歩み寄り
建物の中には、埃が積もり。虫や動物の糞用のにおいが、微かに漂う。黴臭くないのが救いだ。誰かが、定期的に換気をしていた形跡がある。
一部の虫と小動物を、ネジェムの研究用に確保。伝聞に必要なコウモリは追い出し、その他は駆除。真っ白でも、ゴの付く虫にはぞっとするが、ネジェムは大喜びだ。ブルーノ不在のいま。まじめに掃除をする気が起きない。オレだって、疲労感がなく、気が向いた時なら、ごにょごにょ。
「このネズという生き物。前歯が、伸び続けるのではなかったか?」
可哀そうなことをしてるネジェムを見ないふり。家の影から、汚れをぺいっと剥がしておいた。家具に掛かってた埃避けの布。何かに使えそうだよな。
うれしいことに、この家には風呂がある。テラスに後付けされていて、簡単な囲いもある。風呂釜の下に、直に薪を突っ込む仕組み。いわゆる五右衛門風呂だ。よく使い込まれたもののようで、皮膜ができ、特に錆も見られない。さっそく水を張る。あ、薪。いいか、沸かすのはブルーノが帰ってきてからで。見慣れぬものは、楽しいもの。当然、ネジェムが覗きに来た。底板の汚れを剥がしながら、くれぐれもこれなしで湯船に入らないようにと、注意する。
「あい、わかった」
返事はいいけど。直前に、もう一度言おう。
なかなか帰って来ないと思ったら。ブルーノは、保安隊の訓練に参加してきたんだとか。インテリと脳筋って両立するんだな。半ば感心し、半ば呆れる。話を聞いてみると、情報収集の一環だった。なんか、ごめん。
「リュウイチ様も、ネジ先生も。都合のよい時でかまいません。一度、参加なさった方がよろしいかと」
町名の由来にもなっている、花畑の手入れも熱心に行っているが。この町の住人は、全員が保安隊員でもあるらしい。二十人前後で小隊を形成。女性だけでも、六隊存在し、そのすべてをまとめているのが大隊長、アルキンパサなのだそうだ。大いに納得。
最低でも一隊は、常に町外に出ていて、残りの人員で、町内の仕事を分担する。休日を含めて、基本的にはローテーションだが、多少の融通は利くらしい。ちょっとした休憩時間にも、自主トレしてるっていうから、相当だよな。
同等に出来ることを証明しなければ、お情けで存在を認められるといった具合らしい。オレはそれでも、一向にかまわないんだが。
「私は、なんとか及第点をもらえましたが。彼女たちの心情を考えますと」
一年間、定住すると、自動的にそこの住人として扱われる。それは街でも、町でも一緒らしい。言われてみれば、聞いたことがあるような、ないような。
本来はそこから、権利と義務が生じるのだが。最低限、井戸の使用や、尻拭き草の採集など権利を認めなければ、新入りは生活することができない。従って、住み始めた段階から、権利は保証されるのが普通。どの時点から税を納めさせるかは、各所の長に委ねられているそうだ。
オレたちが家を所有したのは、形式上。定住しないと宣言してる。ただ、町に利益を齎したので、町民としての権利は保証し、税は免除する。
「正式に、アルキンパサ殿より伝えられました」
名誉町民みたいなものか。この町の住人にとってオレ達は、役には立ったが、自分たちの大事なものを差し出した相手でもある。弱いより、強い方がいいらしい。
「あれほどの慈悲を与えられ、また、気遣われたにもかかわらず。重ねて、このような願い。御不快のことと存じますが。お叱りは私が受けますので、どうか」
「いや、べつに怒ってないし」
ちょっと面倒だなぁ、って思っただけ。
ブルーノは、オレが侮られるのは我慢ならないって、様子を見せつつ。相手の心情も思いやる。バランス感覚がいいわけではない。上っ面だけ取り繕ってるわけでもない。
「ダビティは、何か言ってたか?」
「いえ。あの者とは話しておりません」
相変わらず、警戒しているようだ。
考えてみると。能力に頼りすぎてるんじゃなくて、一つじゃ足りないのか。オレに仕えてしまってるのは、あれだが。信条と行いが高次元。
「明日の朝にでも、顔を出すよ」
「ありがとうございます」
「我も行かねばならぬのか?」
渋っていたネジェムだが。そこはブルーノも心得たもの。
「彼女たちは、茶色い粉を山羊の乳に溶いて飲んでいました。体の発達を促す秘薬だとか」
「うむ。行くのである」
役所に食堂が併設されていて、町民は無料で食事ができる。なんて、ありがたいシステム。
規模は、さほど大きくなく。四人用のテーブルが四脚、六人用も四脚。壁際に予備の椅子が、幾つか置いてある。隊ごとに食事の時間をずらしたり、トレーごと他所に運んで食べたり、工夫している。お陰で、すんなり席を確保することができた。手がかざっただけで外れた腰板を、そっと元に戻す。掃除は、行き届いている。
メニューは選べないが、量の増減には応じるらしい。見ている限りどいつもこいつも、もっと盛れ、もっと盛れ。ダイエットとは無縁の人たち。今晩は、チキンソテーの定食。ご飯じゃなくてパン。みそ汁じゃなくてスープ。香の物はピクルスだけど。自分たちで漬けてる? じゃあ、酢があるんだな。あとで、醤油と交換してもらえないか、交渉してみよう。
しまったと思ったのは、ネジェムが席に着いてから。トレーをテーブルの縁、ぎりぎりに置いたと思ったら。衣装の端を持ち上げ、すっぽり覆う。ピンク色の布の向こうから聞こえる咀嚼音。何か、こういう生き物みたい。本人がいいなら、まあ、いいか。
遠巻きにされるのを覚悟していたが。積極的なタイプは、わりと普通に接してくれる。あ、ブルーノがいるからか。彼とのやりとりは敬語。オレにはやめろと言う。まあ、楽でいいんだが。トップスリーにだけ丁寧にすればいいそうだ。
「これはリハビリ、リハビリなのよ」
ぶつぶつ言いながら近づいてきて、挨拶だけして、去っていくのも相当数。隣のテーブルで食事を終えた女に、気にするなと言われた。口の端がぴくぴくしてたから、笑えないわけではないらしい。
うれしかったのは、食事を受け取るカウンターの横に掛かってた、三つの帽子。
「あんた方が来たら、渡してくれって」
料理当番の女が、手を止めずに、顎でそちらを示す。
さっそくの早業。でも、手を抜いてるようには見えない。
「ありがとう。誰が作ってくれたんだろう?」
ぐふぉっ。あちこちで咽せる人たち。
「つ、伝えとくよ。いいから、持ってっとくれ」
よけいに早口になった女に促されて手に取る。下から現れたのは、料理当番を示す札かな? 色と数字で、個人を表しているらしい。
一目で気に入った。中折れ帽を思わせるシルエット。互いに端が重なり合うほど、葉が付いたままだ。
外に出ながら、さっそく被ってみた。うん、いい感じだ。軽いし、緑の少し苦いようなにおいも、不思議と嫌じゃない。頭がすっとするっていうか。自分が動いても、微かな風が吹いても、葉がさわさわ鳴る。何とも言えない。
「涼やかで、よいですね」
ブルーノも、気に入った様子。
ネジェムは、両手で持ってにおいを嗅いだ後。自分から遠ざけたり、近付けたり。衣装の上から被り、辺りを見回して、蚊柱に突っ込んでいった。感心したと言わんばかりの唸り声。
「どうやら、虫よけの効果も」
「へぇ!」
オレは、ダッシュで食堂に戻り。カウンターの女に、帽子の追加生産をお願いする。とにかく、できるだけ沢山ほしい。出来るかどうかはわからないが、作り手に伝えておいてくれるそうだ。




