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侯爵家婚約物語  作者: 高岡未来@4/9最愛姫発売
二章 インデルクの令嬢たちとホームシック
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5

◇◇◇


 ライルは学生時代からの友人、ナイジェルに誘われて会員制クラブへ向かった。

 主に上流階級の紳士を顧客とする店である。


 紹介制高級クラブの店内は薄暗く、カウンター席やホール中央のテーブル席、壁際のボックス席に分かれている。そろそろ日も暮れる頃合いで、フロア内には少なくない客たちがそれぞれ談笑している。

 奥には個室もあるが、個室に行くほど秘密めいた話をするわけでもないし、女性を同伴しているわけでもない。


 二人はボックス席に陣取った。

 最初の酒を酌み交わすとナイジェルが陽気に口を開いた。


「それで、婚約者との同居生活はどうだい?」


 ライルの婚約が決まったという話はケイヴォンに残っている上流階級に知れ渡っている。連日にわたって母エイリッシュがコーディアを連れまわしているのだ。

 ナイジェルは赤味がかった金髪をはらった。昔から自分がよく見える仕草というものをわかっている男であるが、男女ともに分け隔てなく明るく接する性格のため嫌味に映らないのが彼の持って生まれた人柄だ。


「別に。どうにも」

 ライルはそっけなく答えた。

 特にこれといったこともない。ただ、自分の役目を全うするために結婚する、……それだけだ。


「可愛いって評判だと聞いているよ。そんな婚約者を捕まえておいて、別にって……」

「どうしてナイジェルがコーディアのことを知っているんだ?」

「僕の妻がきみの婚約者嬢と仲良くしているからね」


 ライルは一時自分の婚約者候補にも名前が挙がった令嬢を思い浮かべる。

 アメリカ・コールデッド(現在はナイジェルの妻のためリデル姓だが)。彼女の家もまた、八十年前の爵位はく奪事件から難を逃れた家系だ。アメリカはそつのない性格をしている。きっと租界帰りでこちらに慣れないコーディアのことをさりげなく手助けしているのだろう。


「それは初耳だ」

「え、ライルってば家でコーディア嬢とそういう話、しないの?」

 ナイジェルは目をぱちくりとさせる。

「……」

 ライルは手元のエールをぐいっと飲んだ。


 コーディアがデインズデール侯爵家に身を寄せるようになってから約三週間。会話らしい会話は特にない。というか二人の距離は初対面の頃からあまり変わりがない。

 ライルの沈黙を正しく理解した友人は同じくグラスの中身をぐいっと飲み干し、給仕に新しい物を注文した。


 ナイジェルはライルの肩にぽんっと手を置いた。


「きみね、もっと自分からぐいぐいいかないと駄目だよ。可愛い婚約者は、ずっとジュナーガルの租界で暮らしていたんだろう? きっとこっちにやってきて寂しい想いをしているはずだよ。そういうときにそっと慰めてやるのが恋人の役目ってものだろう」

「……恋人ではない」


 お互いに親が決めた婚約者という位置づけだ。もっと仲よくしようにも現在ライルは絶賛空回り中だし、失敗ばかりである。

 相変わらずコーディアからは一歩も二歩も距離を置かれていてライルはめげているのである。


「ああもう、駄目だよ。たとえ親同士が決めた相手でも好きになる努力をしないと。僕はアメリカのことが大好きだよ。あのつんと澄ました顔がさ、僕の前でだけ色々と変わるんだ。可愛いよ、本当に」


 臆面なく惚気るナイジェルのことは放っておくことにしてライルは昨日のことを考えた。

 本音を言えばコーディアとは仲良くなりたいと思っている。これから夫婦になるのだ。二人で招待される催し物だって増えるし、一応ライルにだって理想の夫婦の形というものがある。父のように母を溺愛、とまではいかなくても結婚する女性のことは大事にしたいし、自分にも多少なり好意は持ってもらいたい。


 ライルはコーディアの深い青色の瞳を思い出す。吸い込まれそうな深い青色をした神秘の色。宝石のような美しい瞳を持った少女。

 あの瞳にもっと自分を映してほしいと思う。


 けれど現実は難しい。


 昨日、ライルは図書室でコーディアの姿を見つけた。彼女の方が先に図書室で本をさがしていたのだ。

 思いがけず二人きりになり、ライルは何か話しかけないと、と考えた。


『探し物か?』

 そうライルが尋ねると、ライルの入室に気づいていなかった彼女は『ひっ』と小さく悲鳴を上げた。ライルは地味に傷ついた。


 そこまで忌諱しなくてもよいだろうと。


 実際は眉根を寄せただけだが、それがよくなかったのか、コーディアは一歩足を後ろに引いた。


『それで、何を探しているんだ?』

 ライルは今度ももう少し丁寧に聞くことにした。ここでくじけていては駄目だと鼓舞したのだ。

『えっと……その……』

『きみはもう少し、自分の意見をちゃんと伝えた方がいい』

 ライルはつい教師のようなことを口にしてしまった。

 コーディアは目に見えて狼狽した。視線を左右に動かしてから、観念したように『詩集を探していました』と答えた。


『誰の?』

『ワーナーワースです』

 確かここ数年で頭角を現した詩人だ。

『おそらくここには無いだろう。母を詩集はあまり読まないんだ。そのくせ大衆娯楽小説ばかり読む』

『そう、なんですか……』


 ライルが母の趣味について一言交えた言葉を告げるとコーディアがしょんぼりと肩を落とした。

 別にコーディアを咎めたわけではない。


 その後彼女に聞くと、出席した茶会で件の詩人が話題に出たという。インデルクの流行に疎いから有名な詩人の作品を読んでおこうと思ったとのことだった。

 珍しく会話が続いたことに気をよくした


 ライルはそのまま彼女が普段どんな本をよむのかを尋ねてみた。何か贈ってもよいと考えたのだ。

 少女は少し考え、『ロルテームの本などをよく読みます』と答えた。大雑把すぎて範囲を絞り込むことができない。やはり詩集だろうか、と考えているとコーディアがくしゃみをした。


 その日は朝から冷えていた。コーディアは常夏の国で暮らしていたため寒さに免疫がない。ライルは自分の上着を貸そうと思ったが、男の着ていた上着を差し出されても、彼女が困るだろうと思い直し、部屋から出て行った。何か、暖かい物を持ってこようと思ったのだが、ライルが図書室へ戻ると、もうコーディアの姿はなかった。


「ってねえ、聞いている? 僕の話」


 ライルの隣で一人延々と新婚の甘々生活を垂れ流していたナイジェルが物思いにふけっていたライルの腕をぐいと引いた。

 もちろんそんなもの耳に入るはずもない。大体、こっちが婚約者からいまだに恐がられているというのに、どうして幸せいっぱいな浮かれ話を聞かないといけないのだ。


「きみね、まさかコーディア嬢の前でもそんな仏頂面しているわけ? 駄目だよ、女の子はね、繊細なガラス細工のような存在なんだ。ただでさえきみは人よりも愛想ってものが無いんだから」

 ナイジェルがうんうんと頷くから、面白くない。

「別に俺は……」


 確かにナイジェルのように内面を顔に出さないが、そこまでではないと思う。面白ければ笑うし、悲しければ涙だって出る。


「もっとさ、いつも以上に大げさに優しい声を出さないとさ。きみみたいな分かりにくいやつはそのくらいしないと。ああそうだ。あとはデートかな。初めてのインデルクならどこがいいかな。劇場や動物園、西大陸自体が珍しいなら百貨店もいいかもしれないね。女性用の雑誌でも最近特集が組まれているし」

 ナイジェルは饒舌に語った。先に結婚したせいかすっかり教師の口調だ。

「ちょっと待て。別に俺はコーディアとうまくいっていないわけではない。なんでそれを前提に話しているんだ。大体貴族女性が百貨店ってどうなんだ」

「え、うまくいっていないんだろう。じゃないと男同士の酒の席になんて付き合わないだろう?」


「そういうきみはどうなんだ?」

「僕は今日はライルの相談に乗ってくるって妻にちゃんと言って家を出てきたからね」


 ナイジェルは胸を張った。

 酒の席の理由までアメリカには筒抜けの用である。

 そういえばこの男は婚約をした途端に付き合いが悪くなったとライルは昨年のことを思い出した。誰かがそんなようなことを言っていたのを耳にしたことがあった。


「別に、ただちょっとお互い慣れていないだけだ」


 ライルの強がりにナイジェルは苦笑した。つまみのナッツを口に放り込み、もう一杯酒を頼む。


「コーディア嬢はまだこっちに慣れていないからライルが必要以上に気にかけてあげないと。それから、もっと親しくなりたいんだったら、自分の失敗談とか子供の頃の話とか大げさに語って聞かせるのもいいよ。そういうので一気に打ち解けるものだから」

「それは経験談か?」

「え、まあ……ね。アメリカにも色々と話したよ。呆れられることの方が多かったけど」


 ナイジェルはそう言ってにかっと笑った。いい笑みだった。

 ライルはこれまでの自分の言動を思い返す。声は抑揚をつけずに、ナイジェルらに話しかけるようなそっけないものだったかもしれない。それに、つい叱るような口調だった。


 気をかけてるつもりだった。

 寒そうにしていたら上着を貸そうと思ったし、彼女と話す努力だってしてみた。市内案内のために主要な建物の建築様式や歴史などを予習もした。

 けれど、そういうことではなかったのかもしれない。


「ナイジェル、きみだったら。もしも婚約者が市場や百貨店に行きたいって言ったらどうする?」

 ライルの問いかけにナイジェルはにっこりと笑った。

「そりゃあもちろん喜んで付き合うよ」

「おおよそ、淑女の出入りする場所じゃなくてもか?」

「まあ、それは場所にもよるけれど。市場くらいお忍びで訪れる婦人くらいいるだろう? 百貨店は最近若い女性の間で人気だよ。さっきも言ったけれど、女性用の雑誌で特集も組まれているみたいだし。一番上の階にね、パーラーがあるんだ。そこで甘い物を食べるのが流行っているんだって」

「しかし……」


 伝統的な貴族は昔から馴染みのある店で買うか、もしくは屋敷に呼び出し買い物をする。百貨店のような最初から大量生産された既製品ばかりを並べている業態の店などに貴族階級の人間は行くべきではない、というのが自分たちの認識ではないのか。


「きみは昔からまじめなところがあったからねえ」

 ナイジェルは苦笑した。その点ナイジェルは柔軟な思考の持ち主である。学生時代からいろいろな場所に出入りをしていたし、付き合いの幅も広い。

「アメリカ夫人は百貨店など歯牙にもかけないだろう?」

「え、まあね。彼女もきみみたいにまじめだからね。でもちょっと連れて行ってみたいよね」

 ナイジェルは子供のような顔つきで笑った。


「ははあ、きみは百貨店に憧れていたコーディア嬢をその調子で叱って、嫌われちゃったってわけだ。なるほど」


 今度こそライルは黙り込んだ。

 図星だったからだ。確かに一言言った。

 たぶん出会って最初の方にライルが咎めるようなことを言ったからコーディアはライルに心を開いてくれなくなった。


 しかし、自由すぎる母を反面教師にライルは至極真面目に育ってしまったのだ。

 だから、伝統というものは大事にしようとするし、人の上に立つ立場に生まれたからには人々の規範になるよう行動しなければならないと思っている。

 コーディアは貴族の家に生まれた娘が受ける教育を施されていない。伝統的な貴族の生活というものを知らないのだ。


 早く自分と同じ位置に立ってほしくてライルはことさらそれを強調した言葉を発してしまった。


「けどさ、せっかく初めてインデルクに来たのに、そう頭ごなしに否定されちゃったら悲しいと思うよ。憧れていたところくらい連れて行ってあげなよ。僕たちの階級の生活なんて、徐々に慣れていけばこういうものなんだってわかってくるよ」


 ナイジェルの方がよっぽどコーディアに優しいではないか。

 彼が婚約者だったら、コーディアは笑ったのだろうか。自分には見せることのない顔を彼に見せるのだろうか。そう思うと面白くない。それと同時に、自分の言動が彼女のインデルクへの期待や夢を摘み取ってしまったのかもしれないと後悔した。


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