糸豆とひしお
水汲みに下りると、ブルーノに遭遇。っていうか、待ってるよな。完全に。
「おはようございます」
「おはよう」
影も人並みになった。少しは落ち着くだろうと期待したが。恍惚とした表情で、祈ろうとする。
「待った」
うん。もう、いろいろあきらめるから。そっちも妥協してくれ。
「オレと一緒の時は、これで頼む」
伝えたのは、たったの七音。
「合掌して、声に出さなくても伝わるように強く念じてほしい」
同時にこちらも手を合わせれば、挨拶にしか見えない。よくぞ思いついた。えらいぞ、オレ。
「はい。永遠の光へ信従を誓う文言ですね」
え、知ってた? しかも、そんな意味があった?
「全身全霊をもって」
合掌し、瞑目したブルーノに向かって。慌てて、手を合わせる。えらいこっちゃ。どっかに取り扱い説明書はないかー?
「水汲みは、オレの勤めだから。ブルーノはブルーノの仕事をしたら?」
「はい。そのようにいたします。今日も、三時から勉強会を行われますか?」
「あ、うん」
オレは、週にニ、三回のつもりだったが。そんなこと、言えない雰囲気。ブルーノは至極、満足そうに去っていた。
「あーっ」
言ってしまったものは仕方ない。深く考えるのはやめにしよう。
もやもやするのは、たぶんオレだけで。多くの人が慕ってる。祈祷師は、議会が認める職業で。他に二人ほど見掛けるが。ブルーノの人気は段違いだ。誠心誠意、祈るし。親身になって話を聞いてくれる。
皮子の気配がわかるくらいだから。何かしらの力を持ってるのは間違いない。
いつも静かにしてもらってるが。皮子から見て、どうなんだ? うん、うん。なかなか見所がある? 十万遍、命懸けで祈れば。この間、踏みつぶされた皮、一枚くらいは昇天させられるかも。って、なんでそんな上から目線? まあ、嫌いではないようだ。
アーニャが妙なことをやっている。
前日から水に浸けてたものを根気強く煮込む。さすがに、空き部屋の煙突は、閉じられていて。オレが寝泊まりしてる部屋が現場となる。材料が材料。自炊に目覚めたのかと思いきや、仕事の一環だった。
調香師の勘とやらで。新しい香に必要な素材の見当を付けたが。最後の一つが手に入らないんだとか。
「製法は伝わってるんだ。でも、実物、見たことある人がいなくて。先輩たちは、とっくににあきらめてるし。薬師もお手上げ」
「それは。その口伝が間違ってるんじゃないか?」
「そう思って、いろいろ試してるんだけど」
オレには、アーニャが煮てるものが、大豆にしか見えない。傍らに用意してあるのは藁。もしや、米が! と、興奮したのはいい思い出。麦藁だった。
「その素材の名前。オレ、聞いたっけ?」
「言ってなかったっけ? 糸豆だよ」
もう、あれしか思い浮かばない。
「それさ。ねばーっと、糸引いたりしない?」
「そうらしいよ。だから、糸豆なんだって」
しゃべりながらも、アーニャは藁を編む。おおっ。藁苞、って言ったっけ。ちゃんと形になってる。麦藁でもできるのか。見よう見まねで手伝いながら、アーニャの愚痴を聞く。オレも詳しいわけじゃないが。その工程は、ほぼ完璧だと思う。
「何が足りないんだろう?」
「温度かな」
「え?」
「カオの腹にでも括り付けておけば、できるんじゃないか」
「えー?」
半信半疑ながらも。ほかに縋るものもなく。
「縛るのはかわいそうだから。寝床に入れてみる」
試してみる気になったようだ。カオのやつ。どうせ、食べる以外は寝てるんだ。うまくいくだろ。
「できたら。少し、わけてくれないか?」
「いいけど。何するの?」
食べる、と答えたら。変態扱いされた。
ちなみに、原材料は大豆ではなく、大豆と言うそうだ。
醤油を求めて、串焼きの屋台へ。
「おう、よかった。探そうにも家、知らねぇし。名前だって、細工師の親方に聞いて、はじめて知ったんだ」
「それは、すまん。何か、不都合があったか?」
「いいや。礼を言いたかっただけなんだ。これ、どうよ? なおさら旨そうに見えるだろ。本当、ありがとうな」
焼き印の押された竹串。刺され焼かれた肉が、より上等に見える。
「今日こそ。串焼きと焼きとうもろこし、持っていってくれ」
炭の中に、例の焼き印が突っ込んであって。焼きあがったとうもろこしの軸にも、ジュっと押してる。
「うまいこと、考えたな」
「ははっ。あんたが言うか」
先に別の客の分を捌いてもらいながら、交渉。
「できたら。そのたれに使ってる醤油を、少し分けてほしいんだが」
「う、うーん。あんたの頼みなら、大抵のことは聞いてやりたいが。このたれだけはな」
「いや。配合が秘伝なのはわかる。ただ材料の、醤油」
「さっきから、気になってたんだが。その醤油って、なんだ?」
え?
「たれのもとになってる。赤黒い、塩辛い液。大豆を茹でて、塩入れて寝かせた」
「しっ。そこまで察してるんじゃ、あんたに隠しても意味ねぇが。家畜の餌使ってるなんて、聞こえがわるいだろ」
あ、そういう理由。他にもいるけどな。それで香、作ろうとしてるやつ。
「それは、悪かった。オレも人には言わないよ」
「頼むぜ」
根気強くやり取りした結果。豆醤って表現が、オレの頭に刷り込まれる。それを分けること自体はかまわない、って。やった。
「でも、そこまで気を遣って。名称でばれないか?」
「だから、醤って名前で、議会には登録してる」
なるほど。オレは全く忌避感ないが。製法を知りたくなかった、って経験はある。
まあ、呼び名はどうでも。いつでも、どこでも、手に入るってことが大事だ。
「せっかく登録したんだ。それも、売ればよくないか?」
「買う奴いるかね」
最近やっと売れ出した味だし、と消極的。
「オレが買う。あとは、個人相手じゃなくても、店に卸すとか」
「ありがとよ。でもな、俺みたいに店持ちじゃない奴は、信用もないし。大抵の商会は相手にしねぇよ」
いや、いる。絶対に食い付きそうな奴。
「売れるなら、売る気はあるんだな?」
「そりゃあな。言い伝えだけを頼りに、苦労して作った味だし。それが広まるのは気持ちいいだろう。正直、張り切って仕込みすぎた」
試行錯誤の時期が長かったから。完成したらうれしくて、はっちゃけたらしい。
「めちゃくちゃ手間はかかるが。材料、安いしな」
他人のあやふやな記憶を具現化。さらに、味噌と醤油の中間くらいだったのを、一気に進化させるとか。すごい奴がいたもんだ。
客の波が途切れたところで、屋台を離れる。隣の果実水売りに、一応、見張りを頼んでるが。
「わるいな。仕事の邪魔して」
「なぁに。返せる時に返しておかないと。あんたには返しきれなくなりそうだ。近くだしな。気にするなよ」
目抜き取りを渡って、しばらく歩く。水車の隣。騒音に負けないように大声になる。
「うるさすぎて、一階なのに家賃格安。他より断然、涼しくて。保存するのに向いてるんだ、これが」
あ、そういや。納豆食ったら、発酵関係に近付くのはご法度だって、何かで見た覚えが。まだ、出来上がってはいないが。オレ、菌、持ち込んでないよな? あ、大丈夫? 皮子が言うならそうだろう。よかった。
皮子が入れそうな甕ごと渡してくる。蓋の上から革を掛けて、紐で括ってある。持つには不安はないが。
「こんなに、いいのか? オレ、金ないから。これと交換できる分だけもらおうかと」
出来上がるのに一年から掛かるとか。軽く考えてて、すみません。
「なぁに、礼だよ、礼」
「じゃあ、ありがたく。こっちはせっかく持ってきたから。まあ、気持ちばかりだが」
アーニャに強く言われて、包装してある。やはり、品質を保つには日に晒さないことだそうだ。
包用葉って呼ばれてる、大きな葉っぱ。朝飯ついでに探したら、わっさわっさと風に揺れてた。葉がでかけりゃ、木もでかい。
テイクアウトにも、よく利用される。アーニャと分けても食べきれない量の、串焼きと焼きとうもろこしを持たされた。
診療所に回って、御裾分け。オペラを歌うシスターに、勉強会への出張を頼む。
「そんなことで、お役に立てるなら。他の場所で、披露するのは初めてです」
照れながらも、承知してくれた。謝礼にやはり、金を包むべきか。
エイト商会の本店。他の店と比べて、品揃えに隙がない。店舗はコンビニサイズだが、奥が広いとみた。エイトは不在。従業員が全員、顔見知りって大きいよ。
「なんだ、リュウイチか」
とりあえず話は聞いてくれる。串焼きの存在は知っていて、食べてもいるが。その調味料を扱うとなると否定的。
「確かに、いい味だが。他の料理に使えないんじゃな」
「それは、誤解というものだ」
だったら、証明しろと言われて。中庭で焼き肉をすることに。煮物とか汁物の方が、目的に適うと思うが。向こう様の意向で、この一択。
あっという間に、三人増えてた。煤けた岩。普段から竈として使ってる様子。薪を燃やして、鉄板乗せて。こいつら。ただ、肉を食べたかっただけじゃないか?
鉄板なら、ステーキか、すき焼きか? 豚肉なら生姜焼きって手も。って、お前らどれだけ肉、切り分けるんだ。
どうやら、昼飯がまだだったらしい。話を聞きつけた従業員たちが、集まってくる。木のボールにかなりの量の醤油を移し。こんなこともあろうかと、共に持参した蜂蜜を、投入しようとしたところで。
「何、やってる?」
ペコに声を掛けられた。
「何って、味付けのためのたれを」
「それは、何?」
「醤油、いや。醤と蜂蜜」
「馬鹿っ。そんなことに使う奴があるかい」
すごい剣幕で怒られた。
「まあ、まあ。リュウイチの非常識は、いまに始まったことじゃないだろ」
それでフォローしてるつもりか?
何が問題なのか、わからないままに。蜂蜜を取り上げられた。
「これは、適正な値段で買い取る。肉の味付けなんか、他のもんでやりなよ」
まったく信じられない、とかなんとか。ぶつくさ言いながら持って行ってしまう。
「塩でいいじゃないか、塩で」
「それじゃ、目的が果たせないだろ?」
「目的って、なんだ」「さぁ」「肉を食うこと」
もう、お前ら黙ってろよ。
「林檎とか、玉ねぎとかあるか?」
物の名前が通用せず。倉庫をのぞかせてもらう。あるじゃないか。やっぱり小売りはおまけで、卸しが主なんだな。
売り物に手を出すのはどうかと思ったが。
「こっちの傷物なら」
賄いに使うことは認められているらしい。んじゃあ、遠慮なく。あ、根ショウガとニンニクも。
「どうするんだ、そんなに」
「味付けに使う」
おろし金を借りて、おろしまくる。め、目がぁ。って、気分だけな。
どこにでも料理好きっているもので。すぐに意図を呑み込んで、主になって動き出す。助かった。
「何か、足りんな。ちょっと待ってろ」
料理酒、出してくるし。こっちの果物、甘みが薄いからどうなるかと思ったが。甘味に慣れてない舌には、十分だったらしい。
「あと引くな、この味」
まともなコメントは、後にも先にもこれだけ。
「早く、次を」「他の奴らがくる前に、食えるだけ食うんだ」
匂いにつられて続々やってくる。一応、店番は残しているらしいが。
「いいから、次を焼けって」
なんだかんだ。ペコがいちばん食ってる。
途中から、奥方が姿を現して。ギリシアの女神降臨って外見だが。ちょっと、どこ見てんのかわからない。挨拶を交わした後は、ひたすら優雅に肉を食っている。ペコはじめ周りの態度は、保護動物の面倒を見る感じ。商売には携わってないらしい。はぁー。夫婦のことは、本人達にしかわからんな。
醤油の取引。前向きに検討するそうだ。ひたすら肉を焼いて、合間にちょっとは野菜も焼いて。蜂蜜の代金をもらって、帰路につく。
「あ」
すれ違った馬車に、エイトが乗ってた。醤をよろしく、言っておくか? 踵を返したが。さほど進まずに、足が止まる。盗み聞きするつもりはなかったが。
漂う匂いと。ただ、うまかった、って要領を得ない感想に、エイトがブチ切れてる。
「人のいねぇ間に、なに勝手してやがる」
「ふつうに昼飯、食ってただけっす」「未知の味だった」「肉うま」「おいしかったですわ」
「お前ら。誰も、俺の分を取っておかねぇとは、いい度胸だ」
怒鳴り散らしてるが。それ、オレのせいじゃないよな。
銀貨の重みで首が凝る。さっさと使いたいが、勉強会が先だ。
皮子に、においチェックをしてもらう。無用の心配だった。皮子コーティングに、服は卵由来。無敵。
「これは、どれだけ覚えてるか確認するだけだから。できなくても、気にしないでいいからな」
前日の復習からと思ったが。大文字のEが逆向いてたり、小文字のpとqを取り違えたくらいで。さほど時間は掛からなかった。
「遅れてしまって、すみません」
「いや。ちょうどよいタイミング」
密かに、オペラさん、とオレは呼んでいるが。ドクの奥さん、登場。特にお願いした曲のほかに、四曲を披露してくれた。言葉の意味は把握してないようだが。いや、十分すぎます。前世でも味わったことのない、生アリアの迫力。盗聴防止のBGMやってた時とは、気合の入り方が違う。
気付くと、食堂の奥さんが、感涙に噎んでいて。
「また、聞きたいわ。ねぇ、あなた? 見ての通り狭い店で、格式も高いわけじゃないし。こんなことお願いするのは、失礼かもしれないけど」
時々でいいから、歌いに来ないかとスカウト。
「お昼休みなら。時間を自由に使えますから」
「そう! それなら、お客さんにも聞いてもらえて、ちょうどいいわ」
一時間で銀貨一枚。ってのが、効いたよな。
なぜかレパートリーに、一曲だけあった讃美歌。たぶん、ドイツ語だが。意味はわからなくても伝わるものがある。
「あれが、神の栄光をたたえる歌なのですね」
ブルーノが感極まっている。この調子じゃ、速攻、覚えて歌いそう。読経で喉、鍛えてるし。
二時限目も何とか、クリア。やれやれ。
蜂蜜を売った金で。何を置いても、銭湯。雑貨屋で芥子の種を買い。フィルターを五つ手に入れることができた。金銭的にも、時間的にも、ぎりぎりだったな。
「リュウイチか。ちょうどよかった。新しいフィルターできてるぞ」
八日ぶりくらいか? それを感じさせないアジットのテンション。
「今度のはすごいぞ。見ろ、ここに弁を付けてだな。呼吸が楽にできるようにした。そして、なんと、これは空気中でも水中でも使えるんだ」
「それはすごい。汚れた水の中でも作業できるってことだな」
「おおっ、やっぱり。リュウイチなら理解してくれると思った」
ハグというより、ヘッドロックだ。ギブギブ。
「審査官のあほどもは、何にもわかってねぇ」
かろうじて登録はできたが。相変わらず役に立たなそうなもの作るね、的な。嫌味を言われたらしい。早すぎる天才って大変だ。
今度はがっつり代金取られた。一つ五千ミミ。まあ、絶対に必要なものだしな。性能は良いに越したことはない。
とはいえ、一週間に一個、駄目になる計算。飲食関係では不自由もあるし。体質改善を諦めたわけじゃない。
所持金、一桁でも平気。いちばんの変化だ。




