羊のベルデ
選手交代。女町長は、さっそく糸紡ぎをはじめるようだ。持ち出したのは、毛の入った籠。タブレット端末サイズの猫ブラシと、細長い楽独。と、知識のないオレには見える。
いや。目の前のことに集中しよう。
あらたまって頭を下げる男町長。
「お連れの方を休ませるために寄られたのに。こちらの都合で、仕事の話などして、すみません」
「いえ。ちょっと疲れが出ただけで、それほど深刻な状態ではありませんから」
むしろ、回復したら迷惑かけるかと。
「それでは」
彼は、真剣な表情で口を開きかけ、閉じる。うん、外が騒がしい。
「先に、あっちの様子を見てきましょうか」
「すみません」
いえいえ。うちの者が、やらかしてる可能性も高いので。ネジェムが大人しくしてるいま、ルルとか、ルルとか、ルルとか。予想は半分、当たっていた。
二人の町長と、裏口から外に出る。馬房の裏手に、小屋があった。手洗いだそうだ。井戸より深く穴を掘ってあるから落ちないようにと、注意を受けた。が、がってん。
丘に登ると、ひらける視界。地図を描きに行ったはずのブルーノが、羊に囲まれてた。
「すごい」「まさか」
鳴きながら群れる羊、おおよそ百頭。その中心に、錫杖持った坊さん。これはこれで、和製羊飼いみたいで絵になる。
意志疎通はできないまでも、助けを求められているのはわかるらしい。邪険にすることも、逃げることもせず。ただ、困惑。
「リュウイチ様。これは、どうしたら」
「うーん。ちょっと待ってて」
互いに声を張らざるを得ない。ただただ驚いている人たちを残して、幌馬車の荷台を漁りに行く。確か、この辺に。あった。拳ほどの塊を三つ掴んで、戻る。
ナマケモノみたいに動きだしてたネジェム。階段から落ちても困るし、背負って行った方が安心か。即座に、皮子が協力してくれる。ふさふさ毛皮のおんぶ紐。こんなこともできるのか。ありがとう。かなり楽だ。
「とりあえず、これ舐めさせててくれ」
放り投げると、ブルーノは三つとも危なげなく受け取る。
「はい」
ますます距離を詰める羊の間をよくも、すいすい歩けるものだ。
羊たちはブルーノのことを、何か優しい人だ、と思ってる。慈愛オーラは、動物相手でも有効。三十数頭に一個って計算で、等間隔に置かれた二つの塊。目の前にある物よりも、ブルーノが持ってる物の方が良く見えるらしい。
「あれは、何ですか?」
眉をひそめるのもわかるが。毒じゃないから、大丈夫。
「岩塩です」
「あ」「やだ」
二人そろって示すのは、悔恨の色。
ピンク色のおんぶお化けを見たはずだが。その情報は、脳まで到達してないようだ。
「可哀そうなことをしました。この辺の草や、露出した岩や土では、やはり足りないんですね」「いくら、こちらに寄ってこないとは言ってもね」
気を付けるべきだったと、反省することしきり。だが、二人ばかりを責められない。どうやら、羊たちが自主的に選んだ道らしい。
メルヘンなイメージを持たれがちな羊だが。突進力は半端なく。本気で暴れられたら押さえておけない。それが徒党を組んで、攻めと逃走をくり返す。当初は強引に数頭、毛刈りをしたが。双方、軽くない怪我を負った。それがもとで羊が一頭、死んでからは、泣く泣く放置。いまに至るそう。何と言ったらいいか。
塩分摂取して落ち着いた数頭が、こちらに寄ってくる。
「オスタ、トレイ」「パトルゼチ」
皆、名前が付いてるのか。よく見分けられるな。
「こんなになってしまって」「いい子、いい子」
元がどんな体形なのか、わからない。前が見えてるのか怪しいし、足もほとんど隠れている。毛の重さで歩くのも大変そう。
「どれくらい毛刈りしてないんですか?」
「もう、五年になります。そういえば、ベルデは?」「そう、あの青いやつが来てから」
なんじゃ、われー! とか言ってるのが、そうかな。左前方の丘の上で、ルルと睨み合ってる羊が一頭。でかい。皆、並のボリュームじゃないが。さらに、その倍はあるんじゃないか? もともとの体格もいいんだろう。ばん馬クラスのルル相手に、一歩も引かない。
いきなり草の大食い競争を始めた二頭を眺めながら、女町長の話を聞く。男町長は、本当に毛刈りをしていいものか、羊相手に最終確認。言葉は通じてないけど。
毛刈りは、羊側にも人間側にも負担のかかる行事らしい。
「特に腰が」
低い呟き。切実だな。
それでも、かつては従事者が五十人。スムーズに回っていたから、特に疑問も感じていなかった。
「そこへ、あのベルデがやって来たんです」
他の羊たちは、商会の人間や、森で捕獲した一般人が売ったり、預けたりしたもの。ベルデは、自力で来た。
「最初はうれしかった。あの子、すごく賢いんです。毛質も、群を抜いてやわらかくて、真っ白で。いまは、あんな黒くなっちゃってますけど。毛の量もすごく多いんですよ」
問題が起きたのは、初めての毛刈りの時。ちょうど五年前の今時分だそうだ。
「普通は、男一人で羊一頭、膝とか使ってうまく押さえながら、刈ることができます。ちょっとやんちゃな子は、可哀そうだけど、首に縄をかけることも」
ベルデは、そうはいかなかった。
「周囲の子たちの反応を見て、よくないことだと思ったんでしょうね。本当は、毛刈りをしないと危険なのに」
体形がわからないから、栄養失調になっていても気付けない。毛の嵩や重さで、行動が制限されて、餌を食べることすらままならなくなる。
「力は強いし、おやつにもつられないし。最終的には、カウボーイの方に捕まえてもらって、寄って集って毛を刈ったものだから」
「仕方ないだろう。あの時は、そうするしか」
罪悪感と、女の責めるような口調に、男の声も刺々しくなる。
寄ってきた数頭の羊は、何かよくわかんないけどごめんなさい、って態度だ。
「おお、ごめん。いいんだよ」「そうよ。また、こうして来てくれてうれしいわ」
猫なで声で、汚れた毛をもふもふ。
「思いのほか元気でよかった」「そうね、痩せすぎってこともないみたい」
補助食を用意しても、口にしない期間が長かったらしい。ハンスト?
メェー、メェー、メェー。
裏切者、って声は少数。我も我もと、やって来る。
うーん。日和見主義の集団の中に、頭の切れるヤンキーが転校して来た感じ? それか、労組。羊たちの待遇改善を求む! 先頭切って頑張ってたのに、梯子外されたって考えると、ちょっと可哀そうだな。いや、オレの勝手な想像だけど。
反省組の願いは、とにかく毛を刈ってくれ。まあ、そうだろう。これからどんどん暑くなる時期。むしろ、よく何度も夏を乗り切った。
ん? あちこちに洞穴があるのか。分散して、日差しの厳しい昼間をやり過ごしてた? それだけ統制の取れた行動。指揮してたのがベルデか。
現在の彼女の様子。周囲の状況を把握しながら、その場を動かない。
あーら、逃げんの? 単純な挑発と、大きな体躯を無視できないからだ。いいぞ、ルル。その調子で頼む。
頼まれなくても? そうか、血が騒ぐのか。とにかくそのまま楽しんでてくれ。その体格差、卑怯じゃないかと思わないでもないが。なるほど。草の不味さが、ハンデなのか。




