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侯爵家婚約物語  作者: 高岡未来@4/9最愛姫発売
六章 婚約者の気持ち
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1

 コーディアは部屋の中から空を見上げた。以前はこの空がムナガルへとつながっていると、郷愁の念に駆られていたのに、今は彼の地を思い出すことはあっても胸を焼き尽くすような渇望を抱くことはなくなった。

 この地に慣れてきたのだと思う。

 コーディアはこの国で生きていくのだ。正直に言うと怖くはある。まだこの国はコーディアにとっては未知だが、ライルの隣にいて恥じない自分になりたいと思うようになっていた。


 彼にちゃんと自分を見てほしい。

 決められた婚約者だから、というのではいや。

 だからこそ、コーディアは自分が原因でライルの評判が傷つくのが嫌だったし、いつまでも守られているだけの自分が悔しくもあった。


 これはコーディアの問題でもあるのだ。

 それに、昨日新聞に掲載された記事はコーディアの誇りを十分に傷つけた。

 これまでの記事だってコーディアを傷つけたが、あれはどちらかというとヘンリーの行動を非難するものだった。

 しかし今回のそれはコーディアの出生に関わるものだった。


 コーディアは、ヘンリーの実の娘ではなく、取り換えられた子だというのだ。

 コーディアはぎゅっと手を握りしめた。

 十三年前にムナガルのディルディーア人共同租界で起きた熱病。罹患した兄の看病をしていた母も同じ病に倒れた。

 助かったのは乳母によって隔離されていたコーディアと、ちょうど商用でムナガルを離れていた父のみ。


 記事は、本物のコーディア・マックギニスもその時熱病で死んでおり今のコーディアは乳母の手によって連れてこられたどこの馬の骨かもわからぬ娘だという。

 偽物の娘が伝統あるデインズデール侯爵の嫡男と結ばれることがあってよいものか、と記事はコーディアは糾弾する形で終わっている。

 ヘンリーも騙された被害者で、コーディアと乳母はヘンリーの財産を狙っている悪者だと、記事は決めつけていた。


 コーディアは記事を読んだとき、目の前が真っ暗になった。

 自分は母の顔もおぼろげだ。

 なにしろ、コーディアが母を亡くしたのはまだ三歳の頃のことだったのだ。写真で見る母は、確かに今のコーディアと似た顔をしている。


 けれど、コーディアは母との思い出をもう思い出せないのだ。どんな声で、どんなふうに笑いかけてくれて、どんな子守唄を歌ってくれていたかなど。

 エイリッシュはあなたとミューリーンの顔は本当にそっくりよ、こんな記事でたらめなんてこと、わたくしたちが一番に知っていますからねと励ましてくれたけれど。


 コーディアは決意を固めた。

 みんなコーディアには何も心配しなくてもいいというけれど、コーディアだって当事者の一人だし、ローガンの従妹でもある。

 父はいまだに連絡がつかないようで、エイリッシュもさすがに苛立ちを隠せないようだ。


(わたしがなんとかするしかない……)


 コーディアはどうやって一人で外出するかを考え始めた。


◇◇◇


 屋敷を抜け出すのは思いのほか簡単だった。

 読書をするからと言えば使用人たちはコーディアを自由にさせてくれる。部屋からそおっと抜け出して誰にも見られないように屋敷の外に出る間はひやひやしたが。


コーディアは高級住宅街を抜けて辻馬車を拾った。お金は前回の家出騒ぎの時に換金したものの残りをこっそりと取っておいたのを使った。

 とりあえず話を着けないと、と思った。コーディアができるのは話し合いだけだ。


「まさか、きみのほうから僕に会いに来てくれるとはね。驚いたよ。それも一人きりで」


 運よく屋敷にローガンがおり、すんなりと面会することができた。屋敷の使用人に案内されたのは二階にある書斎だった。

 黒樫の書斎机に背の高い本棚がコーディアを威圧する。

 コーディアは体中から勇気を集めて、委縮しないようお腹に力を入れた。

 本当はライル以外の男性と二人きりなんて怖くてたまらない。相手は、前回コーディアに嫌な視線を送ったローガンだ。

 従兄は目の前に座り優雅に足を組む。

 ローガンはにんまりと笑った。


「ちょうどいい。きみにはこの書類に署名をしてもらおうと思ってね」

 ローガンは立ち上がり書類を持ってきた。

 応接机の上に置かれた紙に踊る文字をコーディアは目で追う。

 そこに書かれている文字は財産放棄と親子関係解消に関する同意書だった。


「な、なんですか、これは」

「なにって。きみは偽物のコーディアだ。コーディアという名前の子供は十三年前の熱病で死んだ」

「違いますっ! わたしが本物のコーディアです。わたしは今日、新聞記事について抗議をしに来たんです」

 コーディアはなんとか言葉を詰まらせずに言い切った。


「おやあ、どうして僕が抗議されないといけないんだ? それだとまるで僕があの記事を書かせたみたいじゃないか」

 ローガンは心外だとばかりに大げさに肩を持ち上げた。

「……ち、違うんですか?」

「さすが粗野な租界育ちの人間は言うことが違うね。何か証拠でもあるのかい?」

「そ、それは……」


 コーディアは口ごもった。

 確かに証拠はない。ただ、状況的に彼らしかいないというだけで。

 ローガンは笑い出した。

 滑稽なものを見るように、コーディアに対して遠慮なく。


「で、でも。わたしは父の娘です。出生証明書だってあります。そ、それに……租界にいるディルディーア人の子供は数が少ないんです。家族連れ自体が少ないんですから、記事にあるようにもしもコーディアが亡くなって代わりを見つけようとしても、同じ条件の女児がそんな簡単に見つかるわけもありませんし、どこかから攫ってきたら租界中が大騒ぎになります」


 コーディアは一生懸命まとめた彼女なりの意見を述べた。

 ジュナーガル人とディルディーア大陸人とでは見た目が大きく違う。まず肌の色が違う。

 租界には軍人や商人は大勢いても大半は独り身、もしくは本国に家族を残してきている男性だ。

 女性や子供は数が少ない。その中でも特に数少ない女児が攫われたら大騒ぎになる。


「ふうん。でもさ、あのときって租界中が大混乱だったんだろう。そう聞いているよ。混乱の中病で死んだって聞かされたら誘拐された親も信じてしまうんじゃないのかな」

「わたしと母は顔がそっくりなんです。そんな偶然ありますか?」

 写真も残っていますと付け加えるとローガンは馬鹿にしたような笑みを寄越した。


「そんなことはね、どうでもいいんだ。そういう些細なことは世間は気にしない。そして僕にとって重要なことはきみがヘンリーの実の娘ではないという書類上で証明されることと彼の相続人に僕がなるということだ」

 ローガンは薄く笑った。

「そ、そんなに父の財産が欲しいんですか? 父はまだ生きています。これからだって誰かと再婚するかもしれないのに」

「それはないね。彼は亡くなった妻を愛していて、今度誰とも再婚する気はないって公言しているから」

 僕にとってはそれも幸運なことだよね、と彼は付け加えた。


「侯爵家の次男のくせに、蓄えた財産を我が家に収めないなんて、ありえないだろう」

「そ、それは勝手な理屈です……」

 コーディアは怖くなった。

 目の前の従兄の考えていることが分からない。


「本当は僕の妻にしてもいいかって思ったんだけど、僕だってきみを好きで娶るわけではないんだ。だからもっといい方法を思いついた。とにかく時間はたっぷりあるからね。手はいくらでもあるし。病院に入れる方法だってある。世間はどちらの味方をするだろうね? 侯爵家の跡取りの僕と、偽物の成り替わり娘の世迷言と、どちらを」


 ローガンは瞳を三日月のように歪めた。コーディアの背筋が粟立つ。

 そこでコーディアは己の失敗を悟った。

 一人でどうにかできるなんて、どうしてそんな甘いことを考えたのだろう。



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