避難
「出くわしたな」
蒼白だったブルーノの顔に血の色が戻る。使命感ってやつだろう。
「町長へは、私から報告した方がよろしいですか?」
「ああ、頼む」
先頭に立ちたくないオレの気質も、すでに飲み込んでる。やんごとない身分だからって思い込みは、これから少しずつ解けていく予定。相手の気配を探し、足早に向かう。その言動は理性的だ。
「保安隊が、巨獣と遭遇したようです」
側にいた見張りが、過剰反応。
「出たぞ! 逃げろ」
声が届く範囲から、間髪を入れず伝聞も飛んで。三十数名が森の外を目指す。
「皆、落ち着いて」
町長の声が、空しく彼らを追いかける。
「我々も、行くのである」
さすがにネジェムは動じない。しっかり荷物を持って、逆流してきた。ちょっと感動。したのも束の間。
「一旦これらを置きに、森の外に出る余裕はあるであろう? 我先に巨獣を見んとする、皆の気持ちはわかるが。何があるかわからぬ故」
いや、逃げろって言ってたし、方向逆だし。ゴボウは確かに大事だが。
「行こう。こっちだ」
よほど慌てて逃げたんだな。せっかく集めたものだが。どうにかできるのは、たまたま目に付いたものだけ。人の場合は、遠回りしてでも連れて行く。結果的に、背負い籠を二つ、ブルーノが肩に掛け。オレは、足を挫いた女を背負うことになった。耳元で震える声。
「すみません」
ほどよい弾力がずっと背中に当たってる。吊り橋を渡ることを考えると、どうしてもこの体勢に。
「ありがとう」
いえ、こちらこそ。一抱えほどある石に彼女を座らせて、ほっと一息。重くなんてなかったが、オレ特有の事情がね。
「だ、大丈夫か?」
先に逃げてた、旦那さん? 片足を踏ん張れないにもかかわらず、見事な右ストレートが炸裂。
「何、あたしを置いて逃げてんのよ」
後のことは知らない。
土手の上から、向こう岸を心配そうに見守る人たち。町長が全員の間を回る。
「よかった、皆いるね。でも一応、確認しよう。自分の周りを見回して。いない人はいないね?」
いい返事をすることで、平常心が戻りかけた時。
「ぎゃーっ」
川の向こうとこっち、両方で悲鳴が上がる。そりゃそうだ。全裸の男達が、叫びながら森から駆け出してくる。吊り橋、重量オーバーにならなくてよかったな。
女達はさっと、顔を手で覆ったが。指の隙間があいている。微妙に視野をぼかす男達。
「隊長と祈祷師様が」
引き攣った顔で、隊員の一人が訴える。一般人にそんなこと言われても、って話だが。上着を脱いで渡す町民達。最低限のやさしさを示した後は、保安隊をぐるりと囲って、事情聴取だ。
「誰か二人、見張りに立っときなさいよ。もしもの時は、橋を落とさなきゃ」
「そ、そうだな」
声は上擦ってるが、素人の方がまともに行動できている。
「この中で一番身分の高い者は誰だい?」
さすが町長、いつもと口調が変わらない。
「私が副隊長であります」
「状況を教えてもらいたい」
「そ、それは」
職務上の機密だとか、作戦中だとか。建前に被せるように、殺気立った野次が飛ぶ。未知との遭遇で、すでに心のガードは下がっていたようだ。
「我々は、森の中心に向かう途中で、巨獣の接近を確認」
他の隊員たちも、口々に恐怖を吐き出す。
「でかいなんてもんじゃない」「金色の毛皮の壁だ」
「突撃したものの、手応えはなく」
「装備が消えた」「服も消えた」
わからないということが、いちばん怖かったらしい。
「隊長は、我々に後方に下がるようにと」
命令違反じゃないと言いたいのか。下がり過ぎな気がしないでもないが。
「他には何も?」
「祈祷師様は、町にもう一人、祈祷師がいるから呼ぶようにと」
「隊長は、奥の手があるから、応援はいらないと」
いろいろ混乱してたことはわかる。
「こんなの、どうすりゃいいんだ」
町民の一人が、皆の思いを代弁する。
「巨獣は、森から出ないんだろ?」「そんなの、わかるもんか」
認識を共有する作業。けして効率的とは言えないが、次第に集約されていく意見。
曰く。ただ大きいってだけで、どんな力があるか考えてもみなかった。ただ、森の現状を見て、本能的に危険なものだと思っていた。今回、自分たちがやったことではないが、それを攻撃したことになる。反撃されてもおかしくない。怖い。
「逃げよう」「どこへ?」
「我々は、応援を呼びに」
「どれだけ時間が掛かるのよ」「そうだ。だいたい数増やしたからって、どうにかなるもんなのか?」
眉間に皺を寄せて唸ってた町長が、目を開ける。
「街に避難しよう。悪しきものは街門を通れない。街の衛兵を呼ぶこともできる」
「ま、待て。それは管轄が」
「いや、距離を考えても、効果を考えても、これがいちばん現実的だ。皆、身の回りの最低限のものを持って、すぐ出発するんだ。僕は、残る」
「そんな、町長さん」
「様子を見て、巨獣が森を出るようなら、橋を落とす。そしたら、すぐ逃げる。他にできることは何もないから」
町民は皆、肯き合ってる。
「応援を呼びに行くあなた方は。道々、他の町にも知らせてくれるだろう」
「も、もちろんだ」
囲みを解いた町民達が、ブルーノの側に集まってくる。
「ブルーノさん。あなたは正直な人だ。自分は、巨獣を退けることなんてできないって言ってたけど」
「祈祷師様、怖いです」
「どうか街に入るまでの間だけでも、神の加護をいただきたい」
この状況を何とかしてくれ、とは言わないんだな。そこまで大事じゃないとは思うが。わからないことの方が多いし。最悪の事態を想定して動いた方がいいに決まってる。
オレ達に、そんな義務はないが。どうせ行くんだから、いま行ってもいいわけだ。
「んじゃあ、行くか」
小声で言うだけで、ブルーノは察する。完全に皆の視線は、ブルーノに集まってるし。
「私共は、森へ行きます。非力な人の身ではありますが、大丈夫です。私達には神が付いています。心を落ち着け、自分と自分の大切な人のために祈ってください。そして、行動してください。さあ、皆さん。何も恐れることはありません。神は、私達と共に」
一瞬、足を踏もうか迷ったが。きらっきらの瞳は、周囲に向いている。ブルーノが信じて疑わないから、皆が落ち着く。
「もしもの時は、私共を待たず、橋を落としてくださいますよう」
「ああ、すまない。よろしくお願いする」
町長の痛みを堪えるような表情。ブルーノの高らかな声に合わせて、祈り始めた人たち。保安隊は、上着が腰布代わりの締まらない格好で、隊列を組む。敬礼された。
よくよく観察すれば、わかることがある。裸なのに、貴金属は身に着けたまま。柄まで金属の剣は無事。空手なのは、槍を持ってた連中だろう。弓も見当たらない。
揺れる吊り橋。さな木の合間から川面が見える。前世だったら、遠慮したい光景だ。
「我は、この森で何をしたのか? むう」
あの騒ぎの中でも、ずっと頭を捻ってたんだ。相当なことをやらかしたに違いないが。
「巨獣とは、死した生き物を食すのであろうか、もごもご」
「木や布、革を加工したものも含まれるということですか?」
少しばかり、物忘れが激しかろうと、表情が硬かろうと。どちらもやはり学者。なかなかいい線、行ってるんじゃないか?




