東風の屋敷
東風の屋敷といいながら、位置は街の南端。そこまでの道は、轍がほぼ消えている。そのせいか、車輪がぬかるみに嵌ることはなかった。
「これでも夏に入ってから、一度は刈ったのだ」
アルキンパサは、きまりがわるそうだ。なるほど、草丈は膝に届いていない。
ルルとベルデは、食べ出がありそうだと喜んでいる。今日からさっそく、口を付けるつもりらしい。
一応、馬と羊に、この道の草を食べさせてよいかと尋ねる。言葉は少ないながら、歓迎されたようだ。
「ここが東風の屋敷だ」
ここに来るまでの間に見た、薄紫色の小花も、その香りもすばらしかったが。それを優に超える景色が広がっている。
屋敷自体は、役所と大差ない。もう少しぼろいと言ってもいい。ただ、それは三メートル程の崖の上に建っていて、眼下には一面の花畑。これまでに見た、人の手が入ったものとは違う。自然に群生した花々は、高低もまちまち。絶妙に侵食し合いながら、色彩豊かな絨毯を織り成している。
「これが、鍵だ。よろしく頼む」
上手に隠しているが、その心には、寂しさと悔しさがある。
うーん。別に、望んで手に入れたわけでもないしな。
「一週間以内でしたら、解約に応じますよ」
「何を言っている?」
「これは私個人の見解ですが。なるべくなら、相手方に後悔されるような、取引はしたくないのです。日用品でもあるでしょう。良いと思って購入しても、使ってみたら、思ったのと違ったとか。さすがに、いつまでも待つことはできませんので。一週間と期限は切らせていただきますが」
「この館が、日用品と同じか」
「ものの例えです。御気分を害したようで、すみません」
やってしまった。でも、どうせなら最後まで言おう。
「そちらに不満がないなら、それでいいんです。ただ、もしもの話として、町長さんはじめ、町の方々にもお伝えください」
ますます顔が怖くなってる。
「そちらが、惜しくなったのではないのか?」
えーと? あ。結晶のことか。
「それはないです」
「そうか。そうでないにしろ、取引をやめるということは、それを返せということでは?」
「あ、そうですね」
ものすごく気まずいが、言いたいことは言った。話題変えよう、話題。
「修繕する上で、多少手を加えようと思いますが。弄って欲しくないところはありますか?」
それでも、結局、屋敷のことから離れられないわけだが。持ち家なんて、前じゃ考えられなかったから、浮かれてるのか? あまり、喜ぶ気にはなれないんだが。
アルキンパサは、探るように人の顔を見た後、首を振る。
「すでにあなた方の物だ。自由になさるといい。それから、あなた方は、すでにこの町の民でもある。それによって特に、義務も制限も生じないと思われるが、詳しいことは追って、知らせることになると思う。その他、わからぬことは、他の者にでも、私にでも聞いてほしい」
親切な言葉を並べながら、声が、視線が、拒絶してる。なんて器用な。
「ありがとうございます」
ぐずぐずしてれば、すぐにでも帰ってしまうだろう。思い付いたことを、とにかく口に出す。
「さっそくですが。先程、拝見したキャンドルカバーは、よいものでした。町の方であれば、誰でも作れるものなのですか?」
「あれは」
珍しく歯切れがわるく、語尾が聞き取れない。アルキンパサは横を向き、観念したように向き直った。
「あれは花枯らしといって、枯れても葉が落ちぬ程、性質の悪い蔓草だ。見つけ次第、処理することをお勧めする」
「はい。それを有効利用されているんですね。素晴らしいです」
「う、うん。どの道、捨てるものであるしな。特に難しいことでもない。適当に巻き付けていけばよいだけだ。それがどうかしたか?」
文句があるなら言ってみろと、言わんばかり。なんで、そんな喧嘩腰なんだ。
「私は、不器用なので。上手な方に、あれで帽子など作れないか、相談に乗っていただけたらと」
「なに、帽子だと?」
「は、はい。隣の町から来たばかりです。この暑さ、特に、昼間の日差しは堪えます」
「それは、そうだろうな。わかった、手先の器用な者に伝えておこう。それくらいであれば、すぐに用意できるだろう」
作ってくれって頼んだわけじゃないが。そのように手配してくれるなら、好都合だ。
数秒待って、他に質問がないことがわかると。軽く目礼して、去って行った。
すでに走り出し、壁に突き当たっていたネジェム。心配するより先に、溜息が漏れる。
「おーい、大丈夫か?」
「む、む、む?」
ぺたぺたと手で探る姿は、パントマイムでもしているようだ。
「これほど見事な光景が、実はない、ということに。酔いが回ったような心地です」
「ああ」
ブルーノが酔っ払ったことがあるって方が、驚きだけど。
「ないのであるか?」
ネジェムですら驚愕する。崖の縁より先は、上から下まで感じ取れる限り、土だ。そこから、そよ風が吹いて来る。花の香りも流れてくる。
農村の町では森の奥、羊毛の町では岩石の丘の先にある。文字通り、壁だ。にも拘わらす、空との境まで続いている景色に、感覚が狂わされる。気持ち悪いと言い切れないのは、やはり、美しいからだろう。
馬車から解放されたルルは、ベルデと連れ立って、道へ。花より団子の二頭に、気持ちが和む。うん、わからんことで頭を悩ますのは、たまにでいい。
ネジェムは、壁に張り付いたままだ。ブルーノと井戸の確認をする。
「井戸は、先週浚ったばかりだ。問題なく使えるはず」
帰ったはずの、アルキンパサが戻ってきている。びっくりした。気配、消せるんだ?
「共同の薪置き場と、修繕をするなら、資材も必要だろう。場所を教えておく」
嫌なことでも、きちんとしないと気が済まないと見える。ストレス溜まるだろうな。
「お願いします」
ブルーノが、行く模様。顔を見合わせて、押し付けたわけじゃないんだが。ダビティほど、警戒が必要とは思ってないようだ。
「よい機会なので、この屋敷に付随する敷地の境界線と、共有の場での決まり事など聞いてきたいと思います」
「ああ、頼む」
こういう時、他に冷静な頭脳があると、本当に助かる。オレだけだったら、謎の言動をくり返しているところだ。




