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やることやったら転生していた  作者: 御重スミヲ
32/87

西門より


 何を期待したわけでもないが。門の向こうが、またも岩壁(いわかべ)とは予想外だ。(みな)、その手前を右に折れるか、そちらから現れる。どんな道があるのやら。

 アーニャは、ドクから。オレが街を出る必要性を聞かされてた。

「だからって、急に。寂しいよ」

 まさか、泣かれるとは。

「何、笑ってんの。リュウイチのばか」

 ボディーブローを叩き込まれたが。(ほお)(ゆる)んだまま。まあ、許せ。いつか定年を迎えた時に、年若い女の後輩が泣いてくれたらな。って、割と本気の夢だった。

「アーニャも来るか?」

 どうせ来ないんだろう、なんて愛想(あいそ)のないことは言わない。

「アタシは行かない。街が好きだし、居心地いいし。仕事があるから」

 行けない、じゃなくて。行かない。

 自分より少しだけ高い位置にある頭に手をのばす。

「な、何?」

「自立した女は、格好(かっこう)いいな」

「ジリツって?」

 乱れた髪を、オレの方が気にしてる。

「自分で(かせ)いで、人に迷惑かけずに暮らすことだ」

 迷惑ってあたりはちょっとアレだが。まあ、誰にも迷惑かけずに生き死にするやつはいないわけで。

 得意そうに鼻を鳴らして、胸を反らす。もう、目が赤いだけだな。

「いつ出発するの?」

明後日(あさって)の昼。って、一応は決めてるが」

「お話会があるのに」

「あれか。じゃあ、一緒に聞きに行って。そこから出発するかな」

 エイト商会の店先ではじめたものが、人の寄りが良すぎて。場所を移しての公演と相成(あいな)った。関係者(づら)する気はないが。(のぞ)きに行ったら、聞かせ方をもう一工夫(ひとくふう)って話に。どうなったか、ちょっと気になる。

「アーニャには、本当に世話になった。礼に、(なん)かほしいものあるか?」

「なんで、リュウイチは。ジリツした女にもの買い与えたがるかな」

 それは、(めい)っ子かわいがる気分?

餞別(せんべつ)の意味なくなっちゃうでしょ」

「あー、うん。ほんとありがとなー」

 旅に必要なものは、それで(そろ)うのが理想らしい。でもな。(なん)だ、あの(まじな)いっぽいの。何が必要か、本人に聞けばいいものを。あくまで送る側が、自分が旅に出るとしたら絶対に持っていく第一位を送るという。ちなみに、アーニャはパンツをくれた。ビキニタイプ。()く日がくるかね。

 翌々日。連れ立って、中央広場へ行くと。色とりどりの頭がびっしり。柱が邪魔で舞台が見えないんじゃ? って場所にも、陣取(じんど)る人たち。

「せっかく来たんだから、アタシ、前の方に行く」

「オレはここにいるよ。はじまってから、皆の邪魔するのわるいから」

「うん。じゃあ、いってらっしゃい。街に戻ったら、うちに寄ってよ?」

「ああ。その時は、泊まらせてくれ」

「絶対だよ?」

 あきらかに無理してる笑顔。胸の前で手を振った(あと)人混(ひとご)みを()()けていく。

 銅鑼(どら)が鳴り響き。不安定な太鼓(たいこ)の音が続く。緋毛氈(ひもうせん)を掛けた舞台を、ゆるく蜷局(とぐろ)を巻いた(りゅう)が守ってる。

「むかーし昔の、その昔。あるところに、とある男が一人」

 繊細なのに良く通る声。色鮮やかな着物と相俟(あいま)って、小鳥みたいだ。小拍子(こびょうし)代わりのカスタネット。群衆は驚いたり、溜息(ためいき)()いたり(いそが)しい。

 店先では、同じ小話(こばなし)を定期的に繰り返していた。今日は、流れるように話が進む。

「リュウイチ様。そろそろ」

 ブルーノが、そっと声をかけてくる。積極的に使うようになったら、気配察知の範囲が広がったらしい。

「ああ」

 話も丁度、旅立ちの場面。前の方で、大泣きしてるやつがいる。可愛いな。

 拍手(はくしゅ)根付(ねづ)いてないのが、ちょっと残念。

 興行に人を取られてか、街中(まちなか)閑散(かんさん)としていた。

「準備、任せっぱなしにしてわるかった」

「いいえ。リュウイチ様は何かとお忙しい身。私は、細々(こまごま)としたことが得意なのです。これからも、お任せください」

 ブルーノの方が、普段からよほど忙しかった思うが。オレは、挨拶(あいさつ)回りと称してぷらぷら。合間に工作したり、買い物したり。

「こちらです」

 西門の脇にある、駐車スペース。古くなく、新しくもない幌馬車(ほろばしゃ)が停まってる。(ほろ)には堂々、エイト商会のロゴが。

「遅いではないか。我は、この奇妙な模様(もよう)が気になって、気になって。そこな者たちに尋ねても(らち)()かぬ」

「待たせてわるい。それについては、道々説明する。とりあえず出発しようか」

 ネジェムを押し上げ。馬車の番を()ねて、相手をしていたらしい、エイト商会の従業員と挨拶(あいさつ)を交わす。

「またの、お越しを」

 いつも、ため口なのにな。最後はきちんと送り出してくれる。

(ほろ)ばかり見ておったが。何故(なにゆえ)ワゴンをこのような形に。ふむ。これで海とやらを渡るのだな」

「違います」

 ちっともしんみりしない旅立ち。有難(ありがた)いことだ。

 ブルーノが御者(ぎょしゃ)を買って出た。オレはしばらく、馬の横を歩く。乗馬用より、二回りは大きい。名前はルル。この道、二百年のベテランで。エイト商会の支店へだったら、目をつぶってでも着けると豪語してる。どのような勤務形態(けいたい)を希望するか聞いてみると。明るいうちはいくらでも歩く。ただ、一時間に一度、十分から十五分の休憩がほしい。あと、美味しそうな草を見つけたら道草食いたい、とのことだった。

 ハミと手綱共々(ともども)。お役御免になったブルーノと、景色を堪能(たんのう)したいネジェムが、並んで座ってる。荷物に(まぎ)れるオレ。ネジェムが(しき)りに振り返る。

「して、して。あれは(なん)であるのか?」

 街門を出て、右に曲がるとゆったりとした上り坂。(ほろ)の陰から(のぞ)き見る、壁も天井も路面も、岩なのは相変わらずだ。馬車が擦れ違える道幅はある。対向車もちらほら。側溝(そっこう)があるせいで、追い越しづらいらしい。乗馬男の乗り物を(あお)る、ルルの(いなな)きを聞きながら。まずは、ロゴの説明から。

 指輪印章のデザインが、(こと)(ほか)お気に召したエイトは。さっそく店の正面にでかでかと(かか)げ。馬車や値札にまで使用し出した。あの頭の柔らかさ。感心させられるばかりだ。

「確かに、そのように個人や店を識別するものがあると便利です。売り手側は、下手なことができなくなりますし。求める側は、目当てのものを探しやすいでしょう」

 ブルーノは、すぐに理解を示した。オレはただ、自分の封蝋印(ふうろういん)を自慢したかっただけなんだが。ネジェムは人の営みよりも、デザイン自体に興味が向いている。

「なぜ、八の字が横を向いているのか?」

 無限大って意味付けは、エイトいちばんのお気に入りだ。

「ふむ。して、上下の囲みはただの線ではないな」

「ああ、それは。ブルーノが教えてあげれば?」

「わ、私ですか?」

 いまだ(およ)(ごし)のところ。かわいそうかな、と思わないでもないが。旅は続く。慣れるしかない。

「で、では。アルファベットの説明からいたします」

 二人が荷台に場所を移したので。御者台はオレのもの。

「このびろびろしたものは、なんぞ?」

「これは竹簡といって。リュウイチ様が発明なさいました、大変にすばらしい」

 急に口が回るようになったブルーノに注意。

「ブルーノ、文字の学習な?」

「はい。申し訳ありません」

 歌のお兄さんと化したブルーノが三度くり返すうちに。ネジェムは、読み方はほぼ覚えた。

「なるほど。これは音を表記するものなのだな」

「その通りです」

 ジリジリと羽ペンを使う音がする。

「このような形のものならば、我も見たことはあるのだが。もしや、これも文字であったのか?」 

「はい。象形文字ですね。それらが簡略化されて、このように」

「我は(まじな)いの模様とばかり。人の言うことを鵜呑(うの)みにして、馬鹿にしていた我が馬鹿であった。ソレよ、しかと覚える(ゆえ)。教えてたも」

「はい」

 ブルーノはブルーノで。ネジェムが覚えてる限りの、ヒエログリフを教わってる様子。二人共よく酔わないな。サスペンションも何もない。これで読み書きするのはきついと思う。

 見通しの利かない、緩やかな左カーブが続く。つまり、大きく螺旋状(らせんじょう)に上っているのだが。何周したか定かでない。岩のスロープが突然に途切れたら、外だった。

 オレは、目の前に広がる田園風景を眺める。まっすぐな(わだち)。畑、コテージ、屋敷林(やしきりん)。これをワンセットとして、どこまでも規則正しく並んでる。不規則に出来上がった街の反省を()かして? いや、()かしすぎだろう。まあ、実り豊かで、空は青い。

「雲がある」

 感動を伝えようと振り返るオレを。二対の目が不思議そうに見る。どちらも街を出たことはあるらしい。

「この、農村の町までですが」

「我も」

 ジョナサンさん、みたいなネーミングも気になるが。

「雲があるってことは、雨が降るってことだろ?」

「なんと。説明を求めたいことが増えるばかり。まずはローマ字とやらを覚えてしまう(ゆえ)。その後、雲と雨の関係を頼む」

「私にも、ぜひ」

 初めての道を行くのに、こんな暢気(のんき)でいいのか。いいんだな。

「ソレは、我も半端にしか覚えておらぬ、古き文字を記して(なん)とする?」

「学友が収集しておりますので。足らない部分を創作すれば、使用することも可能かと。ネジ先生はそのようには?」

 ネジェムは、装飾的な表記に未練はないようだ。

「ああも手間をかけては、我の思考に追い付かぬ」

 天才のジレンマだな。だいたい、教授なんてものは字がきたない。

「視覚的には美しいですよ」

 また、何か思い付いたのか。ブルーノのフォローにも(うわ)(そら)

「ソレの話す言葉は、明快である。かつて、使っていた者がいたような、いないような?」

 自分とは、また違った特異さ。オレはすぐさま、ネジェムをスカウトしたが。実際、連れてくるのは無理だと思ってた。大物すぎる。

 まず、守役会(もりやくかい)が囲い込みに入った。学校とかかわりはあるものの、まったくの別組織。学校が事実上、捨てて行ったネジの像を、維持管理してきたのは我々である、ってことだ。

 対して、学校側。学長の地位を空けてあるのは、まさにこの時の(ため)、と主張。また、役所にしても、街のはじまりはネジあってこそ、と言う。

 オレのことなんて、吹き飛んで。ますます結論出るのが遅れそう。ちょうどいいや、と思っていたら。

 半日もしないうちに、ネジェム返品。引き取ったのはエイト商会。出発までの間、衣食住すべての面倒を見てくれた。

「俺はなぁ、年寄を大事にしねぇ奴はくそだと思ってる」

 エイトの意外な一面。連絡が来た時は、ほんと驚いた。

 つまり、ネジェムは記憶に(なん)あり、ってことらしい。仕方ない。少なくとも三千年は生きてる、ばあちゃんだ。オレなんか、去年のこともよく覚えてない。

 オルファは、ネジェムをかばって相当がんばったようだが。像の中から現れたからといって、本人である保証はない。(おお)先生の教え子、学長代理を認識できないのだから、本物ではない。街の歴史について、まったく知らないのだから、ネジではない。って、結論。

 いや。最初から覚えてないと思うよ、この人。

 すでに、オレのことは、コレ。ブルーノのことは、ソレ。まだ様子見してるが。皮子を紹介すれば、たぶん、アレ。

 いま、発音練習しながら猛然と書き取りしてる。いつもこの調子なんだろう。夢中になったら、(やり)が降っても気付かない。(あり)んこも人も同じ。

 ルルが、旨そうな草見つけた、って。勝手に、道端(みちばた)に馬車を停めてる。飼い葉桶も、折り畳み式の台もあるんだが。オレ、馬具の着脱、ちゃんと習ってなかったな。

「ブルーノ。わるいが教えてくれ」

「はい。お任せを」

 ちっとも面倒がらない、ブルーノはいい先生だ。対して、オレは駄目生徒。えーと、腹は腹帯(はらおび)、ハモが(くび)で。これは()()えず、そのままでいい? 先に舵棒(かじぼう)(はず)して。お、こっちもか。すべての手順を巻き戻せばいいわけだが。教わる(そば)から忘れる。装着するにも、先生の手を借りることになりそうだ。

 ルルはご機嫌で、草を(むし)ってはもしゃもしゃ。今更(いまさら)ながら、ブルーノに確認。柵の向こうに入らなければ、むしろ歓迎されることらしい。ちょうどいい、こっちも弁当を食おう。

「ネジェム。飯にしよう」

「うむ」

 生返事だな。まあ、移動中に食べてもいい。こっちは、せっかくだから外で。お先にいただきます。

「リュウイチ様。この旅の目的や、決まり事などございましたら、お聞かせください」

「んー。一先(ひとま)ず、街を出るって目的は達成したからな」

「はい、そうですね」

「ブルーノはやりたいこととか、行ってみたいところとかあるか?」

 巡礼者に支給される錫杖(しゃくじょう)を、包みも解かず、荷台に積んだままにしている。らしくないといえば、頭を()るのもやめた模様。まあ、本人が決めたことだ。オレが口を出す筋合いじゃない。

「私は、この旅の間にできうる限り、リュウイチ様の教えを受けられれば幸いです」

「うん、まあ教えられることは教えるえれども」

「我も、同意する。教え、教わるとしよう」

 やっと、空腹を感じたらしい。馬車から降りて、草むらに(じか)に座る。拘束衣がお気に入りって、ちょっと。ツナギにピンクのリボンで、極力マイルドにしたが。泥が、とか。虫、キャーッ、とか言わないのは楽。

「ネジェム。いいこと言うな」

「年生の功というやつだ、もごもご。ぐほぃ」

 ブルーノがすかさず、水筒(すいとう)の水を()いで差し出す。

「ふぃ、すまぬ」

 まるきり子供のような年寄だな。

「んじゃあ、簡単なルールを決めよう。いま、オレが思い付くのは。おかしいと思ったら、その都度(つど)言うこと。我慢しないこと。やりたいことは、とりあえず言ってみること。あと(なん)かあるか?」

「皆の意見が合わなかったら、どうするのだ?」

「リュウイチ様の意見であれば、私は従います」

 それは、我慢じゃないのか?

「そうだな。まず、話し合って。(ゆず)れるところは(ゆず)る。別に急ぐ旅じゃないし。それでも、合わなければジャンケンで決める。どうしても合わない、嫌だと思ったら、わかれても別にいいと思うぞ」

「道理。合理。コレよ、気に入った。して、ジャンケンとは、なんぞ?」

 ネジェムはハマった。子供のように何度も繰り返させる。

「不思議なり。勝敗を予測できるにも関わらず。我は、運など信じぬが。これには、そんなものが介在する可能性が」

 小難しいこと考えてた。

 報告、連絡、相談。義務付けようかと思ったが。ブルーノは(はな)からできてるし、ネジェムにはちょっと無理そうだ。まあ、彼女が相当勝手に動いても、ブルーノは気配で探せる。オレの探査能力もある。

 結局、いつもの行き当たりばったり。

「コレは、愚か者たちから逃げていると聞いたが」

「そう言うネジェムもな。大体なんで、誰もネジの姿を知らないんだ?」

「我は、あきらかに人と違った(ゆえ)

 仮面やマントで容姿を隠し、数百年(ごと)に名乗る身分を変えていたんだとか。かつて老いた女がいたらしいと、自分で自分のことを教えてたのか。その行動原理。わかる気がする。

「面白い生き方してるな」

 大きな目がぱちくりする。

「言われてみれば確かに。我ながら、なかなか」

 (えつ)()ってる。彼女の言う、愚か者たちから見て。ネジ本人と断定できないまでも、関係者には違いない。いろいろ知識を引き出したかったろうに。あの、のんびり屋たちが、ここまで早い対応。

「他にも、(なん)かやらかしただろう?」

 わぁ、いい顔。

「なに。牛の(くそ)をこたねてやっただけのこと」

 ブルーノは、小さく祈りを捧げる。(あわれ)みの情? こっちにも認知症ってあるのかね。でも、こいつは確信犯だぞ。

「燃料か」

「なぬっ。わかるのか」

 なぜ、残念そうにする? ああ、人の嫌がる顔を見たかったのか。悪ガキだ。

「乾燥させて暖を取ったり、煮炊きに使うんだろう」

「そのような、使い方が?」

(まき)がなければどうするか。生活の知恵って、すごいよな」

 牛の(くそ)とか平気で言ってた女が、急にもじもじし出す。

「ならば、コレは知っているか? 我の記憶では、()も燃えたはずなのだが。これが実験をした上での結論なのか、まだ、推論の段階なのか。わからなくなってしまった。これは事実か、否か」

 ああ、そうか。気が遠くなるほど生きて。その上、どれだけ長くミイラになってたのか知らないが。どこまでが本当にあったことで、どこからが自分の妄想なのか。不安に思って当然だ。

「オレも実際に見たことはないが。実践(じっせん)した奴によると、ほんの一瞬だが、爆発的に燃えるらしいぞ」

「むん。それはぜひ、我も」

 立ち直りが早くて何よりだ。

「いや、いきなりはやめた方が。容器に()めて、(わら)のストローか(なん)かで」

 (なぐさ)めてたはずが、何言ってんだ、オレ。そこへ丁度良くというか、運悪くというか。ルルがボロを。すぐに駆けて行こうとするネジェムをブルーノに止めさせた。(はえ)より早いって、どうなんだ。

「やりたいことを口にする。我は、まず馬の」

「どうどう。反対はしない。ただ、防備はしなさい」

 即席のマスクと、手袋をさせる。

「この素材は、なんぞ? とりあえず、いまは丸める方を優先する。あとで、教えてたも」

「はいはい」

 まったく、退屈する(ひま)もない。

 馬車に貼りつけるのは、さすがにまずい。売るほど持ってる竹竿(たけざお)と革紐で、簡単な干し台を作成。上に張った布は、ジュートって言ったか。トウモロコシ(もら)った時の袋もこれだった。一畳ほどの大きさで三百ミミ。けして高いわけじゃないが、こんなことに使うとは。孟を笑えない。

 さて、これをどこに固定すれば、いちばん被害が少ないか。防護スーツもフィルターもなし。呼吸は楽だが、こういう時きついな。風上に回って、声を掛ける。

「ネジェム。干すのはここな」

「なんと、気の利く。コレは、よい」

 (かたわ)らには、ソフトボール大のがゴロゴロ。

「平たくして、真ん中へこませた方が、速く乾くんじゃないか?」

「む。確かに。しかし、あまり薄くすると割れるかもしれぬ。牛とは違って、もごもご。よし、何種類か作って比べてみようではないか」

 通り掛かりの農婦(ぜん)とした女。眉を(ひそ)めるかと思いきや。

「あれま。お(まち)の人も、そんなことするのねぇ」

 からからと笑って、三件先のコテージを指し示す。

「あなた達。空き家があるから、泊まっていきなさい。これから大雨が降るよ」

 地元の人の天気予報は的確だ。言っているそばから冷たい風が吹いてくる。

「家賃は如何(いか)ほど、どちらにお渡しすればよいでしょう?」

「いいわよ、空いてるんだから。どうせ片付けなけりゃならないし、あるもの好きに使てちょうだい。あ、わたし、町長の妻ですから。気遣い無用よ。隣に住んでるから、困ったことがあったら声をかけて」

 空が暗くなってきた。もう一刻の猶予(ゆうよ)もない。家に駆けてく奥さんに続いて、ルルが先に避難する。おいおい。

 この非常時に、くさいなんて言ってられない。干し台は、ワゴンの背面に(くく)り付け。まだ、ぎゅっぎゅやってるネジェムの襟首(えりくび)(つか)んで、御者台に誘導する。

「リュウイチ様、そのような」

 や、これがいちばん早いし。馬車を引くのは苦じゃない。第一ブルーノには、別の苦行がね。

「ネジェムがバランス崩さないように、支えてやってくれ」

「はい」

 ブルーノは多少迷って、やはりネジェムの襟首(えりくび)(つか)む。両手があれだし、まだ一つ持ってるからな。

「んー、どうであったか。おお? そうか、そうであった」

 ネジェムは、うんうん(うな)った後。晴々(はればれ)とした様子。

「コレよ。馬のものは、いかにも(もと)が草らしい。同じものを食しながら、牛のものが違うのはなぜか」

 何を言い出すかと思えば。

反芻(はんすう)するからか?」

「なに、反芻(はんすう)とな。言い得て妙な言葉である。彼奴(きゃつ)らは一度食うたものをだな」

 (ひと)くさり講釈(こうしゃく)()れて、満足そうに溜息(ためいき)。いろいろ思い出せてよかったな。でも、それはそれ。

「ネジェム。その手でそこらに触ったら怒るからな」

「あい、わかった」

 返事だけはいい。

「ブルーノ」

「はい、お任せください。きちんと見張っております」

 へんに期待はしてない。ようは定期的に、誘引の気を除去してくれればいいわけで。あとは、気楽に余生を楽しんでください。って、寿命ないんだっけ?

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