釜なめさん
7
街いちばんの不思議スポットは、西の端ある。目抜き通りの突き当たり。岩の壁にしか見えない。馬車が消え入り。人が歩いて現れる。
自分にだけそう見えているのなら、迂闊に尋ねるわけにはいかない。しばらく躊躇っていたが。
衛兵は、自前の服の上に革のプロテクターを着け、短槍を持っている。穂の光。相変わらず苦手。内心びくびくしながら、近付く。
「岩の壁にしか見えないが、何を守っているんだ?」
「知らぬのなら、言って聞かせよう」
慣れた様子で説明してくれた。
「まず、これは西の街門である。村から来て、街へ入るのが東の街門だ。ここまではわかるな」
「ああ」
「この街から、他の場所を目指す者が通るのが、この西の街門である。出ることを真に望めば姿が見え。外に興味を示さぬ者には、壁として目に映る。実際、通ることも叶わない。試しに、手を当ててみよ」
確かに、岩の感触。押してもびくともしない。すぐ隣で、すいっと溶け込むように消える人。うおっ。説明聞いた後でも、びびるわ。
「決して人を閉じ込めるものではない。いまは、この街を居心地よく思っているのだろう」
「うん、そうだな」
門扉の形状とか、外の様子とか。興味はあるが、それくらいじゃ姿を現してはくれないらしい。ちょっと、はじめの門を思い出す。
「いずれ、出てゆく日がくる。また、帰ることもあるだろう。ただ、不埒者は街に入れぬから、留意されたし。以上だ」
犯罪者ってことかな?
「ありがとう」
軽く肯いて、見えない門に寄り添うスタイルに戻る。仕事とはいえ、ご苦労さまです。
糸豆が出来上がるのは、仕込んで一日から二日、と伝承にはあるらしい。アーニャは、カオの寝床に六本の藁苞を並べ、小さな莚を掛けた。二十四時間後から、四時間ごとに一本ずつ中を検めて、香作りに適した熟成時間を割り出す作戦。
まだ、数時間あるのを待ちきれずに、うろうろするから。カオの尾っぽが莚を叩いている。
オレが空き部屋をノックしたのは、そんな時だ。
「アーニャ、錐とか鋸とか、木工に使える道具持ってるか?」
「持ってるけど」
持ち出してきた道具箱は、充実の品揃えだ。
「お、すごいな」
「何でもかんでも人に頼んでたら、お金かかってしょうがないよ」
器具類を納めた棚はもちろん。漏斗を支えるロート台、試験管立て。各種架台も、すべてアーニャの手作りだそうだ。感嘆の声を上げれば、ますます胸を張る。
「じゃあ、こんなのは簡単にできるな」
「なに、なに?」
廊下に放ったままになってた竹を切り。構造を説明しながら作り上げる。アーニャが追随。子供の玩具だが、何もしないで待ってるよりは、気が紛れるだろう。
「できたー! って、何これ? どうやって使うの?」
「これは、竹トンボって言う。こうやって」
手を擦り合わせて飛ばすと。奇妙な悲鳴が上がった。
「な、な、な、なぜ飛ぶのー?」
「と、とりあえずやってみたら?」
説明なんてできないよ、オレは。アーニャは、あちこちぶつかるのもかまわず。飛ばしては拾い。拾っては飛ばし。ああ、あぶない。ここには壊れるものがいっぱい。カオも、いまにも逃げ出しそうだ。
「オレも、やっといて何だけど。室内で飛ばすの禁止な」
「はーい。ね、ね。ちょっと屋上行って、やってきていい?」
「どうぞ。行ってらっしゃい」
「わーい」
急に静かになって、カオも落ち着いたので。
オレは竹細工の続きに戻る。本当は竹編み、教わりたかったんだが。竹細工師が作っていたのは、シンプルな造りのカトラリー。後はコップだな。そこに竹馬が加わったが。
動画で見た記憶を頼りに、とりあえずやってみる。さすがに皮子じゃ痛いだろう。卵手袋の、指先を強化。
小一時間かけて、出来上がったのは不格好な笊? 前衛作品と、言い張ろう。自分の不器用さを再確認して、早々にあきらめる。
材料だけは、たっぷり。ふと、思い付いて。これも適当に、竹簡なるものを作ってみる。絵や大きな図柄を描くには向かないが。文字を書けるようになれば、重宝するはずだ。紙には及ぶべくもないが。薄板よりは、場所を取らない。誤字を削ったり、順番を入れ替えられるのもいいよな。
今回は、竹を括ってあった紐をばらして使ったが。これが、植物の繊維なのか、動物の毛なのかすら、オレにはわからない。凧糸ほしい。より丈夫というなら、革紐の方がいいのか?
あとは、羽根ペンで書けるのか。
「アーニャ、は上か」
事後承諾になるが、机から拝借。書きづらくはあるが、まあ、何とか。問題はインクだよな。博物館で見たのか、社会科の資料で見たのか。もっと濃かった気がする。墨か。墨といえば孟だが。まだ、屏風が仕上がったとは聞いてない。
屋上にアーニャを探しに行く。なんか、増えてた。もともと、通り掛かっただけの女達が。順番待ちしてまで、竹トンボで遊んでいる。落ちてくるのを横っ飛びでキャッチ。オーバーランしても、足場を見付けて、すぐ戻ってくる。竹馬といい、竹トンボといい。ここまでスリリングな遊びになるとは、想定外です。
「リュウイチ。全然、数足んないよ」
「はいはい」
全員に一つずつ行き渡るように。アーニャと二人で、せっせと作る。終わりが見えない。途中から、興味のある人には自分で作ってもらおう、と。材料と道具を運び上げた。合間に尋ねたところ。
「墨?」
「磨る、うーん。水に溶いて、筆って筆記用具で、数字とか絵とか描くんだ。黒い色が出る。それ作ってる人とか、売ってる人知らないか?」
アーニャは、首を傾げてる。いまかいまかと、自分の分が仕上がるのを待ってた女が答えてくれた。
「釜舐めさんのことだと思うよ」
家々を回って、お釜についた煤を刮いで行くという。なんか、妖怪みたいだな。道案内は、この上なく簡単な指差し。屋上から見えるところに住んでてくれて助かった。
さっそく訪ねてみる。
「ごめんください」
「はーい」
真っ黒な両手を、そこらに触れないように掲げて、足で扉を開ける女。
「釜舐めさんですか?」
「ああ、はい。墨のご購入ですか? いま、ちょうど練ってるところで。すみませんが、切りいいところまでやっちゃいたいんで。中入って、商品選んでてもらっていいですか?」
「あ、はい。商品もですけど、作業を見学させてもらっても?」
「どうぞ、どうぞ。あーでも、御召し物がよごれちゃうかな?」
「あ、それは、気にしないんで」
たぶん、汚れないと思う。いや、汚した方がいいのか。
甚平から覗く手足は細いのに。作業は、重労働だった。全体重をかけて、練りに練った墨を千切りとり、木型に入れて、万力で締め上げ、取り出す。ひたすら、くり返し。
やっと一息。オレ、息止めてたわ。
結論からいうと、墨汁はなかった。材料の膠がすぐ傷んで、ものすんごい臭いがするそう。
「面倒でも毎回、墨を磨ってもらうか。退色、覚悟でインクを使ってもらうしかないですね」
ちなみに、カンテラや街灯の煤を集めて作った墨は、手に握り込めるサイズで、蜂蜜一瓶より高かった。
「どんな奴が買うんだ」
思わず口走る。嫌な顔ひとつせず、答えてくれた。議会に納めるのが少々。あとは孟など職人の一部が使用。大半は、輸出用に商会が仕入れていくそうだ。
目的のものがなかったと言えばそれまでだが。仕事の邪魔して、懇切丁寧に説明までさせて。いちばん安い墨でも買って行くべきかと思ったが。オレ、金持ってなかったわ。
「あの、さっきから気になってて。差し支えなけれ。脇に抱えてるの、何だか教えてもらっていいですか?」
「あ。これは竹簡といって」
場合によっては試し書きしようと思って、持ってきた。用途を説明すると、ぜひ欲しいという。
演出として飾ってある硯や文鎮が、いかにも高そうで。素人としては恥ずかしい限りだが。必要とあらば本職に、これを参考に作ってもらえばいいわけで。そこのところを強調して渡すと。
「え、いいんですか? あなたの専売では?」
「とんでもない。試しに作ってみただけで。当然、お金なんて取れません」
「でも、いくらなんでも。只でもらうわけには」
相手を困惑させるだけだと気付き。開き直って、適当な価格の墨と交換した。
龍の筆置きについては、聞くまでもないが。他の道具がどこで手に入るかも、教わる。
「また、どうぞ」
はい。次は、ちゃんとお金持ってきます。
いやぁ、硯って高いのな。
道具屋では、完全に冷やかしと化して。あからさまに嫌な顔をされた。すみませんね。
裏通りをてれてれ歩いていると。戸口の脇に壊れた陶器が寄せてある。水がこぼれた跡があるから、水差しか何かだった? この街じゃ、どこでも落とせば割れるよな。しゃがみ込んで観察。見事な欠け方。底のところ、丸くきれいに残ってる。他は釉薬が掛かってるけど、底の裏は違う。残ったギザギザ、その辺の岩で研げば、使えるんじゃないだろか。
丁度、扉を開いて出てきた女に。
「これ! もらえませんか?」
「ど、どうぞ」
ちょっと前のめりすぎたか。変な奴って思われたのは確実。ま、いいか。事実だ。帰ってさっそく試してみよう。
ほくほくしながら帰ると。アーニャが、藁苞を前に思案顔。
「どうした?」
「カビてる」
「どれどれ。おーっ、できたな」
豆の表面が白っぽくもやもや。一見、膜のようでもある。
「え、ええ? 前みたいに、びちゃびちゃはしてないけど。カビてるよ? だいいち、糸出てない」
「赤とか、青とか、黒じゃないだろ。糸は」
器に移して掻き混ぜる。
「お、おーっ!」
途端に復活。
「や、やったー! できた。ありがと、リュウイチ。約束だから、それあげるね」
「研究用だろ」
「そ、そうだった。思ってたよりずっと強烈。とりあえず、その半分もあれば足りるかな」
「じゃあ、半分もらおう」
準備はしてある。逸る気持ちを抑え。黄色い種をすり潰して、日向水で溶き。小分けにしておいた醤油を掛ける。
うん。納豆。味より、懐かしさだな。やっぱり、米あってこその旨さなんだって、実感。
そう思いつつ、取り分けておいてくれれば食う。オレには、どれも同じだが。アーニャの実験結果では。丸二日、発酵させたものがよい。ということだった。
これが香の材料。同じか、それに近い物質を自分が発散してるなんて、信じたくない。よし、忘れた。
「豆の煮方が絶妙だな」
「え? えへへ。それほどでも」
アーニャのやつ。やれば料理も、たぶんうまい。その様は、確実に実験だろうが。
陶器の欠片で、墨も磨れました。




