農村の町
8
早く開けろとばかりに、ルルが扉の脇で待っていた。どうやら、納屋の一角が馬房になってるらしい。
「皆さん、うっかりしてたわ。鍵! 頭上注意、行くわよ」
垣根のずっと向こうから、さっきの農婦の声がして。空にキラッと光るものが。メジャーリーグの外野手か。
ネジェムがジャンプして、キャッチ。しかけたのを、横から掠め取る。
「あほう、その手で触るな」
「おおっ。我が、これほど動けるとは」
聞いちゃいない。確かに、なかなかの反射神経と運動能力だ。
「行ったー?」
「はーい。確かに受け取りました」
納屋に馬車を引き入れる。干し台はさすがに外だ。作業場らしい、長い軒の下。
「ネジェム。それ置いたら、こっち来い」
「うむ。こうか、こうであるな」
並べ方にも、本人にしかわからない拘りがあるらしい。
マスクを外してやると、やっと。臭い、と言い出した。触れなくても操れるはずだが、こんな些細なことで能力全開も何だ。手袋の裾から慎重に、裏返しながら外す。
「コレよ、このやわらかく伸びる素材は何であるのか」
「ゴムの木の樹液を固めたものだな」
本来は。
「そんな名前の木が、あったであろうか」
「呼び名は違うかもしれない。あとで、探してみよう」
「ぜひぜひ」
井戸まで連れて行き、持参した石鹸でよく手を洗わせる。当然、自分も洗う。
ブルーノが、空の水筒と樽を持ってくる。
「わるいな。ブルーノ」
「いいえ。リュウイチ様こそ、大変でしょう」
確かに。でぇい、せっかく洗った手を服の尻で拭くんじゃない。ひよこ頭を掴んで、ふと気付く。
「ネジェム。首のところ、どうした?」
「なんぞ?」
「何か黒い。煤でも被って、ないよな」
めげない女が見せる、一瞬の表情。すぐに他人事のように笑い飛ばした。
「いかん。すぐに忘れてしまう。だが、コレのおかげでだいぶ楽になった」
拘束衣の袖で、首を拭う。言われてみれば、そこも煤けたように黒い。腕や肩に、やけに顔をこすり付けるな、とは思ってた。
「身動きできなくなった我を見たであろう? はじめ、汗のように細かに肌に浮いてくるのだが」
ふつうに拭いたのでは落ちないらしい。風呂に入っても駄目って、きついな。
「しばらくは斑で見れたものではないのだが。一週間もすると黒い膜のようになる。そこで」
完全に固まる前に脱ぐんだとか。蛇か。
「この機を見るのが、なかなかに難しく。また、壁の凹凸で必ず擦り傷を拵えてしまう。だが」
服の袖をぴんと張って、くるりと回る。
「もう、その心配はない。コレよ、感謝いたす」
拘束衣が好きなんじゃなくて、素材が重要だったんだな。
「着替えは、襟もあった方がいいか」
「そうしてたも。どのような仕組みであるのかも知りたいが」
耳を澄ます仕草。ルルの嘶きに反応したようだ。
「確か、馬の尾で釣りができたはずである」
ネジェムは弾むように、駆け戻っていく。いまのところ、自分の持つ知識の確認を優先してるようだ。フットワークが軽い、っていうより、落ち着きがない。
「おーい、蹴られるなよ」
「動物の扱い方は心得ている故、心配無用」
遠ざかる声。全然信用できない。ルルの我慢に期待。
「リュウイチ様。ネジ先生は、大丈夫なのでしょうか? 何か、気を付けるべきことがあればお教えください」
「うーん? 害の部分はもう出切ってるよな。これ以上悪くはならない、と思う」
「はぁ。害ですか」
「食いすぎると、歳を取る」
「そのようなものがあるのですか?」
オレは、自分の推論を掻い摘んで話す。当然、ブルーノも口にしてるわけだが、覚えてないらしい。まあ、ふつうは赤ん坊の時の話だ。
「確かに、卵は黒く。また、門の中に大量の黒いものが浮遊しておりました」
「ネジェムは上か、帰ってきてからも。相当食ったんじゃないか?」
本人が自覚してるかどうか。夢みたいなもんだって、言うしな。あ、でも誘引の気のことは知ってた。認識してるだけじゃなく、名付けたのがネジェムって可能性も。
「つまり、大量に摂取したものが、少しずつ排出されていると」
「あくまで、想像だが。観察か何かに夢中になって、脱皮するのを忘れたんだろ」
「それで、あの有様ですか」
さすがのブルーノも、呆れ顏だ。
「オレのつくった服を着てれば、心配ないらしい」
「さすがは、リュウイチ様です」
いや。深く突っ込んでこないのは助かるが。その辺、どう折り合い付けてんだ? 面倒なことになりそうで、聞けない。
通り掛かりに腕を伸ばして。地面に落としたままの、手袋だけを回収。後は雨に任せよう。
水はすでに、ブルーノが用意してる。中二階に大量の藁があって、オレはそれを馬房に落とすだけでよかった。ルルと馬車を納屋に残し。コテージに移動したところで、降り出した雨。夕刻になって止むどころか、ますます雨脚が強くなる。そんな中、町長自ら夕飯のお裾分けにきた。
「ありがとうございます」
「いえいえ。妻が張り切っちゃって。とても二人では食べ切れないから」
ピザで言えば、LLサイズを四等分したうちの三切れ。分厚いミートパイだ。スパイシーな香りがたまらん。
「冷めないうちにどうぞ」
農夫姿の、気さくな男だ。コテージにあるものも、納屋にあるものも、好きに使っていいという。
「奥さんも、そう言ってくれたが。こちらの住人はどこへ?」
「ああ、そのこと。五十年くらい、若い夫婦が住んでいたんだけど」
このたび円満離婚して、元夫は夢の旅暮らし。元妻は念願の街暮らしを始めたのだとか。よかった、って言っていいのか? まあ、火サスのテーマ曲が流れてたオレの想像よりはいい。
「長く滞在してもらえるとうれしい。でも皆さん、それぞれ目的もあるだろうから」
町長は、麦藁製の蓑笠かぶって、戻っていった。折り紙ならぬ、折り布に使われてた糊。原料の産地は聞き出してあるが。あれを見たら、期待するよな。
さっそく、かぶり付こうとしてるネジェムの頭を掴む。
「いただきます、くらい言え」
「なんぞ?」
「食前の挨拶だ。食後は、ごちそうさま」
オレ自身、意味がよくわかってないからか。うまく伝わらない。
「ようは感謝だ。どういう形でも構わない。ブルーノに食前のお祈りをしてもらってもいいし」
「神などおらぬというのに」
「いいえ、おります」
普段の穏やかさをかなぐり捨てて、ブルーノが抗弁する。
「どこにおるというのだ」
「此方」
「ストップ! まずは、飯だ。ブルーノ、祈るのか祈らないのか」
「はい。申し訳ありません。僭越ながら、私が先導させていただきます」
お祈り自体はさっと終わった。パイうま。
一口、二口食べて。二人共、気持ちが凪いだらしく。冷静に話し合ってます。ええ、神について。
ネジェムは、科学の子だな。まだ、記憶に穴があるようだが。すべての生き物は、一つの何かから派生した、って言ってる。彼女によれば、門も、この世界を形作る階層も、人工物なのだそうだ。へぇ。
どの時代にも神は出現している。そう主張するブルーノも。決して狂信的ではない。日々の営みを優先したマイルドな解釈。まあ、多宗教のごった煮だし。自分にだけ厳しく、周りは特に困らない。オレ以外。
ああ、視線の圧力が。食ってるだけじゃ、駄目らしい。
「コレは、どのように思うか?」
「リュウイチ様のお考えを。ぜひ、お聞かせください」
自分だけの習慣でいいものを。余計なこと言ったな、オレ。
「えーと。結論から言うと」
「ふむ」
「はい」
そんな期待されても困る。こいつ等、大人だし、学者だし。未就学の子供に、サンタクロースっているの? て、聞かれたら。迷わず、いる、って答えるんだが。
「いると言えばいる。いないと言えばいない」
「どういうことであるか、コレよ」
「大変むずかしく、私には理解が及ばず」
うん、適当に言ってるだけだから。
「大体な。神をどう定義どうするかって話」
あとは、自分たちで考えてくれんかな。
「ふむ。ソレの考える神とは、超常的な存在で、世界を創ったとされるものであろう。この世に起こることは、すべて現象に過ぎぬ。その法則を解き明かしたいとは思っているが。故に、我は神はおらぬと言っている」
「いいえ。私は、考えを改めました。神は確かに、大きな力をお持ちですが。むやみにそれを振るうことはありません。元より、私たちの誕生に関りはなかったのではないでしょうか。どういった経緯で、慈悲を与えてくださることになったのか、わかりませんが。その時々、私たちに、とても近しい形で存在されるのではないかと。啓示を与えられるのは、極稀で。概ね、ただ見守ってくださいます。厳しくもあり、また、それが優しさにつながる御方です」
ものは言いようだな。そのまま一宗教立てられそうで、背筋がぞくぞくする。
「まるで、見てきたように言うではないか」
「はい。いまも、目のま」
げふげふ。
「つまりだな。信仰心は、誰もが持ってるわけだ。ネジェムにとっては、科学が神と言えば、言えるだろうし」
「む。また、我の知らぬ言葉を。コレよ。科学とは、なんぞ?」
「う、うーん。あらゆる事象に名前を与え、数値化し、掌握しようとする学問」
たぶん。
「まさに、我のしていることである。それを、神とするのか?」
いないと言う割に詳しいよな。否定するために勉強したわけでもないだろう。何千年も、ずーっと同じ考えって方がおかしい。
「ネジェムの育った国だって、たくさんの神を信仰してたはずだ」
「うむ。コレは、よく知っておるな」
「そうなのですか?」
「大抵は、自然を信仰することから始まったんじゃないか?」
「そうであるな。太陽の温かさ、風の力や、水の必要性、大地から植物が生まれ出るのを目の当たりにして。そこに神秘を感じるのは、わからぬでもない」
「はい。生きる上で、絶対に必要なのですから、神と言えば言えそうです」
「それぞれの心の中に、いろいろな姿をした神がいる。話し合うのはいいが、否定はしない方がいいぞ」
碌なことにならんから。
「あい、わかった。それを踏まえて、とことん議論しようではないか」
「望むところです。神の偉大さについてならば、一晩中でも語れます」
何やる気になってんだ。止めなきゃとは思うんだが。面倒くさい。ほんと、勉強好きだな、この二人。オレは、もう寝よう。
白熱するテーブルから、そうっとフェードアウトして。ストーブ脇のベンチで就寝。火は入ってないし、必要な気候でもないが。気分的にあったかい。
ふっと、目が覚める。毛布掛けてくれたのは、ブルーノだな。ラグに転がってる、毛布の塊がそうだろう。奥の寝室にはダブルベッドがあったが。当然、ネジェムに譲ったはずだ。
にもかかわらず、傍らでごそごそしてるやつ。夜這いなら。困るが、ちょっと嬉しかったかも。中身はあれでも、むちむちの美女だ。
その美女さんは。人の瞼を開いて、眼球をチェック。起きる心配とか一切なしか。ついで、鼻を摘まんでくるのは? ああ、口を開かせようとしてるのか。こっちの連中って、必要もないのに、やけに上の世界を模倣したがる。ネジェムでさえ、そうだ。肺使わなくても呼吸できるんだ。そんなの無意味だろ? ああ、ネジェムは、皮膚呼吸できない時間が長いのか。
昼間の身のこなし。足音の忍ばせ方。明かりなしで、人を検査しようとするとか。陸側の能力を網羅してるのは間違いない。但しその牙は、ナイフ。ひやりとする。拘束衣の真価を発揮させる前に、皮子が動いた。完全密閉されて、無言で倒れるネジェム。ストーブに当たった刃物が硬質な音を立てる。
「どうされました?」
さっと起き上がったブルーノがマッチを擦る。カンテラを掲げて、何をどう解釈したのか。即座に戦闘態勢。どこに持ってた、それ。独鈷っていったか。
「この神敵を排しますか?」
延々語ったせいで、信仰心に火が付いてんのか。ネジェムが白目剥いててよかったよ。そういう言葉って、後に残るから。
「私が、浅はかにも救いを求めた結果、御身を危険に曝すことになりました。とはいえ、リュウイチ様のお救いになった命です。ご許可をいただきたく」
あ、そういう考え方。真面目な奴って、さらに命懸けで詫びそうで怖い。
「選択し、実行したのはオレだ。ブルーノが気に病む必要はない」
「ですが」
「いや。ネジェムに、そういうつもりはなかったんだ。まあ、落ち着け」
「はい」
構えは解いたものの、目付きが尋常じゃない。こいつを怒らせるのは止めよう。もっと怒ってるのが皮子だ。
「皮子さん、ありがとう。でも、それ以上やると死んじゃうよ。そうすると、誘引の気を吸ってもらえなくなって、オレが困る」
するすると、透けたが膜が床を進み、オレに纏わり付いてくる。
「ご苦労様」
おお、めんこいのう。オレと同じでナイフ苦手なはずなのに、体張ってくれたんだ。ありがたいし、うれしい。内心、ちょっと怖いが。あれ、やられたら、さすがにオレも死ぬ。
息を吹き返したネジェムが、落ち着くまで、まだ時間掛かりそう。まあ、彼女の場合は、トラウマもあるか。
驚愕しててもおかしくないブルーノは、意外に冷静。恭しく、頭を下げてる。皮子に、だよな。
「ブルーノ。紹介が遅くなったが、相棒の皮子だ。彼女には意志がある。そのように扱ってやってほしい」
「承知しました。死者を思わせる清浄な気配を感じておりました。神、いえ、リュウイチ様を慕うのも当然かと。ブルーノと申します。力及ばぬことも多くありますが、リュウイチ様に仕えさせていただきます。よろしくお願いいたします」
先輩扱いされて、皮子は上機嫌だ。清浄って言われたしな。皮子さんって呼んでいいよ、だって。
「はい、皮子さん」
おおっ。意思疎通できてる。ブルーノはいままで、よほど自分の力を抑え付けてたんだな。こっちは、大丈夫そう。
問題は、あっち。
「こ、怖かった」
震えながら、涙と鼻水垂らしてる。少しは、反省してくれるといいが。
「やりたいことがあったら、先に口にしろって言っただろう?」
「気になりだしたら、眠れなくなった。朝まで待てず、起こすのも面倒に思おて。我がわるかった、許してたも」
「どういうことですか?」
「ネジェムは、調べたかっただけなんだ」
「はい?」
「欲しいのは、血か?」
「う、うむ。そうである」
よかった、そっちで。捌きに来たかと、半分は疑ってた。アーニャにも、やったしな。えーと、皮膚が硬化しないように。血糖値測るんだ、って自分を騙す。何を切ったかもわからないナイフを使うのは嫌だ。服の端を変化させてだな。痛くない、痛くない。ってぇ。震える手が差し出す小皿に、ほんの少し血を垂らす。
「赤い」
搾り出すような声。
「黒いとでも思ったのか?」
「そう、そうである。我の血は黒い故」
なるほど。
「いや、赤いとは思うぞ。試してみようか」
「うむ。頼む」
もう一つの白皿に、数滴の黒い液体。問題なく鉄臭いが。ブルーノも皮子も驚きの感情を持って見ている。
「黒いであろう?」
「触れる必要はない。その服の袖を翳したら、どうなるか。やってみよう」
「う、うむ」
黒い粒子が、ゆらゆらと立ち上り。吸着される。
「赤。我の血が、赤い」
静かに涙する女を責める気にはなれない。落ち着いたところを見計らって、皮子を紹介する。女同士の関係に口は出さない。怖いから。
「これは、なんぞ?」
迂闊な口を利くネジェムに、皮子が全身を広げて威嚇。
「怖い。我が悪かった故、それは止めてたも」
物扱いしないこと。皮子さんって呼ぶこと。他にも皮子はいろいろ注文をつけていたが。いいのかわるいのか、意志疎通できない。どの道ネジェムに守らせるのは無理だろう。大人な方が、引いた。その都度、駄目なものは駄目って言う、とか。エリマキトカゲっていたよな。
「見れば見るほど、不思議な存在である。あれこそ原始か、もごもご。皮子さんとやらを調べてみたいのだが」
「ネジ先生。懲りていませんね」
呆れるブルーノに、寝室に押し込まれてた。
そう、まだ夜なんだよ。あーあ、寝よ寝よ。




