勉強会
曲がり角での方向転換が難しい。この頭で、人にもの教えんの? 嫌な汗、出てきた。
誘引の香に関する呼び掛けがなくなってる。残るは影だ。いま、広報係に近付くのはな。時間を尋ねてくれた人、ありがとう。何とか間に合いそう。
アーニャ宅、前の廊下に竹の束を置く。向こう三軒、空室で助かった。
五分前ってところか。路地に降り立つと。気付いたブルーノが、歓喜する。やばい。膝ついて、祈りはじめた。
「祈祷師様が祈ってる」「ありがたい」「わたしも共に」
一緒になって祈りはじめる人が、ちらほら。混ざってみた。
ひとしきり祝詞を上げて。目を開くと、そこにオレはいないわけで。慌てて立ち上がったブルーノは。跪く集団の中に、オレを見つけて驚愕。ほら、握手を求める人に応えないと。
「リュウイチ様。なんと、お人がわるい。驚かせないでください」
「その台詞、そのまま返す」
影、戻したからな。何の反応もない方がおかしいか。
「申し訳ございません」
「次、気を付けてくれればいいよ」
お返しは十分にした。にやにやしてたオレは、食堂に入って驚く。黒板! あったんだ。チョーク、黒板消しまで。いちばん近いテーブルには、薄板が二山。
「出過ぎた真似をしたしまして。リュウイチ様のご意向に沿うことができましたでしょうか」
これが忖度ってやつか。すごいな。
「ありがとう。必要なものが揃ってる」
今度はブルーノが誇り顔。
「どうやったら、こんな早く?」
「それは」
なぜ、小声になる。あー、そう。学校の倉庫から。いまは、使ってないものだから? うん。聞かなかったことにしよう。
「リュウイチ君。本当にここで教えてくれるのかい? 僕も混ざって、本当にいいのかい?」
店主が前掛けを揉みしだいている。
「もちろん。すみません、お願いするのが遅くなって」
「よかったよぉ」
だよな。これだけ用意してて、違いますとか言われてもな。
「なるべく、お仕事の邪魔にならないようにするので。よろしくお願いします」
「いや、こっちこそ。いろいろ考えてくれてありがとう。この時間帯なら、お客もまず来ないし。これからよろしく。リュウイチ君、じゃまずいかな。先生だものね」
「いえ、いつも通りにしてください」
ここでも、話し方を何とかしてくれって言われた。ああ、うん。どうしても、環境に引っ張られる。自然の中でヒャッホーしてれば、当たり前にため口。
今日は。勉強会に参加しないか、って勧誘と。ここを使わせてくれ、ってお願いと。今後の打合せをして終了、のつもりだったんだが。
「リュウイチ様。先に、お伺いしておきたいことが」
「何?」
ブルーノに任せておけば問題ないって感じ。
「お月謝のことです」
学校はもちろん、師匠についてものを教わる場合。それぞれが支払える範囲内で、月謝を納めるのが慣例なんだとか。
「ああ。そういうのはいらない。これは教室じゃなくて、勉強会だし」
二人共、目でノーと言えるとは。
「うーん。マスターには、場所を提供してもらって、ブルーノには教材を提供してもらって。皆の持ち寄りで、学び、お互いを高め合う集まりってことで」
「高め合う。いいね」
「すばらしいお考えです。リュウイチ様がそうおっしゃるのであれば」
納得してくれた? よかった。
「ところで、私が教材をということでしたが。そこまでは頭が回らず、申し訳ありません」
「いやいや。すぐ、わかるから。とりあえず始めよう」
オレこそ何の準備もなく、見切り発車です。
「今日は、アルファベットという文字を教える」
まず、黒板に一文字書く。ここまできたら、恥ずかしがったら駄目だ。
「これがA。くり返して言ってみよう」
Cまで教えたところで、ブルーノの目が理解を示し。最初っからキラキラしてた店主も、Gまでいったところで、はっとする。
「僕、これ知ってる?」
「リュウイチ様。これは、もしや」
「御明察。では、歌ってみよう」
墨染、装飾じゃらじゃらの坊さんと、つぶらな瞳の恰幅のいい料理人が。アルファベットの歌を合唱するという。シュールな光景の中。オレは二十六文字と、最後の歌詞を黒板に書く。
「よくできました」
拍手。よくぞ、覚えていてくれた。これで、教える手間がだいぶ減った。
「あの、リュウイチ様。質問をしてよろしいでしょうか」
「はい、どうぞ」
「先程、歌うとおっしゃいました。歌うとは、どういうことを差すのでしょう」
「うーーーん」
あらためて問われると。ドクの所のシスター歌ってたよな。それを歌とは認識してないのか?
「言葉に、高い音や低い音。長い音や短い音をつけて、声に出すこと、かな。あー、でも。ブルーノが聞きたいのはそういうことじゃないよな?」
「はい、その。神へ捧げるのは歌ではないのですか?」
「いや、歌もある。あるけど。ブルーノが、よく口にしてる聖句やお経は、歌とは言わないな」
店主は、まるっきりわかってない顔。
「今度、歌が得意な人に来てもらって。聞き比べて、皆で検証してみようか。勉強会だから、な!」
「おお。そういう勉強の仕方もあるんだね。楽しみだ」
こっちが何とか気分を盛り上げてるのに。
「そうでしたか。これは、祈りの言葉ではなかったのですね。どこで思い違いをしたのか、私は多くの人に教えてしまいました」
祈祷師、苦悩しはじめた。
「ストップ、ブルーノ。これが、これから学んでいく上で、すべての元になる。えーと、つまり根っこ? 根っこがなければ、植物は育たない。花も咲かなければ、実もならない。違うか?」
「そ、そうですね」
「それから、この終わりのところ。幸せ、って言葉が三回も入ってる。言葉には力がある。よし、頑張ろうって口に出せば、やる気がでるし。どうせ、駄目だって言ってたら、できるものもできないだろ」
いろいろバージョン違いはあるが。馴染みのある歌詞でよかった。
実際、ヒーリングに役立ってるんだよな。落ち込んでる女と一緒に歌うのを垣間見て、ひそかに感動した。
「間違いなく皆のためになる。これからも、ぜひ広めてほしい」
そして、早く識字率を上げて。誰が、面白い話を書いてくれ。
「は、はい」
「そうですよ。僕も、おかげですごく理解しやすい。好きな図形、いや文字というんだっけ。そのこととはいえ、すぐに覚えられるか不安だったんだ」
ほんと、すごいよ。二人共、主に英語を話してるにしても。こんな短時間で、アルファベットを覚えるとか。
「リュウイチ様。私の記憶違いでなければ、YとZの間にもう一文字あるはずなのですが」
よかった。復活した。
「&だな」
「あ。僕、それ図形で見たことがある」
「当り。これは記号だ。意味は、とだ。黒板とチョーク。机と椅子。あなたと私。アルファベットで書くと、a、n、d」
「先ほど習ったものと違いますね。終わりの二列に見られる文字と同じようですが」
で、小文字も教えると。いくつかの単語、簡単な文法もマスター。
初日にして、ここまで進むとは。オレ、すぐお役御免じゃないか? まあ、その方がいいんだが。
森で植物採集。もちろん、食うため。
紫の花びらの上で忙しくしてるの、ミツバチだよな。小さいし、丸っこい。後を付けて、樹の洞に巣を発見。針が貫通しそうだし、毒でどんな影響があるかわからない。皮子には避けていてもらう。蜂蜜の匂い。
ある程度の攻撃は、肌の硬質化で防げる。蜂の毒には耐性がある。だ、大丈夫。己を鼓舞して、へっぴり腰で近付く。
真っ先に逃げ出しす、女王蜂。働き蜂も一匹残らず。五メートルほど離れた、樹の枝に群がって。ヴヴヴヴ、羽音が恨めしそうに響く。
ああ、うん。そうでした。安心して巣を回収。うぉっ。すごい、垂れる、もったいない。入れ物がないので、皮子で包む。歓喜。ああ、甘いよな。着ているジェラバのフードに、フィルターを移して、街に戻る。
今度は、地蜂見つけて、蜂の子取ろう。楽しみだな。獣を捕まえても、いまだ止めを刺せない。他からタンパク質を。え、何? ここで卵は産まない? そ、そうだった。がーっかり。皮子は嬉々として、さらなる蜂蜜採りを勧めてくる。そだね。そのうちにね。
アーニャは、分泌液を採取したせいで。険悪になりかかったカオとの関係修復に勤しんでいた。
「アーニャ。空き瓶、できたら蓋付きの。壺とかでもいいんだが、分けてくれないか?」
完成した香を入れるのはもちろん。材料を保存したり、溶液に浸したり、発酵させたりするのに。容器は大量に持っている。
「いいけど。何に使うの?」
「ミツバチの巣を見つけたから」
皮子が水桶から退いた途端、甘い香りが広がったようだ。
「煮沸消毒済のがあるよ」
他にもガーゼとか、漏斗とか、言う前から出してきて。非常に協力的。やはり、遠心分離機は存在しないそうだ。となると、手しぼりか。テーブルに道具を広げ。なるべく溢さないように集中。
一旦、甕にしぼって。その後、瓶に小分け。
さて、巣くずをどうしようか、と思ったら。カオとアーニャが食ってた。そりゃ、取り分として認めるけどさ。うまいか? それ。どうせなら、搾る前に食べればいいのに。
一リットルは入る瓶。三本分、蜂蜜が取れた。一本、アーニャに渡す。
「それで、瓶の代金と。道具の借り賃になるか?」
「なるなる。ほんとにいいの? 後で返せって言っても、聞かないよ?」
「言いません」
「やったぁ。カオ、夢になる前に寝ちゃおう」
小躍りしながら、空き部屋に引っ込む。
皮子は、採蜜に使った甕の中で、残った蜂蜜を堪能中。いつの間に。
こうやって見ると、カオと同じくらいの大きさあるな。
蜂蜜まみれの手。正確には、卵の殻製手袋を濯いだ水にも、分体が入ってるようだ。使った道具類を次々、突っ込んだら、全部きれいにしてくれた。ありがと。
さて。蝋燭に火を灯して。三つ目の課題をどうにかしよう。他者の影が、薄ぼんやりしている時も、オレのは真っ黒だ。
自分の影に両手をついて。引き延ばそう、と思う。
ぐっ。かったいゴム風船を膨らませる感じ。こ、これくらいか? 床の半分を覆って、やっと良さそうな濃さ。
自分の形に切り抜く、イメージ。完全に切り離すのは、やばい。影の糸で繋いでおくとか?
何本か、別に形作ってみる。強引にのばしていって、千切れそうだと思ったところで停止。ビニール紐くらいの強度はありそう。これを、ずーっと引き出しながら行動するのは、理屈の上では可能だが。集中力が持たない。
こっちのべろべろも、放置するわけにいかないし。
べろべろ? 引き剥がすつもりで持ってみる。いける。卵の殻よりきめ細かいが、感覚的には似たようなもの。ぎゅうぎゅう丸めて。
見た目は、黒く濁った水晶玉。糸付き。そうっと、残した影に仕舞う。濃さに問題はない。
何とかなったんだから、細かいことは、いいや。
睡魔に抗わないって、すばらしい。




