孟と龍
寝坊をしたのには、理由がある。完全防備のアーニャに、揺り起こされる。
『はい、リュウイチ。うがい』
水の入ったコップを渡される。
『ぐちゅぐちゅー、ぺっ。はい、もう一回』
うわぁ。観念して、差し出されたボールに水を吐き出す。
『石鹸はないけど。お湯沸かしたから、よく洗ってね』
空き部屋に、大きめの盥。お湯の量は半分ほど。村の温泉とは比ぶべくもないが。ここまで水を運び上げて、小さな竈でせっせと沸かしたと思えば。十分すぎる。
「ありがとう」
どんな魂胆があるにしろ。あー、さっぱり、さっぱり。替えのパレオ。花柄。青色。受け入れ可能。さっきまで着てたのを踏み洗い。
『何、やってんの?』
気を利かせて向こうへ行っていたはずの、アーニャが顔を出す。
「いや、お湯。捨てようと思って」
まさか窓から捨てるわけにもいくまい。掃除用の手桶で、使用済みの湯を掻い出そうとしていた。違うといいな、と願いつつ。
『や、や、や。やめて、そんなもったいないこと』
やっぱり。
『それより、リュウイチ。爪伸びてるよ。あぶないから、はい。これで切って。欠片ふむと痛いから、この布の上でね』
爪切り。清潔そうな風呂敷? 至れり尽くせり。
『髪も、伸びてる。切ったげるね。アタシ、けっこう上手だよ』
視界不良の状態で、振り回すな。それ、裁ちバサミだろ? 確かに手際はいいけどさ。以上。サンプル採取、終了。
『わるいけど、アタシ。抽出はじめると、手、離せなくなるから。朝ご飯と、お昼ご飯。テーブルに置いといてくれる?』
「ああ、それくらい」
『空気穴だけ持ってても、しょうがないよね。革職人と、あとお医者さんだっけ? 紹介するから。一人で行けそう?』
「ああ。あと細工、そうだな。動物の角とか牙で、小物作ってる奴。いないか?」
『あー、いるいる。じゃあ、地図描くね』
お使いメモならぬ、案内板をもたされて。要は、追い出された。
かぶり物なしなら、もう少し夢見てられたかもな。はははっ。
アーニャには、言いそびれたが。オレに、レザースーツは必要ない。夜なべの成果。
勝手に復活した影からも、素材は取り出せた。目標は、皮子だが。ただのビニールにしかならない。フィルターも衣服の下に隠しつつ。口元に空気がくるようにしないとな。唸りながら試行錯誤。ふと気付く。普通に防護服作って、その影を仕舞えばよくないか? あほだ、オレ。
問題は、光源が増える時。何かの影に、少しでも触れてれば仕舞えるか。蝋燭の火を消したり、つけたりして確かめる。うん、何とかなりそう。
昨日の食堂に、無事たどり着く。すでに店は開いていて。
「あら、今日はここで食べていく?」
奥さんも愛想がいい。
「いえ。アーニャが、手が離せないので」
昼の分まで作ってもらう間。飲み物を出されたが、どうしよう。
奥さんが奥に引っ込んだ隙に、口のところをストロー状にして、一気飲み。周り、気付いてないよな?
日頃、当たり前だった疲労感。このくらいの操作なら、これくらいで済むのか。
「お待たせ。おお、こんなにいいのかい?」
それは、こっちの台詞だ。店主は、在野の人だが。図形が好きで好きでたまらないらしい。こういう人が文字をつくるんだろうな。そろそろ人名があやしいオレの為にも。ぜひ、頑張ってほしい。
「飯、置いとくぞ」
一応声をかけたが、聞こえてないな。アーニャの親切心。オレ、暗号解くの苦手なんだよ。男連中の、懇切丁寧な道案内より。屋上で方角を指さすだけの、女達に従った方がわかりやすい。
青と黒の区画の境目。一階にある診療所の前を、二回往復。ダイニングキッチンが待合室で、奥が診察室? それは別にいいんだが。
シスター姿の女に、急ぎかどうか尋ねられる。
「それですと、本日の十一時半が空いてます」
予約をして。首を傾げながら表へ。
外からも見える位置にある柱時計。体内時計のタイマーをセットしようとしてると、先ほどの受付が顔を出す。
「広報の方に尋ねれば、教えてくれますよ」
赤い腕章をつけているのが、そうらしい。
けっこう時間があるな。次の用事をすませてしまおう。
青の区画に戻る。大半が、工房の入口に作品を並べて、販売もしてる。アーニャ紹介の店。ちょっと見て、入るのをやめた。素材の形をそのまま生かして、紐で繋げたり、鎖をつけたり。彫刻はしても、単純な縞模様とか。
結構な時間をかけて。木工や銀細工、ガラス工房まで覗いてみたが。軒並み、素朴な感じ。
エイトの持ってたナイフ。あの拵えを基準にしてた。この街じゃ、無理なのか。
貯水槽の縁に腰を下ろして、ぼうっとしてると。傍らの路地にいる男と目があった。ここにもいるんだな。ホームレス。汚い格好のわりに、表情は荒んでない。好きでやってますって感じ。
「ちょっと、いいか?」
建物の影に入ると、テリトリーを侵された男の目が鋭くなる。
「探し物をしてるんだが、見つからなくて困ってる。助けてほしい」
肯くのを確認して、隣に座った。黄ばんだ歯が覗く。
「この町で知らんことはない。でも、ただじゃないぞ」
「金はない」
「その、いい匂いのするもんでいい」
昼めしを渡すと。さっそく開いてかぶりつく。
「その背中に背負ってる。素材の持ち込みかい?」
よく見てるな。
「ああ、腕のいい職人。素材を思う形に加工できて、細かな彫刻もできるような。この街にいるかな」
「いるには、いる。偏屈で、たまに口を開けば。人を見るな素材を見ろ。なんて、言う奴でよければ」
「そう、そういう奴」
いかにも良さそうじゃないか。
こんなところに道があるのかって、建物と建物の間。その、どん詰まり。これは、教わらないと辿り着けなかったな。
「早くからすみません。おじゃまします」
開いてるんだから入っていいよな? 薄暗い店内に人影はなく。陳列されてる作品に思わず見入る。龍のモチーフ。鱗一枚一枚が別の角度。いまにも食い付かれそう。
くぐもったくしゃみ。オレより少し小柄の男。細い目、平たい顔。落ち着く。
「勝手にすみません」
首が横に振られる。服装は甚平だが、中国系かな?
「製作者の方ですか?」
今度は縦。ほんとにしゃべらないんだな。
「扱ってほしい素材があるんですが。見てもらっていいですか?」
ちょっと迷って、縦。カウンターに厚目の布を広げる。オレは、その上に亀の甲羅を下した。体が軽い。
ざっと見た限り店内にあるのは、象牙や水牛の角らしき白と黒の色彩。
誰もが村の出身者。海亀を見たことがないはずはない。不思議そうに、でも丁寧な手付きで甲羅を裏返す。
「よかったら、表面を削ってみてください」
素直に鑢を持ってくる。もっとごつい頑固親父を想像してた。動作一つ一つが、たおやか。男にいうのもおかしな話だが。アーニャが、がさつだからか。あいつ、オレより背、高いし。
姿を現した色と艶に、細い目が見開かれる。両手で抱え込んで、すぐにでも自分のものにしたいって感じだ。
「引き受けてもらえます?」
二度続けて肯く。
「小物を五個、作ってほしいんです。あとの素材は差し上げます。それが加工費ということでどうでしょう?」
即座に手が差し出される。固いたこのある手を握った。はじめて口を開く。すごい低音。
「モウ」
それが名前らしい。孟かな?
「オレは、リュウイチです」
孟は、いそいそと、白布と小筆を持ってくる。こっちで筆、はじめて見た。のん気にしてるオレを前に、墨をすりはじめる。
え。描くの、オレが? おおまかな形と大きさがわかればいい?
布に描くのって、いけない気がする。墨、付けすぎたらにじむよな。何度も硯の縁に筆を当てて。思い切って描いた。
まずは、扇状の。
「わかりずらいかもしれないけど。これは簪です。えーと、女の人が髪に挿す」
手振りを加えると、すぐに肯いて。奥の棚から小さな箱を出してくる。おおっ、珊瑚の簪か。
「色や模様がきれいにでる素材なので、磨いてもらうだけでもいいですが」
お、ちょっと不満げ。そうだよな、これだけ腕があるんだもんな。
「彫刻する場合は、花とか蝶とか。女性向けの柄にしてもらっていいですか?」
無言でじっと見られると、緊張する。こだわりがあるのか。
「個人的には、こちらの龍はかっこよくて好きです」
「龍?」
知らないで彫ってたのか。それにしては精緻な造り。ぱっと見ただけで、画像を記憶できるタイプか。
「オレの育った国では、水の神様で。鯉や蛇が天に登ると成れるっていう、吉兆の、とても縁起の良いものです」
表情たいして変わってないのに、すごくうれしそう。
「女性で好む人もいますけど。存在を知らない人には、怖がられるかもしれません」
その点は同意? よかった。細かな部分はお任せで、簪を四本頼む。あとは。
「環。紐で首から下げても、腰から下げてもいいような。こっちは、龍で」
またもや二度の肯き。すでに構想、練ってるな。
割符を渡されて店を出る。一つ仕上げるのに三日かかるそうだ。遅いとは思わない。むしろ早い。ばらばらに取りにきてもいいし、まとめて十五日後でも構わないそうだ。
首をセルフでマッサージ。孟の、あの雰囲気のせいかな。最後まで敬語で話してた。




