熊と蜂
翌日は、屋敷や家財道具の修理に追われた。ブルーノが、あちこち壊すからだ。もちろん、わざとではない。
「申し訳ありません、リュウイチ様。少々、力加減が」
ドアノブから始まって、チェストの蓋、窓を枠ごと外し。コップは砕け、カトラリーは歪む。
「気にするな。いくらでも直せるから。怖がらずにどんどん弄って、慣れてくれ」
いま遠慮して、外でやらかされる方が困る。
「リ、リュウイチ様」
ネジェムに腕相撲を挑まれて、戸惑うブルーノ。
「おいおい」
さすがに人体は治せない。いや、どうだろう。筋肉の断裂は無理でも、骨接ぎくらいなら。
「ほどほどにな」
食器を返すのは、次の食事の時でもいいと言われている。疲れてたり、面倒に感じる時はそうさせてもらうが。何かわるい気がして、返しにいくと。良いこともある。
汚れが拭われた竹の棒四本と、ホテル折りされた布を返された。
「ありがとう!」
託っていた食事当番の女性が驚くほど、大きな声が出る。
よかった。最後の竹だったのだ。あの時は丁度よく思えて、使ってしまったが。いつブルーノが、竹細工でも、と言い出すかひやひやしてた。そっと幌馬車の荷台に戻しておく。
夕刻というには、少し早い時刻。熊美さんと蜂江さんが、屋敷にやってきた。本名は別にあるのだが、オレの頭では、これ以上カタカナ名前が増えるのはきつい。
残念ながら、デートのお誘いではない。小一時間ほど、森に入るので付き合ってほしいと言う。熊美さんは、完成したばかりの養蜂箱を抱えている。屋敷を出てから、何度も振り返った。つられたように蜂江さんも。
「全然、違う色になってしまって、嫌だったか?」
「ううん。驚いたけど」「うん。驚くほどいい」
きれいになってよかったと、はじめて見せる微笑、二人分。我ながら単純だが、それだけで報われた気分になる。
闇夜の炭塗り。一つ一つ引き延ばし、屋根、壁、柱と、馴染ませていった。人が一人、楽に入れる大樽を担いで屋根に上がる。中身をざっぱに垂らし、細心の注意を払って影を広げる。口いっぱいまで入っていたわけではない。底に数センチしか残らなかったが、譲った相手はほくほく顔。
ニスを塗っても、マットな仕上がりだ。真っ黒い家なんて、浮くかと思いきや。最初からこうだったかのように、風景にマッチしている。
櫓の見張りに手を振り、草原を突っ切る。二人の足取りに迷いはない。幾分蛇行しながら大きく回り込み、壊れた蜂の巣を見付けた。折り重なっていただろう岩の上側が、手荒く除けられている。犯人は言わずもがな。熊への怒りに燃える思念を追うと、傍らの木の上部に、大量の蜜蜂が群れていた。うおっ。無意識に両腕を擦る。
オレが依頼されたのは勧誘。蜂江さんは、燃えさしをセットできる鞴を持っているが、出来れば使いたくないらしい。
蜂たちが攻撃に移るより早く、葉陰をするする進んだ皮子が、群れごとすっぽり覆ってしまう。完全に透明な膜なので、遠目には何が起こっているかわからない。落ち着けば出てこられる仕組みだ。こちらはひたすら待つ。何度も同行者の視線を感じたが、知らぬふり。あとは、前回とほとんど同じ流れだ。巣箱の実物がある分、説得は短くて済む。
皮子は、分体でオレの補助をしながら、わずかに残っていた蜂蜜を舐めていた。連れの二人が視線を落とすと、さっと隠れる。スリリングな遊びをしているな。
移動している熊を避けながら、もう二つ、作りかけの巣を見付けて、話し合い。こちらは保留された。いまの巣を作り終えてから考えるって。
自分でも警戒はしていたが、熊美さんの合図で、森の外へ猛ダッシュ。枝から枝へ跳んだ方が早いが、まさか、二人を置いていくわけにもいかない。それでも、警告が早かったお陰で、地響きを足裏が感知するかしないかのうちに、草地に出る。
見張りたちは常に、森を透かし見ている。オレ達の姿を視認したと思しきタイミングで、半鐘が打ち鳴らされる。間遠な鳴らし方は、第一段階。熊の接近を知らせるものだ。
牽制のための矢が、山なりに飛んで落ちた。オレたちの進行方向に。
「うっおーい」「あっぶないな」
「ご、ごめーん」
見張り台から距離がありすぎるのだ。気持ちはありがたい。でも、怖い。
熊が森を出なければ、それで済むのだが。草地に姿を現し、第二段階へ。先程よりも鐘を打つ間隔が短くなる。手の空いている者が、武器を手に駆けつける。届かないまでも、矢を次々に放つ。
熊が草地に、三分の一の距離まで入ると、第三段階。早鐘が打たれ、最強の味方が現れた。ほっと息吐く、皆の様子が彼女への信頼を物語っている。小柄な体、銀の髪。その背後に、大隊長が付き従っている。
熊は迷うように、その場に留まっている。隙があれば、押し通りたい。しかし、彼女もまた、怖いのだ。一方で、甘美な味が忘れられない。さっき食ったばかりだろうと、言いたいが。だからこそ、よけいに欲するのかもしれない。本当のところ、蜜の詰まった養蜂箱は、いまはないのだが。それ以外にも、蓄えられた食料、家畜、人が狙われる可能性は十分にある。町に入られるのはもちろん、街道へ出られたら、とんだ騒ぎだ。
意外に長い鼻。小さな目。熊さんの牙は、なぜそんなに長いの?
蜂蜜を確保したいからといって。こんな物騒な生き物を生かしておこうだなんて、胆が据わりすぎだ。
町長のアピは、櫓に上ることなく、背丈の倍もありそうな弓をきりきりと引き絞る。目は爛々と輝き、口は耳まで割けそう。もしや、アルキンパサが付いてるのは、護衛のためじゃなくて、抑止? 放たれた矢は、突進してくる熊の額に当たって、がいんとすごい音を立てる。分厚い頭蓋骨に守られて、死にはしないが、脳震盪をおこしたらしい。ふらつき、なおも向かって来ようとする熊の耳を、鏑矢が掠める。そういや、さっきの矢も、鏃じゃなくて石突みたいな形だった。
今更ながら、熊の大きさに圧倒される。グリズリーってやつだな。それが身を縮めるようにして停止。容赦なく、反対側の耳にも、幽霊の効果音が。
小山のような体が、森に帰るまで。殺してはいけません、殺してはいけません。アルキンパサが、ずーっと言い聞かせていた。




