ドーピング
質感の指定はされなかったから。包丁で切ることはできても、噛み切れなかったはずだ。方々の食欲を思えば、革靴の切れ端だろうと消化しそうだが。
元々、ネジェムのもの、って意識が強いから。用途を追求しなかったオレもわるい。
ブルカの上から頭を掴んで、位置を確認。こめかみを拳固でぐりぐりしておく。彼女たちには二度と食べさせないと、約束させた。
その上で、結果は知りたい。自身の経験では、数十分から数時間で、成長したり、能力が定着したりした。
暑い時分。さすがに昼休みは長めにとっているようだ。日頃の作業や、訓練を開始する頃には、効果が出ているはず。
運動場を使用している者のうち、三分の一ほどに変化があった。走るのが速くなったとか。足場を無視して、跳んで登れるようになったとか。あとは、バランス感覚がよくなった。動体視力がよくなった。彼女たちの会話から、推測したことだ。どれも日頃の訓練の成果として、喜びこそすれ、ネジェムと関連付けた者はいない。一安心。
ネジェムは、カリカリとメモを取り、もどかしそうにしている。本当は、本人たちに根掘り葉掘り聞きたいだろうし、いろいろな実験に付き合わせたいだろう。面紗越しに目が合う。駄目、駄目。
そもそも、いきなり人体実験するなんてどうかと思う。苦言を呈すると、ネジェムは胸を張る。
「しかと先に、動物で試しているのである」
「あ、そう?」
なら、いい。とも言えないが、少しは安心か?
ネジェムがいくら食べさせようとしても、ルルとベルデは断固、拒否したらしい。賢い。生まれたての、本能に従っている時期ならばともかく。あれほど飢えなければ、オレだって食べなかった。
「しかし、ゴゴは食すのである。紙でも革でも、食い物の汁を付けておけば、より食い付きがよい」
「それって、あの真っ白い、つやつやした虫か?」
「いかにも。体が小さい上に、我らよりよほど生き急いでいる故、結果も早くでて、便利なのである」
ネジェムが言うには。十一匹は、大食漢になった。九匹は、超音波を発するようになり。十三匹は、歩行速度が上がった。あとは、違う能力持ちが数匹ずつ。多くは、何の変化も見られなかったそうだ。うえぇ。足が速いのがいちばん嫌だ。
「即座に寿命を迎えるのも、予想通りであったのだが」
あ、それはそうか。うん、よかった。しかし、それだけでは終わらないネジェムの実験。
「今度は、それをネズに食させてみた。黒きもの、そのままでは目もくれぬ故。ゴゴの献身に感謝するのである」
まったく、何をやっているんだ。結果は興味深いが。
超音波を発したゴゴを食わせたネズは、同じ能力を有し。歩行速度が上がったゴゴを食わせたネズは、やはり足が速くなった。問題は、大食漢のゴゴを食わせたネズで。歯研ぎ用の木材や、寝藁、その他齧れるものなら何でも食い。その都度、若干、影と体が大きくなっている。
変化を見せたのは、それぞれ一匹ずつ。全体の数からすると、確率は決して高くない。
「檻の中から、我をいちばん食したそうにしているのが面白い」
確かに、そこからいろいろ考えられるが。まずは、怖がろうか。
「残念ながら、これらもそう長くはないであろうな。影も体も、元の大きさに戻ると思われる」
感心すると同時に、焦る。
「ネジェムがゴゴの立ち位置だとすると」
この学者、虫と同列にされたくらいでは怒らない。
「それは我も考えた。大丈夫なのである。件のゴゴは、黒きものを与えたが故に、ものを多く食すようになったのであり。我もそうであるならば、いまだ食せど食せど、満たされぬはずなのである」
「つまり、ネジェムのお土産を食って、食うことに特化した何かを、あの狐が食ったってことだな」
「うむ。此度、大喰らいになる者がいても、それだけのこと。食した者、全員がそうなるわけでなし。問題はないのである」
いや、あるだろう。もともと皆が大食いだから、他所より目立たないかもしれないが。
「彼女らが昇天した後は? 埋めても、燃やしても消えないって、言ってなかったか?」
ふぃーっと横を向くネジェム。
「それ故、これ以上の実験は自重しているのである。でなければ、あのネズを犬か猫に食させて、もごもご」
小声で言っても、なかったことにはならない。まあ、今更どうしようもないんだが。
「というわけで、虫かごや檻と共に回収してたも」
「了解」
これ以上、何かに食わせたり、捨てたり、埋めたりしなかった。それだけが救い。過去の話を基準にすれば、少しは周りを気遣えるようになってる。檻は仕舞って、あとは影取って消滅させよう。合掌の一つもすれば、オレとしては気が済む。
思い付きを実行に移す、きっかけにもなった。
木陰にいるオレ達のところに、女の一人が寄ってくる。何を言われるかとひやひやしたが。
「祈祷師様は?」
炎天下、道という道を歩き回っている。効果が出ていないのか、気付いていないだけなのか。
別の仕事をしていると伝えると、女の眉尻が下がる。
「何だかわかんないけど。いままでの訓練じゃ、物足りなくなっちゃって」
本当は、博識で良識があり、真面目に訓練する人間に相談したかったらしい。うん、あなたは正しい。
適当人間の適当な回答。
「ストイックなのもいいけど、遊びの要素を取り入れるのもありだと思う」
「遊び?」
ドロケーのルールを説明する。思いの外、乗り気になった。町の整備をすることが多い彼女たち。犯罪が起きないのはよいことだが、犯罪者を取り締まりたい欲求もあると言う。
ハードモードで遊び、いや、訓練開始。メニューのタイトルは、泥棒と保安隊だな。楽しそうで何より。
彼女たちが、持てる能力を全開にしたので、データを取る側も機嫌がいい。
「厭わしいだけのものかと思いきや。ずいぶんと助けられていたようである」
「ん?」
「我の有能さの一因は、この黒きもの」
ネジェムが衣服の裾を捲って見せる。
「時や場所は、いまだ不明なれど。我は大量に食した。身の内に留め置けぬとは、どれほどの量であったのか。もうそい口当たりがよかったように思うのであるが」
頭を捻っても、卵という単語は出てこない。ぽんこつになった理由も、お預けのままだ。まあ、ゆっくり。思い出しても、出さなくても。
「そうだな。もっとこう、ふにゃっと弾力があって、口の中で溶けた」
「そうであろう、そうであろう」
ネジェムを通すことで、図らずも圧縮されているようだが、もたらす効果は変わらない。いや、一度オレが所有してしたことで、彼女たちとも、薄っすら繋がりができているような。
「どれだけ摂取させれば、彼の女たちは、我と同じように不自由な思いをするのであろう」
「は?」
「それを考えてコレは、これ以上、食させるのを止めたのではないのか」
「いや。いきなり新たな能力に目覚めたらおかしいっていう、ごく一般的な理屈だったんだが」
今回の実験のように、成分が濃縮されてるわけではない。おそらく天文学的な数字になるだろうが。日々の食事の積み重ねでも、可能性はゼロではない。知らず知らず口角が上がる。面白い。ネジェムもきっと同じ表情をしているだろう。いかん、いかん。いまのオレは制止する立場。
「ネジェムみたいに余剰分を排出するほど、取り込む機会はないだろう。総量は、オレもちょっと想像つかない」
「そうであるか?」
首を傾げつつ、声が弾んでいる。
「コレにも、わからぬことがあったか」
「そりゃぁ。はっきり言って、わからないことだらけだ。ネジェムの方が断然、物知りだろう」
「むーん。多くを忘れてしまっているのである。また、新たに知ることができるのであるから、まったく悪いこととも思わないが」
言葉は前向きだが。寂しそうな風情。
「約束を守るためにも。何故、これ以上、食させてはならぬのか、本当の理由を聞いておくのである」
あー、誘惑に抗い難いと。言っておいた方がいいとは思うが、言ってしまっていいのかな。
「我に気を遣う必要はないのである」
要は、答え合わせ。真実を前に、感情は二の次なんて、いかにも学者らしい。
「食べ過ぎると、歳を取るからだ」
「ふむ。我は寿命がない故、生きていられるわけであるな」
簡単に底を打ち、急上昇してくる気迫。
「コレよ、それだけの能力を有していながら、なぜ、老いておらぬのか?」
これも、予測を立てているのか。大先生は、一人で突っ走らず、話し合うことを楽しんでいる。学者としては退化かもしれないが、人としては進歩。オレも、すべてを話せるわけじゃないが、できる限り彼女に習おう。協力を要請したいこともある。
「食べる量を抑えたからだ。これ以上、あと一口でも食べたら、そうだな。十三歳分は、一気に老いると思う」
なるほどなるほどと、ネジェムは深く肯く。
「ならば、あの者らには、もう少しくらいならば、食させてもよいと思うのだが」
立ち直り早すぎだろ。手を握りしめて見せると、すぐに前言撤回する。
「十分に知り、少々思い出すことができて、満足である」
本人は、嘘を吐いてるつもりはないが。まあ、十分後には、また何か始めてるだろう。込み上げてきた笑いを、咳払いして誤魔化す。
「新たな能力を追加するのに、量は必要ないみたいだな」
材料は少ないが、類推はできるだろう。大先生の見立てを聞く。
「うむ。実際に食すところまで、すべて観察できたわけではないが。器には少なくとも、二片は入ったはずである」
だいたい一口か、それより少ない量。ただ、ネジェム印の黒いひらひらは、中身が混ざりすぎていて。どの部分がどの動物に由来するのか、特定することはできない。だから、極わずかな量でいいんだと思う。発現するかどうかは、運。どんな能力を引き当てるかも、運。不本意そうに、ネジェムが結論付ける。
目的に合わせて、仕分けられればいいんだが。
叱っておいてなんだが、ネジェム由来のそれを使用していいか尋ねる。
「何を行うのであるか?」
怒りはしない。好物を目の前にした子供のよう。
陸の動物に由来するものと、海の動物に由来するものとを合わせて。と、これは言わない方がいいか。ネジェムが、卵との関連性を思い出すまで。
「歳をとらないぎりぎりの量を摂取させてみようと思う」
ふんふん、と鼻息が荒い。やる気十分のようだ。
「ただ、あくまで本人が承諾したらな?」
「あい、わかった」
絶対、わかってないと思う。それを証拠に、オレは彼女にせっつかれ、黒い錠剤を三十個ほど用意。これでも圧縮に圧縮を重ねて、かなり数を減らした。まあ、オレも、もともとやる気だったから? 先走って、準備は万端。
「よく戻ったのである」
満面の笑み、は見えないが。そういった雰囲気で迎えられ、ブルーノが狼狽える。他にも、戸惑うようなことがあったのだ。
「いままでとは比較にならないほど、遠くまで詳細に見えるのですが」
驚きに、少々怯えも混じった様子。まずは物理的に、ネジェムの頭を下げさせる。
「そうですか。そういった訳でしたか」
理由がわからないことが不安だったらしい。忌避感はないようなので、話を持ち掛ける。ブルーノは、迷わなかった。
「か、いえ。リュウイチ様より授けていただけるのでしたら、どのようなものであろうと、ぜひに。謹んでお受けします」
いや。オレが、ってわけではないんだが。もう、ブルーノが神様でいいんじゃ? と思うこともしばしばなので。やってみようと、思い立った次第。
「旅する上でも、どんな危険があるかわからないし。祈祷師としての活動にも、役に立つと思うんだが」
「はい。必ずや、よりお役に立てるように致します」
話が噛み合ってない。
いままで出会った信者たち。神様云々は求めてなかった。目的はあくまでブルーノ。少し能力アップすれば、使途って形で行けると思うんだ。そして、ゆくゆくは。ふっ、ふっ、ふー。丸投げ体質、ここに極まれり。威張れることではないが、昔はされる側だった。
ブルーノがいろんな能力、身につけて。さらに、その中に探査系のものでもあれば、オレが大した人間じゃないのもわかるはず。
いま、ここで言うと、さらに、ずれが生じるよな。
歳を取らずに済む量は、あくまで勘。オレが自分で食った量に基づいている。食い過ぎると、たぶん、三十八歳になると思う。ぱっと頭に浮かぶことなので、根拠はないが、確信がある。
「なんとか、姿を晒して生活できないこともないが、違和感を持たれることが増えるだろう」
「そういうリスクがあることは、承知しました」
まだ、あるんだ。
「どういう能力が定着するかわからないが。例えば、オレが地図作りの時に使ってるみたいな、探査系だった場合」
リスクの話をしているのに、嬉しそうにされても困る。
「能力を操るっていうか、搾るっていうか。一遍に入ってくる信号を適宜、遮断できるようになるまできついと思う。ブルーノは、すでに気配を察知できてるし、瞑想も得意だから、それらを応用すれば随分早いとは思う」
オレのやり方を教えても、よけいに混乱させるだけだろう。ステレオの摘まみとか、カメラのシャッターとか、言ってもわかんないよな。
しばらく地下室で生活してもらう。まあ、手洗いくらいは、根性で行けるかな。飯は、オレが運ぼう。
「具合がわるくなったら、すぐに言うのである」
看護は任せろと、胸を張るが。データを取る用意が、すでにできてるネジェムさん。




