マニュアルと浮き輪
羊毛の町には、きっかり一週間滞在した。
「おかげさまで、のんびりできました」
ブルーノがそう言うのなら、そうなんだろう。
会話が成り立たないにもかかわらず。羊たちはブルーノが大好きで、暇さえあれば後を追う。まあ、一日の大半は食事の時間だから、ブルーノがのんびりできたって言うのも、まんざら嘘じゃない。馴れ合うそぶりを見せないベルデだが。じつは彼女だけが、ブルーノと意思疎通できた。嫌ってるわけじゃなく、何か偉い人に迷惑かけたらいかんって、気遣いらしい。
いまは、親衛隊に囲まれて、別れの挨拶をしている。何度も話し合って、納得したはずだが。いざとなると、子分たちは親分に付いて行きたいと訴える。
これは過酷な旅だ、弱いあんたらを連れては行けない。
勝手に過酷にしないでほしい。しかし、あまり大所帯になるのも考えものだし。ベルデも涙を呑んで言ってることだから、黙っとこう。
メェー、メェー、メェー、メェー。うるさ、いや、賑やかな羊たちに、姉さんをよろしくされた。
ベルデはすでに、皮子には筋を通してる。
マブダチの姉貴分ってことは、自分の姉貴も同じ。って、いつの間にそんなことになってんの?
ブルーノは伝説の羊飼いだから別格で。オレは、皮子の相方であることが重要。一応、名目上のリーダーらしい。ってことは、ネジェムがいちばん下。大丈夫か? 大先生は意外に、そういう小さなことには拘るぞ? まあ、オレが考えても仕方ない。
ネジェムもまた、休暇を満喫。羊毛加工の新技術を開発していた。難しいことは、オレにはわからんが。
「羊毛を観察した結果。毛の表面にある鱗が、湯に浸かると外に広がり。絡む原因の一つになっていると、わかったのである」
えーと、キューティクルのことかな? 肉眼で見えるものなのか。試しに、自分の腕の毛を、じーーーっ。あ、見えた。
それを、薬品でマイルドに溶かす、と。あの劇薬を使うのか?
「抑々どうやって、あんな危ない薬を手に入れてるんだ?」
「何を言っている? コレが作ったものではないか」
呆れたように返された。せっせと雑草を灰にして、湯漬けにしたものがそうらしい。あぶなっ、あっぶな!
「直に触らぬようにして、濯ぎも念入りに行っていた故。てっきり、知っているものとばかり」
あれは、明日草を茹でた延長で、溶液に付けたり、水に晒したりしてたから。そのまま、菜箸を使い続けてただけだ。晒す水の濁りがとれるまで、何度も水を替え、しつこく濯ぐのは、そうしないと気持ちがわるいから。とりあえず桶に空けてた使用済みの水は、ネジェムが大事そうに抱えていってしまったし。
「ふむ。これは、きちんと警告せねばなるまいな」
ネジェムは女町長に、注意深い女を三人、推薦するように伝えた。はっきり、へまをしない者、って言ってたな。
それ以外の人間には触らせないように厳命。彼女たちが教育して、大丈夫と判断した者は、その限りではない。ネジェムは、この地に生えているものならこれだけと、灰にする草の量から計算していた。そこに足す湯の量。浸け始める時間から、引き上げるタイミングまで、完全マニュアル化。必ず、革の手袋、前掛け、長靴、布製のマスクを着用の上、長い木製の箸を使うこと。万一、目に入ったら、真水で何度も洗うこと。当然、羊毛も濯ぎをしっかり行うこと。
汚水をどうするんだって話だが。
「この町であれば、簡単なことなのである」
谷に捨てれば、温泉水と混ざって中和されるそうだ。
あ。元凶の毒を取り除いてしまったんだが。耳打ちすると。さすがのネジェムも慌てて、露天風呂に駆けて行った。三人の女たちが続く。遅れず付いて行くなんて、足、速いね。オレは、ネジェムの背負い箪笥を持ち。駄目だった場合のことをあれこれ考えながら追いかける。
「あまり年寄を驚かすものではない」
「ごめん。はい、これ」
「うむ」
ネジェムが手早く、小さな容器に湯を採ったり、試薬を混ぜたりするのを。女たちが尊敬の眼差しで見ている。
「で、どうだった?」
「湯の成分は、変わってはいないのである」
それはよかった。オレも、焦ってたんだな。思い返してみれば、影男が解毒ダンスした後も、湯の川は白濁してた。
「ふむ。この風呂を使い続けるのであれば、その排水と共に流せばよいのである」
あれ? いつの間にか、アクシデントじゃなくて、授業の一環に。女たちは、真剣な面持ちで肯いてる。ネジェムが、後々の環境のことまで考えられるなんて。先週の経験が生きているんだな。
選ばれた女たちは、この異様に手間のかかる工程を、面倒だとは言わず。喜々として丸暗記。羊毛製品の価値が上がると理解している。どれくらい上がるかは、わかってないみたいだが。まずは、ベルデ親衛隊の羊毛で試す予定だそう。
「まだまだ、若い者には負けぬ。まして、学会などと群れるだけで満足している輩に、もごもご」
洗剤の開発を頼んだ時はスルーしてたのに、何でかな、とは思ってた。大先生は地獄耳で、負けず嫌い。
ベルデは、ちんまい女の子こと、ネジェムを軽く見ているのかと思いきや。庇護の対象にしてた。思考能力は高いのに、大きい小さいで考えるシンプルな性格らしい。
ネジェムからすると、いつかの防寒着。現在の移動式寝具。
「獣が獣くさいのは当たり前である」
その出すものまで有効利用しているんだ。汚れることなど厭わない。ふかふかの毛に埋もれて、半分寝ながら運ばれてる。一応、ロバ用の鞍を買い取ったんだが。不要だったな。
しかし、次に向かう町の季節は、どうやら夏。一頭と一人は、途中でばてた。寝たままぐったりしだす人間の頭は、いまさらどうしようもないが。ベルデの我慢強さは考えものだ。蛇行しはじめるまで、皮子でさえ気付かなかった。
「二人とも大丈夫か、頭痛くないか?」
双方、そこまでではないそうだ。
道を外れて、湖の畔へ。瓢箪の水に、塩と砂糖と適当に混ぜる。
「こんなもん、だぁー。ごくごく飲むな、少しずつ飲め」
味見してたのを奪われた。ブルーノが用意した水桶には、もう少し薄めになるように投入。ベルデはもちろん、ルルも飲みなさい。こっちの水筒には人間用の割合で入れておくから、ブルーノも。皮子はこっちで大丈夫か。
売り物と私物の区別がないようだが、とルルに心配された。さすがは商会所属の馬だ。まさか、商売する気がないとは言えない。馬車とルル以外は、すべて金を払って買ったものだから気にしなくていいと言うと、首を傾げながらも、水桶に顔を突っ込む。染み渡るらしい。よかったね。
しばらく、木陰で休ませていたが。ネジェムの顔は火照ったままだし。ベルデの方から流れてくる空気が熱い。毛皮の中は大変なことになってるはずだ。
桟橋から、半ば強制的にダイブさせる。ベルデの積年のあれこれは、さりげなく剥がしておいた。公共の場で水浴びするには、さすがに汚れすぎている。
湖の水は、夜のうちに浄化されるらしい。午前十時くらいまでは、人が水浴びをする。それ以降は、道具や家畜を洗う。決まりを破ったから、どうこうということもない。湖は広いから、昼以降も平気で飛び込む者も多い。慣習だと聞いた。
熱中症寸前のベルデは、まるで気付いていないが。澄んだ水に、真っ白な毛が揺れている。神話とかに出てきそう。毛に付いていた油は、かなり使える代物らしい。惜しい気もしたが。まずは、体を冷やすこと。次に、水を汚さないことが大事だ。
オレ自身、水は嫌いじゃなかったし。こっちに来てからは、水生動物の能力もちょこちょこもらってる。だから、すっかり忘れていた。何もしなくても浮くところで、沈むやつもいるのだ。性別に関係なく、呼吸の心配はないが。沈みっぱなしは、精神衛生上よろしくない。主にオレの。引っ張り上げて、曳航。
「まさかネジェムが金槌だとは」
「我は、鉄ほど詰まっていないのである。にもかかわらず沈むのは、体積と重さの、ごぼごぼ」
おおっと。
まず、ネジェムの衣服を変形させる。首、手首、足首までカバーするラッシュガード。水が沁み込まない糸のイメージで、密に、でも伸びるように。色は、ピンク主体で、脇に黒を配せば文句はないはずだ。キャプは水泳帽に。繊維が、どう糸になるのか。糸が、どう生地になるのか。心ゆくまで見学させてもらったのが大きい。
そして浮き輪。さすがに、ビニール製は不自然だ。こっちで、代用するとしたら、皮か。水袋を幾つも連ねて、輪っかにしたってデザインでいこう。
とりあえずつくって、自分で試す。ぐったりしながらも、ネジェムが興味を示した。脇の下に装着させてみる。草木染の色調で、水玉模様にしたが、ストライプの方がよったか? どうでもいい? よし、次の一つはそうしよう。
ベルデは、おおっ、上手に泳げるんだな。そういや、他の羊たちも、川に投げ込まれていたんだっけ。でも、ずっと犬掻きは疲れるだろう。未知のものを持って近付くオレに、少々警戒気味。うん、ないはずのところから、突然何か取り出したり。変化させたりすることが日常的にあるから、慣れてくれ。オレの訳わからん説明よりも、皮子の一言で、すんなり受け入れる。
休める時に休まなきゃ、役立たずになっちゃうよ? なんか、オレに言ってないか? 久々の毒舌モード。耳と胸が痛い。
ブルーノは、襷掛けプラスお端折りして、浅瀬でルルを洗っている。言葉は通じなくても、素振りで伝わることは多い。うちの祈祷師はそういうところ、ちゃんと拾えるからな。
なるほど。ルルは、水浴びは好きだけど、深みはちょっと? 伝わってきたイメージ。若い時、何かにバクっとやられそうに。ワニ、ワニかっ! そりゃ、用心するよな。強制はしません。あなたは、正しい。
体力がある方だとはいっても。ベルデは五年の間、牧場から出なかったわけで。いまは頭を空っぽにして、休養に努めている。努めてするところに、ちょっとブルーノと似たにおいを感じる。けっこう真面目なんだな。
少し復活してきたネジェムは、手足をばたつかせると、体が進むことを発見。や、楽しいのはいいけど。その汚いフォームは、非効率的だ。まず、バタ足を教える。教えたことを後悔するくらい推進力を得たので、ロープをつくって、浮き輪と桟橋の支柱を繋がなければならなかった。
通り掛かった幌馬車の側面に、エイト商会のロゴ。降りてきたのは知らん男だが。丁寧に、所属を明かして。その水に浮いているものは何かと、聞いてくる。木陰に停めてる、こっちの馬車には気付いていない様子。
「浮き輪だ。使い方は、見ての通り」
「何でできているんだ?」
ちょっと考えて、羊の胃袋だと答える。売ってくれというのを、理由も言わず断っても、嫌な顔はしない。何やら思案しながら、馬車に戻って行く。と思ったら、何か抱えてきた。
「教えてくれた礼だ」
丸い。緑と黒の縦縞のそれは。
「ちょっと冷やして、中の赤いところを食べるんだ」
声も弾もうというものだ。
「ありがとう! でも、商売物だろ、いいのか?」
男は軽く手を振った。
「これからあちこちに並ぶだろうから。気に入ったら、その時、買ってやってくれ」
ちなみに名前は、赤瓜だそうだ。男の乗った馬車は、羊毛の町の方へ進んでいく。
「ルル、いまの男知ってるか?」
知らないらしい。各支店長は、勝手に人を雇っていいことになってるから。そうやって入会した者の一人だろう、ということだった。ただし、それだけでは、仮採用の状態らしく。本人は何も知らされないまま、本店に使いに出され、その後のことが決まるらしい。もしや、本店の連中はエリートなのか? 否定されなかった。へ、へぇ。気の付く、いい奴だったから、いい結果になるといいな。
それはそうと、スイカだ。ネットをつくって、桟橋から吊り下げておこう。
振り返ると、ベルデが不信感いっぱいの目でオレを見ている。え? あ! 違う、違います。さっきの言は、可哀そうではあるが、食肉用の羊さんを想定してだな。
ますます広がる距離。皮子さん、お願い。
あなたは、ずーっと毛を搾取されるだけだから、大丈夫。
けっこう酷いこと言ってるのに、オーケーなんだ。
スイカを冷やしながら、水遊びを続行。
ブルーノに呼ばれた。木陰に、ランチの用意ができたそうだ。いつも、何から何まで、すみません。どうもありがとう。




