高い塀
役場の裏手に林があり、山羊が放されている。その横に、立派な運動場があった。
ああ、ここに時間と手間をかけてるんだ。見ただけで、何か、力が抜ける。
外周は四百メートル程だが。人工的に土を盛ったり、丸太を組んで、絶壁をつくったり。不安定で、高低差のある足場を作ることに腐心している。能力は人それぞれだから、足りないところを補うための訓練を、いつでもできるようにしてあるのだそうだ。
ブルーノは平然と、お姉さんたちに交じっている。あの立派なお胸の辺り、気にならないんですか? オレも、困ったことにはならなくなったが、つい習性というか。視線を引きはがすのに苦労する。
一先ず、勧められるままに一周。補助のロープや、台を使用することなく、先導者に付いて行く。余裕があるのは、伝わったらしく。呆れ半分、悔しさ半分といった体で、あとは好きにしていいと言われた。
彼女たちを納得させることが目的だから、それでいいんだが。ネジェムもオレも、努力はしてないからなぁ。だからといって、罪悪感とかはない。トラック内の施設に夢中になる、オレ。指定通りの穴を掘る。また、埋める。梃子や、滑車を使って、荷物を移動させる。ずれのないように積む。楽しい。
ネジェムは、彼女たちの飲み物に興味津々。あっさりと、大豆を粉にしたものだと教えられて、釈然としない様子。それでも、何がしかのヒントにはなったのか、腕組みをして、空を見たり地面を見たり。いや、周りは見えてないな。うろうろ歩き始めたと思ったら、役所と林の間をけっこうなスピードで抜けて行く。
さすがに、物があれば避けるだろう。あー、でも、ネジェムだしな。止めるべきか、迷っているうちに。木の塀にぶつかって、仰向けに倒れた。
「だ、大丈夫か?」
「うむ。して、我は何を考えていたのであるか?」
知りません。例によって素晴らしい発見か、ろくでもないことか。特に未練はないらしく、興味が移っていくのもいつものことだ。
「む。これは、なんぞ?」
手も突かず、むくりと置きある。
「オレも、気になってた」
高い高い木の塀。先端に付いている返しは、内側から越えさせない形状。塀の外側にだけ、階段というには厳しい、丸太の高さを変えていくだけの足場が見てとれる。何の躊躇いもなく、飛び跳ねて行くピンクの人。その行動を止めるような仕掛けも、人も見当たらない。いいのかな? 興味はあるので、後に続く。辿り着いたのは、屋根付きの見張り台。高さは、三階の屋根に上ったくらい。外側に目を向けると、なかなかの見晴らし。
内側を見ると。剥き出しの地面はともかく、中央に井戸があり。構造としては、羊毛の町で見た家に近い。
「刑務所?」
各部屋の前面には、木の格子ががっちりと嵌っていて。同じ造りの出入り口は、ひどく小さい。二層構造になっているが、どちらも、人が立って生活するには高さが足りない。塀に接する屋根を足場に、脱出するのは、ネジェムでも無理かも。
「ふむ。これでは風が抜けぬのではないか?」
一見、涼しそうだが、塀側に窓がないからな。冬場、きついことは間違いない。
屋根に手を掛けて、男が懸垂をしていた。房からのっそり這い出すのも男。井戸端で、頭から水を被っているのも男だ。
「諸君! 楽しい楽しい、訓練の時間だ。さあ、共に走ろうではないか」
場違いに明るい声。率先して、軒先に沿って走る男。どっかで見たな、聞いたな。誰も付いて来ないのに、元気だ。
「皆、しっかりしろ。隊長に続け」
こちらは、しっかり見覚えがある。副隊長の号令には、皆、従うんだ。掛け声というか、歌と言うか。外映の軍隊ものみたい。
全部で、二十人強。農村の町に来た面子に違いない。その時は、隊長って言うから、どんなに偉いのかと思ったが。たぶん、小隊長。せっかく忘れてたのに。近付くと存在を主張するなんて、自動車のキーレスエントリーのよう。意識すれば、相当遠くからでも操作できるだろう。影響力のない奴だし、しようとも思わないが。
誰一人として、頭上に注意を払っていない。
役所の方から、近付く気配。咄嗟にネジェムを抱えて、外側に飛び降りる。ほとんど音も立てずに、着地したはいいが。足首まである被り物から、ネジェムが抜け落ち、地面に転がる。
「ご、ごめん。大丈夫か?」
「思い出したのである」
飛び起き、屋敷の方に駆けて行く。ピンクの布を被せるのが、ぎりぎり間に合った。もう、放っておいていいかな。
歩いてきたのは二人の女。びくりと肩を揺らして。オレだと気付くと、ほっとした様子。逆じゃなくてよかった。
穏やかに挨拶を交わして擦れ違う。二人が担いでいる袋から、香ばしいパンの匂いがした。
彼女たちは、身軽に見張り台に上る。ただ、顔は背けたまま。袋を塀の中に放り込む。着地音とほぼ同時。げっ、だか。ぐえっ、だか。聞こえたが、振り向くことなく、足場を駆け下りてくる。
「お嬢さん方、食事を運んでくれてありがとう!」
聞きたくないものは聞こえない、って態度。今度は、オレに気付く余裕もなく、駆け抜けて行った。声だけ残して。
「やだー、もう」「最悪ー」「でも、できた」「うん、よかったー」
よかったと言うなら、よかったんだろう。
この町に入る時から。このままじゃ駄目だと、彼女たちが思っているのは、何となく伝わってきた。つまり、これはふつうの状態じゃない。農村の町での出来事も、無関係ではないだろう。それ以上の、何かもある。
まずは、この施設のことを聞きたかったが。いつでも、誰とでも話題にできる感じじゃないな。
さっき嗅いだ匂いのせいで、腹がきゅーっ。林のとば口に、明日草を見付けて気分が上がる。山羊は食べない。馬も羊も、これだけは食べないんだよな。結構、旨いのに。
採集の許可は下りているが。手洗いで使うことしか想定してないだろう。役所にダビティの気配があった。行って話すと、興味を持ったようだ。出来上がったら、数枚、譲る約束をする。
二枚のうち一枚だけ採集するよう、自分に義務付けた。ストックはしてあるだろうが。咄嗟の時にないのは、自分に置き換えてみても、非常に困る。それでも、布団のイメージでつくった袋がいっぱいになる。
途中、ネジェムが役所の裏手にやってきた。
「コレよ。コレよ」
心底、困ったように呼ばれて、急ぎ出ていく。気配を探れない彼女は、見当違いの場所をうろうろ。
「どうした?」
格好が何となく、ぼろっとしてる。布地があちこち薄くなり、穴が空いてる所もある。
「どうしたんだ」
思わずきつい声が出た。腹の中が冷えていく。町の中で、害意を感じなかったから、油断してた。冷静に考えれば、ネジェムの身体能力で、そうそう遅れをとるはずはないのだが。
「コレよ! あの黒きものを、薄く引き延ばしてたも」
「は?」
何のことはない。衣服の裏に付いた黒い粒子をこそぎ落そうとした結果。毎日、着替えさせているのだ。取れても大した量ではない。
「あー」
脅かさないでくれ。心配し、安堵したがために、判断が甘くなったことは認めよう。
「どれくらいの大きさだ?」
「そうであるな。手巾、三枚分もあればよいか。厚さも、そんなものでよい」
周囲に誰もいないことを確認して。影から取り出し、加工。
「うむ。助かったのである」
再び駆け出していく背中を、力なく見送る。今度は何の実験だ? 思いはするが、自分自身、やりたいことの真っ最中。二度寝すれば忘れる、夢のようなものだ。明日草の採集を続け、屋敷に戻る。ネジェムの姿がないことも、気にならない。
さっそく紙を作成。一枚だけは水を剥がして、あとは天日干し。
「ありがとうございます」
ブルーノに渡すと、さっそく周囲の様子を描き込んでいる。お待たせしました。
食事に誘うと、申し訳なさそうにされた。訓練の途中から見当たらないし、しばらく役所の方に気配があったので、先に済ませたと判断したようだ。
「すみません。勝手な思い込みで」
いやいや。これからも、そうしてくれるよう念を押す。オレ、ゲームとか読書とか、途中でやめられない人。
一人、食堂に向かう。あれ? 閑散としている。三角巾を被った女性が三人、ちょうど食事を終えたところだった。
「あら。ごめん、もうスープしか残ってない」
「いいよ、いいよ。それもらう。あ、自分でやるから」
熾火に掛かってた鍋は熱く、量も三人前くらいあった。具沢山スープ。
「小麦粉溶いて落とすくらいだったら、すぐできるけど」
それはもしや水団。非常に心惹かれるが、時間外労働させるのは気が引ける。
「ありがとう。でも、これで十分」
鍋敷き借りて、スープ皿借りて。鍋を前に、溜息。旨そう、すごく旨そうなんだけど。
「あの、これ。もしかして、うちの連れが作った?」
「あ、そうそう。そうなのよ。当番でもないのに、わるいかなぁとは思ったんだけど。体にすごくいいものだって、すごく張り切ってて」
「そうか。迷惑かけて、すみません」
「そんなことないわよ」「手際よかったもんね」「料理、見ただけでわかるなんて。もしかして、コレなの?」
小指立てるジェスチャーなんて、久しぶりに見た。
「違う。いい仲間だ」
相手が信じようが信じまいが、一応、否定。
調理場の片付けと、掃除を始める彼女たち。きゃー、とか。うふふ、とか。楽しそうですね。
オレは、食堂の隅で、ネジェム作のスープとご対面。ワカメに見えるけど、そうじゃない、黒いヒラヒラ。食事するの、オレが最後ってことは、すでに手遅れだよな。
手の影から、ほんの少し黒いブロックを覗かせて、スープに翳す。しっかり、吸着。とりあえず、食おう。




