ベルデの決意
個別商談の結果。エイト商会が一年分の羊毛を。残りの四年分を、九つの商会が当分して、それぞれの提示額で仕入れることになった。よその平均買取額の一・五倍を付けたのだから、そう誘導するのも難しくないわけだ。皆が羊毛をそのまま手に入れて満足するところを、エイト商会はすべてを下着の加工に回し、加工賃を負けさせている。ざっと計算したところ、上下一組、二千ミミで仕入れるのに等しい。考えていたこととだいぶ違うが、まあ、オレの企みの成果なんて、こんなもんだろう。救いは、この町の連中が諸手を挙げて喜んでいることか。
「不満そうですわね」
内容は、探知していたが。律儀に本人が報告に来た。
「いや、専任者のやることだ。文句なんかない」
「先程おっしゃていた、羊毛専用の洗剤ができれば、二倍、いえ、三倍の値を付けても構いませんわ。ネジ先生は、開発される気はありませんの?」
なるほど、そうくるか。
「頼んではみたが、いまのところ興味ないみたいだな」
「そうですか。そういうことであれば、私の知り合いに依頼しても構いませんか?」
「それは、もちろん」
そうすれば、オレも使える。思わず、にっこり。しかし、話はそれで終わらなかった。
「何か、ヒントなどあれば、お教えいただきたいわ」
「ヒント?」
「一から開発するのですから。手探りでは相当に時間がかかります。指針となるものがあれば、それが一年、二年短くなる可能性もありますでしょう?」
「混乱して、迷走する可能性もあるが」
「あら、私の懇意にしている方は、学会員でもある優秀な方です。いまのネジ先生にでしたら、負けていないと思います」
そりゃ、ネジェムは、ぼっ壊れてるけどさ。余生を過ごすおばあちゃんだし。思っても、人に言われると、むっとする。やれるもんなら、やってみろって気になった。まあ、それも目の前の女の思惑通りなんだろうが。
「油で洗うか、油の入った洗剤で洗う」
「伝えておきますわ」
集まった商人たちは、幾つかのグループに分かれて、露天風呂を堪能。料理好きの女性が、はっと飛び起き、腕を振るった昼ご飯をおなかいっぱい食べ。至極、満足そうに帰っていった。エイト商会の二人もだ。商談に来たのはわかっているが、その前後の行動だけ見ると、一体、何しに来たんだって話。
町の女たちは羊毛から、せっせとごみを取り除き。選別し。洗い。乾かしている。五百キログラムの羊毛って言われても、ぴんとこない。昔、何かの映像で、刈ったばかりの羊毛、一頭分を抱えたお姉さんを見た時。ふっかふかの羽毛布団、一枚分くらいかなと思ったから、その五百倍だ。
男連中は、牧場を見回り、柵を修繕したり。羊たちの補助食を用意したり。ルルとベルデの勝負が一段落して、どうなることかと心配してたようだが。羊たちへの締め付けは、ほとんど見られず。ベルデと親衛隊以外は、おとなしく蹄をチェックされている。広い敷地を歩き回っているから、特に切る必要はないらしいが。
そういえば、ルルの蹄はどうかな。いつもより念入りにブラッシング。今回、大活躍だったもんな。下手に褒めたりすると、好きでやったことだと臍を曲げそうだから。周りに人だの羊だのがいないことを確認して、ニンジンを進呈。え、何? って感じで。結局、何も言わなかったが、大きく頭を上下させて、ニンジンをぼりぼり食べていた。
無事に取引が済んだ、いま。オレたち三人は、お客様扱い。泊まるところは空き部屋だし、食事も一緒だが。是が非でもと、宿泊料が返却され、手伝いは拒否されてる。
そうそう、休暇中なんだった。ネジェムは幌馬車を外に引き出して、建物の影を追いながら。荷物の合間で、実験をくり返している。一度覗いたら、ガラスの容器を慎重に揺すっていて、近付かないように注意された。この溶液に触れると皮膚が溶ける、って。そんなものをそんなところで扱わないでほしい。
ブルーノに、遊ぶようにと厳命したら。日がな一日、羊相手に歌の練習をしていた。男たちが役得とばかりに、外仕事をしているのを。女たちがかなり本気で羨んでいる。
オレは皮子と、露天風呂でのんびり。対岸を眺める。青空。灰色のごつごつ、ごろごろ。お湯、湯気。あとは、なーんもない。ないけど、何かあるから、こうなってるんだよな?
ルルとベルデが、連れ立ってやってきた。話があるそうだ。動物相手とはいえ、意志が通じる以上、このままじゃさすがに失礼だ。のぼせそうだし。いま出るから、ちょっと待ってて。
お待たせしました。はい、どうぞ。
仁義でも切られるのかと思ったら。意外に普通に、自己紹介を始めた。一人称は、あたい、だけど。
当然のごとく、女村に生まれたベルデは、将来を期待されていたらしい。立派な体格で、毛の質もよかったからだ。森に放されることも、街に連れて行かれることもなく。村で飼われる、選ばれた羊だった。
ただ、あたい、ちょっとほかのより食べるんだよね。
味に拘りはないが、とにかく量が必要。根まで食べる習性もあって、村はもちろん、その周辺がはげ山になったとか、ならなかったとか。このままでは追い出されると感じたベルデは、自ら出奔。
道草は美味しいし、このまま旅暮らしもわるくないかな、なんて、はじめは思ってたんだけど。
見ると人は、ベルデを捕まえたがるし、獣も怖いと知った。数少ない、心ある人間の女のアドバイスに従って、羊毛の町を目指し、辿り着く。やっと平安な生活が送れると喜んだのも束の間。はじめての毛刈り。ベルデは恐怖した。周りの羊たちが、なぜ、唯々諾々と人間に従うのかわからない。嫌なら逃げればいい。反芻動物である羊は、食べられる草の種類が多い。馬や牛が嫌がるものでも、もしゃもしゃいける。
幸いって言ったらわるいけど、ここの人たち、あたいたちに甘いでしょ。
肉食獣のいない町の中。敷地は広大。一部で草を食べ尽くしても、他で食べているうちに、また生えてくるように人間がしてくれる。集団を率いて、時に攻めたり、隠れたりする生活。
最初はおもしろかったらしい。他の羊たちも、なんで早くこうしなかったのかと。まあ、思うだろうな。
しかし、三年目あたりから、ベルデは不安を感じ始める。他の獣のように、自然に毛が抜けないのだ。体力のある自分はまだいい。雨が降れば、濡れた毛の重みで身動きできなくなるものも出てきた。本能に従って草を食べ、水を飲み、岩や土を舐めていたが。何か足りないものがあるらしい。ベルデをして、八割ほどの力しか出せなくなった。
町から人がいなくなったのって、毛刈りができないせいだろ? つまり、あたいのせい。
大きな羊の目から、涙が一粒こぼれる。
あ、そっか。ベルデの目って、青いんだ。他の羊は、何色だった? ちょっと思い出せないが、少なくとも青ではない。
「ベルデを手放すって、選択をしなかったのは彼らだから。そこまで責任感じる必要はないと思うが」
オレが無知なだけなんだが。意外や意外。羊って、強いものに従う習性があるらしい。求心力をもった個体を引き離せば、あとは烏合の衆。それくらいプロならわかっていたはず。
そう言われたら、少し気が楽になったよ。
鼻を鳴らすベルデの横で、ルルが。ね、言ったでしょ? とか。何のことやら。
ベルデは話を続ける。もう、さすがに限界だと思っていた時に、オレ達がやって来た。弱気になりがちだったベルデだが。ルルの立派な体躯と、何者も恐れない姿勢に、かつての意気込みが、むくむくと頭をもたげた。負けるもんかぁ。数々の勝負を挑み。それが非常に楽しかったらしい。ほかの連中が、人間に尾っぽを振っても、全然気にならない。
むしろ、ほっとしてさ。ああ、あたいがいない方が、皆のためなんだって。悲観じゃないよ? もっとこう、さばさばぁっと。肩の荷が下りた感じ。
そして、結論。
あたいを、あんた達の旅に、一緒に連れて行ってほしい。
え? いやいやいや。でも、まあ。
「わるい案ではないか」
そう? 喜色を帯びた表情。
ルルと仲良くなってるようだし、体力あるのは証明されてるし。
「自力で歩けるんだろ?」
もちろん! あ、ただ食事に時間とられるのが、ネックだって、ルルに言われた。
「あー。まあ、その辺は、工夫すればなんとかなるだろ。歩ける時は歩いて、馬車の一角にスペース用意するから、食事の延長戦はそこでするとか」
嬉しそうに肯いた。それから、少しだけ不安気に、こちらの顔色を窺う。
毛刈り、しなくていい?
「それは別にかまわないぞ」
ただ、健康面が心配だ。
「そもそも、何でそんなに嫌なのかとか。聞いても大丈夫か?」
羊相手に、何そんなに気を遣ってんだって自分でも思うが。ベルデって、どっか人間っぽいんだよな。話してると、よけいにそう思う。ルルも賢いけど、彼女は馬だ。思考も行動もそうなのだ。
大丈夫だけど、笑うなよ?
絶対笑わないと約束する。
ベルデには、恥ずかしいって感情があるんだそうだ。ああ、何か、すごく納得。オレ猫、大好きだけど。よく人に尻見せてくるの、親愛の情だってわかってるから、うれしいんだけど。ちょっと複雑な気分になったことがある。
ベルデにとって羊毛は、人間でいう服。わかりやすく擬人化すると。毛刈りはアウト、完全にアウトだ。
「ご愁傷様でございました」
男として本当に申し訳ない気分になって、頭を下げる。
いやいやいや、もう済んだことだし、あんたがやったことじゃないし。
あわあわしてるもこもこも、見慣れてくると可愛いなぁ。だいぶ汚れてるけど。
ずーっと、押さえつけられてるのも苦痛なんだ、って。そりゃ、そうだよな。美容室で二時間もがんばれる女性陣に、心底、感心した覚えが。
「毛刈りせずに、あとどれくらいいられそうだ?」
青い目がぱちぱちと瞬く。
あと二年はいけるかな?
すごい体力だな。
「それまでに、対策を考えればいいだろう。何かしら出てくるよ。刈らなくてもすむ方法が」
オレ以外の頭から。だから、そんな感動したような目で見ないで。
あたい、絶対役に立つよ、とベルデが息巻く。あのちんまい女の子くらいだったら、背に乗っけてやれるし、って。女の子? え、あっ、ネジェムのことか。
仲間内では、すんなり話が通った。
町の住民も、ベルデが街を出ることに反対はしなかった。寂しいことだが、それがお互いのためにいちばんいいと、納得した様子。羊と意思疎通ができる女町長が、ベルデの意志を確かめた。
問題は金だ。町の財産を譲り受けるわけだから、何がしかの対価が必要。ベルデの心情に配慮して、先に許可は取ってある。彼女は、いい置き土産になると、喜んでいたが。案の上、町民たちが承知しなかった。身内を売り飛ばすようで嫌だと言う。
「いろいろとお世話になったお礼として、お譲りしたいと思います」
皆を代表して男町長が言う。それはそれで、どうかなとも思うが。そっちがいいなら、それでいいです。
「では。こちらはベルデからの贈り物ということで、お納めください」
ブルーノは自分でも知らないうちに、羊毛の町の住人たちから、伝説の羊飼いとして敬われていた。彼らの中では、祈祷師よりも格が上らしい。そんな人物が差し出すのだ。断るに断れず、小箱を受け取る。
「なんてきれい」「虹色に光ってる」
近くにいた女たちの声に、皆が見たがって騒ぐ。女町長が恐る恐る手に取って、掲げてみせた。
「これは。この素晴らしい品は一体?」
つぶやくような問いかけに、ブルーノが力強く答える。
「聖水の結晶です」
他のやつが口にしたら、いかにも胡散臭い。彼が言えば、本物になる。名の通った祈祷師で、伝説の羊飼いだから。
これを贈るに際して、身内でちょっとした遣り取りがあった。幌馬車の中で、こそこそと。
金銭を拒否されるのは、目に見えている。では、何を渡すか。何も渡さなくても、済むことはわかっている。少なくない利益をこの町にもたらしたし。ベルデ自身が言い出したことだ。その意思を尊重するだろう。
でもな。ただとか。価値の低いものを渡すのでは、ベルデがそうだと言ってるみたいで、なんか嫌。所持品の中で、値の張りそうなものといったら、あの透明な欠片。ネジェムが研究用に持ってる中から、いちばん大きなのを出してもらう。まだ十分に数はあるし、ネジェムは躊躇しなかった。
「ものはものなのであろう?」
ネジェムが言った方が、断然、格好いいな。
そこで問題です。これは一体、何でしょう?
「水に溶けるものであれば、どんな物質も溶かし込むことが可能。鉄をも溶かす溶液にも溶けず、腐る様子もない。真水で濯げば、混ざり込んだ物質は、きれいに流れ去る。これはもう、水の結晶で決定である」
大先生が宣言したのだ。それでいいんだけどさ。
「商売として考えると、ちょっと弱いんだよな」
生き物にとって、水は何より大切だ。とても価値がある。ただ、一定の水準に達した暮らしの中では、こう、あまり高価って感じじゃなくなる。
「ブルーノ。例えば、聖水の結晶、って商品名で売り出したとしたら、宗教関係ではどういった問題が発生する?」
目を見開いた祈祷師が、素早く頭を働かせる。
「そうですね。一般的に、大祈祷師が祝福したものが聖なるもの、という認識があります。古くからある物や、この上なく美しいものに、不思議な力が認められてから、祝福するというパターンもありますが。やはり、聖別という行為を境に、聖なるものと呼ぶことができると思います。特に決まりとして定められているわけではありませんが。それを経ないと、実際どうなるかは、行った例を聞かないので。無知で、申し訳ありません」
ただひたすら済まなそうに、己の知識のなさを詫びる。いえ、あなたが無知なら、オレは何?
「十分参考になった。ちなみに、異端審問とかあるのか?」
「ございます」
うへぇ、あるんだ。大祈祷師一名、祈祷師九名を前に、質疑応答するだけで。異端認定されても、体罰等はないらしいが。当然、そんな目には遭いたくない。
「その聖別されたものって、何か変わったりするのか?」
「私が接する機会のあったものに限りますが、何の変化もございませんでした」
無表情で抑揚なく話す時は、よくない感情を抱かないようにしている時。気配を感じ取れるブルーノにとっては、聖別なんて茶番ってわけだ。
しかし、いまは、何の変化もしてない欠片を前に、それこそ神聖な気配を漂わせている。
「ああ、本当に、感動いたしました。呼称が変わるだけで、こんなにも印象が変わるものなのですね」
えーと、それは許可が下りたということかな。
「ブルーノが祝福するんじゃ駄目なのか?」
いや、困らせたいわけじゃないんだが。それで、十分っぽくないか?
「大祈祷師になるには、あと二十年は修行をしなくてはなりません」
それよりも、と襟を正す。
「私ごときがお願いするなど、とんでもなく。大変に勿体ないことではございますが。リュウイチ様が祝福してくだされば、真の聖水になるかと」
「はい?」
何を言っているんだ、この人は。
「面白いではないか、コレよ。試みてみれば、できるかできぬかわかるであろう」
ネジェムまで。人にやらせようとした手前、やりもしないで、できないとは言いづらい。考え方を変えよう。できなければ、ブルーノを幻滅させられる。よし。
透明な多面体を掌に載せる。四Lサイズの梅干しくらい。えーと、祝福、祝福。おめでとう? 違うってことはわかる。
これが何であるかってことより、何をしたかを考えよう。あの真っ黒い塊を丸っと包んでたんだよな。穴につまった時は、剥き出しだったに違いない。その時、あの狐は影響を受けたのか? 触れたのか、傷に入ったのか、まあ、食ったんだと思うが。でも、いつの間にか、透明な覆いができて。お陰で、あれくらいの被害で済んだのかもしれない。なのに、オレ達に壊されて。そう考えると、言いたいことがシンプルに纏まっていく。
礼と、詫びと、労い。
何が起きたってわけじゃない。でも、確実に気配が変わった。
「おお。なんと、素晴らしい」
ブルーノが平伏してる。木箱の角に頭ぶつけたようだが、大丈夫か?
ネジェムは速攻で欠片を奪い取り、観察。
「むむう」
唸ったきり、何事か思い出そうとしているようだが。すぐ、あきらめた。
「そのうち、思い出すであろう」
長く生きてると、息の抜き方もうまいのな。
「リュウイチ様、それこそ正に、聖水の結晶と呼ぶに相応しきものかと」
一頻り祈った後。少し落ち着いたブルーノによると。気配が水であることに変わりはないらしい。オレもそう感じる。では、何が違うのか。澄んでる?
透明であることや、大きさ、形に変化はないが。反射する光が、角度によって七色に見える。
「あ、じゃあ、そういうことで」
贈り物は用意できた。
二組の目から、無言の圧力を感じて。錫杖と、残りの結晶にも、お礼とお詫びと労いの言葉を掛けておく。
すぐに実験したネジェムによれば。以前より素早く、十倍の量の物質が溶け込む。また、大量の水があることが前提だが、異物が溶け出す速度も増したそうだ。
目的が果たせれば、細かいことは後でいい。一つの結晶の贈呈をもって、仲間が一頭、増えました。




