奥底の鋭利な光が、真っ直ぐディアルを射抜く。

ゴクリ。

思わず息を飲む程の真剣な眼差し。

ディアルは、まだまだ父親の剣を越えられていないな、と改めて実感した。

ゼーガンの眼光に気圧されているようではゼーガンに勝つことは叶わない。

年老いても剣の腕が衰えていないことに、ディアルはゼーガンを尊敬しているのだ。

「うん。闘剣は一対一の剣術の一本勝負。王国主催だけど安全とは言えない。大怪我はもちろん、死ぬことだってある」

「そうじゃな。まあ、王宮騎士団に入団したとて、危険な事があるのは変わりない。じゃが、王宮騎士団に入った方が実入りは良いぞ。確かに闘剣でも王宮騎士団よりも稼げる場合がある。じゃがその代わりに勝たねばならぬ。最後まで勝ち抜いて王者とならねばやっては行けぬぞ」

王宮騎士団はとにかく金が良い。

闘剣士は闘剣で勝たないと収入はゼロだ。

でもそんなことはディアルにとってはどうでも良かった。

別にディアルはお金が欲しい訳では無かったのだから。

だからと言ってディアルは何故、態々危険で稼ぎが常にある訳では無い闘剣士になることにしたのか?

それは至ってシンプルな理由からだった。

「何で闘剣士になりたいかってね。それは、俺は強い相手と戦いたいからなんだ」

「・・・ほ?」

またもディアルの発言がゼーガンの顔を間抜けにさせた。

「今何と?」

またもゼーガンはディアルの言ったことが理解出来なかった。

「強い相手と戦いたいとな?」

「うん。俺、闘剣士になれば毎回強敵を相手に出来るんじゃないかなって思ったんだ」

「ディアルが剣が大好きなのは十分理解しておる。しかしどうしてそこまでして戦いに拘るのじゃ?」

ゼーガンは、ディアルが強くなりたいと心から思っていることには気が付いていた。

そしてそれはとても良い事だと応援していた。

しかし今となっては同年代には無敵の状態にまで強くなった。

騎士団に入っても実力はトップクラスだろうとゼーガンは評価している。

実際に王宮騎士団長からスカウトが来ている訳だし。

しかしディアルは、そんなありがたい話を蹴ってまで闘剣士になる道を選んだ。

理由は強い相手と戦いたいから。

戦いたいというのは戦いが好きだからなのだろうが、ディアルは剣が好きなのであって、別に戦い自体を好むような人間では無いことは分かりきっている。

しかしディアルは強い相手と戦いたいと言う。

と、ここでゼーガンはある一つの答えに辿り着いた。

(いや、まさか、な。)

取り敢えずゼーガンは、ディアルが闘剣士に拘る理由を訊いてみることにした。

「俺の最初の夢は、騎士団に入ってお金を稼いで、厳しい生活を送ってる家族を助けることだった。でも俺の村は焼き滅ぼされて、家族は、村のみんなは死んじゃった。それで父さんに拾ってもらって生活には困らなくなったから、正直お金にはもう拘ってないんだ」

「それで王宮騎士団では無く闘剣を選んだと?」

「うん。でもそれは戦いが好きだからじゃないよ。強くなりたいからなんだ」

「ほう」

ゼーガンの予想が的外れなようでは無くなってきた。

「闘剣士はみんな強い。剣帝って呼ばれてる現在のチャンピオンは王宮騎士団長より強いとか。そんな相手と戦えば実力アップに繋がるかなって」

「実力を上げたいならそれは王宮騎士団でも出来るじゃろ?」

「そうなんだけど・・・」

「何か目標でもあるのか?倒したい相手でも居るのか?」

ゼーガンがそれを口にした直後、ディアルの目が大きく開いた。

当たりだ。ディアルには倒したい相手が居る。

ゼーガンが予想した通りの結果だった。

「何で分かったの?」

「分かるさ。ディアルは家族を殺されておる。村を焼いたのはドラゴンの仕業に違いない。わしがそう伝えたな」

「うん」

「そしてこう言った。ドラゴンはこの世界に居る生物の上位種じゃと。その強さはキメラの比では無いとな。そして村を焼いたドラゴンは恐らく北龍谷の火竜じゃろうともな。それがディアルの心に復讐心を湧き起こしてしまったのかもしれん」

「・・・その通りだよ。怒るか?」

ディアルは本心を言い当てられ、観念して認めた。

そして恐る恐る訊いた。

「・・・いや。わしは怒らんよ。それはディアル自身の問題じゃ。自分で解決する事じゃ。故にわしは止めぬ。ドラゴンに復讐する為に強さを求めるも良し。純粋に闘剣士として強敵と剣を交え、それを楽しむも良し。王宮騎士団に入って王国の為に力を振るうも良し。全てディアル自身の選択じゃ。但し後悔はしないこと。それが全てじゃ」

ディアルはゼーガンのこの言葉に目を見開いた。

絶対に怒られると思った。絶対に止められると思った。

肯定されるとは全然思っていなかった。

そして優しく自分のことを想うように投げ掛けられた言葉に、ディアルは涙が零れ落ちそうになり、慌てて目元を拭った。

復讐心に燃える暗澹とした自分を温かく想ってくれたことに嬉しくなって、ディアルは思わずゼーガンに抱き着いてしまった。

「ありがとう、父さん。ごめんなさい。俺、こんな思いで剣を磨いてた。そんな俺を許してくれて、肯定してくれて、想っててくれて、本当にありがとう」

「うむ。辛かったろうな。悔しかったろうな。わしはディアルの味方じゃよ。ドラゴンを倒す為に強さを求める事は、なーんにも悪い事ではない。ただ、わしは後悔して欲しくないのじゃ。闘剣士になって、強さを求めて戦い抜いて、火竜を倒し、悲願の復讐を果たし、それでその後に空虚な心しか残らぬのなら、それは止めた方が良い。しかしそれでは心が晴れぬのなら、存分に戦い強くなるが良い。そして憎き火竜を倒して来るが良い。分かったらもう行け。闘剣士になるが良い」

「うん。ありがとう。俺頑張るよ。闘剣士になって、強くなるよ。父さんを早く越えたいし。火竜を倒したら、その時は王宮騎士団の門を叩くよ」

「そうか。それが良い。じゃがな、わしが一つ心配しておる事がある。それはディアルが魔法を全く扱えぬ事じゃ」

「ああ。俺って魔力無いんだっけ。でも魔法が使える必要なんて無いんじゃないの?剣が強けりゃ勝てる訳だし」

「ディアルは魔法が使えぬ。お前がそこらの街の騎士団なら兎も角、王宮騎士団に勧誘された時は、わしは言葉を疑ってしまったよ。王宮騎士団員は皆魔法が、多少なりとも中級魔法程度は使える者ばかりじゃ。それがお前は魔力が無いものじゃから全く使えんと来た。そんなお前が王宮騎士団長様直々から入団のお誘いを貰ったものじゃから、わしはもうびっくり仰天じゃったよ。じゃからわしは、ディアルはもうわしよりも強くなっておるのではないかと思っておるよ」

「そんなことは、無いと思うけどな。だって父さん本当に強いんだから。そんなことよりさ、父さんは何で俺が闘剣士になることを心配してるの?」

「おお。強い闘剣士は皆魔法が使える。使えない者は勝ち上がるのは非常に困難。魔法が使えない者が魔法を使う者と対決すれば、非常に不利な戦いを強いられることとなるのは必至。それに王者の剣帝なんかは使用者が少ない雷魔法を使うそうじゃしな。要するにディアルには茨の道かもしれん。ただそれだけじゃ」

「なるほどな。でも俺は負けない。どんなに不利な相手でも絶対に乗り越えてみせる。そうじゃなきゃ火竜なんて倒せないからな」

「その意気があれば大丈夫じゃな。良し。行って来い。そして果たして来い。思いっ切り殴り飛ばして来い」

「ああ。じゃあ行くね。強くなって戻るよ」

ディアルは駆け出した。

闘剣士になって力を磨く為に。

そして村の皆の仇の火竜を討つ為に。


闘剣士たちが日々鎬を削る闘剣場があるのは、セークリッジ剣王国の王都ブランシアだ。

闘剣が王国主催なのがその理由だ。

ディアルはブランシアに行き闘剣士登録した。

と言っても闘剣場に行けば直ぐに闘剣士になれる訳では無く、登録テストを受ける必要がある。

登録テストとは、文字通り闘剣士登録をする為の戦闘試験で、教官五名と戦って三勝すれば合格となる。

ディアルは教官をストレートで三タテし、即合格となった。

闘剣士になってからのディアルの活躍は目覚ましいものであった。

闘剣士になって一年と経たずにチャンピオン戦挑戦者リーグに入ったのだ。

これは史上最速記録だった。

それから一年後、ディアルはチャンピオンに挑戦した。

結果は敗北。それも圧倒され何も出来なかったという酷い内容だった。

ディアルの剣は剣帝に届かなかった。

しかし凄いことには変わりは無い。

何せ初級魔法の一つも使えないディアルが、魔法と剣を組み合わせて向かって来る強敵ばかりをばったばったと倒して、熾烈なリーグを勝ち抜いたのだから。

それからディアルはその悔しい気持ちをバネに鍛錬に明け暮れた。

目下の目標は打倒剣帝。

そうやって剣技を磨くこと一年。

ディアルは再び剣帝に挑んだ。

戦いは史上類を見ない苛烈を極める物だった。

互いの剣がぶつかる度、激しく火花が散る。

剣戟は時を経る程に激烈さを増して行き、観客の目にも留まらない速さにまでなっていた。

剣帝が魔法を放つ。それをディアルが避ける。

口で言うには簡単なことだが、この戦いに於いては決して容易なことでは無い。

剣帝の放つ魔法のスピードが尋常で無いのだ。

しかもそれを至近距離で放って来る。

とてもじゃないが躱せない。

だがディアルはそれを躱した。

今まで挑戦者の例外無く全員が敗れ去って来た剣帝の無敵コンボ。

それをディアルは潜り抜いてみせた。

そして剣帝に一撃入れてみせた。

そのことに観客が湧いた。

割れんばかりの拍手喝采が闘剣場を揺らした。

ディアルの奮闘に観客たちは大興奮。

大熱狂のチャンピオン戦だった。

しかしそんな戦いにも終わりというものは必ずやって来る。

戦いも終盤。剣帝は自身の大剣に雷電を纏わせた。

剣帝は使用者の少ない雷魔法を使う。

斬るというよりは叩き潰すといった方に適していると言える厳しい漆黒の刀身に、大気をビリビリと震わせる、離れていても身体が麻痺しそうになる程の雷電が齎された。

気を抜けば意識が持って行かれそうだ。

これは剣帝が滅多に使用しない、闘剣では使用するのが初めての技だ。

その必殺の雷剣がディアルに振り下ろされた。

ディアルは剣帝から振り下ろされる雷剣を茫然と見詰めていた。

その圧倒的な威容に気圧され、更に至近距離で浴びる途轍もない電磁波に身動きを封じられていたのだ。

もう躱すのは不可能。

だからと言って防御し切れる訳でも無い。

万事休す。

だがそんな時、ディアルに天啓が舞い降りた。

見えたのだ。道が。圧倒的な雷剣を回避出来る軌道が。

ディアルはそれに従って動いた。

逆らわずに、天に導かれるままに。

そして躱した。

絶対に回避出来ない、と。絶対に負けてしまう、と。そう誰もが思っていた。

闘剣場の観客たち全員が脳裏に描いた確定的な予想を、ディアルはこの土壇場で裏切ってみせた。

闘剣場が静まり返った。

場を静寂が満たす。

観客たちはもちろんのこと、剣帝までも声を発せなかった。

有り得ないと思っていた。

剣帝の必殺技を躱すなんて。しかもあの距離で。

観客たちは皆あんな技を見たことはもちろん無かった。

でもそれが物凄く強烈で危険なものだということだけは理解出来た。

だから誰もが思っていた。

剣帝の勝利だと。またディアルは負けてしまうと。

だが、結果は違った。

あの雷剣を、ディアルは回避した。

誰もが不可能だと思った事をやり遂げた。現実の物とした。

その信じられない光景に、観客たちから今までのよりもっと熱い声援がディアルに寄せられた。

万雷の拍手が闘剣場に響き渡った。

その声援がディアルに力を与えた。

「じゃあ決めるか」

ディアルはきっと剣帝を睨み付け、それに剣帝もディアルを睨み返し、

「来い!」

両者同時に地面を強く蹴り、間合いに入るとこの日一番の超高速の剣撃戦を繰り広げた。

「喰らえ雷閃!」

「俺は絶対に負けない!」

「「はあああああっ!」」

互いの全身全霊の一撃が交差した。

片や超高練度の雷魔法の雷剣撃。

片や魔力の微塵も無い生身の剣。

果たして激闘の結果は・・・


「ただいま、父さん」

「おお。おかえり。何じゃ随分と久し振りじゃのぅディアル。暫く見ないうちに立派になったものじゃ。うむ。強くなったのぅ」

「ははは。だって俺チャンピオンだよ。王者の風格ってもんが出てなきゃ、ちょっとヤバくね?」

「ほほぅ。しっかしまあよくあの剣帝を倒したもんじゃな。素直に賞賛する。父親として嬉しいぞ。おめでとう」

「ああ。ありがとう。第一目標が達成出来たよ。これも父さんが師として剣術を指南してくれたからだよ。むしろありがとうは俺の台詞だ」

「おおお。良い子じゃ。ディアルは本当に良い子じゃ」

「暫く見ないうちに父さんは涙脆くなったなあ」

「全くじゃ。年を取るといかんのぅ」

「はははは」

「ほっほっほ」

ディアルはチャンピオンになった。

あの戦いで剣帝を破り、王座を奪い取った。

あの時最後の一撃を先に入れたのはディアルだった。

あの瞬間にもまた見えたのだ。勝利への軌道が。

ディアルはまたそれに従って剣を振るった。そして勝利した。

審判がディアルの勝利を告げた直後、観客たちは湧きに湧いた。

長らく王座に居座っていた無敵の剣帝を下した歴史的瞬間。

しかもその偉業は十八歳の少年が成し遂げたと来た。

これが湧かずしてどうすると言うのか。

大興奮。大熱狂。

闘剣場に響き渡った拍手喝采と大歓声が止むには相当の時間を要した。

天の導きは二度訪れた。

それが偶然なのか天意なのか。それは定かでは無い。

だが一つ言えることは、ディアルは闘剣王だということだ。

これからは王者として挑戦者を迎え撃つ番だ。

デビュー当時から既に居たファンに加えて、チャンピオンになってから出来たファンも増えて、大人気者にもなった。

おまけに剣聖なんて異名も付いた。

魔法を使えない身でありながら、雷魔法を操る最強の剣士を打ち破ったからだろう。

ディアル自身過ぎた名だと思った。

しかしディアルは一つ目標を達成してしまった。

闘剣士になって剣帝を倒す。

それはもうやってしまった。

だからもう次のステップに移らないといけない。

飽くまで最終目的は故郷を消滅させた火竜を打ち倒すことだ。

闘剣場に何時までも居る訳にはいかない。

でも出来れば王座に居る時には引退したくはない。

ディアルはそう思っていた。

ディアル十八歳。最年少闘剣王の誕生だった。

そして剣聖が誕生した瞬間だった。


ディアルが剣聖と呼ばれるようになってから少し経った頃。

セークリッジ剣王国と隣国フラム都市国家連合国が戦争になった。

セークリッジ剣王国とフラム都市国家連合国は最近対立関係にあった。

とは言えその対立は、フラム都市国家連合国の一都市国家であるビット第二都市国家とに過ぎず、フラム都市国家連合国を構成している五つの都市国家の総意では無いため、大きな戦争にはならなかったのが幸いと言える。

しかしどれだけ小さなものだとしても、戦争には人手が要るものだ。

それにビット第二都市国家軍がビット最強と謳われる魔法師を率いていたということもあって、宮廷魔導師の他にもAランク以上の冒険者や闘剣士も任意ではあるが徴兵された。

ディアルは闘剣王者だ。もちろん召集が掛かった。

最初は悩んだ。

戦争は怖いし人を殺さなければならない。

そんなものに参加して沢山人を殺すのは嫌だし、自分が死ぬことだって考えられる。

どんなに強い人でも簡単に死んでしまうのが戦争というものだ。

悩み、迷い、逡巡し、その果てに決意した。

ディアルは戦争に参加した。


戦争はセークリッジ剣王国の勝利で幕を下ろした。

勝因は単純に兵力の差と魔法師の強さだ。

やはりたった一都市国家のみの戦力だったと言うべきか。

ビット第二都市国家軍は三万の兵と五十の魔法師。

対して剣王国軍は五万の兵と七十の魔法師。更に闘剣士五人も加わって百人力。

五人の闘剣士の中には剣聖ディアルと剣帝ゼスも入っていた。

まあ、そりゃあ勝てるだろう。

剣帝ゼスはディアルと死闘を繰り広げた雷魔法使いの剣士だ。

七年もの間闘剣王者の座を独占していたのだ。

一年に二回チャンピオン戦があるので、十四回も王座防衛したという正に帝王。

それに彼を破った新闘剣王の剣聖ディアルも参戦していたのだ。

それはそれは強かっただろう。

そしてこの戦争で一つの伝説が生まれた。

ディアルが敵の大将の首を討ち取ったのだ。

千の敵軍の中、ばったばったと襲い来る敵兵たちを次々と倒して行き、見事敵大将を撃破した。

正に一騎当千の活躍。

ディアルに付いた剣聖の異名は益々剣王国に浸透して行ったのだった。


ディアルは十九歳になった。

戦争も終わり剣王国が日常をすっかり取り戻した頃。

ディアルは闘剣士を辞めて旅に出ていた。

戦争での大活躍もあり、王宮騎士団への勧誘を再度されたディアルだったが、それを辞退し独り旅立った。

ディアルの故郷を消滅させた火竜を倒しに行く為だ。

剣帝ゼスを倒し闘剣王になったこと。

フラム都市国家連合国第二都市国家ビットとの戦争で単騎敵大将を討ち取ったこと。

この二つのことから、ディアルは自分の力に自信を持ち、遂に北龍谷の火竜を倒す為に旅立ったのだった。

因みにディアルが闘剣士を辞めた後の闘剣はレベルがかなり下がったと言う。

剣帝ゼスも闘剣場には二度と戻って来なかったそうだ。


北龍谷はウィルティリア大陸四龍山の一つ、バラス山にあるドラゴンが棲む谷で、古文書に記されている伝説の〈氷河柱龍〉コキュートスが棲んでいると言われている。

ウィルティリア大陸とは、ここセークリッジ剣王国やフラム都市国家連合国、グレンダーム帝国にエルセリア皇国、そしてカミラ精霊国の五つの国が存在する大陸だ。

その他にもう一つ魔族が暮らすキラル魔大陸が存在する。

この二つの大陸がこの世界を構成しているのだ。

そしてこの世界を創造したと言われているのが、四柱龍だ。

ウィルティリア大陸に存在する四つの龍山にそれぞれ四柱龍が棲んでいると言われている。

飽くまで伝説なので当然信憑性は無いが。

しかしドラゴンは存在する。

火竜や土竜、翼竜に獣竜など、あらゆる生物の上位種として存在している。

ディアルが生まれる二年前、ディアルの生まれ故郷の付近の山、大陸四龍山に数えられるバラス山に巨大な火竜が棲み着いた。

そしてそれがディアルの故郷を焼き払った。

これはゼーガンの推定だが、根拠はある。

火竜の仕業だという根拠。

それは一撃で村を焼き払ったという事だ。

焼け跡から見るに、ディアルの村は何度も炎魔法を撃ち込まれて滅ぼされたのでは無く、一撃の下に焼き払われたのだ。

そんなことはどれだけ炎魔法に優れている達人でも、小さな村とはいえ、一撃で全て焼き払うのは不可能。

更に村の住人の死体も見受けられない。

人間を灰も残らず焼き消すなど、人間の使う魔法では到底出来っこない。

とても人間業とは言えない。だからゼーガンはこれを火竜の仕業だと踏んだのだ。

ドラゴン自体知能の高い生物だ。

それも巨大な火竜ならば知能も相当高いはずだ。人語を理解出来るだろう。

万が一間違いならば、火竜とてしっかり弁明するだろう。

無駄な争いは好まないのが竜種というものだ。

だからディアルを行かせたのだ。

復讐に燃えるのなら燃え尽きるまでとことん打ち込めばいい。

憎悪が晴れるまで続けるがいい。

いずれ分かる時が来る。

復讐など、ただただ虚しいだけだと。


ディアルは火竜を倒す為に更なる修行を積んでいた。

強い魔物は粗方倒した。

色んな冒険者や魔法師に勝負を挑んで勝ち抜いて来た。

やれることはやった。

さあ、そろそろ火竜を倒しに行こう。

と、ディアルが意気込んだその時、後ろから声が掛けられた。

「待て、剣聖」

「その声、ゼスか!?」

ディアルが声がした方へ振り返ると、思った通り剣帝ゼスがそこに居た。

「久しいな」

「ああ。でもどうしてここに?」

「お前が闘剣から去った後にな、俺も闘剣を辞めた」

「そうだったのか?何でまたそんなことしたんだよ?勿体ねーなー」

「お前が初めて俺を倒した。そんな奴が居なくなった場所で誰が戦ってられるか」

「だからって何も辞めるなんて」

「そんなことより。お前、ドラゴンを倒すのか?」

「ああ。俺の故郷は北龍谷の火竜に焼かれた。父さんも母さんも村の人たちもみんな死んだ。だから仇として火竜を討つ」

「証拠はあるのか?」

「ああ。一撃で村を全部焼き滅ぼした。人間には到底出来ると思えない」

「なるほどな。確かに村一つ焼失させるのは人間でも可能だが、たった一撃でやるとなるとまず出来ないだろうな。だがな。問題なのは火竜を相手にどう立ち回るかだ。魔法が使えないお前が火竜をどう倒すつもりだ?」

「うっ。それは・・・」

「如何な剣聖だろうと魔法が使えないのではドラゴンなど到底倒せないぞ」

「それは分かってる。魔道具でも使うさ」

ディアルは魔法が使えない。

魔物は粗方魔法無しでも倒せるが、竜となると話は別だ。

竜の身体を覆う超硬質な鱗は、普通の剣では全く歯が立たない。

魔法が必要になる。

と言っても並大抵の力の魔法では力不足になる。

そのためドラゴン討伐にはBランク以上の冒険者でないと参加資格を得ることは出来ない。

そして王国の軍隊と協力して百人単位で討伐隊を編成し、討伐に動く。

それをディアルは一人で倒そうとしているのだ。

流石に無謀というものだ。

「剣帝でも無理だと思うか?」

「魔道具とは何を使う?」

「基本四属性の魔法符だろ。それと火炎晶石に凍結晶石、魔力無しでも使える物ばかりだ」

「ほう。確かにそれだけあれば何とかなるかもしれん。だが、威力は弱い。一発二発で決定打とはならない。油断は禁物だ」

「分かってるっての。なーに心配か?俺のこと心配してくれるのか?」

「・・・うるさい。剣を執れ。」

「ありがてえ。出発前に最後の調整だ」

ゼスが剣を構える。これに続いてディアルも剣を構えた。

ディアルとゼスはチャンピオン戦の後、良いライバルとして仲良くなった。

偶に会っては剣を交えていた。

ゼスは単独で火竜討伐に向かうディアルを心配して、最後にディアルを鍛えにやって来たのだった。

ギンギン。ガキィン。

剣を交える度に分かる。

ゼスの剣が以前より重くなっていることが。

成長している。強い。

闘剣士を辞めてこの短期間でこうも強くなれるものなのか。

ディアルは苦笑した。

剣帝の名は伊達じゃないなと。

何度か剣を交差させたところでゼスは更に剣速を上げた。

「うおっと!」

「このくらいで慌ててどうする」

速い。魔法は使っていない。純粋な剣術の技量だ。

本当に感心する。

個人の勝手な私怨にこんなにも全力で手を貸して応援してくれるなんて。

こんな自分に全力でぶつかって来てくれるなんて。

「ありがとな」

ディアルも剣速を最大限引き上げ、全力でゼスと斬り結んだ。

「喰らえ雷剣!」

「受けて立つぜ!」

激闘の末、引き分けとなった。

ディアルもゼスも互いに悔しそうな苦々しい表情だ。

「今回は引き分けかー」

「次こそは勝つ」

そうとだけ言ってゼスは踵を返した。

ディアルは無言でその背中を見詰めていた。

強かった。前よりずっと重い一撃だった。

自分には無い魔法の力。

あれがあればドラゴン討伐も少しは楽になるだろう。

でもディアルは魔法無しでまたゼスと互角に渡り合えたのだ。

相当な自信になった。

「本当に、ありがとな!」

ディアルはもう見えなくなったゼスに届くように、腹の底から声を出した。

そして北龍谷を目指して再び歩き出したのだった。


「来たぜ。北龍谷」

遂にディアルは北龍谷にやって来た。

二十年以上前にバラス山に棲み着いた巨大な火竜。

そいつがディアルの生まれた村を焼いた。

それで村の人がみんな死んだ。

許さない。絶対に倒す。家族の、村の人たちの仇を取る。

ディアルは強くその想いを胸に刻んで、火竜が居る洞窟に足を踏み入れた。


火竜が居るとされる洞窟に入ると、真夏の炎天下もかくやという熱気がディアルを襲った。

当たりだ。

ディアルは火竜がここに居ると確信めいたものを感じた。

魔道具が魔力の反応を察知したからだ。

ディアルは魔力を持たないため、遠くても大きな魔力であれば感知出来る程度の感受性しか持っていない。

だからどうしても微弱な魔力では、かなり近くでないと見逃してしまうのだ。

それを解決する為に、今回は魔力を察知するレーダーの様な魔道具を持参していたのだ。

すると早速奥の方から魔力反応が感知された。

ディアルはゆっくりゆっくり歩を進めた。

向こうに気付かれたら厄介だ。ここは慎重に行くところだ。

そうして夏の暑さの洞窟内を歩くこと一分半。

「なっ!これは!」

ディアルは、そこで見た想像の遥か斜め上を行く光景に、思わず大声で叫んでしまった。

すぐ側に誰かが悍ましい嗤いを浮かべて佇んでいるとも知らずに。


ディアルが見たそこは、悲惨、陰惨、惨烈。そんなような言葉がその様子を言い表すには妥当だろう。

それ程に目の前の状況は酷い有様だった。

ディアルが洞窟の最奥部に辿り着いた時、目の前には火竜が居た。死んだ、火竜が。

尻尾は切断され、四本あったのだろう脚は焼かれ爛れ無残な姿に。

頭部は両眼とも焼き潰されていて、更に大きく開いた巨大な口には、二本の石槍が首を貫き突き刺さっていた。

村の人たちの仇といえどもとても見ていられない。

残酷ではあるが見事な竜殺し。一体誰の仕業やら。

自分で倒すことは叶わかなったが、村を焼いた仇は取られたのだから、まあ、本当に残念でならないが、良しとするか。

ディアルは心の内でそう思い、渋々ながら納得した。納得することにした。

「ああ。父さん。母さん。村のみんな。仇は取られたよ。俺じゃあないけど、誰かがどんな思いであれ、倒してくれたよ。だから安心してよ。もう村や町が焼かれるなんて事、起こらないから」

ディアルは洞窟を後にし、外に出て空を仰ぎ見て、天国の家族や村の人たちに報告した。

村を焼いた火竜が倒されたこと。

安心して天国で楽しくやっててくれと言った。

と、そんな時。

誰かが後ろから、この温かい空間を一瞬で凍り付かせるとんでもない一言を浴びせ掛けた。

「いやいや。君、それは違うよ。仇なんて取られてない。それに街が焼かれないなんて保証は何処にも無いよ」

「誰だ!?・・・・ってか、何だと?」

ディアルは声がした方を素早く振り返り、警戒心を最大級にまで上げた。

そこにはディアルと同じ年くらいだと思われる青年が佇んでいた。

顔に背筋が凍るような恐ろしく気味の悪い笑みを湛えて。

ディアルは尋ねた。先の言葉の真意を。

「先の言葉。仇は取れてない。町が焼かれるかもしれない。そんなように言ってたな。どういう事だ?答えろ!」

つい語気が荒くなる。

いけないいけないと直ぐに頭を冷やす。

しかし眼は鋭く青年を射抜く。

そんな眼を浴びせても青年は全く動じない。

これでも剣聖と言われるくらい剣の腕は立つのだ。

視線で相手を竦み上がらせることくらい造作もない。

だがこの青年はそんな視線を浴びても、全く意に介さず飄々と話を続けた。

「君の問いの答えだけど。どういう事も何もそのままの意味さ。君の村焼き滅ぼされたんだってね。可哀想に。この山の麓にある村だろ?あそこ焼いたの僕。火竜じゃなくて、僕」

一瞬何を言われたのか理解出来なかった。

村を焼いた犯人はこいつなのか?

火竜じゃなかったのか?

ふつふつと煮え滾るこの感情は憤怒だ。

ドロドロと心の奥に粘り着いて離れない昏い感情は憎悪だ。

「今の言葉、真実か?」

「僕は竜を殺す。時には人も殺す。何の罪も恨みも無い人でも殺す。けれど嘘は吐かない。故に先の言葉は真実さ。憎いかい?腹が立つかい?」

「・・・黙れ。黙れ!」

キレた。ディアルは剣を抜き一瞬で青年へと間合いを詰めると、青年の首目掛けて神速の斬り上げを一閃。

「へぇー。速いねぇ。さっすが剣聖さん」

「何!躱しただと!」

ディアル渾身の逆袈裟斬りを躱された。

優男風の青年が自慢の神速の剣を初見で躱した。

そのことが信じられなくて、それに怒り狂って我を忘れていたのもあって、動きに精彩を欠いていた。

だから読まれたのだ。

確かに彼はただの青年では無い。

優男に見えて実はかなりの手練の魔法使いだ。

ディアルの威圧の視線を浴びても身動ぎ一つしなかったのが、彼が手練であることの証左だ。

実際彼は単独で火竜を様々な魔法を駆使し屠っている。

「あはは。そんな雑な剣じゃ僕を斬れないよ。落ち着いて剣を構えて相手の動きを窺わなきゃ。ふっ。まだまだだね」

「黙れーーーー!」

ディアルは怒髪天を衝く鬼の形相で青年に斬り掛かった。

青年に動きの乱雑さを指摘され、更に憤怒に拍車が掛かった。

もう誰もディアルを止められない。ディアルの怒りは止まらない。

「はは。何て無様なんだ。それでも君は剣聖かい?最強の剣士なんだろ?だったらもっとキレよく戦わなきゃ」

「うるさい黙れ!お前が、お前が家族を殺したんだ。お前が村のみんなを殺したんだ。この外道め!」

青年の言動一つ一つがディアルの冷静さを奪い取って行く。

「お前をここで殺す。みんなの苦しみをお前も味わえ!何倍も何倍もなあっ!」

「ごめんごめん。許してくれなんて言わないけどさ。これも世界の為なんだよ」

何を言ってんだこいつ?世界の為だと?ふざけるな!

世界の為に村を焼く。そんな非道が許されてたまるか。

「そんなふざけた話。誰が信じるか馬鹿が!つくづくゲスだなてめえ。ぶっ殺す!地獄に堕ちろーーー!」

ディアルはこの日最速の加速で青年に肉薄した。

そして繰り出した。全身全霊の最速の唐竹割り。

決まった。ディアルはそう心の中で確信していた。

この距離。この剣速。躱せるはずがない。

魔法で防御するのも間に合わないだろう。

しかしここで、ふと師匠にして現在の父親のゼーガンの教訓を思い出した。

「勝利するまで決して勝ったなどと慢心するな。その慢心こそが最大の隙となる」

よく言われる話だ。

ディアルはここで嫌な予感がし、青年に注意深く目を向けると

「良い剣だね。それに良い眼になったね。でもこれで終わりだ」

ディアルは瞬間一切の攻撃を中断し、横に身を捻り身体を逸らした。

その直後、ディアルの居た空間に突然大爆発が起こった。

何とか回避したものの、爆風に煽られ吹き飛ばされた。

そんなディアルに容赦無く石の杭の雨が降り注ぐ。

飛ばされている最中なので回避することは叶わない。

ディアルは必死に剣を振り、襲い来る石の杭を薙ぎ払う。

しかし数が多い。全て弾くのは無理だ。被弾已む無し。

そんなの御免だ。

「終わったか。・・・ん?これは!」

青年がディアルの敗北を予想し、視線を切ろうとしたその瞬間。

青年は信じられない物を見たように目を見開いた。

ディアルが無傷で立っていたのだ。


ディアルが石の杭に蜂の巣にされそうになったその時、見えたのだ。

この最大の危機に見えたのだ。

闘剣場で剣帝と戦った時に見えた勝利への道。

それがこの土壇場でまたディアルを導いてくれる。

「じゃあ大逆転しますか」

ディアルは道が示した光の軌道を辿り剣を振るった。

それが見事石の杭の雨を完璧に弾いた。

切り抜けたのだ。

石の杭の雨に身を穿たれる最大の危機を。

これを見て青年は驚愕し、しかし直後笑った。

口の端を吊り上げて面白いとばかりに笑った。

青年は待っていた。この時を待っていた。

剣聖ディアルが魅せる時を。

闘剣場で観衆を大いに湧かせたあの瞬間のような剣技を。

「良い物を見れたよ。剣聖ディアル。君は最高の素材だ。もっとその腕を磨いてくれ。君が至高に届いた時。そこで僕は君を狩る。ふふふ。ふはは。楽しみだなあ」

高らかに笑う青年の喜悦の顔は、何処か禍々しく歪んでいたのだった。


「はあ。はあ。何とか切り抜けたぜ。あいつは?」

「心配要らないよ。僕はちゃんとここに居る」

飄々と語りながらディアルの眼前に現れた青年。

その表情は満足気なものだ。

「のこのこ現れやがって。どこまでもムカつく野郎だ。構えろ。ここで葬り去ってやる」

ディアルは冷静さを取り戻し、油断無く構えて青年を静かに見詰める。

青年はディアルの先までのとは違う、静かではあるが逆に鋭い強力なプレッシャーを物ともせず、飄々と受け流し口を開いた。

「君には満足したよ。凄いね。あの状況で見事切り抜けてみせるなんて。だから一つ教えてあげるよ」

青年は語った。

ディアルは聞く気など毛頭なかったが、無視出来ない重要なワードが出てきたので、耳を傾けた。

「僕の名前はイセド。この世の竜を殺して回る解放者の一人だ」

「何だその解放者って?」

「世界を救う天なる神竜、アジダハーカを復活させる為に動く者たちさ」

「アジダハーカ?何だよそれは?おい!」

「話はここまで。続きは君が大切なものを手に入れた時。その時に話してやろう。じゃあね。頑張るんだよ。仇である僕を倒せるようにね」

そうとだけ言い残して、イセドは闇に溶けるようにして姿を消した。

ディアルはその場に立ち尽くした。

一度に様々な情報を得て、直ぐには脳内で整理し切れない。

村を焼いた犯人は火竜ではなくイセドと言う男だった。そして彼は解放者。

神竜アジダハーカを復活させる為に竜を殺して回る者たちの一人だそうだ。

そしてイセドの話によると件のアジダハーカは、世界を救う神竜らしい。

しかしそんな伝説はどの文献にも記されていない。

それに謎が残る。

アジダハーカ復活の為に何故竜を殺す必要があるのか?何故全く関係の無い故郷を焼き滅ぼしたのか?

考えても考えても答えは出て来ない。

ディアルは小一時間その場に茫然と立ち尽くした。

こうしてディアルの火竜退治は、怒涛の衝撃展開ラッシュで幕引きとなった。


ディアルはその後一度家に戻った。

そして王宮騎士団の門を叩いた。

入団試験は楽に通った。

何せ向こうはディアルが入団しに来るのを首を長くして待ち望んでいたのだ。

試験なんてあってないようなものだった。

ディアルは王宮騎士団に入団した。しかし特殊なスタンスで。

ディアルは両親の仇のイセドを倒すのを目標とした。

出来ればその為の修行を優先したかった。

そこでディアルは剣聖の高名を少しばかり悪用し、緊急任務の時にだけ出動する非番の王宮騎士として入団したのだった。

剣聖の名は本当に伊達じゃない。

物凄い権力がある。

ディアル十九歳。非番で王宮騎士団に入団した。


それからのディアルの活躍は凄まじいものだった。

大盗賊の根城に単身で乗り込んで、一夜のうちに壊滅させたり。

子供とは言え地竜二体を一人で討伐したり。

これにより剣聖ディアルの名は益々高く広まって行った。

ディアルの発言力も更に強まって行ったが、本人はさほど気にせず。

それにディアルの名声が高くなるのも良い事ばかりでは無かった。

盗賊界や裏の者たちの間では、ディアルは相当な額の賞金首となった。

何度もディアルに煮え湯を飲まされたからだ。

ディアルを仕留めれば余裕で暮らせる大金が手に入ると、盗賊たちは躍起になってディアルを狙った。

そんな日々が長く続いて二十歳になったディアル。

この日も特殊任務を終えた帰りの道で、盗賊団に命を狙われ攻撃を受けていた。

そして今に至る。

~ ~ ~ ~

「全く。どうして何時もこうなるんだよ。別に俺に恨みでもある訳じゃあるまいし」

「うるせぇ!てめぇを殺れば、一生涯困らねぇ大金が貰えんだよゴラァ!」

「ああ。なるほど。みんなそう言うんだよなあ。強いってのも辛いもんだな。で、まだ戦うのか?別に逃げても追わないぜ」

ディアルは穏やかに盗賊のリーダーにそう言葉を掛けた。

しかし当のリーダーはこれに益々逆上し、短剣を素早く抜き放ち襲撃して来た。

「やれやれ。恨みは無いが、面倒だから殺しておくか」

ディアルは目を眇め、

「はっ。貰ったあ!」

しゅぱん。

ぼとり。

ディアルはリーダーが首を斬り掛かった瞬間に、神速の剣閃で逆にリーダーの首を斬り落とした。

見事なカウンター。これが剣聖ディアルの実力である。

「もう居ないな。んじゃ帰るか。夜は冷えるしな」

ディアルが帰路を急ぎ走り出したその時。

ガサガサ。

「何だ?」

ゴソゴソ。

「魔物、じゃ無いな。只の野獣か?」

森の茂みから近づいて来る何かの音に、一応は警戒しておくディアル。

魔力の反応が無いため魔物では無い。

だから警戒は一応だ。全く余裕とはこのことである。

そして遂に音の主の正体が明らかになった。

「ん?人間?」

「ふあ!殺さないで!」

その正体は人間の、それも幼い子供であった。


ディアルは驚いた。

こんな夜更けに、鬱蒼とした森の中から小さな子供が出て来るとは露程も思わなかったからだ。それも女の子だった。

疑問は幾つか浮かぶが、今はそんなことを訊いている場合じゃ無い。

女の子もかなり弱っている。

このままだとそのうちに衰弱死してしまうだろう。

女の子はディアルを警戒している。

何か怖い事が沢山あったのだろう。怯えた眼をしている。身体も震えている。

ディアルは少女を安心させる為、柔和な微笑みを見せて手を差しのべた。

「えと、あの、殺さないの?」

すると少女は、ビクビクしながらおずおずとディアルにそう訊いて来た。

これにディアルはにっこり微笑んでこくりと頷いた。

「ああ。殺すなんて、そんなことする訳無いよ。だから安心して」

そう言うと、少女は、本当に?とディアルの言葉を確認するように尋ねた。

一体彼女はどういう目に遭って来たのだろうか?どうしてこんな森の中に居たのだろうか?

この怯え方。普通じゃ無い。

どれだけ怖い事があったのか分からないが、兎に角もう大丈夫だと、何も怖い事は無いから安心してくれと、言ってあげたい。

ディアルは心からそう思った。

だからディアルはまだ怯えの取れない少女に微笑み掛けて、

「俺と来るか?」

優しくそう言葉を掛けた。

これに少女は少し逡巡したが、やがてディアルに歩み寄り、

「・・・うん」

一つ頷いて、少女はディアルの手を取った。

そしてディアルはそのまま少女を抱き締めた。

冷え切った少女の身体を温める為に。

そして何より心を温める為に。

「俺の名前はディアルだ。俺が君を守る。だから怖がらなくていいんだ。安心していいんだ」

「ぐすっ。ひぐっ。うわぁぁぁぁぁぁぁん。うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」

ディアルは少女を抱き締めた後、優しくゆっくり頭を撫でた。

安心させるように耳元で柔和で温かい言葉を言った。

それで少女はやっと力を抜き、張り詰めていた緊張の糸が解け、泣いた。思いっ切り泣いた。

ディアルは少女が泣き止むまで、ずっと優しく抱擁しながら待ち続けた。


いつの間にか空を覆っていた厚い雲が晴れ、光り輝く月星が姿を現していた。

月の白い光は、ディアルと少女を優しく照らしていたのだった。













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