井戸
井戸の周りは混乱していた。
火の元の用心のため、食事当番は厨房を離れることができない。それから門番、森の見張り、閉じ籠もってる男連中。それ以外の町民が集まっているなら、七十人以上いるってことだ。
張り上げるまでもなく、ダビティの声はよく通った。
「まず、整列しなさい。小隊長は、隊員の話をまとめて報告を」
少し離れた所からでも、様子は窺えるし、話も聞こえる。町外の見回りを見合わせた隊員たちが、一部始終を見ていた。
まず、ネジェムとアピが、競うように走ってきた。一刻も早く調査をしたいネジ先生。その足の速さに一歩及ばないアピが、競争心を刺激され、まあ、楽しくなってしまったようだ。肩や背中を足場にされた者が何人もいて、アルキンパサが号令をかけてはじめて道を開ける。
昨日、掘られたばかりとは思えない。井戸には、石を積んだ井戸側と、木製の蓋、跳ね釣瓶が備えてある。周囲の変化を確認した隊員たちは、原因究明のため、井戸の蓋をどけていた。そこへネジェムが飛び込み、続いてアピが。アルキンパサは、アピのこととなると冷静さを失うらしく。すぐお助けします、とばかりに飛び込んだ。そして、詰まった。
「何をやっているのでしょう」
探査したブルーノが、額を押さえている。
しかし、周囲に呆れる者はおらず、驚きと戸惑いに支配されている。何だ、この違和感。石の井桁? あ、そうか。囲いと同等の穴が掘られているなら、三人同時に入っても、スペースに余裕がある。どうやら土剥き出しの部分が、掘られた時より大分狭くなっているようだ。何それ、怖い。
井戸の深さは七メートルほど。手足を突っ張って上ってこられるだけの身体能力を、三人共が持っている。だが、真っ先に井戸の底を目指したネジェムは逆さまに。アピは万歳の格好。アルキンパサは片腕だけ上げた状態で、みっちり詰まっている。誰かが誰かの上に乗ることもなく。ある意味、見事。
ダビティが駆けつける前に、現場の判断で、釣瓶に摑まらせて、引き上げようとした。後から思えば、アルキンパサから順に行けばよかったのだが、と外回り当番の小隊長が後悔を口にする。大隊長はとにかく町長を先にと指示し、周りもそれに従ってしまった。よけいに詰まった。梃子にしていた木材も折れた。
幸いにして、溺れる心配はない。ネジェムは、井戸の底を観察しているようだ。身動きできないのが少々不自由、と感じているくらい。アピも、少しは冷静になったのか、アルキンパサに詫びている。そうしながらも、なかなか快適だとか言っている。アルキンパサは、アピに詫びつつ、焦っている。
「その棒をここに渡しなさい。今度は折れては困ります。三本を束ねましょう。中央にロープを掛けて」
ダビティの指示に従って、救助活動が再開する。
「アルキンパサ。まずは、あなたからです」
「しかし」
「同じ失敗を繰り返してはなりません」
噛んで含めるように言い聞かせられて、アルキンパサの右手がロープを摑む。
釣瓶に使われていた木材を井筒に渡し、四人がかりで押さえる。ロープを引く者はいくらでもいるのだから、女一人くらい上がらない方がおかしい。井戸の内部が狭くなっている上に、あの胸のせ、ごほっ。とにかく、器用に詰まったものだ。このままでは埒が明かない。
人々の足元を縫うように、影の糸を延ばす。井戸の内側を少しだけ広げた。
「あー、出た出た」「よかったぁ」
痞えさえとれれば、アルキンパサはもちろん、アピもほぼ自力で上がってくる。
「学者殿が」
いつまでも上がってこず、皆を心配させてるネジェムの影をがっちり捉えて引き上げる。最後くらいは、自力で上がったふりをしなさい。
ブルーノだけが、目の前で行われたことを理解している。
「さすがはリュウイチ様です」
おかしい。こういうのを防ぐために能力を追加したはずなんだが。拝まれ、誤魔化すように、オレも合掌。ええ、どこにおられるのかわからない神様に感謝しているんです、ってポーズ。
「よかった。心配したぞ」
感激する振りをして、撫でた頭を掴む。元凶に文句の一つも言ってやらねば。
「ネジェ」
「なかなかよくできた水路なのである。如何にしてあれが入り込んだのか、辿って行く術はないものか」
無駄か? 無駄だな。オレは無言で、衣服の汚れと水を取り去る。周囲は主にアピの心配で忙しく、これくらい気付きそうもない。部下たちに取り囲まれた、町長会長はけろりとしている。
「なかなかに涼しく快適だった」
確かに、布が肌に張り付くことさえ厭わなければ、びしょ濡れでも気にならない陽気だ。アルキンパサは、背面が泥だらけだけどね。
「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」
一先ず、寄って行って、頭を下げる。ネジェムの頭は強引に下げさせる。
「お互い無事で何より」
騒ぎの片棒を担いだアピがそう言えば、それで収まってしまう。彼女が持つ権力というより、皆に慕われているからだな。
「探求する楽しさを思い出した」
「確か町長は、学校に通っていらっしゃったのですよね?」
自分自身の行動に落ち込んでいるアルキンパサの代わりに、ダビティが相槌を打つ。
「そう。大先生は、学者殿とよく似た雰囲気の方だった」
掴んだままの頭が、ぎこちない動きをする。おいおい。
さりげなく探りを入れる。
「その先生は、いまも教えてらっしゃるのですか?」
「いや、残念ながら身罷られたと聞いている」
「それは、残念です」
「本当に。凍傷で動けなくなっている折で。言い付け通り、雪を持ち帰れなかったのが心残り」
しんみりとする必要はないと思う。
彼女がドレかと、声に出さず確認しても。答えは、そんな気がするような、しないような。ネジェムが覚えているはずもない。農村の町の件同様、何となく自分に不利なことがある気がして、名乗らなかっただけらしい。
「あれほどの知識がありながら、尽きることない探求心。不出世の学者であられた」
慕う側と慕われる側の温度差がひどい。
「私には、探求者の気持ちなど窺い知ることはできませんが。教え子が、これほど立派に活躍されているのですから」
「浮世のことなど気にされる方ではなかったが。お気遣いありがとう」
時々箍が外れるとはいえ、この層のトップは伊達ではない。
「アルキンパサ。隊の指揮を」
「はっ」
声掛け一つで、大隊長が自信を取り戻す。まず、外回りの隊員を送り出す。残りの人員を井戸の修理と、周囲の調査、町に残っている者との交代要員に振り分ける。井戸は掘り直して、石組にするつもりらしい。出来上がったら、一応、石の影を固定しておくか。
「ダビティ。この地をどうするべきか。すぐにでなくてもよい。皆の意見をまとめておくように」
「はい。お任せください」
あえて呼び名を口にしない。それほど、皆がこの土地を恐れている。井戸の変容は、それを助長させるが。無数に芽吹いた緑が、それに打ち勝つ力を与えるらしい。聞いたところ、すべてが雑草。平気で踏みつけるわけだ。
統制が取れたからか、視界がひらける。見覚えのある馬車が目の前を通り過ぎ、街道から左折。




