愛とは枯れるものなのです
小説の書き方とか忘れました。もともと書けていた気もしませんが……
乙女ゲームは始まることもなく気がついたら終わっていました。
学園、公爵令嬢、第二王子、婚約。
少し前に流行っていた乙女ゲームの悪役転生ものみたいだなぁ、などと思って決めたわけではないけれど。愛とは枯れるものなのですよ殿下。
ベアトリーチェはくすりと笑うとお茶を飲んだ。ガゼボの下は涼しく、海からの爽やかな風も吹く。
本当に気持ちがいい。心が軽くなったようだ。世界も煌めいて見える。
「今ごろ殿下も公爵もお怒りでしょうか?
わたくし殿下に煽るような手紙も送り付けてしまったのですけれども」
「これまでの境遇を省みれば、お前は優しすぎるほどだと思うがな。俺ならばコネでもなんでも使って破滅させてやるぞ。まぁ、オーリスもルカルノ公も短絡的で独りよがりな男どもだ、全てをお前のせいにして怒り狂っているのは間違いないな」
にやりと笑うのは浅黒いエキゾチックな壮年の男。
中央高原の王ルスティカヤである。
この度、まだ十二歳のベアトリーチェはたった一人の侍女だけを伴って生まれた国を出奔した。
隣国のカディスでルスティカヤと落ち合い、明日にはルスティカヤの治めるベルクシュタンの宮殿に向かう予定だ。
高原の覇王と呼ばれる男と少女に接点があることを知るものは少ない。
ましてや、ハーレムに入るなどと誰も思わないだろう。
「これまで柔順で素直な令嬢を演じてまいりましたもの。突然、反抗しましたら誰もが酷い裏切りだと感じますわ」
「当たり障りの無い輩なんて腹で何考えてるか分からんし、一番信用ならん者だろうに」
「まぁ、わたくし『やから』ですの?」
コロコロと笑うベアトリーチェに王も笑う。この二人の間には甘い雰囲気は一切無いが、歳の離れた秀麗な男と美しい少女が仲良くお茶をする様子にはどこか微笑ましいものがあった。
「あ、見てくださいませ。船舶ですよ」
「あれは商船だな」
たわいない会話をしながら、ベアトリーチェは少しだけ元婚約者の殿下を振り返る。
イケメンでも狭量な男はむーりー。
頭に浮かぶ顔は何時だって仏頂面か怒っているか、だった。
「婚約解消ですか?」
オーリスはガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。
三日ほど後には学園の入学式が控え。また、あの令嬢をエスコートしなければならないとイライラしていたところで、まさかの婚約解消だ。
告げた王も王妃も渋い顔をしていて、
令嬢の父親であるルカルノ公爵は怒りで顔を真っ赤にして震えている。
「新しい婚約者は早急に決める」
「何故でしょうか?ベアトリーチェ嬢に何かあったのですか」
疎ましい女が婚約者から外れたのは喜ばしいが、オーリスはどこか信じられない。
絶対にあの女を妃にせねば王太子にはなれないと王妃は言っていたではないか。
いくら反発しても無駄だった。なのに何故?
それにあの女は私に惚れていたはずだ。
いつも胡散臭い笑顔で顔色を伺い媚びてきた女との婚約解消。急な病か事故にでもあったかと思考を巡らせていたオーリスであったが、その後の王妃の言葉に眉をひそめた。
「ベアトリーチェは失踪してしまったのです」
「は?」
「書き置きなどは無いようなのですが、綺麗に身辺整理をして消えたとのこと」
ルカルノ公爵が重たい口を開く。
「申し訳ございません。実は一週間ほど前より姿が見えないのでございます。ルカルノ家の総力をあげて捜索しておりますが一向に行方が分からず……」
「有力商人やギルド、軍をも動員して探してみたが全く情報がない。幼少より一緒に育ったという侍女も消えたという。犯罪に巻き込まれた跡はなく、遺体もあがってはおらん」
続きは王が引き取り、王家でも捜索していたことを告げる。
王妃は忌々しそうに眉をひそめ王子に嘆いた。
「もうすぐ入学式でしょう。ベアトリーチェが出席しないなどとなれば不在は直ぐに露呈します。
ですので、いっそベアトリーチェが急な病で倒れ、病魔のせいで王妃になれないとして婚約を解消とすることになりました」
「学生の間は婚約者不在になるかもしれん。だがルカルノ公爵家の後ろ楯がないお前に第一王子派の貴族は何かしら仕掛けてくるだろう。くれぐれも立ち回りには気をつけよ」
ベアトリーチェの心配をする者などこの場にはいなかった。三者三様、それぞれの今後の事で頭が一杯だ。あれだけ婚約者を嫌っていたオーリスだが、いなくなったらいなくなったで面倒が起きそうだと舌打ちをしたくなった。勝手なものだとルスティカヤなら笑っただろう。
侍従を伴い自室に戻ったオーリスはふと尋ねる。
「そういえば、アレからの手紙は来ていたのか?」
ベアトリーチェは月に二、三度ほどオーリスに手紙を出していた。
婚約者として伴う催しへの打ち合わせやご機嫌伺いだ。
オーリスはこの手紙に目を通した事はこれまでに一度も無かった。
一応、侍従が目を通し問題がありそうなところがあれば伝える決まりとなっている。
あの女の都合は全て無視し、やりたいようにやった。
その為、あの女はいつも無難な衣装や行動で公の場をやり過ごしていたようだが、知ったことではない。
ベアトリーチェの方からも婚約していた八年間、報告があがったことは無かった。
オーリスの勝手でベアトリーチェが泥を被った時もあったが、それでも。
侍従は王子の問いかけにすぐさま丁寧に断りを入れて手紙を取りに行った。
実はちょうど一週間前に手紙は来ていたのだが、どうせ代わり映えはしないだろうと開封すらしていなかった。捨てていなかっただけマシかもしれない。
手紙は確認する決まりだったので侍従はこっそり開封し、途端に青ざめた。
“前略
オーリス殿下に申し上げます。
私、ベアトリーチェは誠に勝手ながらルカルノ公爵家を捨て、殿下との婚約も放棄致します。
ご存じでしたか?愛情は一方通行では育ちません。愛とはいつか枯れるもの。
殿下とお会いしてから少しずつすり減った親愛の情は消え去りました。
公爵令嬢としての責任や誇りなど、どう育ちましょうや?
生まれ育った国にも家にも家族にも愛情は持てませぬ。
十年間で私の責務は果した所存です。この二年は行き先を定める期間でございました。
新天地で私と幼なじみの侍女は幸せになります。
皆様も健やかにお過ごしになられて下さいな。
それでは最後にずっとお伝えしたかった言葉を贈ります。
狭量な男性は好みではありません。殿下に心を奪われたことなど一度もございませんでした。
舌打ちと貧乏ゆすりは殿下の魅力を損なっております。人前ではお止め下さい。
少しばかりの親切心でございます。是非、御心に留め置いて下さいませ。
さようなら”
物凄く失礼な手紙である。
今までベアトリーチェは貴族の令嬢として当たり障りのない礼儀正しい言動を貫いていた。
途中までではあるが、これまでの手紙に目を通していた侍従は知っている。
王子が開封もせず、手紙を渡してくるうちに自然、侍従も令嬢を見下していたようだ。
まさか、最後にこのような置き手紙を寄越すとは。
青い顔の侍従は震えながら手紙を王子に見せた。
オーリスは癇癪をおこして暴れ。結局、侍従は仕事を辞するはめとなった。
そうして、令嬢と第二王子の婚約は終わりを迎えたのである。
第二王子のその後はパッとしなかった。
オーリスは学生になり第三学年の時に編入してきた男爵令嬢と懇意になった。
ただ、ベアトリーチェという障害が無かったからか関心はすぐに無くなり卒業後に大人しい辺境伯の令嬢と何も思うこともなく婚約をした。
男爵令嬢は王子の寵愛を得られないと分かると女遊びの派手な公爵家の次男に捕まり、程なくして二周りも歳の離れた子爵家の後妻に納まった。
社交界でかなり淫乱な女だと悪評が流れていたから純潔でも失ったのだろう。
新しく婚約者になった辺境伯の令嬢の名前はアマーリエという。
第一王子は病没した前王妃の子で王の寵愛を受けてはいなかった。
その為、貴族はこぞって現王妃の子であるオーリスについた。その筆頭がルカルノ公爵家だった。
王子らの資質はそんなに変わりがなく、ただ支持する貴族の後押しの強さで第二王子が王太子に決まりかけていた。王も王妃もオーリスを後継ぎとしたいのでこれまでは順風だった。
そこに至ってベアトリーチェの失踪である。
病没としたもののルカルノ家は勢いを削がれ、醜聞を抱えたオーリスと第一王子の差は無くなっていた。
民の評判からすると第一王子の方が人気があるくらいだ。
当然、貴族達も慌てた。
貴族社会は荒れ、貴族間の不審な事故も増えた。
アマーリエの辺境領は中立貴族の中では最大の勢力であった。
オーリスが王太子になるにはアマーリエとの婚姻は必須となっていたのだが、情勢が安定しない。
辺境伯はどちらの王子と婚約するか最後まで迷っていた。
婚約解消の後、早急に次の婚約者をと王は言っていたが、結局オーリスが卒業するまで決まらなかった。
辺境伯は一人娘であるアマーリエに幸せな婚姻をさせたかったのだ。
アマーリエは大人しく従順で顔色を伺う癖があり可もなく不可もなくといった令嬢だった。
後がないオーリスはベアトリーチェの時と違い多少は歩みよりをみせたが、辺境伯令嬢はかすかな冷たさを拾い萎縮していた。
そんなアマーリエは貴族令嬢らしく決して逆らわず調子を合わせようとする。
オーリスはその度にベアトリーチェを思い出した。
些細な違いが気にかかる。
アマーリエは敏感にオーリスの心の機微に気づき、ますます顔色を伺ってくる。
いちいち相手の反応を見て意見を変える様が鬱陶しい。
こうして思い出すとベアトリーチェには媚びを売り顔色を伺うといったことは無かったような気がした。
婚約者が替わってから気づくとは……オーリスはその度に苦い気持ちになった。
比較するようになると、ますますベアトリーチェの良さが見えてくる。
読んでこなかった元婚約者の手紙の始めの方を読んで後悔した。
婚約して五年ほどはベアトリーチェは向き合おうとしてくれていたようなのだ。
過剰に嫌っていたが、私は実はベアトリーチェに強く惹かれていたのではないだろうか。
アマーリエとぎこちない婚約期間を送るうちにオーリスの気持ちは揺れた。
しかし、次代の王となる条件が辺境伯令嬢との婚姻である。もう自分には婚姻破棄は許されないのだ。
婚約期間も半年がすぎ婚姻の準備が進み始めたころ、オーリスは公務でベルクシュタン国の立太子の祝辞に赴く事となった。
この度王太子となる、三才歳上のムスタルファーは覇王ルスティカヤの素質を良く受け継いだ堂々たる王子だと聞く。立太子と共に配偶者の御披露目もするのだそうだ。
次代の王の祝辞なので、こちらからも王太子であるオーリスとその婚約者アマーリエが選ばれた。
二人にとっては初の公式な公務となる。
一ヶ月ばかり辛い旅路を終え王都に入り、式場に向かう頃にはアマーリエとの仲は最悪となっていた。
狭い馬車での長旅は物慣れない二人の仲を更にぎこちなくさせてしまったのだ。
そして、きらびやかな式場でムスタルファーが伴ってきた令嬢にオーリスは驚愕する。
ベアトリーチェだった。
三年の月日でベアトリーチェは眩しい程の美姫となっていた。
緩く流れる艶のある金の髪、潤んだ宇宙のような深い碧の瞳。華奢だが女性らしい体のラインがでるドレスは扇情的で可憐である。
何より幸せそうに頬を薔薇色に染めて微笑む表情が美しい。
ムスタルファーはルスティカヤの若い頃に似ているが、少し王妃に似て繊細な美貌を持つ青年だった。
ベアトリーチェと並んでも見劣りしない。
蕩けるような甘い顔でベアトリーチェをエスコートしていた。
「べ、ベアトリーチェ……」
一瞬だけ視線が交わった。思わず零れ出たような呼び掛けに、ベアトリーチェは艶然と微笑んだ。
第二王子の呆然とした表情は初めて見るかもしれない。これはこれで少し気分がいい。
だって、そんな顔初めて見るもの。
三年前に亡命し、ルスティカヤ王のハーレムに入る予定だった。
しかし王都に着いてムスタルファーと対面した瞬間に拐われた。引き剥がされた。
王は爆笑し、成人までベアトリーチェに手を出さない事とちゃんと口説く事を条件にムスタルファーにベアトリーチェを預けた。
それからずっと口説かれて絆されて、ここにいる。
今のベアトリーチェの幸せはムスタルファーと一緒に作り上げて来たものだ。
「エディガンの王子とその未来の妃よ。遠路はるばるよく来て下さった」
ムスタルファーが愛想よく挨拶をした。
アマーリエはムスタルファーの美貌に惚けている。
「あ、あ。この度は本当にめでたい事で……お祝い申し上げる」
公務で訪れているオーリスはなんとか祝福の言葉を口にした。視線はベアトリーチェから離せない。
拙い王子の言葉は式場でも少し目立っていた。
「オーリス王子は元は妻と許嫁であったそうだな。奇妙な縁だが、妻と出会えたのは貴殿が手放してくれたからこそだ。感謝している」
許嫁ではない。婚約者だ。
ムスタルファーは軽口のつもりだったのかもしれないがオーリスははっきりと青ざめていた。
あら?何だが様子が違うわね。
ベアトリーチェは不思議に思うが特には触れない。
もう縁を切った国と人なのだ。
祝辞が終わり帰国してからの第二王子はぷつりと糸が切れたように腑抜けてしまった。
辺境伯令嬢にもため息が増えた。
病で療養しているはずのベアトリーチェがベルクシュタン国の皇太子と婚姻していた。
エディガンの王宮や貴族は驚愕したが大陸で最も勢いのある国の絡むことである。
こちらからは何も言うことも出来ない。
代わりにルカルノ公爵家は針のむしろに立たされた。
ルカルノ後は引退をし後継は養子が引き継いだ。
時は流れ、ベルクシュタンとエディガンにそれぞれの新しい王がたつ。
ムスタルファーは終生、妃を大事にしベアトリーチェだけを愛した。
側室を持たない王はベルクシュタンでは珍しい。
ベアトリーチェは三人の子を産み、王の政策も良く支えた。
国はますます発展し賢王と王妃の名は歴史に国民に深く残った。
オーリスは凡庸な王として名前も知られていない。
アマーリエとは仮面夫婦になり、唯一の王子は後に愚王と呼ばれるようになる。
嫡子が一人しかおらず、気性も問題があるのでオーリスは側姫を迎えたが産まれた子は後継争いに巻き込まれ廃嫡もしくは弑された。
オーリスの治世は緩やかな廃退の時代と呼ばれている。
ベアトリーチェの生家も愚王の時代に完全に没落し絶えた。
ルカルノ公爵はベアトリーチェの評判を耳にする度に酒に溺れ肝硬変でこの世を去った。
エディガン国は衰退し三代ほど王が変わった後に隣国のカディスに飲み込まれて消えた。
ある日のこと、王を引退したルスティカヤとベアトリーチェは二人揃ってガゼボでお茶をしていた。
「お義父様。ガディスのガゼボを思い出しますわね」
「あの日、お前は俺の元に来るはずだったのにな」
「運命とは数奇なものですね。でもお義父様の妻ではなく、陛下と一緒になれたからこそ今の幸せがあるのだと思います。お義父様は釣った魚にエサはやらないところがございますでしょう?」
「ははは。そうだな。ムスタルファーと違い、俺はあの頃お前に思慕の情など欠片も無かったからな。
……なにせこーんなちっこい子供だったしなぁ」
「お義父様、酷いですわ。わたくしそこまで幼くはありませんでした。
昔にエディガンの王にも進言したのですけれど、愛情は育てないと枯れてしまうものなのですよ」
朗らかに笑う二人に甲高い声が届く。
王城にあるガゼボの先には薔薇の迷路が広がっている。
ちょっとした規模のもので大人でも慣れぬ者は迷ってしまうものだ。
そこから幼い女児の鳴き声と慌てた男児の声がした。
王女が迷路でぐずっているらしい。
必死にあやしているらしい声は兄王子だ。
二人は仲睦まじく兄は優しい。
「あらあら、アフメトもエイリュルもやんちゃですわね。私、子供を迎えに行ってきます」
「ああ」
「お義父様。あの時、わたくし達を連れ出して下さってありがとうございました。枯れるばかりだった愛を育めるものと知ったのはこの国の皆様のおかげなのです。わたくし、もちろんお義父様も愛しておりますわ」
にっこりと笑って子供を迎えに行く義娘をルスティカヤは暖かく見送った。
ハーレムに幾人もの妃を揃え血族との争いに心が荒んでいた王を溶かしたのは年端の行かない少女だった。
彼女が来て息子だけでなく王城の人々も変わった。
いや王城だけでなく国も民も。
どうせならもう十年ほど早く出会えていたら、誰にも渡さず自分で育ててみたものを。
風に載って、子供の歓声と鈴のような王妃の笑い声が聞こえる。
枯れない愛のもたらすものはこんなにも暖かいのだと元王様は笑ったのだった。
アマーリエと辺境伯は可哀想かもしれない。
嫌な態度をとり続けられて、それでも好きとか普通は無いだろうと思って書いたものです。
オーリス王子は嫌い=めっちゃ気になるだった不憫な子……