潜水
今日は海にもぐるから。と、水着を渡された。しっかり締めるように、って忠告付き。これは、どう見ても褌。それより問題なのは。彼らが素もぐりする気、満々なことだ。
弓形の木を数本、束ねただけの舟。浅瀬に浮かべて、漕ぎ出す。板状の櫂。きらきら輝く、海は穏やか。
浜辺がなんとか見える距離。素晴らしい透明度。光を失っていく水の中に、何かある。
「どのくらいまで、もぐるんだ?」
「背丈の五、いや六倍か」
待てぃ。訓練もなしに、そんなにもぐれるか。しかも、何か作業するんだろ? 袈裟懸けにした、目の粗い袋。箱には気付けの実がたっぷりある。
「オレ、そんなに息止められないぞ」
「は?」「え?」
「何?」
「何って。なぜ、息を止める必要が?」
「え。それは、水の中だし」
もう一人の同行者が、オレ越しにハインツを見る。
「何を言っているんだ、こいつは?」「つまり。リュウイチは、水中では息ができないと思ってるわけだね」
そのオレがおかしい認定。けっこうショック。つまり、できるってことか。
「どうやって?」
「ふつうに。陸にいる時と同じだよ」
いやいや。命にかかわることだ。そう簡単に信じられるか。
ハインツは説得しようとする。一方、目付きの鋭い男は、短気だった。オレにラリアートをくらわせて、一緒に海中へ。
ぐぉっ。
がっちり足をつかまれて、浮き上がれない。
しぬしぬしぬ、し?
『な、大丈夫だろう?』
『ああ、うん』
音は少し、ぼわっとしてるが。スムーズに会話できるとか。ますます人間離れしていくな。
海面から顔を出す。ハインツが心配そうにのぞき込んでた。
「納得できた?」
「おかげさまで」
がっつり塩味。目にしみたりはしないけど。
思い込みを捨てて、体感。肺呼吸はしても、しなくても問題なし。空気から、水から。皮膚がとり込む、酸素的なもの。皮子とおそろい?
「じゃあ、いってらっしゃい」
先を行く男を手本に。手足を揃えて、かなり速く泳ぐ。うーん。何かが違う。オレがヤマメなら、あっちはサメ。そういえば、あいつ。折れた歯が生えてきたって、自慢してた奴だ。
凍えるほどじゃないが。水が冷たくなってきた。
皮子は海も快適だって。はぐれたら見つけられないかも、って伝えたせいで。いま、猛烈に腹が痒い。
ほの暗い、青の世界。
『おおっ』
目だけでは全体像がつかめない。ストーンサークル。女村にあったのと同じ規模。違いは、中にいるのがほぼ海の生物だってこと。
うまそうな鯛。口から何か噴射。突然現れたラッコは、黒い卵を抱えてる。そういや雄だっけな。黒い霧のように見えるのは、極々小さな卵。千切れた卵の殻も、無数に漂ってる。おかげで境目がはっきりわかる。きれい、とは言えない。淡い光の明滅。
『これが門だ』
石柱の間を抜けてくる海亀。横石の上を越えるマンタ。集団行動する青魚も。海中林に留まっている。オレたちが近付いても、とくに反応はない。
『こいつらには、こう』
水中に置いた団子をつつきに来る小魚。緩慢な動きだが、数が数だ。水に光が飲み込まれて。黄色くは見えない、靄がひろがる。そこを通っただけで、目覚めるやつもでてくる。体、小さいからな。先輩に倣って、群れ全体に行き渡らせる。位置取りを間違うと、肌がぴりぴりする。皮子もか? ごめん。
それなりの大きさのものには、鼻先に一つ。場合によっては三つ、四つ浮かべる。油断すると、指ごと持っていかれそうだ。
『サメは最後な。下手すると、喰いつかれる』
『了解』
サメ除けの石なるものを、舟から下げているが。過信はできない。
芥子団子の補給もかねて、上に上がる。呼吸に問題がなくても、水圧は感じる。案外、疲れるし、冷える。休憩は必要だ。その間、舟が流されないように櫂をつかう。
変なこと聞く奴。って、うっすら浸透してるのか。警戒ぎみの表情。教育は怠らない。
「なにか、質問あるか?」
ここは無邪気に聞いとくか。
「あいつら。むこうで番った雌、喰ったりしない?」
「は? そんなことしたら、どうやって卵産ませるんだ」
のちに栄養補給。そんな線も疑ってたんだが。穏便にバイバイするらしい。向こうが異議申し立てる前に、卵ごと消滅。
「どんなに腹が減っても、同属を食ってはいけない」
なぜか、説教されるオレ。
「絶対、しません」
「よし」
笑うな、ハインツ。やっぱり、いい性格してるじゃないか。
時々、交代しながら二人ずつ。オレは、はじめと終わりを含めて四回もぐった。門のまわりを一周するのに、小一時間かかる。
何度見ても。こっちまでビクッとする。我に返って、泳ぎ去る魚たち。
かわいそうなのは猿だ。生気のない目をして、二本足で立っている。揺蕩う毛皮。一体、何の試練だ。
『先に舟に乗せてあげて』
『わかった』
無抵抗の獣を抱えて、水を蹴る。生存本能か。掴まっていた海藻ごと浮上。
残るはサメだけ。虎の反応は知ってるから、急ぐ。襲われたら鼻殴れ、とか。自信ないから。
ハインツが飛び出すように水から上がってくる。三人して、全力で水を掻いた。
名前が、舌噛みそうに長い。サメ先輩。オレが心の中で呼んでる男が保証する。
「追ってきていない」
あとはのんびり浜を目指す。濡れねずみの猿は、いまだ夢心地。こいつも水中で平然としてた。魚が陸で窒息しないか、実験してみよう。
「はじめてにしては、上出来だ」「リュウイチには、これからも任せて大丈夫だね」
男だからって、適性があるわけじゃないらしい。そういや泳ぎが下手な奴、いたな。舟酔いする奴だっているかも。
「質問は?」
「門の中、掃除しなくていいのか?」
「まず、僕たちが中に入れないから」
境に触れても、ただ入れないだけ。押し通ろうとすると弾かれて、しばらく動けないらしい。
「仮に入れたとして、あれをどうやって外に出すかだよね」
オレは偶然。形状を変えてたから、持ち出せたのか。こっそり試したいけど。イルカやサメを思わせる奴らが、独りではもぐらない。
「そのままにするしかないわけか」
「害もないしな」
とりあえず、食うに困らないのはいいことだ。オレみたいに、手当り次第ってことはないだろうが。動物の劣化版みたいな、ちょっとした能力。殻の持ち主は、何だった? オレは単なる栄養補給と思ってたけど。かなり助けられた。気になるのは。摂取後、急激に歳を取ったこと。
砂浜に舟を引き上げる頃には、猿の毛も乾いていた。
「気付けの実。もう、食わせていいのか?」
「いや。森に連れて行ってからだ。あとは、やっておく」
猿を抱えて行く、サメ先輩の背中に、思わず礼。
「お疲れ様です」
ハインツは舌打ち。めずらしいな、こんな態度。
「あいつ。逃げたな」
「へ?」
しぶしぶ開始される講義。
人の場合は、海中で目を覚まさせてよいこと。門から離れすぎると、潮に流されるので注意。流されても、遠回りではあるが、浜に流れ着く。覚醒前の人や猿が打ち上げられていたら、対処すること。
あ、オレ。そこに分類されたのか。それで、そんな顔?
「途中でサメに出くわしたら?」
「それは。運が悪かったとしか言いようがない」
おい。
「だから、ごめんって」
実際、体験したことじゃない。他の連中はハインツが、ハインツは別の奴が、オレを介抱したと思ってる。ぼろを出したくないから、口にはしない。きちんと管理しろよ! オレは、翌日の昼まで、機嫌がわるかった。
「ごきげんよう」
「どうしたんだ、リュウイチのやつ」「あ。俺、なんか気持ちわかる」「やけだ、やけ」
いつ孵化して、いつ帰還するか。規則性がまったくない、やつら。時に、数万匹が一斉に動く。ぼんやりしたまま食われるやつがいても。正直、面倒みきれない。
男を一人、無事に保護。あとは、ひたすら丸める。撒く。くり返し。