祈祷師の手引き
思いのほかドクと話し込み。例によって、時間ぎりぎり。
普通に移動したんでは間に合わない。窓枠、廂と蹴りながら。銭湯仲間の擬態をイメージしたら、服だけアルミ蒸着状態に。ぎゃーっ。埋没できてんのか、目立ってんのか、迷ってる暇はない。回廊の手摺を駆け、壁を這い。最後は、三段跳び。着地と同時に、ミラーコーティングを解除。
「わるい。遅れた」
瞑目していたブルーノは、そのまま挨拶。あ、そうか。気配を感じてたのか。
「いいえ。まだ三分ほどございます。もとより予定通りに始まることは、まずありませんので。お急ぎいただき、かえって恐縮です」
静かな佇まい。装いきれてない。
役所や学校の屋上だからか。さすがに洗濯物を干したり、動物を飼ったりはしてない。女達はふつうに通るけど。立ち話しているオレ達を避けるくらいの配慮はする。
「会議室、行かなくていいのか?」
人を待たせた分際で、急かす。ブルーノは緩やかに首を振った。
「私はもとより頭数に入っていませんし。特に出席する必要はないかと。この真下が会議室になります。このままこちらで、ご一緒してよろしいでしょうか」
「うん。オレは全然かまわない。あー、いい天気だ」
服の性質を二度変えて、ちょっと疲れた。屋上にごろりと横になる。ブルーノは文句も言わず、隣に端座した。へぇ、正座できるんだ。
さすがに眩しい。フードを目深にして、大の字。これだけ離れていても、背中に響てくる振動。議事室もそうだが。
「よくこんな賑やかなところに学校を作ったな? 役所が取水施設に近いのは、まだわかるが」
施錠せず。警備はなし。常駐の管理人もいない。この街が特殊なんだよな。
「百八十年ほど前までは、青の区画にあったと聞いていますが。人は慣れるものですし。リュウイチ様ほど聞こえる者は、そうはいないかと」
アーニャの部屋と同じか。何室か間に置けば、騒音も気にならないようだ。
「入学当初は、よく水車の前に立たされて。この音に負けぬよう声を張れと、発破をかけられたものです」
熱血運動部?
会議室は二層下。窓が開け放たれていても、ブルーノは中の様子をうかがえない。経験から予測した通り。まだ、全員揃ってないようだ。隣のやつと雑談したり。書類がわりの薄板か? 木片を整える音。天気の話じゃ広がらないよな。
「ブルーノの自慢をしてる御人がいるぞ?」
確か、恩師は亡くなったと聞いたが。その後釜か。
「宗教学のニェット先生かと」
驚くほど冷やかな声で告げた後。だから、オレに向かって跪拝するなって。
「神はすべてを許し給う。まるで修行が足らず、お恥ずかしいかぎりです」
「いや、ふつうに怒っていいと思うが」
祈祷師が街の住人に認知され、尊敬されるのは。あくまでブルーノの功績であって、ニェット先生は何もしてないじゃないかと。いま、同僚に責められてます。
学長代理とやらが入室。会議の開始。
対立してるのは教師だけじゃないらしく。生徒たちのいざこざをどう収めるべきか? そりゃ、あんたらがお手て繋いで見せればいいわけで。
次は、予算の取り合い。実験器具や薬品が高くて、と理系の教師。口だけ使えばいいんだからいいよね、とか言われて。ニェット先生、立場弱いんだな。
やっと、本題。えーと? オレの名前、把握されてます。
エイトの言ってたこと。誇張でも何でもなかった。
「意外に有名人なんだ、オレ」
ブルーノが申し訳なさそうに縮こまる。別に、自分が漏らしたわけじゃなかろうに。行動をトレースされただけ。
「アルファベットは、オレが広めるように頼んだんだ。気にしなくていい」
「はい。ですが」
言い募ろうとするブルーノを、手を上げて止める。
オレを教師として迎えようって動きがある。これか、ブルーノが伝えたかったのは。
「先生なんて柄じゃないからな。ありがとう、知らせてくれて」
「いえ。教える能力という点でも、知識量という点でも、リュウイチ様にまさる者はおりません。ただ、そのようなことは望まれていらっしゃらないようなので。決して、リュウイチ様の教えを独り占めしようと企んだわけでは」
「や、そんなことは疑ってないから」
どうどう。
「ありがとうございます。もし、リュウイチ様のお気が向かれるなら。ご高説を賜る機会を、後輩たちにも与えたいとは思いますが」
「勘弁してくれ」
いかに人生をさぼり倒すか、とかだったら一席ぶってもいいが。
おー、よしよし。大半は、自分の地位を守るためにも、来られちゃ困るって態度。別の理由をつけて誤魔化そうとしてるのがおもしろい。商会に勤めてると聞いたとか。職人に弟子入りしてるらしいとか。ニェット先生はじめ。力学とか、素材学とか、薬学の先生たちまで騒ぎ立てる。いいぞ、言ったれ!
警戒してた、外部との繋がりはないな。広報に関する話はもちろん、村って単語すら出ない。なんだかなー。学校を慮って、というより。数に入ってない?
リュウイチ先生、とか。うげぇ。
提案の段階で、しかも流れる確率が高いのに。今朝のブルーノ、警告って感じだった。
「何をそんなに心配しているんだ?」
「正式に招聘されますと、断ることが難しくなります」
どういった取決めがあるのか。議会の召喚や、役所の出頭命令より優先されるらしい。
「ま、まあ。ここで却下されれば問題ないよな」
「左様です。ただ、用心は必要かと存じます」
「うん」
反対派たちの粘りに期待するも、いまいち決め手に欠ける。そんな中。
「言語学の先生か? 頑張ってくれてるの」
「マーラ先生ですね」
複雑な心境が声に表れてる。オレは扱き下ろされるの、へーき。慣れてるから。
「おお。すごい先生だな」
自分たちがばらばらの言語を話してるって、わかってる。周りは、全然理解しないが。
「あの、リュウイチ様。彼女の学説は正しいのでしょうか?」
「うん。ちゃんと説明してなくて、わるかった。文字を使っていけば、いずれ、嫌でも気付くと思ってさ」
このままアルファベットなる文字を広めてしまえば、混乱は必至。万人の使用に耐えうる完璧な言語ができるまで、その存在を秘すべき。そう、マーラ先生は主張してる。
「やさしい人だな。オレとは考え方、真逆だ」
ブルーノは首を傾げた様子。
「リュウイチ様のお考えとは? よろしければ、ご教授いただきたく」
そんな御大層なものじゃない。
「信仰と同じで、言葉も生きてるってこと。固定することも、強制することもできない」
信じる者は救われる、って。昔の埋葬法を否定しなかったブルーノなら、わかると思う。肯いてる? それから、居住まいを正して。
「リュウイチ様が、こちらで教鞭を執られることは、絶対にないのでしょうか?」
「ないよ。ブルーノが、すでに後輩に教えた分で十分じゃないか?」
はっきり言って面倒くさい。言語学者の言う通り。このまま広めていけば、最初はよくても、これから数年は混乱するだろう。
「まあ、使用例としてローマ字くらいは教えていくか。マスターと、ドクに」
「え? そ、それはどういう。まさか、街を去られるおつもりですか?」
ブルーノに詰め寄られて。慌てて、起き上がる。男に圧し掛かられる趣味はありません。
「ちょ、ちゃんと説明するから。落ち着け」
エイトやドクからの情報と、今後の予定を掻い摘んで話す。
「そ、そんな。それでは、私はどうすれば? いえ、当然お供させていただきます。駄目だと言われても、私は」
「だから、さっさと学校を卒業しなさい」
慣れない命令をしてみた。付いてくるとは思ってたが。確認不要で助かる。何言ってんの? って表情されたら、それなりにショックだし。
「は、はい?」
「あと、巡礼だっけ? 公認されてると、街を出るには許可がいるんだろ? ちゃんと、それも取ってな」
「あ、はい」
子供みたいに素直に肯いた後。やっと脳に到達したのか。だーっと涙を流して、蹲う。止めても無駄だよな。
竹トンボで一緒に遊んだ女かな。目を見開きながらも、身振りで挨拶していく。
青空。一人の気楽さったらない。皮子は別格な。
でもって、ブルーノを置いてった場合。絶対、後追うだろ? オレの名前、あちこちで出して捜し回るだろ? その間に、神だの仏だの、口走らない保証はないわけで。
うん。連れてった方が、いろいろ平和。




