女村に生まれて
2
いま、ちょっと認知力が上がった。
オレは、リュウイチ。ストーンサークルの中にいる。そうだな。直径五十メートルくらい。かなりひろく感じる。なにしろ体が五歳ていど。気を付けないとすぐ転ぶ。
「あぎゃあ」「ピィョ」「ブモー」「ミャウ」「キュー」
「グワァ」「ヴヴ」「メェーッ」「ンニャー」「アウゥ」
騒がしい。かわいくはあるけど、愛でる余裕がない。オレは素っ裸だし、腹も減ってる。
あちこちにある、黒い塊。片手に乗りそうなのから、その何百倍もあるものまで。とにかくたくさん。つつくとゴムみたいな弾力。
「はやく、かえれー」
オレは、よだれを垂らしながら応援する。
繭型の黒い卵。その一つが震えて、莢が弾けるように縦に割れた。
「キュァ」「アー」「クー」「ギュン」「ワァァ」
ぬれた子犬が五匹、あふれ出る。
「いただきまふ」
オレが用があるのは殻の方。たとえるなら甘くないマシュマロ。口にふくんでいれば溶けて飲み込める。でも、オレはそれも待てずに一生懸命かむ。
三分の一ほど食べると、少し落ち着く。毛の乾いた子犬たちが、脛に身を押し付けていた。目も開いてないのに猛烈抗議だ。
「ごめん」
残りを五等分する。ちぎってるとまた食いたくなる。がまん。
あっちの子牛。こっちのひよこ。芋虫みたいに極小のやつからも。ちょっとずつ頂戴して、やっと満腹。
ねむい。人肌ほどでも石は石。せめて枕がほしい。
目をつけていた子羊。
「メェー、メェー」
かなりうるさい。なでてなだめて、頭を乗せる。やりとげた。ひたる間もなく。そいつはあわく光って消滅。
ごちっ。
「いたい」
そろそろ消えるのはわかってたけど。タイミングが悪い。
自分の腕を枕に、ふて寝。
うなり声がして、オレはびくっとする。
いつの間にか現れた女が一人。卵、産んでる。動物はともかく、これは見ちゃいけない。
グロい、ってのもある。案外すんなりすむんだけどね。あ、終わった?
いつもそう。人も動物も、ぼんやりした顔。なんのためらいもなく、橋をわたっていく。
人恋しくて追いかけたこともあった。でもオレ、成体には不人気。どうも、こわがられているみたいだ。なんで? 柱と柱のあいだに透明な何かがあって、オレは外に出られない。
悲しくなるから、楽しいことを考えよう。
大量の子亀が孵る。大興奮。このフォルム、たまらなく好きだ。殻を少しずつちぎりとる。
一足飛びに成長していた。九歳だ、って自覚する。前より少しだけ、複雑にものを考える。前世ってことばの概念も持ってる。でも、何か大事なことを忘れている。
見ていてわかったこと。とうとつに現れる、黒い霧の塊。中には大人の人や動物がいて、霧が晴れるにつれておなかが大きくなる。ならないのもいるけど、卵は産む。殻の色と関係ありそう。卵は勝手に孵る。
たまには人の赤ちゃんもいた。思わずだっこ。
「なに子ちゃん?」
なつかしい感じがする。
「あー」
かわいい声を上げるようになると、金色の光に包まれて消える。
「あーあ」
気候は温暖ですごしやすい。でも、真っ裸はな。衆人環視の状況がつらい。前は暗闇がこわかった。いまは夜になるとほっとする。
太陽の位置は常に真上だ。どんどん小さくなって日が暮れる。少しずつ大きくなって夜が明ける。月はない。星もない。夢は見ない。
食料確保がうまくなった。大きさは関係ない。厚みのある殻は、食べ残しがでる。つついて確認。先に目星をつけておく。干涸びたら、さすがに歯が立たない。
「キュキュキュッ」
食い足りないやつはほかにもいる。
「お前の殻、ぺらぺらだったもんな」
しがみついてくる子猿。ひとりじめする気にはなれない。
「うぅ」
味がしないって、まずい。必ず食べられるようになったがゆえのわがまま。だんだん腹が立ってくる。ぐしゃぐしゃと両手で握り込んだ。食べないって選択肢はない。強く、強く念じる。
「これは米。飯。にぎり飯だ」
気でも違ったか、オレ。確かにさっきまでとは違う。丸くまとまっている。上っ面を剥いてみる。
「え?」
中が白いつぶつぶ。米っぽい。おそるおそる口にする。味はあいかわらずしなかった。でも気のせいか、いつもよりしっとりしている。うん、絶対してる。オレ、泣いていいよな?
十六歳になると、いままで以上に腹が減る。
アワーマークを思わせる石柱。内側に水路。水生のやつはそこで卵を産む。傷だらけのやつも、体はぷっくらしてる。産卵後も元気だし。
空腹と味なしのコラボに耐えかねて、生食に挑戦。水に腰まで浸かり、狙いを定める。つかんだ! と思ったら、全身がしびれていた。仰向けに浮かなかったら溺れてた。逃がした魚がたてる音。
「くっ」
山羊でも、結果は同じ。この狭い領域。捕食者と被食者が一緒で平気なわけだよ。でも、乳吸うくらいよくないか? 三回、失敗してオレはあきらめた。
偽パン作って脳をなだめる。けっこう疲れる。よけいに腹が減る。でも、食感はいい線いってる。ほんのちょっと味がする。気がする。
「ゴッゴッ」「アー」「ジュ」「ミューン」「グヒヒヒヒッ」
シュールな光景に魂を開放する。パンツ一丁のオレ。食うか、履くか。どんな野生児だ? 手足はすらっとしてる。腹筋は割れてる。顔は、うーん。絶世の美男子か、ど平凡。どちらかのはず。なんでそう思うのかは不明。
いまも、女たちにチラ見されてる。
つるりとした石の柱。手足をペタペタ貼りつけてのぼる。落ちたらやばい高さ。ひやっとするけど、なんだろうな。青春真っ盛りの、オレ異性になんか興味ないよ、的な行動? やっぱり横石より上には行けない。
開き直って堂々見返そう。髪の色、結い方、彫の深さも、肌の色もまちまち。服装の趣味もだいぶ違う。全体的に質素。皆きれいだけどね。歳は二十五、六?
村っていうか、集落っていうか。中心にオレのいる場所があるから、互いによく見える。人は二十人も住んでない。背丈の何倍もある崖に囲まれてる。そこに横穴を掘って、ドアをつけてだな。外で煮炊きをしているから、たぶん中は広くない。牢屋みたいなところで家畜を飼ってる。小さな畑もある。
時々、鶏つぶしたり、小川で魚をとったりしている。あれ、オレが逃がしたやつかな。
ぐう。
葬列らしきものも見た。オレもこのままの速度で育ったら、あっという間に死ぬよな。
たとえるならエレベーターの浮遊感。いきなりの感覚に気をとられる。
「うおっ」
腹の大きな象に、踏まれそうになってた。横に跳ぶ。望外のジャンプ力。水路を飛びこえ、外に転がり出る。
え、外?
腕とか腿とか太くなってる。目線が高い。オレ、二十五歳。
女が一人、迎えにきた。虎を。オレのことは、ものすごく警戒している。ふつう逆じゃないか?
頭を撫でて話しかけてる。よくがんばったね、とか。新しいおうちに連れてくよ、とか。
耳に入ってくる、知らない言語。意味はわかる。違和感。でも、すぐ慣れた。字幕で話せる気になる、あれに近い。
ちらちらこちらを振り返る。ついて来いってこと? 来られると困るってこと? ああ、勝手にするから気にしないで。
井戸に行って水を飲む。洗ってあった野菜をもりもり食った。これが人間ってもんだよ。
一言ことわりたかったけど。女たちは、オレが近付くと逃げる。追いかけたい衝動にかられたけど、やめた。オレは変態じゃない。ないよな?
大鎌やピッチフォークを手にした女たちに追われる。あっち行け、だって。しかたなく虎の後を追う。
広い洞窟。裸足でもなんとかなりそう。ゆったりとしたのぼり坂。途中で枝分かれしてる。女の足取りに迷いはない。
五千歩は歩いた。道がだんだん狭くなってくる。ランタンの灯はオレまで届かない。大丈夫。妙な確信をもって、足を踏み出している。
そんなに怯えなくていいのに。女の足がどんどん速くなる。前にもこんなことあった? いやいや。怖がられるような容姿じゃない。彼女の一人や二人、いたことも。
「あれ?」
一人だっけ、二人だっけ。黒塗りの人型。やめよう。思い出すのやめよう。
曲がり角の向こうから。あれは外の光? 見えた時はほっとした。
出口は、虎にぴったりなサイズ。脇に立った女は、瞬きもせずにオレを見る。大型猫につづいて出たよ。ペットドア。
ちょっとした空きスペース。周囲はジャングル。空気が濃い。
女はしゃがんで格子越しに、虎に何か食べさせてる。食い物。凝視。しかたなさそうに、オレにも投げてよこす。
黄色いあんこ玉。うまそうだけど。虎、吐き出してるよ?
女の目付きがすごい。虎にはそれ以上、無理強いしない。一度口に入れれば、ぺっ、してもいいってことか。なめらかな舌触り。噛め?
「ぐわっ」
全身の毛穴が開いた。脳みそがびりびりする。
ぼんやりしていた感覚、思考、記憶が鮮明になった。
のびた髭が気持ち悪い。こんな邪険な女のいうこときいてていいのか。オレの名前は、中野龍一だ。死んだ。呑まれた? 満子!
「ガウッ」
虎が、右に左にうろうろしている。伝わってくるのは、食う、って意志。
やばいやばいやばい。素早い駆け寄り。ど迫力の爪。目をそらさず、よける。どうする? 手の平をパンツでぬぐう。暴力きらい、とか言ってられない。なんか武器。硬い。とがった。ナイフ! ふるちんで構えた刃物は、先がべよべよしてる。オレの造形。あいかわらず役立たず。やぶれかぶれに投擲。
かわすまでもないコントロール。でも、虎はくやしげに唸っている。重いものを引きずるように、四肢に力が入る。でも、動けない。なんだかわかんないけど。
洞窟に戻ろうとする。外側にしか開かない格子がなんだ。オレは人間だ。引っぱって、持ち上げれば。あ、鍵かけられた。わかったみたいに肯いて。帰るの?
違うよね。村案内して、いろいろ説明するとか。料理だして歓迎とか。いちゃこらして、いい思いするとか。なし? なしなんだ。
虎の影に刺さったナイフ。少しずつ抜けてきている。理解するより先に駆け出した。大丈夫だ。オレはやつより速く走れる。