卒業試験
西の街門があるとされてる壁から、少し南にずれたところ。青いタイルを配してあるが。放棄された区画とばかり思っていた。
お体裁で補強された罅割れ。壁や天井だったと思しき瓦礫。焦げ跡や、何によるものかわからない染みが散見できる。
元々は、ここに学校の施設がすべて収まっていたそうだ。いまは、一階で牛を飼ってる奴がいるだけ。
ブルーノが勇気を奮い起こすまでの間。オレは案内される体で、周囲をうろついた。目的は、三階の一室。両開きの扉が押し開かれ、固定されてる。こぢんまりした空間。印象としては、趣味が高じてはじめた個人の博物館か。吊り下げられ、詰め込まれ、積み上げられた多くの標本。その隙間に、一組の机と椅子。鶴でも折ろうとしてるのか、パリっとした布を畳んだり広げたり。
「あら。交代まで、まだ間があったと思うけど?」
ヒジャブ姿の女が顔を上げた。口元のほくろって、見入っちゃうよな。
「卒業試験を受けたく存じます。宗教学部のブルーノです」
「あっ、はい。失礼しました。そちらが立ち会いの方ですね。お名前をお聞かせください。私は、学校の卒業生で、守役会員のオルファと申します」
「リュウイチといいます」
「はい、それでは。ここに、規定通り二名の立会人が揃いました。これより、宗教学部ブルーノの卒業試験を行います。方法は、慣例に従い、十の炎の判定となります」
覚悟を決めて、凛としてるブルーノの隣で。思いっきり首を傾げるオレ。
声に出さず、色っぽい口が笑う。
「街最初の人の弟子であり、学校の創立者でもあるネジの像に、あなたの学んできたことを伝えてください。彼女の像を囲む十本の蝋燭のうち、一本でも灯が消えれば合格となります。一刻たって、何も起こらなければ、また次の機会ということになります」
どんな仕掛けが? とか思うオレは、純真さが足りんのか。
間仕切りを片側にまとめ、オルファが奥へ入っていく。ブルーノは、少し時間がかかりそうなので。先に覗いてみた。
前室の倍の広さ。窓は開いていて、暗くはない。壁は全面、棚として刳り貫かれ。瓶や壺、用途のわからない道具が並んでる。部屋の中央。寝台っていうより石棺だな。縁に並んだ燭台に、オルファが火を灯していく。一巡りすると、今度は順に、茶筒みたいな金属容器を被せる。
これで灯が消えなかったら、驚きだ。
「さあ、準備は整いました」
誇らしげにしてるけど。装飾も何にもない。それ、元は実験用具だったんじゃないか? 生徒達に、空気がないと火は燃えないんだ、って実感してもらうための。
大掛かりな仕掛けを期待してたオレは、がっかり。ブルーノにとっては、いいことだ。自分の意見を堂々述べれば、合格。って、これじゃ無理だよな。顔面蒼白で、カタカタ震えてる。
肩に手を置いて、まずは同情。
「これは、ひどい。ここまで、よくがんばった」
石棺の上に仰臥してるのが、ネジの像ってことだろう。黒い木像にも、銅像にも見える。メタボなミイラ。ちょっと、自分でも何言ってんのかわからんが。おかっぱの鬘、金の装飾、白いシースーも。枯れた肉に押し退けられたり、埋もれたり。ふっくらがミイラ化したんじゃない。ミイラが膨らんだとしか思えない。
その上、天井を覆いつくし、口元まで伸びてる黒い鍾乳石のようなもの。隣の部屋、こんなに圧迫感なかった。どれだけ分厚いんだ?
「どうしました?」
オルファは何とも思ってない様子。
「あの、この黒いオブジェはいったい」
「ああ。こちらは、ネジの溢れんばかりの知識と、それを広める様を形にしたと言われています」
一点の曇りもない瞳。教育、こわい。
「大変に素晴らしい光景です。えー、ブルーノは、学徒であると同時に、神に仕える者です。学問の神にも等しいネジの像を前に、特別な祈りを捧げたいと申しております。若輩ながら、わたしくも共に」
我ながら。よくもまあ、しゃあしゃあと。
「あら、リュウイチ様も、祈祷師様でしたか」
わぁ、様呼ばわりされた。否定したいのを、ぐっと堪える。彼女、信者っぽいから、これで行こう。
「大した力はありませんが。ブルーノの補佐を」
「リュウイチ様」
ええ、ええ、わかってますよ。涙目。いますぐ吐きたいくらいだろうが、頑張ってもらわねば。こそこそと、ブルーノに入れ知恵。嘘じゃない、嘘じゃないぞぉー。
「オルファさん。これは秘儀中の秘儀ですので。申し訳ありませんが、室外で待機をお願いします」
「はい、ブルーノ様。ご健闘をお祈り申し上げます」
さっきは立場上、対等に接してただけか。いまは、信仰心全開。どうも、街の人たち、神とか仏とかに関心はないようだ。明らかに、ブルーノを信仰してる。鍵はないが、扉の外に出てもらえば、いろいろ安心。
んじゃぁ、やりますか。
沓摺の手前で、額衝いてるブルーノには。お祈りでもお経でも、とにかく続けろと言ってある。お、今日は唯一神が相手か。意味はわかってないらしいが。僅かながら空気が澄むような。
まずは、自分の影から黒い玉を取り出す。紐付きの、影の塊。中に投げ入れてみる。何の変化もない。ずるずる回収。
次にフィン。豆粒大に千切って、指で弾き飛ばす。どれも、黒いオブジェに張り付いて、落ちてこない。ってことは、この服も。部屋に足を踏み入れると、軽く引っ張られる感じ。あー、どうするかな。
あまり気は進まないが。黒いつららの中程を両手で掴む。やっぱり、いきなりは無理か。卵の殻を素に自分で変化させたものなら、触れなくても弄れるようだが。
皮子さん、退いてて。
深く考えないようにして、直に触る。太腿くらいあるかな。とりあえず、ミイラは後回し。手を添えた下数十センチのところで切断。そのまま手前に引っ張る。あっ、と思った時は、やっちゃってるもんだよ。天井に付着してた厚い層。そのままの形で落ちてくる。硬い、重たい。腕、折れるかと思った。
どでかい石板から。え、えーと、ゴムボール? イメージ通り、ぼろぼろと零れ落ちる球体。掻き分けるように歩き回って、自分の影に収納する。御古って、微妙だが。まあ、変質させたから別物ってことで。
他の落下物や破片は、見ないふり。いや、むしろ影を取りまくって、証拠隠滅すべきか。
「ブルーノ。一先ず、いいぞ」
言いかけの節をしまいまで続け、一礼。
「ああ、さすがはリュウイチ様です」
ずいぶん楽そうだし、嬉しそうだな。あれは見ないようにしてるが。
「前から、あんな? 大変だったな」
「はい。あれの気配を感じる者が、他におらず。どうにかできるような力もなく。この忌避感を認められるだけでよかったのですが。私は、自分がおかしいのかとさえ。すみません、取り乱しまして」
「いや」
そうなるのもわかる。自分にしか感じられない嫌なことって。続けば、鬱になってもおかしくない。
「気にするなって言っても、難しいだろうが。その能力は、遠くのものが見えたり、聞こえたり。身軽に跳べたり、速く泳げるのと何ら変わらない」
言葉なんていい加減なもんだが、はまれば役立に立つ。オレは、ただ肯定してほしかったな。
「あったからどうってこともない。邪魔になることも多いだろうが。恐れるから、用心深い。苦しい思いをしたから、人ってものがわかる。ブルーノの個性だ。うまく付き合っていけるといいな」
なかなか上手くは言えない。あー、むずむずする。
「はい。お言葉、心に留めておきます」
いや、忘れていいよ。
「ところで、村で仕事する時は、どうだった? 門とか、ずいぶん見通しが悪かっただろう」
「中に入るわけではありませんし。特に、問題はありませんでした」
質問の意図がわからないって顔だ。
「そうだよな」
生まれる前は、自分を守る殻。孵化したら、乳代わりなわけだし。まったく癖のない黒いむにむに。
それが純度を増して、硬くなったら。ブルーノは警戒レベルマックス。感情を、察することはできるが。オレは、できれば触りたくない。口にするなんて有り得ない。って、その程度。親和性があんのか? 嫌だな。
「オルファ呼び戻して、試験やってもいいが、どうする?」
「ど、どうするとは。どういうことでしょう?」
蝋燭立は六台が無事。どれも、とっくに灯は消えてるはず。
ただ、聞こえた。感じた。戸惑ったのは一瞬。ブルーノの試験のためにはじめたことだ。本人に選ばせるべし。
「あれ、生きてるから」
「生きて。ほ、本当ですか? いえ、決してリュウイチ様の言葉を疑っているわけでは」
「うん。どういうことなのか、オレもよくわかない。すごくゆっくり、小さいが、心音が聞こえる。息もしてる」
ブルーノは、なむさんと十字を切った。
「それを踏まえて、あの黒いの。ブルーノは、どういう風に感じる?」
「そう、ですね」
意識するだけで、この緊張感。
「冷たいような熱いような。刺さりそうに尖っているのに、どろっと染みてくるような。重苦しい気配です」
聞きたくないが、大事な問い。
「オレの気配も、同じなんじゃ」
「とんでもありません! 確かに、リュウイチ様には、他の者にはない、濃厚な気配を感じますが。先程まで巣くっていたものや、あの邪なものとはまるで違います。同じにするなど有り得ません」
力説された。
「なら、いいんだが。少しでも似てるところがあるなら」
「ありません」
「いや、でも」
「まったく違うのです。願望や思い込みで、申し上げているのではありません。よくよく感じていただけば、おわかりになるはずです。確かに、人ならぬという点は似通っていますが」
へぇ、人じゃないんだ。
「リュウイチ様には、光があり。影が深くなるほどに、輝きを増すように感じられます。あれには、闇しかありません。尊き御身、決して卑下などされませんよう」
「あ、うん。わかった」
正直、何言ってんだか、って感じだが。これ以上ごちゃごちゃ言うと、ブルーノの頭の血管が切れそうだ。
ふつうにしてよう。皮子じゃないけど、オレはオレだよな。
「それで、あの。リュウイチ様から見て、どうなのでしょうか?」
「どうって?」
「あれをどうにかした場合。リュウイチ様や、周囲が厄あうことはないのでしょうか」
どうにか、で思い浮かべたのが。処分とか、放置。オレの方がよっぽど。
「命あるものです。自身の手に余ることが目に見えていながら、愚かな願いですが。できることなら、お救いいただきたいと。勝手を申して、すみません」
闇だ、邪だ、って言いながら。見捨てることはできないんだな。うん、よかった。
「積極的に触りたくはないが、弱そうだし。何とかなるんじゃないか?」
わからないものについて、シミュレートしようがない。あくまで勘。
「ありがとうございます。非力ではありますが、私もできることは致します」
心底怖がりながらも、そう言えるのが偉い。オレだったら、仮病。忌引って手もあった。
「まあ、やってみる」
経文の援護射撃もないよりましだ。
ミイラ、あんまり見たくはないんだが。まず、観察。黒いつららの突起部分。鼻とは完全に一体化してる。口の中にも続いているが、唇との間にほんのわずか空気の流れが。漏れ出た粒子が次々付着して、その隙間すら、いまにも塞がりそう。これ、窒息寸前ってこと?
手をかけてゴム化。分割して、慎重に引き抜くと。一気に通りがよくなる。像全体が、がたがた揺れたのは、咳き込んだのか? 心音も少し強くなった。
手製の衣服と引き合ってる。呼気に含まれる靄が薄っすら付着する。黒いところ全部、さっきと同じ堆積物か。感覚を研ぎ澄ませても、曖昧な境目。毟る? 削ぐ? 結局、いちばん気の進まない方法を選ぶ。直に触って。卵の殻が裂けるところを想像する。理屈の上なら、中身は傷つかない。
ぷわん。なんともファンシーな音を立てて、縦に爆ぜた。
それなりに身構えてたんだが。心停止寸前のものが、そんな素早いと思わないだろ?
「ぎゃーっ」
「リュウイチ様!?」
ブルーノが、お経を中断するほどの非常事態。
猿のミイラみたいな、枯れっ枯れの何かに、組み付かれてた。とっさに皮子がガードしてくれたから、生の接触じゃないが。皮子は、うえぇー、ってなってる。ごめん、ありがとう。
口のとこに口らしきものが。フィルターなかったら、ディープキスだよ。あぶねぇ。ちょっと触れてしまったらしい、皮子の部下五十六によると。かさついてるのに、じめっとしてて、かび臭いそうだ。うえっ。
そして、何? この、世界にただ一つの吸引力みたいな。内臓、口から出そう。フィルターから急速に空気も何も持ってかれて。皮子と一体化してもおかしくない。真空パックの一夜干しってこんな気分?
女であることは間違いない。垂乳根だから。すべてが干からびて、しわくちゃの老婆。ミイラだからってわけじゃない。伝説の、年老いた女か!
きぃきぃ何か言ってる。脳が翻訳拒否。
なんと、ブルーノが引き剥がしてくれた。あんなに怖がってたのに。ぽっきり折れそうな老婆を羽交い絞め。
「あ、ありがとう」
「いいえ。リュウイチ様、ご無事ですか? 私が勝手なお願いをしたばかりに」
けっこう冷静だ。いや、オレと同じで、現実を見ないようにしてるのか。
「ど、どうしましょう?」
わっちゃぁ。覗きでもしたのか。オルファがおろおろと、その辺を歩き回ってる。
「な、何か食べ物を持って来てもらえる? あと、飲み物と。すごい飢餓状態みたいで」
「あ。は、はい。とりあえず、そちらの祭壇にお供え物が。あと、下で何かやわらかいもの、わけてもらってきますね」
あー、ほんとオレも冷静じゃないわ。すぐそこにある物、見えてなかった。
黒い抜け殻を操って。拘束衣を作成、と同時に着せる。かなり小柄。猫背が治っても、オレやブルーノの胸くらいまでしかないな。
やっと、言葉に耳を傾ける余裕ができた。声にもならない風切り音。
我に、飯を?
いいけど。そんながりっがりで、いきなり固形物食ったら死ぬんじゃないか? まあ、いま生きてるのが不思議なくらいなんだが。
慈愛の人なんだよな。恐々と、でも甲斐々々しく。ブルーノが世話を焼き始める。ああ、大丈夫だな。ちゃんと汁物からいってる。あとは任せた。
オレは、さっきから息苦しくて。けっこう緊急事態です。周りを気遣う余裕もなく、皮子にガードを解いてもらう。
「誘引の気じゃぁ」
掠れた悲鳴。忌避かと思ったら、歓喜だった。
「我に、その塊をくれてたも」
塊? フィルターのことか?
「頼みます」
口調に、理性が感じられる。目は皺に隠れて見えない。迷ったが、服の袖を解放する。
「どうすんだ、こんなの」
どうせ使いものにならないし、試しに渡してみると。くんくんと嗅いで、目詰まりした側から吸引。驚愕する男二人の前で。しわくちゃお婆が、見る々々ぷるっぷるの美女に。
「生き返った。感謝いたす」
声にも張りが出て。ええ、美声です。
「うまいのぅ」
自分でスプーン持って食い始めた。髪はベリーショート。はっきり言えば、坊主だが。骨太で、締まるとこしまったトランジスターグラマー。腹痛は、大丈夫そうだな。
「お待たせしました! 出来立ての白乳プリンを」
オルファさん帰還。何それ、オレも食いたい。
言葉を失い、目を見開いてる守役の手から、ボールごと奪い取り。元老婆が、飲むように食べた。
「オルファと申したな。感謝いたすぞ」
「は、はい?」
「我は、ネジェム。街最初の人にして、その弟子。学校の創立者にして、大先生なり。我の苦境に気付きもせなんだ弟子達は、もごもご。守役たちの勤め、日々感じておったぞ。折角の供え物を食えぬのが、口惜しゅうて口惜しゅうて」
もごもご、気になる。あんな状態でも、周囲のことは把握してるし。重要なことをさらっと言う。さては、抜けた曲者か。
「そこなブルーノ。怖がらせて悪かったの。確かに、我は貪欲が過ぎる。良いものとは言えぬ。しかし、そちの大先輩でもあるからして。少しは大目に見てたも」
「は、はい」
助けたいって言った時点で、受け入れてると思うぞ。
「そして、リュウイチとやら。我を復活させた御業、見事なり。頭を垂れて、礼を尽くそう」
「どういたしまして」
特に何をしたってことでもない。体質。そうだ、それ!
オルファ、平然としてるよな。いま、皮子は適当に纏わり付いてるだけで、オレを密閉してない。
やった。誘引の気、抜けた? これが一時的なものって可能性は大きいが。この、ネジ? ネジェムか。連れ歩いて、吸引してもらえばいいんじゃ。
皮子、どう思う? いんじゃない? これからちゃんと躾けるし。
何やら不穏な言葉が聞こえたが。まあ、許可は出た。
「突然だけど、ネジェム」
「なんぞ? 恩人ゆえ、かく呼ぶことも、無礼も許そう」
あ、偉い人だっけな。
「オレ達と、旅に出る気はないか?」
「ほう。旅とな。我は、ずっと憧れていた。しかし、二階から飛び降りたくらいで、足の骨を折るような脆弱な体では、とても耐えられまい」
「老いた体では難しくても、いまはどうだ?」
「ふむ。そうであった! いますぐ、そこから飛んでみるとしよう」
やめて、ここ三階。まあ、話に聞いてた大先生なら、ぼっ壊れてて当然か。
「実験は、もう少し落ち着いてからでいいんじゃないか? いま、怪我したら、連れていけない。それとも、行く気ないのか?」
「ゆく。ゆくぞ。我は、世界を見たい。お主のその力の秘密も知りたい。是非とも、連れて行ってたも」
「ブルーノ、相談もなくごめん。いいか?」
「もちろんでございます。リュウイチ様がお決めになったこと。反対するなど、努々考えも」
何とか少しずつ、敬語やめさせよう。あとは、解剖されないように気を付けて。
そういえば、占い師が言ってたな。三者をどうたら。人数は揃った。細かなことは後から付いてくる、たぶん。そろそろ、門の向こうも見えるだろう。




