巨獣
二人の推測からも、オレの感覚でも。居残り組は、命に別状はない。ただ、数キロメートル先で愕然としてる。
どんな形にせよ、力を振るったようには感じられない。祈祷師のあの自信は何だったんだ?
隊長の奥の手は、覚醒の実だったらしい。影から伝わってくるイメージは鯨。村での話が、不完全な形で伝わった可能性は十分にある。
力強くなっていく鼓動、呼吸、意志。のんびりしていられない状況だ。
「ブルーノ。オレの気配を追えるか?」
「はい。この森が、町ほどの広さであるなら、十分に可能です」
「よし」
駆け出して数歩で、斜めに生えた木の幹を駆け上がり、枝から枝へ飛ぶスタイルに移行。ネジェムが少し遅れて、同様に。地を駆けるブルーノは、人としては速い部類だ。
でも、急ぐ必要なかったな。向こうもこちらに気付いたらしく、猛スピードで近付いてくる。
「来るぞ」
大振りの枝の上で停止。大声で知らせるも、後続は止まることなく。むしろ足を速める。
「さっきまで、前の皮子くらいだったよな」
襟元から飛び出した仮足が。芽吹いたばかりの葉っぱを次々叩き落とす。昔、遅かったとか、失言でした。
眼下に広がる影。落葉の影が呑まれる。粒子状になった新緑が消えた。
「リュウイチ様」
恐怖に囚われた声。はっきり聞こえる距離まで来ていたが、そこで動けなくなっている。ネジェムは斜め後ろの、さらに後ろの木の上。
「コレよ」
オレには見えないが、想像は付く。毛皮の障壁。
巨大な影が、数枚の葉っぱの分だけ拡大する。そのための一時停止。
ずっと遠くからでも聞こえてた。猫が親を呼ぶ声。そうか、狐ってそういう風に鳴くのか。
地面に降り立つついでに、その影を自分の影に仕舞う。夥しい数の生き物の形。合間を枝葉や木の実の影が埋めている。プラモデルのゲートみたいな繋がり方だ。すぐ切り離される。オレが仕舞えたのは、熊と狼だったもの。細かなものが幾つか。前に踏み出し、もう二つ取り込んだところで、影が逃げる。自分の影を伸ばして取ろうとしたが失敗。本体は動かず、数十メートル先で、こちらの隙を窺ってる。
圧力が消えたとみえて。ブルーノとネジェムが、警戒しつつも側に駆けてくる。
「御無事ですか?」
「ああ。そっちこそ」
いくら探求心があっても、顔が白くなって当然の事態。
「巨獣の中から現れるとは、どういった理屈であるのか」
ネジェムにペタペタ触られた。ブルーノは地面に座して、足に縋り付かんばかり。それは、やめて。心配なのはわかるが、反射的に蹴倒しそう。
「いまは、どこに見える?」
二人の注意は遥か上に向く。よく逃げ出さないな。
「まずは深呼吸をして。ブルーノは視覚よりも、気配の方に集中してみてくれ。主に地面だ」
「はい」
素直に目を瞑って、辺りを探る。
「ネジェムは、周囲の木を見てくれ。間隔はそう広くない。巨獣はどうやって、その間を移動しているんだろう。この大木より足が長いにしても、休む時はどうする?」
二人共、頭でっかちだから、この説明で十分なはずだ。
「なんと、実体がないのであるか?」
ネジェムは目を細めて、森を透かし見ている。相変わらず、巨大な獣として目に映ってはいるらしい。
妙な研究の果てに、生み出したものじゃないかとか。本気で疑っていたんだが。驚き、恐れてさえいる感情に嘘はない。興味津々、ちょっぴり楽しんでいるのも、ネジェムらしい。
「理解をすると、透けるような感じであるな。気を抜くと、わかっていても騙されそうである」
「わかりました。私たちの頭が、勝手に像を補完しているのですね。巨大なのは影のみ。本体は、あちらです」
ブルーノが指し示す先。毛皮は黄金色に輝いているが。サイズはあくまで普通の狐だ。
「黄狐であったか」
大きすぎて全体が見えないってのは、本当だったらしい。ニャーニャー鳴いた後、右へ左へ軽やかに飛び跳ね、着地。
「なんぞ、食したいらしいが」
自分が狙われてるって自覚がない。
この狐。影のお化けみたいになってるが。本当に食いたいのは別のもの。ネジェムはその塊みたいなものだし。オレ達の衣服もそうだ。ただ、オレの支配力の方が強い。
「来るぞ」
避難させてた影を一気にこちらに寄せてくる。ブルーノが咄嗟に突き出した錫杖が崩れ去った。正確に言うと、杖部だけ。
「わるい、ブルーノ。うっかりしてた」
「とんでもございません。十分に守っていただいております」
「コレの用意せし衣服でなければ、我らも素っ裸になっていたのであるな」
なっても全然、気にしなさそうだけどな。
こちらも負けじと、触れた影はすべて取ったが。一面、花弁か。表層にあるのは飢え。食えるのが有機物の死骸。その影、限定と見た。影に触れ、影を取り込み。間違いなく力にしているが。どう考えても、腹に溜まらない。
寝惚けていれば、遠かった感覚。びりびりと脳を掻き回す影を、幾つ取り込んだのか。目覚めたから、何が変わるわけでもない。むしろ認識できるだけしんどい。
「ずっと一人で、腹減らしてる。他人事とは思えないな」
腹ぺこの獣は、影を後方に回しつつ。諦めた様子はない。平たいから圧迫感はないが。その上に実体を想像すれば、巨大鯨が可愛く思える。
「それは、我も痛いほどわかるが」
ああ、大先輩がいたね。
「それこそが生き物の本質である。情をかけて放っておいては、かえって不憫」
予備動作もなくダッシュして、本体に飛び掛かる。ネジェムの影を得る方法に思い至ったのか。ひらりとかわした、向こうもやる気になっている。格闘技など存在しない。本能に突き動かされた雌二匹の競演。
雄二匹は、呆気にとられていたが。やれることをやることにする。体格差もあって、いまのところネジェムが有利に見えるが。どちらも食った分だけ、ただの人や狐じゃない。
材料の出場所、何で隠してたんだっけ? ブルーノが見てる前で、影の中をごそごそ。ネジェムから譲り受けた塊を一部、取り出しつつ錫杖に成形。刃物じゃないからか。思いの外よくできた。しっかり重みがあるし、おかしな撓み方もしない。杖頭が龍って、何かで見たまんまだが。
「長さはどうだ? いくらでも調節きくけど」
もう、オレのやらかすことでは動じない。
「丁度良いです。有難くお借りします」
身長プラス、拳一個分ってとこか。恭しく受け取ったブルーノが、軽々と振り回す。音もなく迫ってきた影の継ぎ目を、石突で見事に断ち切る。オレは、慌てて影を伸ばして回収。放って置くと、数秒で元に戻りそうだ。
「すごいな。よく、あんな小さな所に当たる」
「お恥ずかしながら、修行が足りず。何となく相手の弱点がわかる程度なのです」
「いや、十分だ。続けてくれ」
どんなに繋ぎ目が少なくても、所有者は向こう。伸ばした影では力負けする。直に踏むか、触るか。それまでの間、押さえていてくれたら助かる、くらいに思っていたが。ブルーノは影の動きを読んで、大胆に切り取る。オレは、離れた所から回収するだけ。
元が巨大だから、なかなか終わりは見えないが。一人で、ちまちま影踏みするのに比べればな。
木々が、時に足場になり、盾や隠れ場所にもなる。
狐さんは、ネジェムと戯れながら、影も動かす。命懸けなのに、何でそんなに楽しそう?
一人じゃないから? 皮子に教えられて、ほろりとする。
ネジェムが本体の注意を引き。ブルーノが影を切り離すほどに、狐は老いていく。明らかに毛艶がわるくなり、気付けば白狐。動きも鈍くなっている。
呼吸も荒く、ちょっと崩れたスフィンクス座り。ネジェムもさすがに息を切らしている。どっちも、おばあちゃんなんだよな。ブルーノは、まだ余裕がありそう。
「やっぱり、鍛えてるだけあるよな」
「リュウイチ様の御力に寄るものです。相手の真の姿が見えず、武器も衣服も奪われた状態ではさすがに。それを避けながらとなると、戦い方も変わってきますし」
保安隊に同情すること頻りらしい。
弱っていく動物に対しては、憐みも感じているが。何を優先すべきか。確固とした意志を感じる。
白髪の狐が切なそうに鳴く。
「森を空にしても満たされぬ。其方に、なんぞ食せる物があろうか」
空腹のあまり、それを食べるしかないって状況も。食べ続ければどうなるかも。ネジェムとオレは、身をもって知ってる。違いは、寿命があるかないか。運よく、別の選択肢が生まれたか。白狐の足元には本来の影だけ。これまでの体と生命を支えていたものは、もうない。
「そうであるな。それしかなかろう。だが、それ以上食せば、老いはさらに進み、寿命を迎えることになる。よいのか?」
大いに通じ合うものがあったらしい。ネジェムが涙目で振り返る。
「コレよ。我から出た、あの黒きものをこやつに少々、分けてやってはくれまいか?」
「いいよ」
思うだけで、足元に黒いボール状のものがごろごろ。さすがに味は付けられないが、ゴムでは気の毒。食感は卵の殻に戻せたと思う。
狐は、警戒することなく寄って来て、二個半食った。ちっとも旨くないはずなのに、満足そう。地面に腹這いになって、目を閉じる。あっけない。
「生き物は、死すれば終わりである。わかってはいるが、なんぞ切ない。もう、こやつは同士のようなもの故。せめて毛皮を形見に貰い受けようと思うが。その前に、ソレよ。経文の一つも上げてやってたも」
無神論者のお願いに。ブルーノは軽く目を見張っただけで、静かにお経を上げ始める。オレも自然に手を合わせていた。何か、寄って集って苛めたようで。大抵はこっちの都合なんだよな。本当に、ごめんなさい。成仏してください。
ふと、視野が明るくなる。
「え?」
白狐の体を構成するものを、繋ぎ止めてた部分。黒い粒子が、昇るように消える瞬間を見た。しゅん、って音も聞こえたような。
「おお、神よ」
「な、何を致すか、コレよ」
歓喜と抗議の声が響くより早く。残された半透明の皮に、皮子が襲い掛かる。
「アレまで。山に登る際の装備にしようと思おたものを。ひどいではないか」
いや、あんたの方がひどいと思う。
存在のしっかりしたものが、五枚はあったかな。その他は早くも地面に溶け込んでいる。
すごい? 一枚で、十枚分? よ、よかったね。
皮子の感情に同調しつつ、いまいち実感が湧かない。
「ほんとに、オレのせいか?」
「他に誰が居ろうか」
「ブルーノも祈ってたじゃないか」
「私はただ、残された者の心を静めるのみ。古の故人をお送りくださったのも、リュウイチ様であったのだと。いま、遅ればせながら理解しました」
あ、なるほど。あの時は石棺に隠れていたが。これと同じことが起こってたのか。他にも何か、些細なことだと思うんだが。頭の隅でもやもやしてる。
「このような力を振るえる御方は、他におりません。皮子さんの気配が清浄な理由がわかろうというものです」
すでに同化しているのを感じ取って、言うことはそれだけか。変に博愛主義を気取らないのは、好感が持てるが。
「宗教家として、思うところはないのか?」
「生命は巡ると習いました」
続きを待ったが。え、以上?
それどころではなかったらしい。ブルーノは、込み上げてくる何かと戦うように全身を震わせる。日頃の冷静さをかなぐり捨てて、空に向かって叫んだ。後、こちらに向けて五体投地。
「神は偉大なり」
その一言で、オールオッケーか。変な方向に突っ走らなければ、幸せかもしれん。
「実の所。ソレは随分大げさであると思おていたが」
うん、うん。
「我は、気配など感じられぬ故。ただ、後光が差しているように見える」
がっ。何だ、それは? 自分の腕を上げても、そんなものは見えず。下を見ると、うわっ。めちゃくちゃ影が濃い。いま広げてあれこれするには時間が足りない。今夜は徹夜だぁ。
「ミャー」
こっちのごたごた、そっち退けで。皮子は、狐型になっていた。おおっ。
「完璧だな、可愛いな」
いままでのつるつるぽよんとは違う。ふっさふさのもっこもこだ。家猫には及ばないなんて、思っていたが。中身が皮子となれば、話は別だ。
感動の再会って場面に、割り込んだ者がいる。金色の毛皮を堪能するのは、しばらくお預け。
「アレよ、その毛皮を我に」
飛び掛かったネジェムが、あっという間に真空パックされてた。
勝手はせぬよう、ころさぬよう? なかなか加減が難しいのだと、得意気な皮子。あ、少し厚くなってる。頃よいところで解放。再び狐に。やっぱり可愛い。オレは、遠慮なく抱っこ。次いで、なでなでさせてもらう。
「我は宇宙の真理を見た」
いや、それ死にかけただけだから。
「お陰で思い出したのである」
「へぇ、何を?」
「どうも我は、この世の穴を詰まらせてしまったようであるな」
さっぱり訳がわからないが。
「この森に対する、妙な忌避感はそのためであったか」
一人で納得。世界規模で、大変なことを仕出かしていてもおかしくないんだ。この人は。




