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こぼれ話 写真のおはなし

 とある日の夕刻。ライルは屋敷に帰宅後母の部屋に呼ばれた。

 多くの貴族女性の私室がそうであるように、母の部屋もまた数部屋の続き間になっている。今ライルが通されているのは彼女専用の応接間のような役割を果たす部屋。


 ちなみにその母の姿はここにはない。

 渡したいものがあると言ったのはそちらのくせに、肝心のものを探しに行ってしまったのだ。


 ライルはため息を一つ吐いてから、何とはなしに暖炉の上に目をやった。

 そこには多くの家庭でそうされているように、家族や親しい友人と一緒に撮った写真が並んで飾られている。

 写真技術が発達するにともなって、何かの記念日に家族で写真を撮り、それをこうして飾るのが習慣化されていった。


 ライルも子供時代や大学卒業時などにエイリッシュに連れられて写真館に行ったことがある。

 無機質なカメラの前で笑えと言われても笑えないし、その笑顔を数十秒も保つなんてもっと難しい。

 そんなわけでライルの映った写真というは見事に仏頂面なのだが。


 順番に眺めていった写真の中で。

 ライルの目が釘付けになる。


(コーディア……と、母上? それにどうして父上まで)


 ライル以外のデインズデール侯爵家とコーディアの集合写真である。

 暖炉の上に、一番目立つ真ん中に置かれた写真をライルは手に取った。


 いったいいつの間に写真など撮っていたのだろう。

 写真の中のコーディアはエイリッシュと横並びに座っており、サイラスはその後ろに姿勢よく佇んでいる。

 コーディアは少し緊張しているようで、頬のあたりがほんの少し強張っている。

 写真の中の少女はまっすぐにこちらを見据えている。


 ふと、写真群に視線を移すと、コーディアの子供時代の写真も置かれていた。こちらのほうは、まだ年端も行かない頃合いで彼女の父であるヘンリー・マックギニス卿と一緒に映っている。

 子供らしいふっくりたした頬はやわらかそうで、しかし顔つきはどこまでも生真面目で口をしっかりと引き結んでいる。


「やっと見つかったわ。領地からの手紙がわたくしのところの文箱に紛れ込んでいたみたいなのよ。あなたに読ませてやって、ってサイラスが言うものだから、あなたに渡しておくわね」


 ライルが写真に見入っていると、後ろからエイリッシュの声が聞こえた。

 ようやく探し物が見つかったらしい。

 片手で手紙をふりふりしながらライルの方へ近寄ったエイリッシュは目ざとくライルが手にしている写真に目を光らせた。


「あら、可愛いでしょう。最近のわたくしのお気に入りよ」

「母上、いつの間にコーディアと写真を撮ったんですか」

 ライルの眉間に、知らずに皺が寄る。

「ええと、いつだったかしら。あの子がこっちに帰ってきて、わりとすぐだったような」

 エイリッシュは虚空を見つめて一息明けてから答えた。


「どうして、俺以外が集合しているんです?」

 コーディアと一緒に写真に写りたかったとは言わないが、なんとなくのけ者にされているようでおもしろくない。今更両親と一緒に写真を撮るのはどうでもいいのだが、コーディアが同席していたのなら付き合うのもやぶさかではなかった。


「あら、だってあなたに出かけるから付き合いなさいって聞いたら、母上の暇つぶしに付き合うほど暇ではありませんって返ってきたんだもの」

「……」

 ライルは押し黙る。

 過ぎてしまったことは仕方ない。


「はい。手紙。確かに渡したわよ」

 エイリッシュは無理やりライルの手の中に件の手紙を押し込んだ。

 ライルは一応は受け取り、しかし視線は相変わらず暖炉の上のまま。


「あ、こっちの写真はね、昔ヘンリーから送られてきたのよ。あのころのミリーにそっくり。コーディアのほっぺた、マシュマロみたいにふわっふわよね。このころから何度も会いたいって思っていたのよ」


 エイリッシュは幼いコーディアの映った写真を手に取ってうっとりと眺めた。

 頬がふにふにしているのは認めるが、ライルはどちらかというと今のコーディアの頬に触れたい。

 陶器のように滑らかで、たまに真っ赤に染まるので不思議に思う。そういうとき彼女はすぐに下を向いてしまうので、最近では上を向いてと手が伸びてしまいそうになるのを必死で抑え込んでいる。


「そうそう、こっちはコーディアが十五の頃、だったかしら。あんまりにも可愛いかったからあの子にお願いして譲ってもらったの。彼女のお友達が撮ってくださったんですって」


 エイリッシュはとっておきを見せるように、後ろの方から写真立てを持ち上げた。

 銀色のフレームに収められたコーディアはいまよりもあどけない顔立ちで、はにかんだ笑顔でこちらを見つめている。ずいぶんと近くから撮られたようで、写真には胸より上の部分しか映っていない。その分、コーディアの可愛らしさが写真一杯に広がっている。


 ライルはしばしの間見惚れた。


「可愛いでしょう。うふふ。撮った相手が親友だからこそ引き出せる表情よね。とってもかわいくって、おねだりしちゃった」

「母上。彼女から無理やり取り上げるのは感心しません」


 むしろ自分が欲しかった一枚だ。


(そもそも、俺はこの写真を見せてもらっていない)


 いつだったか、彼女から寄宿学校時代の写真を見せて貰ったけれど、これは無かった。

 あったら絶対に覚えていた。


「失礼ね。無理やりじゃないもの。ちゃんとお願いしたもの。それに、これは数枚あるうちの一枚で、同じ写真があと五枚はあったもの。だから大丈夫」

 エイリッシュは胸を張って正当さを主張した。

「あ、だからってライルは駄目よ。わたくしそういえば、絶対にライル様には見せないでくださいねって念を押されているんだったわ。わ、まずいわね。ライル、いいこと絶対にコーディアにわたくしから自慢されたって言っては駄目よ」


「どうして私が見たら駄目なんですか」

 こんなにも可愛いのに。ライルの視線は件の写真に吸い寄せられたままだ。


「そりゃあ、思春期の女の子は好きな人に自分の写真を見られるのが恥ずかしいからでしょう」


(好きな人……)

 他人からそう言われると両想いになったという実感が胸の中に渦巻いてしまうライルである。

 もちろん、母親の好奇な視線には気づいていない。


「あなたも、せっかく婚約をしたのだから部屋に写真の一つでも飾りなさいな」

「私にはあまり写真を見せてくれないんですよ」

「だれが、強請れと言っているの。二人で、撮りに行けばいいでしょう。本当に、あなたはこういうことには疎いんだから」


 あきれ顔を作ったエイリッシュにライルはうっと言葉を詰まらせる。

 普段は写真など感傷的になるだけだ、くらいにしか思っていなかったライルだ。

 自分が婚約者と写真を撮りに行くことなんてまるで考えていなかった。


「はいはい。もう用は済んだのだから、その写真をさっさと元の位置に戻して出て行って頂戴」

 体よく追い払われたライルは名残惜しかったが(母ではなくコーディアの写真が)部屋から退出した。




 コーディアがライルから写真を撮りに行かないかと誘われたのは帰郷を数日後に控えた日のことだった。

 インデルクに本帰国をして、この国に根ざして生きていくことを決めたコーディアは母親の親族を訪問するためケイヴォンをしばし離れる。

 ライルの手にそっと手を添えて馬車から降り、彼に誘われて写真館に足を踏み入れる。

 写真館での撮影というのはそれなりに値が張るので、顧客となるのは生活に余裕のある階層の人間だ。

 撮影のための部屋は居心地よく整えられており、コーディアはびろうど張りの一人掛けの椅子に座るように店主から指示をされた。


 その後ろにライルが立つ。

 背後にライルの気配を感じたコーディアは少しだけ緊張する。

 こういう風にかしこまって写真を撮るのは何年ぶりだろう。

 二人で撮った後はコーディア一人その場に残るように言われた。

 戸惑いつつもコーディアは指示に従い写真機の、レンズの中心をじっと見つめる。

 写真機の後ろにライルがいるため、どうにも緊張してしまう。彼の双眸がじっとこちらを見据えている。


「お嬢様、もう少し肩の力を抜いて下さい」

 言われてもどうすれば力って抜けるんだっけ、とコーディアは戸惑う。


 何枚か写真を撮り終えようやく解放されるとどっと疲れてしまった。

 最後一人で撮られたのは、一体どういうわけだろう。

 その意図が判明するのは数日後のことだった。


「コーディア、昨日撮った写真が出来上がった」

「わあ。本当ですか」


 夜、ライルに呼ばれたコーディアは彼の書斎で出来上がったばかりの写真を何枚か見せられた。

 写真の中のコーディアは生真面目な顔で正面を睨んでいる、ようにも見える。初対面のカメラ屋の前で笑えと言われても無理な話である。ディークシャーナが撮る分にはだいぶ慣れてきたから自然な顔も作れるようになってきたが。


 婚約したのだから写真を撮ろうと思う、とライルに言われてメイヤーが念入りに支度を整えてくれた。

 二人きりの写真は、出来上がってくるとなんだかこそばゆい。

 コーディアが椅子に座り背後にライルが立ったものと二人で寄り添ったもの。寄り添った写真の方が自然な顔な気がする。


(うわ……わたしってライル様が横にいるとこんなにも、顔が緩んでいるものなの? もっとしゃきっとしないと……)

 写真とは不思議だ。

 白黒の紙切れの中に自分と瓜二つの人物がいるのだから。しかも、ライルと寄り添ってなんだか頬に締まりがない。


「……私はいつも、こんな顔ばかりだが……」

 カメラを険しい顔で見据えるライルに、彼自身が言い訳のような言葉を口にする。

「わたしはライル様のお写真、嫌いじゃないです。凛々しくてその……好き……です」

「そうか……」


 勇気を振り絞って好きだと口にした途端に顔が熱くなってコーディアはそれきり口を噤む。

 素直に言うとどうしても心臓がうるさくなるし、このあとどうしていいのか分からなくなる。


「きみに、そう言ってもらえると嬉しい」

 ライルの声が柔らかくて、コーディアは嬉しくなる。彼の声は魔法みたいだ。

「あ、あの。わたしも一枚持っていてもよろしいでしょうか。部屋に飾っておきたくて」


「ああ。家族の写真を部屋に飾るんだろう。特に女性はそうしていると聞く」

「エリーおばさまもたくさん飾られていますね。わたしの写真もいくつかあります」

「ああ、そのようだね。きみも飾っているのか?」

「はい。寄宿学校時代の写真をいくつか。そこに……これも並べようと思います」


 そういえば、婚約者の写真を送れとディークシャーナ達の手紙に書いてあった。

 どうしよう、二人一緒の写真は嬉しい反面、気の置けない友人たちに見せるにはまだ気恥ずかしい。

 惚気ているとか思われたらそれも恥ずかしいし、とか考えるとまだ少し時間が必要かもしれない。


「私も飾っておく」

 婚約者の言葉一つで心が浮足立つのだから恋って不思議だ。

「あ、あの……離れているときも、ライル様の写真があればきっと寂しくありません」

 母の故郷へ行く間は当然ライルと離れ離れになるわけで。毎日おはようやおやすみを言い合える今の環境が恵まれすぎているのはアメリカからも口を酸っぱくして言われている。


「私も、きみの写真を手帳に挟んでおく」

「っ!」


 そんなことを言いながら、ライルはコーディアが一人で映っている写真を手に取った。

 どうして一人きりの写真を撮るのだろうと思っていたのに。

「え、ええとライル様」

「母上ばかりずるい」

 いきなりの言葉にコーディアは首をかしげる。


「私も、コーディアの写真が欲しいと思った」

「あ、あの……」


 コーディアは顔を真っ赤にしながら口を開けたり閉じたりした。

 直接的に言われるとなんて返したらいいのか分からない。

 視線を合わせるのも照れてしまいコーディアは下をむく。このままライルと見つめ合うなんてできそうもない。


「きみも、私の写真を持っていてほしい」

「は、はい……」


 頷いておずおずと彼を見上げると、口の端を緩めたライルの優しい眼差しとかち合った。

 春の日差しのような視線にコーディアの心もほころんでいく。

 彼と分かち合うささやかなフレイあの時間が大好きで、二人はたわいもない話をしながらしばしの団欒を楽しんだ。



久しぶりの更新です。

エピローグのあとくらいのお話です


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