大波
4
何か大きなものが近付いてくる。
「地震?」
とっさにテーブルの下にもぐる。せいぜい震度一。生まれてはじめての経験で、実際より大きく感じる。
「びっくりした」
照れながら這い出したオレを、笑うものはいない。引き締まった表情。ハインツは珍しく時間を気にして、時計を見に行かせる。
「いまのは、地揺れだ。いまからきっかり二十四時間後に、大波がくる」
津波のことか?
「慌てずに、急いで行動すること。近くにいる年生長者の指示に従うように」
「ただいま七時十五分」
時を告げた男を労うように肯く。
「明日は午前七時までに、必ず船倉に集まること。では、行動開始」
地震がきたら何をおいても高台へ。しみついていて。どうしても気が急く。
「絶対に二十四時間後なのか?」
「ああ」「心配いらん。いつも通りにやればいい」「リュウイチははじめてだろう」「あ、そうか」
朝食の後片付けからはじめる連中。ぶれない態度に、少し落ち着く。
「リュウイチ」
サメ先輩に声を掛けられ、ついていく。
まず、舟を浜から運び上げる。次に家畜。ゆるい角度で掛けられた梯子。金具の付いた板をひっかけて、馬を上がらせようとしてる。不安がって抵抗。オレが近付くと、自ら船倉へ駆け込んでいった。
「助かった」
「どういたしまして」
作業小屋の扉と窓をすべて外して、道具類を乗せる。立体パズルみたいに、効率よく。感心されたが、文句も言われた。
「おもい」
明らかに未経験な奴ら。さすがにふざけたりしない。
他の小屋も同じように片づけていく。手洗いの穴を埋め戻す。畑では、すべてを引き抜いていた。
オレは、崖下に運ぶだけ。空いてる寝室なり、貯蔵庫におさめるのは別の連中。動線がぶつからないように、皆を動かす采配が見事だ。
一時間後、また同じくらいの揺れ。それからは、少しずつ回数が増える。大きさも増していった。
「こういうことは、頻繁にあるのか?」
「二、三年に一回ってところか」
大きくて震度三。続くと、さすがに皆の表情もかたい。
「飯にするぞ」
菓子よりの昼食を出すとか。さすがだ。
「あまい」「うまい」
ここまで甘いものは、めったに食えない。
暗闇では活動できないから。実質の猶予は十四時間。
甕や樽は空のまま運び上げてる。手桶を持って、井戸との間を往復。十七人分でこの量だと。さほど長引く事態じゃないのか?
やることやった。風呂にも入った。最後に梯子を引き上げて。ふつうに寝るんだな。
うつらうつら、してたつもりが。気付くと朝だった。物心ついてから、夢を見たことがない。
そろそろ血糖値とコレステロールが気になる。きのう、大量に作るのを手伝わされた。球状の揚げドーナツ。
「いっつも、こうがいい」
ご機嫌になりすぎて、状況忘れてないか? オレは地震ない方がいい。飯もふつうがいい。
午前七時を過ぎた。波が押し寄せるというより。静かに、速やかに、海面が上昇する。船倉の舟は水を得て。外廊下は、桟橋のよう。沓摺りの下、一メートルあたりで、水が小刻みに跳ねている。ところどころ、ココヤシの頭が覗く。一面、澄んだ水の景色。
誰かが、ほっと息を吐いた。この後、水は引く一方で。元に戻るのに一時間とかからないらしい。
ぐらりと揺れがきて。ハインツの顔色が変わった。ざわつく皆を押さえようともしない。さほど大きくはない、地響きがもう一度。それで確信したのか。ハインツが口を開く。
「今回は、いつもと違う。少し長引くようだ。でも、心配はいらない」
「経験あるのか?」
「一度だけ」
他の連中は首を横にふってる。五百年近く前ってこと?
ハインツは十一人を名指し。森に行かせた。その口調に、普段のやわらかさはない。命じたのは、飲み水の確保。獣よけの柵、竈と手洗いの設置。
オレは、ハインツとサメ先輩に挟まれて舟へ。なぜだ。もう一艘は、皆ベテラン。うっすら透けて見える、作業小屋の屋根。浜辺が見えないだけで、やけに遠く感じる。
視認できないが。オレたちは間違いなく、ストーンサークルの上にいた。二人ずつ。組み合わせをかえながら、何度かもぐる。時折、水を伝ってくる振動。見たものを理解するのに、少し時間がかかった。
白い鯨だ。全長が、門の直径を越えてる。尾びれに弾かれた卵が、象サイズ。押しつぶされたもろもろが、むなしく漂う。鯨は、体を傾け、はまっている。目算だが、石柱と石柱の間が八メートル。横石と床石の間が十メートル。頭は門を出ているが。残された体を出そうとあがくたび、地震が起こる。
舟に上がる。ハインツはため息。舟を寄せてきた連中も、浮かぬ顔だ。
「完全に、はまっちまってる」「まいったな」「もっと大きいやつも、いるにはいるんだがな」
ちょっと待て。
「そんなでかくて、どうやって門を出るんだ?」
「どうやって?」「そういや、そうだな」「あれよりでかけりゃ。もっと、ちょくちょく、はまるよな」
他の連中まで、ハインツに尋ねる。おかしくないか?
あきれ気味のサメ先輩。
「だから、波を呼ぶんだろ。くわしいことは、知らんが」
結局、ハインツに投げる。ハインツ先生によると。
「ふつう、白鯨は、あの半分ほどの大きさだ」
だよな。オレの常識にも収まるサイズ。
「ああいう個体が現れるのは、二、三年に一度。彼らは体を門に打ち付けて、大波を呼ぶ。水位が上がったら、上から出ればいい」
仕組みは謎だが。普段は横石から海面まで、人の背丈ほど。いまは、その倍以上。おかげで、もぐるのに少し手間取る。
地震が起こるたび、波が立つ。なにより、精神的に疲れた。ひとまず上陸。
ハインツは森の方へ、様子を見に。頼まれないが付いて行く。よく鏡で見てた、やばい顔色。暗闇でなら、愚痴もこぼせるんじゃないか。
「驚いた」
「まいったね」
「前の時はどうしたんだ?」
「いろいろ試して、結果的に放置することになった」
「汚染、ひどそうだな」
「よく、わかったね」
語気が和らぐ。
「痩せて、抜けることを期待したらしいけど」
さっき観察した限りでは。閊えているのは、人間で言えば肩のあたり。
「先に飢えて死んだ。そうしたら、パンパンに膨らんで」
ハインツが両腕を勢いよく振り上げる。バボン?
「そこからは早かったね。骨と皮は引き出せたけど。海は濁るし。腐った油が浜に流れ着くし」
眉間の皺、ひどくなってんだろうな。
「あの巨体に押しつぶされた生き物や、卵も数知れない」
ハインツが村を出た原因、これか?
「無能って、言っちゃったからね。まさか、自分に返ってくるとは」
「とりあえず、やれることはやってるだろう。何、迷ってんだ」
「街に知らせるかどうか」
それってどうなんだ?
「ハインツより経験も知識もある奴がいるのか?」
「うーん。知らせても何もできないし、しないと思う」
つまり、いないんだな。
「なら、いらんだろ。知らせるにも、人とられるわけだし」
前世でも、よくあった。何もわからない奴に掻きまわされて終わりってやつ。
「いや。知らせること自体は、簡単なんだ」
電話? のわけないな。イルカと話してたあれかな。
「まあ、オレは無責任な立場で。言いたいこと言ってるだけだ。最後は、ハインツが決めればいい」
すまん。責任逃れは習性だ。
「でも、せっかく十七人いるんだ。そういうのも含めて話し合ったら? 足らん頭でも、何かしら出るだろう」
「いいのかな、そうしても」
「いいんじゃないか。何事も勉強だろ?」
まとめ役だからって。すべて、一人で背負うことはない。
昔の教師陣は、うまかった。運動会前の草むしりに、石拾い。放課後残ってプリント束ねたり、ガリ版けずったり。転校生の支援まで。よくやらされたな。