山へ行こう
明け方。さすがに雨は止んだが、肌寒かった。どうやら四季があるらしく。いまは春先。
多少、ぎくしゃくするかと思ったが。ブルーノは感情を隠せるし。ネジェムは元来、気を遣うような女じゃない。
水汲みを終え、ストーブに火を入れてるところに起きてきて。
「ずっと考えていたのであるが」
「ちゃんと寝ろよ」
「寝てもいたが、考えてもいたのだ」
言っても無駄か。
「思い返してみるに。雲がある時に、雨が降るのは確かである。これには我も気付いていたようだ。負け惜しみではなく」
「まあ、そうだろうな」
「しかし、この二つがどう繋がるのか。我が世話になった店の前で、おかしな話を聞いた」
「面白くなかったか?」
「我は、実を材にした話を好む故」
元祖お話おばさんは、やはりネジェムだった。
「とはいえ、作り物であろうと、まったく得るものがないわけではない。龍と言ったか。あの形では、如何にも重い。あれの鱗ほどの生き物が、雲の上で水を吐くのであれば。理に適う」
ネジェムが言うには、スポットフィッシュ。特徴からすると、鉄砲魚だな。それがたくさん雲に乗ってる様を想像する。きもかわいい。理系人間って、意外にロマンチスト。フィクションの影響、思いっきり受けてるし。
「その顔を見るに、違うのだな。笑いたい時は、笑うとよい。しかし、その後。コレよ。雲と雨の関係について教える約束である」
そこは忘れてよかったのに。詳しい説明。無理だな。
「オレが知ってるのは、上の世界の常識だから。ネジェムの説の方が、正しいかもしれないぞ?」
実際、こっちの魚は陸に揚げても窒息しない。放っておくと、脱水症状おこすから。早々に締めて食べるか、加工するんだが。
「それは、きちんと自身で検証する故。安心して、コレの常識とやらを教えるとよい」
「わかった。じゃあ、まずは、おはようさん。これから、雲と雨に関する実験をはじめます」
穴あき寸前の鍋、上手の取れた土瓶、変形した金盥。それぞれに水を入れ、ストーブに乗せる。
「この鍋つかみを嵌めて、これを持って。この辺か」
金属製の盆を掲げさせて、放置。
「ある物で実験とは、なかなか。何が起こるか、楽しみである」
湯が沸くまで三十分弱。火の側で熱いだろうに、知るためとなると、辛抱強い。
「ふむ。湯気がなんぞ? もしや、これが集まったものが雲であるのか。とすると、盆を伝って垂れてくるのが雨であるな」
さっきのメルヘン思考が嘘みたいな理解力。夜に考え事しない方がいいってほんとだな。
材料を刻んでは、鍋に投入していたブルーノも、感心しきり。
「なるほど。万物は流転すると聞きましたが。なぜ、このように姿を変えるのでしょう」
「まだである。いま、考える故。答えは、待ってたも」
「どうぞ、ごゆっくり」
オレはオレで忙しい。鍋は別として。湯が沸く端から、大盥に移し。空いた容器に水を入れて、再び加熱。
合間に、皮子の相手。この二人の前で、隠れる必要はない。好きにしてていいんだが。何だ、それ? 四つ足の、ぬめっとした。あっ、猫か。不器用に、とってとってと歩いてきて。足元に、どてんとひっくり返る。
「カ、カワイイ。カワイイ」
肌色のぽよんとした腹、次いで顎と思しき場所を撫でる。無理に音、出さなくていいぞ。おなか下ってそうな。うん、カワイイって。
なんで、こんな暴挙に出たのか。心当たりはある。誘引の気を気にする必要がなくなって。オレは、香り猫を撫でくり回した。それまで素手で触れるのは、風呂上り限定。皮子は何も言わなかったが。
「本当に、可愛いな」
彼女のことだ。放っておいても、リアルを追求する。人を形作った時は、怖いくらいだった。これだけ下手、いやいや。独創的ってことは。かつて獣だった可能性はゼロ。
遊んでるうちに、いい匂いがしてきた。
目ぼしい家財道具は、運び出されているが。野宿するより断然いい。縁の欠けた深皿に、スープが配られる頃。ネジェムは、ひどく落ち込んでいた。答えが出なかったからじゃない。
「雲には乗れないのだな」
わかる、その失望感。
「夢を壊してわるいな」
「いやなに。真実を知る方が大事である。それなりに考えた故。答え合わせといこうではないか」
立ち直りが早くて助かる。
「水を熱すると、見えぬ何かが立ち昇る。熱源からわずかに離れると、白く見え。それ以上離れると水になる。つまり、見えぬ何かも水である。重要なのは温度であるな。しかし、わからぬ。空に昇った湯気の塊が、なぜ冷えるのか。日の光で熱せられるのであろうから、夜になるまで元に戻らぬはずである」
「理由はわかりませんが。山頂は涼しいと聞いたことがありますよ」
個人的に祈りを終えたブルーノが、口を開く。
「そ、そうであった! 水が凍った、雪なるものが降るのであったな。ふむ。あの時、ドレの奴は。雪を持ち帰ったのか、帰らなかったのか」
ドレって誰? きっと、ネジェムにもわからない。
「これは、早急に山へ行かねばなるまい」
「いや。オレは、一週間はここに居ようと思う」
「リュウイチ様がそうおっしゃるのであれば」
「む。なんぞ訳でもあるのか?」
のほほんとしてたい気分、ってだけじゃ納得しないよな。
「一つ、どこにでも学ぶべきものがある。当然、ここにも。二つ、商会の出資を受けて旅をしてるから。行く先々で、商売の種を探す必要がある。三つ、ネジェムは慣れる必要がある。昔のことを無理に思い出す必要はないが、体力がどれくらいあるか、どれだけの負荷に耐えられるのか。把握していた方がいいだろう。特に、雪が積もるような場所を目指すなら。いろいろ準備も必要だ」
「道理である。あい、わかった。いずれ山へ行くことを目標に、いまは思い出せるだけ思い出し。ここで学べるだけ学び。体を動かすことを心掛けよう。商売のことは、わからぬし興味がない」
「そちらは、私が協力いたします。ただ、リュウイチ様。先の事とは存じますが。いずれ準備をする上で、いま知っておくべきことがあれば」
「ああ、そうだな。オレも、そんなに詳しいわけじゃないから。まずは、経験者を探して、話を聞くか。先導してもらうのがいちばんいい。ブルーノも言っていた通り。山は、上へ行けば行くほど涼しくなる。雪が積もるほどなら、当然、寒い。軽くて嵩張らない防寒着とか。地図とか、コンパスとか」
二人揃って、はてな顔。
「毛皮ではいけませんか?」
「それについては、実物を見てから考えよう」
オレ、フェイクしか持ってなかったし。
「地図とは? コンパスとは、なんぞ?」
竹簡、薄板、どっちも使いきったか。本当に勉強熱心だな。削って再利用するか、新たに作るか。まずはテーブルに、水を付けた指で。これまでの経路や、磁石の簡単な構造を描く。
「いままで考えなかったのが不思議なくらいです。旅する上でも、道順や、地形、水場をはじめ、店や宿の情報というのは重要です。まずは、町長に当たってみます。その都度探してみますが。なければ作ってみようと思うのですが」
「ああ。頼む。地形の探査なんかでは協力できると思うが。責任者はブルーノってことでいいか?」
「はい、お任せください」
「引き合う石とは不思議であるな。このような感じであろうか?」
ネジェムは、自分の服から伸びるベルトを。オレに近付けたり離したり。感覚的には、いい線行ってる。
「それが、金属に移るとは。人にも移せれば、もごもご。実験のためにも、ぜひ、実物を手に入れたい」
「サメ除けの石が、そうだと思うんだが」
「それでしたら、大きな商会に問い合わせるか。鉱石の町でしたら、確実に手に入るかと」
先の予定が埋まってく。せかせかは、もうオレの人生なのか?
どの道、この階層に山はないようなので。先の話だ、先の。いまは、薪が燃え尽きる前に、沸かせるだけ湯を沸かそう。それから、ノートの追加生産をしてだな。
これまでは、ネジェムが手洗いに立つ度に。背中のベルトを緩めたり、締めたり。本人は、人に世話されることに慣れていて、恥じらいなんかない。それじゃ全然そそられない。男心は複雑なのです。
オレの造形では、ジッパーの再現は無理だった。ベルトや、ボタンがせいぜい。ファッションセンス皆無だから。できるだけ、相手の要望に応える。
黒いゴムボールを積んで置き。もとは、ネジェムの物だと説明する。影から出し入れするところは、まだ見せていない。
かつて着ていた、民族衣装を希望するかと思いきや。
「本当に、これでいいのか?」
「どこも締め付けられず楽であるし、自然に分け入り、時に汚物にも触れる我の活動に向いている。これ以外の衣服を身に着ける理由がない」
鼠男状態の、オレが反論する理由もない。
「襟と袖は、どうせそうなるのであるから、黒にしてたも。足元の折り返しと、ボタンもそうであれば、バランスがよいな」
ここまでこだわっておきながら、足元は黒いゴム長を選ぶとか。ある意味、完璧なコーディネートだ。
「他の部分は、前のベルトの色がよい。もっと鮮やかであると、なおよい」
花の色に見るのがせいぜい。ショッキングピンク着てるやつは見たことがない。ついでに言えば、ツナギも。これは、周りのための警告色だな。
衝立の向こうで着替えたネジェム。
「どうであるか?」
「可愛い。よく似合ってる」
嘘を言う必要もない。
「そうであろう」
ご機嫌でくるくる回る。皮子も四つ足で駆ける。やめて、見てるだけで目が回る。
「頭はどうする?」
「なるほど。そちらも被り物で、面倒が減るのだな。コレよ、この衣装には、どんな形状のものを合わせるべきか。鬘は、もう嫌なのだが」
オレが思い付くのは、キャップだな。残っていた材料で、形作って見せると。ネジェムは飛び跳ねた。
「よきかな。羽根、いや、つばと言ったか。それと、内側を黒にしてたも」
フィールドワークもこなす、オシャレ研究者のできあがり。
脱ぎ捨てられた拘束衣は、内側が黒くコーティングされてた。とりあえず、衝立の陰で、自分の影に仕舞う。
「これじゃ、着心地悪かっただろう?」
「よくわからぬ。何を着ようと、直接、肌に触れるのは初めだけ故」
「そうか。これからは毎日、着替えられるようにしよう」
「ありがたいが。コレは、きれい好きすぎるのではないか」
自分だって喜んでただろ、盥風呂。公衆浴場もあるらしいが。週に二回、朝だけの営業。この際、蒸し風呂だっていい。明日は絶対に行こう。
残った脱殻は、纏めると、皮子くらいある。ふつうなら重く感じるはずだが。いまのネジェムは若返ってるし、動物の能力全開で、負担ではないようだ。
「ネジェム。試しにこれを握って。さっき見せたみたいな、黒い玉にしてみてくれ」
本人に操らせようとしたが。顔を真っ赤にして頑張っても無理だった。
「おかしいな」
どう考えても、あの量が、この体に納まるはずがない。ネジェムも影に収納してるはずだ。
「こんなものを産出する我も稀だが。それを変化させられるコレは、もっと貴重であるな」
そういうものだと思うしかない。ネジェムの排出物を相当に取り込んだせいか。これくらいの加工では疲れなくなった。
「元が何だか、わかったか?」
考えるので答えを言うなと、言われている。
「思い出せそうで、思い出せぬ。もやもやするのである」
拾得物をゴム状にしつつ。ネジェムとの約束を思い出す。
「ゴムの木、探しに行くって言ってたな」
「うむ。行くのである」
むしろ、男村の周辺の方がありそうな気がするが。別に採集したいものもある。
「ただいま戻りました。町長に尋ねてみましたが。残念ながら、地図はありませんでした」
とりあえず一週間分。ブルーノは、家賃を納めに行っていた。
「裏手に牧場があるそうなので。そこに、ルルを放す許可をもらいました。ただ、畑と屋敷林では、日常生活に必要な分の採集、狩猟に止めてほしいそうです」
「商売用に乱獲するのは駄目ってことだな」
「おっしゃる通りです。牧場の先の森であれば、その限りではないそうですが。巨獣が出るとの噂があり、お勧めはしないとのことです」
「わかった。ありがとう」
「リュウイチ様。こちらが残金になります。ご確認ください」
ブルーノは返そうとするが。硬貨、重いんだよな。馬車に置きっ放しにしてた、オレが言うのも何だけど。
皮子に追いかけられてた、ネジェムも交えて、話し合うことにした。
「この中で、いちばん几帳面なのは誰だと思う?」
「ソレであるな」
ブルーノ自身は、自分だとも言えず苦慮している様子。他に上げる名前がないからな。
「金はなくても生きていけるが。必要な時にないのは困る。支出と収入を把握し、金を保管するのは重要な役目だ」
責任感の強い奴だ。お役目と言えば断れまい。どんどん役職が増えるな。
「はい」
「それぞれ幾らか小遣いをもらう形で。大金が必要な場合は皆で話し合う。そんな感じで、とりあえずやってみようと思うが、ネジェムどうだ?」
「あんな重いものは邪魔である故。異論はない」
考えてることがネジェムと同じだなんて、ちょっとショック。
「リュウイチ様、一つ問題が」
「なんだ?」
「私は計算が得意ではなく」
「え?」
只々、申し訳なさそうなブルーノ。
「土地、屋敷を扱うわけでもなかろうに」
「え?」
ネジェムを見ると、不思議そうに首を傾げてる。試しに問題を出すと、八桁の加減を暗算でしてのけた。その過程は本人にもわからないらしい。
「勝手に、数字が頭に浮かぶのである」
「へぇ。それはすごい」
生徒は大変だったろうな。できる奴は、周りもできて当然と思うから。
「ばけも、いや天才は放っておいて。現実的な方法を考えよう」
ブルーノは二桁の足し算、引き算がやっとだった。しかも、すぐに指折り数えたがる。大抵は千の位と百の位の計算ですむから、日常生活に支障はないが。意外だ。ネジェムがフォローするのも珍しい。
「ソレよ。気にする必要はない。思い返してみれば、我の生徒たちも。そうであった、ような気がする」
それで巨大な水車や、家つくってる方がすごいわ。某村のまとめ役とか、商会の会頭は、ネジェム寄りか。まあ、一から数字を覚えるのに比べればな。
「そこまでわかってれば話は早い」
筆算を教えると、ブルーノは直ぐに理解した。ほんと、こっちの連中はポテンシャルが高い。基礎さえ教えれば、勝手に進化していく。
「ありがとうございます。これならば、勤めを果たせそうです」
よかった。面倒事、引き受けてくれて。
「めでたしである。では、ボムの木とやらを」
「ゴムな」
爆発しそうな木を探す気はない。筆記用具を片付けながら、ブルーノが微笑む。目処が立って、ほっとしたって感じだ。
「リュウイチ様。筆算の流れは、先日教えていただいた、溝そろばんと似ていますね」
「そうだな。オレは詳しくないが、あれで掛け算や割り算もできるらしいぞ」
「コレよ。そろばんなる物もそうであるが。掛け算、割り算とはなんぞ?」
「え?」
ブルーノにも、じっと期待の眼差しを向けられてる。ぐっ。面倒がるな、オレ。将来の面倒をなくすために、いま面倒を。
どう教わったっけ? 九九の暗記からでいいのか? 片付けたばかりの竹簡を広げ、掛け算九九を書き連ねる。
「いん一が一、いん二が二」
指差し読み上げながら、いん、って何だっけ? と考える始末。碁石大にまとまった皮子の部下に協力してもらいながら。一の位をやっつける。
「むぅ。これを覚えてしまえば、確かに後が早かろう」
「少々苦労しそうですが。私も、そのように思いますので。頑張ります」
むしろ皮子の理解が早く。ぽんぽん、部下を並べ替えていくのが、目にも楽しい。
「皮子さん。申し訳ありませんが。もう一度、はじめからお願いします」
いいよ! と気軽にブルーノの依頼に応えつつ。三度繰り返して、本日のお勉強クリア。ほっとした。いや。後半、オレは何もしてないが。
「して、割り算であるが」
わー。まだ、続くのか。ちょっと、オレ自身。割り算の筆算あやしいんだが。こ、こうだったはず。たぶん。
「ふむ。なるほど。これは掛け算と引き算を先に覚えねば、できぬのだな」
「そうですね。うーん」
ブルーノが頭ぐらぐらさせながら、挑んでる。気持ちわかるわ。社会人になってから、電卓機能に頼りっぱなし。義務教育はすごかった。




