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侯爵家婚約物語  作者: 高岡未来@4/9最愛姫発売
一章 初めての祖国と婚約者
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5


◇◇◇


「お嬢様、お召し替えのお時間でございます」

 インデルク語の教師が帰った後、メイヤーからそう告げられた。

「は、はい」


 職務に忠実な優秀な侍女は家令の父を持つという。黒髪黒目の彼女からは感情らしきものを読み取ることができない。

 淡々とした侍女にコーディアは付き従う。

 貴族は日に何度も着替えをすると聞いていたけれど本当のことだった。

 学校にいたときも、暑い日はドレスを変えたりしたけれどそれは必要に駆られてだ。ケイヴォンは暑くもないし、むしろ寒いくらいで普通に生活をしている分には着替える必要性が感じられない。


(こんな風に思うのはきっとわたしがムナガル育ちだからなのよね)


 コーディアはメイヤーにされるがまま気つけられていく。着せられたのは部屋着にしては少し飾り気の多い服で、彼女はそのままコーディアを鏡台のまえへ連れて行き髪の毛を整え始める。


「奥様からコーディア様をお連れするように申し付かっております」

 何も聞いていないのにメイヤーはよどみなく答えた。

 鏡越しにコーディアのもの言いたげな表情を確認したのかもしれない。


「ええと……お客様がいらしているの?」

「さようでございます。ご挨拶がてら紹介されたいとのことです」

「わかりました」

「わたしに丁寧な言葉は必要ありません」

「あ……ごめんなさい」

「この場合謝罪も結構でございます」

「け……結構?」

「必要ございませんということでございます」


 メイヤーの淡々とした口調がコーディアの胸に突き刺さる。

 家庭教師からは正しいインデルク語の発音を習っている。どうにも慣れ親しんだフランデール語の発音に引きずられてしまうからだ。


 今だってインデルク語が出る前に最初にフランデール語で言葉を考えている。ずっとフランデール語で生活をしていた。この癖はしばらく消えてくれそうにない。


 コーディアは顔を曇らせる。

 メイヤーの発音は完璧でとても美しいインデルク語を話す。

 その彼女の前で自分がインデルク語を話すと、内心けなされているのではないかとびくびくしてしまう。仕える主人がちっとも貴族らしくなくてがっかりしているのでは、と気に病んでしまうのだ。


「できあがりましたわ」

「ありがとう」

 コーディアは立ち上がって部屋から出て行った。


 階段の踊り場でライルと鉢合わせた。

 今日は早い帰宅のようだ。

 彼の後ろには従者のエイブの姿もある。


「おかえりなさいませ、ライル様」


 コーディアは伏目がちに挨拶をした。

「ああ。今帰った。といっても書類を置いて手紙の返事を書いたらすぐにまた出る」

「そうですか……」


 ライルの事務的な口調と口下手なコーディアの会話は一瞬で途切れてしまう。

 夫になる男なのだからもっとなにか話さないと、と思うのに男性と何を話していいのか分からない。二人の間に微妙な空気が流れる。

 写真の印象よりも怖くはないが、何か言うとがっかりさせてしまいそうで余計に言葉を出すことがためらわれてしまう。


 ライルは動く素振りを見せない。

 かといって口を開く気配もない。


 コーディアはもしかしたら自分の格好がどこかおかしいのではないかと慌てた。けれど優秀なメイヤーが整えてくれたのだ。彼女の腕は本物である。ということは自分がメイヤーの腕ではカバーしきれないくらいダメダメなのかもしれない。


「……母に呼ばれているのではないか?」


 ぽつりとライルの言葉が聞こえた。

「は、はい。そうでした」

 コーディアは慌てて返事をした。


 コーディアははじかれた様に階段を駆け下りた。昨日やってきた礼儀作法の教師が見たら即座に怒るだろう、優雅さのかけらもない慌てた動きだった。

 相変わらずライルがよく分からなくて、本当にこんな調子で明日二人でお出かけできるのだろうかと本気で不安になった。


◇◇◇


そしてやってきたケイヴォン散策当日。

行きの馬車の中ですでにコーディアの心は折れそうだった。


 まず、会話がない。


 コーディアが意を決して「今日はいい天気ですね」といったのだがライルは「ああ」と答えただけだった。


 いい天気も何も今日のケイヴォンは通常運転の薄曇りだ。若干青空も垣間見えるが、絵具を伸ばしたような力強い青さのムナガルの空に比べるまでもない。

 会話らしい会話もないまま二人を乗せた馬車は順調に道を進んで行く。


 コーディアは車窓を楽しむことにした。

 移り変わる建物やすれ違う馬車たち。大きな道には等間隔に街路樹が植えられている。ケイヴォン市内の規模は当然のことながらムナガルよりも大きい。


 コーディアが脳内で広げたケイヴォン市内の地図と馬車が進む順路を照らし合わせているうちに、最初の目的地へと到着した。

 馬車の扉が開かれ、まずライルが降り立った。コーディアの番になると、彼は手を伸ばして手のひらを上に向けた。

 コーディアは小さく首を傾けて、御者が置いてくれた台の上にとんっと降り立った。


 十字の形をした大きな建物の中央にはドーム状の屋根が乗っている。青色の屋根と薄灰色の壁の色の対比が美しい。

 租界の中の教会はこれに比べるととても小さい。何度か連れて行ってもらった租界の外の、ジュナーガル人の信仰する神を祭った神殿も大きかったけれど、この聖カール大聖堂もとても大きい。


「大きい……」

 コーディアは一人こぼした。

「この聖カール大聖堂は今から五百年前に建立が計画をされ、三十年の年月をかけて作られた大聖堂だ。インデルクの聖人でもある聖イグアスの像が正面双塔入口のアーチに彫られている」

 いつの間にか隣にやってきたライルが解説を始めた。


 彼はそれから聖カール大聖堂の歴史をコーディアに語って聞かせた。ライルはさりげなく左腕を曲げて、コーディアが彼の腕に手をかけやすいようにしたのだが、彼女は気が付かなかった。


「中へ行こう」

「はい」

 コーディアはライルに続いて聖堂内へ足を踏み入れた。


 身廊には信者用の椅子が設置をされているのでコーディアたちは側廊を歩く。コーディアが両腕を伸ばしても届かないくらい太い円柱が何本もそびえたち巨大な聖堂を支えている。

「この柱の上の部分にはインデルクの聖人がそれぞれ彫られている」

 ライルは声を落としながらも聖堂の説明をコーディアのためにしれくれた。


 一応気を使ってくれているらしいが、難しい単語が多すぎて半分くらいしか理解できない。

 できればフランデール語で聞かせてほしかったと思うが、これからインデルクで生活をしていく身の上でそんなわがままは言えない。


(帰ったら辞書引いて復習しないと)

 と、心に誓った。


 一通り見学した後二人は馬車に戻った。

「王宮は外側を見ても面白くないだろうし、どうせ来年の社交期に招かれるから今回はやめにした。あとは市庁舎と裁判所の建物が見事だから連れて行く。休憩時に食べたいものはあるか?」

 エイリッシュ提案のケイヴォン散策ではサロンのお茶も予定に組み込まれていた

「え、えっと……とくには」

「行ってみたい店とか食べたいものとか、なにかあるだろう?」

 コーディアの返事が不満だったのかライルが重ねて聞いてきた。

 お茶をするようなサロンなら大抵の軽食は用意があるだろう。その中から選べばいいと思いコーディアは言葉を重ねる。


「ライル様に任せます」

 ケイヴォンにもまだ明るくないのでコーディアは静かに言い添えた。

「……わかった」

 ライルは短く答えた。


 再び車内の中を沈黙が支配する。

 彼から視線を感じたが、コーディアは怖くて身をぎゅっと縮ませた。

 仕方なく車窓を眺めていると、少し離れた先に市場マーケットのようなものが開かれているのをみつけた。雑貨や長持ち、鏡台などが売られている。


 馬車の窓に身を寄せて熱心に見つめているとライルが話しかけてきた。

「何を見ている?」

「向こうに市場が開かれています。あれは……ステイル市場マーケットでしょうか?」

「さあ。あんな市場マーケットケイヴォン市内のいたるところで開かれている」

「そ、そうなのですか」


 コーディアは少しだけがっかりした。

 てっきりステイル市場だと思ったのだ。

 コーディアの愛読する『探偵フランソワの冒険』シリーズに登場した市場なのである。一度は小説の舞台になった市場に行ってみたいと思っていた。


「あんなものに興味があるのか?」

「え、ええと……」

 少し咎めるような声だった。


「ムナガルではどうだったかは知らないが、きみはもう侯爵家の人間だ。この意味は分かっているだろう?」

「はい……」


 要するに淑女としての振る舞いではないということだろう。深窓の令嬢が市場に興味を持つことなどないのだ。


「なにか買いたいものがあるなら侯爵家が普段利用する店に連れて行くし、必要なら店の人間を呼ぶよう手配をしておく」

「はい」


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