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侯爵家婚約物語  作者: 高岡未来@4/9最愛姫発売
一章 初めての祖国と婚約者
4/58

3

◇◇◇


 コーディアが連れてこられたのは王都ケイヴォン北西地区にある屋敷街の一画。

 馬車寄せから降り立ったコーディアは屋敷の従僕に案内をされ応接間へと連れてこられた。

 隣には父も一緒である。


 風通しのよさを第一に設計されたムナガルの屋敷とは違い、インデルクの建物は窓がすべて閉じられ重たいカーテンが取り付けられている。

 応接間の窓は大きいが、ぴったりと閉じられている。暑くないから当然のことなのだが、どうにも慣れない。

 鳥や風の音が聞こえないせいで室内の静寂が際立っている。

 二人が長椅子に座って少しすると、デインズデール侯爵家の面々が入室した。

 親子は一度立ち上がり屋敷の主人夫妻を出迎えた。


「はじめまして、コーディア・マックギニス嬢。私がデインズデール侯爵家当主サイラス・デインズデールで、こっちが妻のエイリッシュ。息子のライルは出かけていてね。もうまもなく帰ってくる」


 白髪まじりの薄茶の髪に灰茶の瞳をした五十代頃の男性が口を開いた。

 侯爵の紹介に合わせて隣の女性が会釈をする。デインズデール侯爵よりもいくらか若いであろう夫人は笑うと一気に親しみが浮かんだ。コーディアは少しだけほっとした。

 目の前にいるデインズデール侯爵の長男がコーディアの夫となる男性である。


「ご子息のご活躍は聞き及んでいますよ」

 席に着いた男性二人が談笑を始める。

 自然とコーディアの相手は夫人と言うことになる。


 侯爵夫人エイリッシュは頬に手を当てうっとりとした表情を浮かべた。

 コーディアは小さく身じろぎをした。


 ちょうど客用使用人がお茶の用意を持ってきたのでコーディアはその作業を見守った。

 色の濃いお茶はジュナーガル帝国やその周辺国で栽培・加工されたもの。高級品だ。

 コーディアにとっては故郷の慣れ親しんだ味でもある。


(さすがに香辛料は入っていない……か)


 ムナガルで愛飲していたのはチャータと呼ばれる牛の乳と香辛料をお茶の葉で煮だした飲み物だ。


「わたくしとあなたのお母様、ミリー、いえミューリーンとは小さいころからの、いわゆる幼馴染でね。親友だったのよ」

 エイリッシュがにこにこと話しかけてきた。

 笑うと目じりに細かいしわが刻まれるが、それがかえって親しみやすさを生んでいる。声も耳に心地よい優しい音楽のようだ。


(優しそうな人でよかった……)


 貴族の夫人だなんて、威張っている人だったらどうしようと船の上でずっと考えていたのに、杞憂に終わった。

「えっと、夫人と母とが……ですか?」

 コーディアは瞳を瞬いた。父からは何も聞いていなかった。


「ええそうなの。わたくしのことはお義母さまとか、いえ、慣れないわよね、まだ。じゃあエリーおばさまって呼んでちょうだいな」

「おばさま……ですか?」

「うふふ。ミューリーンの娘におばさまって呼ばれるの憧れていたのよ」

 エイリッシュは少女のように笑った。


「あなた、本当にミューリーンにそっくりなのね。あのころの彼女を見ているようだわ」

 エイリッシュはもう一度うっとりとつぶやいた。


 コーディアは少しだけ居心地が悪くなってお茶を口にした。

 三歳で亡くした母のことは、実はあまりよく覚えていない。写真で見る母はもちろん白黒で、写真用に堅苦しい顔をしているか余所行きの笑顔のもの。似ていると言われてもぴんとこないのだ。

 そんな風に母を忘れてしまっている自分がとんでもなく親不孝をしている気分になってしまう。


「今度ゆっくりとミューリーンとの思い出話を聞かせてあげるわね。彼女との若い頃の写真も残っているのよ」

 エイリッシュは無邪気に続けた。

「ありがとうございます」


 彼女の話を聞いたら、少しは母を身近に感じることができるだろうか。

 それからエイリッシュはコーディアにムナガルでの生活について質問をしてきて、コーディアはゆっくり丁寧に彼女の問いに答えていった。


 全部が他愛もないことでコーディアはムナガルの空がとても青いことや空を飛ぶ鳥の色がとても色鮮やかなこと、太陽を浴びた海が光り輝いてみることなどを話していった。

 お茶のお代わりをエイリッシュがついでくれた頃、執事がデインズデール侯爵に耳打ちをしにやってきた。


 侯爵はエイリッシュに頷いた。

「あら、本日の主役の片割れが返ってきたそうよ。いますぐに呼びますからね」

 そう言ってエイリッシュはいそいそと立ち上がり、応接間から出て行った。


 ほどなくして彼女は背の高い男性を従えて戻ってきた。

 ヘンリーが立ち上がったのでコーディアも慌ててそれに倣った。


 コーディアの心臓がどくんと跳ねた。

 いよいよ自分の夫となる男との対面である。


 エイリッシュの後ろに続いた男性は、彼女と同じ栗色の髪をしていた。

 先日渡された写真では前髪を後ろへなでつけていたのに、今日は下したままだ。

 真面目そうに口を引き結び、姿勢よく歩く姿は物語の挿絵で見た騎士のようでもある。

 コーディアよりも頭一つ分以上背が高く威圧感を感じた。


「マックギニス卿お久しぶりです。今回は少し長い滞在だとか。ジュナーガル帝国の最新情勢の話など、ぜひ伺いたい」

「こちらこそ久しぶりですな。今回は娘の本帰国も兼ねているからいつもよりは長逗留の予定だよ」


 ライルはヘンリーにまず話しかけてきた。低い声だった。二人の口調からすると初対面ということではないらしい。

 ライルはヘンリーの口から発せられた娘という単語を聞いてはじめて視線をコーディアへ移した。


 まともに目が合ってしまい、コーディアはその場で硬直してしまった。挨拶くらいしないといけないのに口の中が乾いて、緊張して、ついでにインデルク語も出てきてくれない。

 二人はしばしの間無言で見つめ合う。


「コーディア、これがわたくしの一人息子のライル。先月二十五歳なったばかりなの。大学を卒業して今は政治家として研鑽を積んでいるところよ。もちろん侯爵家の跡取りとして領地運営のお手伝いもしているわ」

 エイリッシュが流れるような声で息子の紹介を始めた。

 エイリッシュはそのまま今度はライルに向けてコーディアの紹介を始める。

「ライル、こちらのとびきりに可愛らしいお嬢さんは彼のご息女のコーディア・マックギニス。生まれたときからジュナーガル帝国のムナガルにいたのよ。フラデニア語とロルテーム語がぺらぺらなのですって。ああそれからジュナーガル帝国の標準語も読み書きできるそうよ。だからあちらの話なら彼女に教えてもらいない。なんていったって、あなたのお嫁さんなのだから」


 エイリッシュの朗らかな声が応接間に響いた。

 デインズデール侯爵は妻の言うままに任せているし、ヘンリーも二人を見守っている。大人三人に和やかな空気が漂い始めたとき、地の底から響くような低い声が聞こえてきた。


「いま……なんて?」


 ライルの声である。

 感情のこもらないその口調にコーディアは背筋が凍り付いた。


「彼女はムナガルのディルディーア人共同租界出身で、語学が堪能なのよ。ずっとフランデール語で生活をしていたのですって」

「そのあとの話です」

 息子の突っ込みにエイリッシュは、得心顔で頷いた。


「お嫁さんって言ったの。あなたのお嫁さんよ。かわいい子でしょう。こんなかわいいお嫁さんをもらえるなんてライルは幸せ者ねえ」


 エイリッシュは息子の地を這うような口調などお構いなしに無邪気な笑顔で嫁という言葉を連呼する。

「初耳です。今日だってマックギニス卿がいらしているとしか聞いてません」

「うふふ。そこはびっくりサプラーイズ的な? あなた決まったお相手がまだいないでしょう。ちょうどマックギニス卿が娘さんの結婚相手を探していらしてね。わたくしぜひにと立候補したのよ」

「本人の意思関係なく立候補……ですか」


 無邪気な少女のような母の言葉にライルは呆れたような、怒りを抑えたような、あきらめたような声色を出した。

 もしかしたら全部なのかもしれない。

 そろりと隣の父の気配を伺うと、彼はこのなりゆきに動じることもなく、口を挟む気配もない。


「あなたもそろそろ結婚なさいな。侯爵家の跡取り息子なのですからね」

 その一言でライルは反論する意思をなくしたようだった。

 コーディアは間近で本物の貴族を見た気分だった。


 いや、本物なのだが、コーディアにとって本国の貴族なんて物語の中のことだった。ムナガルの各国大使は確かに本国から派遣された貴族階級だったが、一介の学生であるコーディアが気軽に会える人物でもなかった。


「娘はこちらの生活に不慣れですがじきに慣れましょう。必要なものがあれば遠慮せずにケイヴォンにある私の事務所の人間に申し付けてください」

「ええ大丈夫ですわ。わたくしがそばにおりますもの。インデルク流の生活をきちんと教えますわ」

「母上、一体どういうことですか」

 親同士の会話に不穏めいた気配を感じ取ったライルが口を挟んだ。

「あら、マックギニス卿は多忙だもの。だからコーディアは今日から我が家で花嫁修業も兼ねて滞在してもらうのよ」


「なんですって」


「部屋は余っているのだし、ここはわたくしたちの屋敷だもの。別に行儀見習いの少女を置くくらいいいじゃない」

「なっ……」

「あなた、ここ最近わたくしがお部屋の模様替えをしていてもまったく気づかなかったものねえ」


 エイリッシュはころころと笑った。

 図星だったようでライルは黙り込んだ。

 コーディアはぽんぽんと進むインデルク語に目を白黒させる。


「ほら、おまえからも何か言いなさい」

 ヘンリーに小突かれたコーディアである。


「え、っと。その……。ふ、不束者ですが、よろ……よろしくおねがいします」


 緊張からしどろもどろな口調になってしまった。最後にお辞儀をして、そろりと上を窺う。

 と、またライルと目が合ってしまい慌てて視線を下へずらした。


「こちらこそ、よろしく」

 彼の言葉が聞こえてきた。本音はどうあれ一応迎えてくれる気はあるらしい。


「さあさ、せっかくだからあなたのお部屋へ案内しましょうか。船の旅からずっと気が休まらなかったでしょう。今日からここがあなたの家になるのだから気兼ねなく何でも言ってちょうだいね」

 彼女に先導されてコーディアは応接間を出て階段を上がってあてがわれた部屋へと連れて行かれた。


 部屋の中にはコーディアの少ない荷物がすでに到着しており、小間使いたちが長持ちを開けてドレスの整理を始めていた。

 そこでコーディアは自分付きになる侍女のメイヤーを紹介された。

 部屋の中を一通り案内され(なんと寝室と居間と衣裳部屋と浴室に分かれていた)次に下に降りたとき、すでに父の姿はなかった。


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