7話 空想の邪魔者
「やめろっ!!…はぁ、はぁ…?」
チュン、チュン、チュン
遠くに小鳥のさえずりを聞いた。
悪い夢だった。未だに心臓を抉られてしまいそうな気がして落ち着かない。
こういうのはよく考えずに忘れてしまうのが一番だ。俺はそう割り切って少し伸びをした後、体を起こす。
そうだ、深く考えないでおこう。あの夢に出てきたやつのことも。明晰夢だなんて縁起でもないことは考えたくない。
辺りを見回すとそこは、俺がビアンカに助けてもらった時に寝ていたベッドの部屋だった。
昨日とは違って日が差しており、曖昧になっていた部屋の間取りなどが鮮明に見えた。
ろうそくの火はもう消えていて、ロウがなくなり燭台だけが残っていた。消し忘れていたのだろう。
気づかなかったが、右側には木でできた窓があり、そこから差した光が部屋を照らしていた。
それ以外、部屋の光景は、何も変わっていなかった。
つまり
「夢じゃ、なかったんだな、これは」
さっきのとは違って、今目の前にしている状況は夢ではなかったようだ。
昨日ビアンカと話している時も、「実はこれは夢なんじゃないか」なんて思っていた。しかしその懸念も的外れだったようだ。いい意味で。
昨日と同じ様子に、安堵した俺だが
しかし、少女―――ビアンカの姿が見えない。
俺は彼女を探そうとベッドから降りて、部屋のドアを開け廊下にでる。
廊下の中央あたりには花が添えられており、殺風景な空間に彩りを与えていた。
その廊下を半ばほど歩いたところで
ジュー、ジュー
と何やら料理をしているような音が聞こえてきた。今いる位置から向かって右。俺は音のする部屋へと足を運んだ。
音は、廊下の突き当りの部屋から出ているようだった。その部屋にはドアがついていないかわりに、カーテンのような、暖簾のようなものが垂らされていた。
俺はその暖簾を、屋台に入るおっさんのごとく手でかき分けて部屋に入る。
ーーお…?
すると、そこには
朝日に彩られた美しい主婦が立っていた。
西洋系の顔立ちに、コーカソイドの肌、艶やかな金髪。男なら求め、女なら嫉妬するほどに綺麗な顔立ち。そしてそれに見合うようなスタイル、身のこなし。誰がどう見ても「美少女」と評価するだろう。
それは、紛れもなく朝食を作っているビアンカだった。日光に照らされた彼女の姿は、また一層美しく見えた。
俺は、思わず息を飲んだ。俺は、こんなにも綺麗な子と会話をし、抱きしめられ、そして家族になろうと言われ、一つ屋根の下で一緒に暮らしている。ほんとに夢じゃないかと疑ってしまうほどに、今の状況は男として幸せだった。
髪の毛が落ちないようにしているのか、今日の髪型は、ポニーテール。源が分からない火の上でフライパンを片手に中身を菜箸でかき混ぜていた。
俺の気配に気づいたのか、顔を見せていなかった彼女が
「あ!シュー、起きてたんだ!おはよー!」
そういって半ば振り向きかけた
その瞬間
「ぎゃあああああああ!誰だてめえぇ!!!」
今朝から早々に大声を張り上げてしまった。
いや仕方ねえだろ?!
そこに立っているのはビアンカなんかではなく、ポニーテールのコ〇メ太夫だったのだから。
整った顔つきだったはずの顔面はなぜか白塗りで、頬のところにはピンクのチークが下手に丸く塗られていた。そしてその唇の輪郭から大きくはみ出すように塗られた口紅。ゴ〇ゴ並みに太く描かれた眉毛、その下の塗りたくられたアイライン。
はっきり言って、バケモンだ怖え!!
ビアンカが人差し指で宙をクルッとなぞると、何もないところからでていた火が止まった。一旦フライパンを置き、むすっとこちらに向きなおる。
「もう!朝起きて一言目がそれ?!覚えてないの?ビアンカよ!ビ・ア・ン・カ!」
「ビアンカ」の音に合わせて、人差し指を横に振った。
「うるせえ、覚えてるわ!!なんでそんな気持ち悪い化粧してんだよ、チクショー!!」
「えっ?!きっ気持ち悪い?!ひどいよ....せっかくシューに....」
ビアンカは途端にガクッとうなだれて、しょんぼりした顔を浮かべる。落ち込んだビアンカの視線が俺の顔と床とを行き来していた。
「だあぁぁ!!もういいから!はやくそれ落としてこい!」
「ど、どうしても?」
「どうしてもだ!」
「うぅ、ひどいよシュー....」
ようやく観念したのか、トボトボ、気が進まないといった足取りでどこかに向かうビアンカ。向かった先に洗面所があるのだろう。見るとその足には小さなウサギのぬいぐるみがつけられたスリッパがついており、歩くたびに左右に揺れた。
まったく....なんで、あんな気持ち悪い化粧したんだ?あいつ。
一つ、ため息をついて呆れた俺は、この部屋を一度見渡す。目の前にあるのはさっきまであいつが料理していたキッチン、そしてほどなく近い距離に昨日とは違った形のテーブル、そこに向かい合うようにして備えられた二つの椅子、そしてその一方の椅子の後ろには小洒落た風貌の食器棚、もう一方の椅子の後ろには木でできた出窓がつけられており、キッチンと食器棚と出窓がテーブルの三方を囲むようにして存在しており、残った一方は壁にかかった絵が飾られていた。
油彩、というのだろうか、おそらくその技法で描かれた誰かの肖像画は、こちらに微笑みかけるような構図だった。
俺は、「絵画」もとい「芸術」に関連するもの全般に疎いのでそれ以上のことは分からなかった。
まあ、分かったのは、ここがダイニングだということだ。
とりあえずフライパンを覗き、何を作っていたのかをうかがう。
おぉ....
朝からかよ、という感じはしたが、オムライスだった。しかし、その香ばしい香りと煌びやかな黄色い外観が食欲をそそり、不思議と胃につかえる気がしなかった。
卵の中から少しはみ出したチキンライスが、これがオムライスだと証明していた。
フライパンの下は、普通のガスコンロのような三脚形状だった。しかし、ガスが通っていそうにない。火は魔法で代替しているのだろう。いや、代替というより魔法が通常なのかもしれない。
昨晩と違って、朝なのでシーリングライトの魔法はなかったが、火が魔法であるところを見ると、現世で科学技術が使われていた部分は、こちらの世界では全て魔法で行われているのだろう。
あたりを見回している内に、トボトボとビアンカが帰ってきた。その顔にはもう何も塗られておらず、いわゆる「すっぴん」という顔になっていた。
俺は何もしないほうが可愛いと思うがな
「そっちの方が、全然いいと思うぞ...俺は」
水道も魔法か、と思いつつ、ビアンカに言葉を投げかける。
しかし、ビアンカは少し悔しそうな顔をして
「そ、そう....?」
力なく返事をした。
「じゃ、じゃあ、ごはんもできたし、食べよっか!」
なんだか無理やり元気にやろうとしているようだと思ったが、敢えてツッコミは入れず
「ああ」
「うん!」
そう言うと、ビアンカはフライパンを手に持ちそばにあった皿に盛りつける。
すると、今度はキッチンの上にある棚から、なにやらタッパーらしきものを出し、中からパセリを取り出すと、盛り付けてあるオムライスの上に丁寧に添えた。
こいつ、すげえ家庭的だな....
看病してくれたり、食事を作ってくれたり、ビアンカとはまだ少ししか一緒に過ごしていないのに、その少しの期間で「家庭的だ」と思わせてしまうほどに彼女の家事能力は高い。
「ほら!座って座って!」
そんなことを考えているうちに、すっかり用意されてしまったテーブルを前に、ビアンカは後ろ手にエプロンを外し、机の反対側から急かすように言う。いつの間にか脱いだのだろうか。キッチンの傍らにそろえられたスリッパのうさぎがこっちを向いている。
ビアンカの髪はさっきまでのポニーテールとは違って、なんの束縛もないただのロングヘアになっていた。
その一部は、いつもは三つ編みにしているせいか、少しカール気味になっている。
見つめ続けてしまうと、どうにかなりそうなのでやめておこう。
「分かったよ...って、おお!」
わざと怪訝そうに返し、昨日と同じ椅子に腰かけると、目の前に広がったのは、美しい木目のテーブルの上に広がるランチョンマット。幾何学模様を連続させたようなシンプルなデザインのマットの上に置かれた、丁度いい大きさの皿に盛り付けられたオムライス。その組み合わせは、現世で再現しても決して豪勢ではないが、一つ一つのパーツが、およそ最高級の代物であるため、シェ〇トンホテルの朝食並みの輝きを放っていた。
「朝はオムライスだよ!はい、じゃあいただきます!」
「あ、い、いただきます」
手を合わす文化は異世界でも共通事項なのか…?てか、オムライスって名称も。
ビアンカが両手をあわせて対面からそう言うので俺もつられて手を合わせた。
待ちきれなかったのか、彼女はすぐさま手元にあるスプーンを左手で丁寧に持ち、オムライスを一口分すくうと口へと運んだ。
その左手は、何故か手袋を着けたままだが。
「んんー!おいしぃー!」
たまらない、といった感じで、頬に手を当てる。
そうか、そんなにおいしいのか。
なら俺も頂こう、とスプーンを持ち、オムライスを手にかけようとしたその時
「あ、待ってシュー!ケチャップいるでしょ?」
そういえば、こいつが付けていないからすっかり忘れていた。オムライスにはケチャップがつきものだよな。
「そうだな。頼む。」
てか、あるんだなケチャップ、異世界にも。
ってことは、トマトとかそのほかの植生もだいたいは現実世界と一緒みたいだな。
「うん」
ビアンカはそう言って、キッチンの隣にある冷蔵庫らしきものに向かうと、中からケチャップを取り出した。
近づいてくるビアンカの手に持ったケチャップ(プラスチックではなく、何かの動物の皮でできていた、気持ち悪い)を受け取ろうとして手を伸ばすと、それを阻止するように
「あ、待って!」
グイッと手を引いた。
「ちょ、よこせよ!」
「だめ!シューのは私がかけてあげるから!」
そう言うと、ビアンカはとててと俺の横、肩が付く状態まで寄ってくると、「ふんふふんふふ〜ん♪」なんて鼻歌を歌いながらオムライスの上にケチャップをかけ始める。
急に寄ってきたせいか、風にのった女の子らしい匂いが、俺の心臓を高鳴らせた。
「....はい!できたよ!」
「え、なんだこれ?」
彼女のケチャップは、黄色いキャンパスにユークリッドもびっくりの幾何学模様を書いているようだった。
なにかの文字だろうか。
「え?しゅ、シューまさか、字の読み方も忘れちゃったの?!」
そうだった。俺は記憶喪失をしていることになっている。ここは忘れていた体でいくしかない。「忘れた」というより、「もとから知らなかった」のだが。
これが、こっちの世界で使われている字なのか…。少し気になるな。
「ああ、そうみたいだ…。なあ、ビアンカ。これはなんて書いてあるんだ?」
俺に指差された先の文字について、尋ねられたビアンカは席に着きながら答える。
「え、えと…えとね、しゅ、シューって書いたの…❤️」
頬を染めた彼女は何が恥ずかしかったのか、両手で顔を覆い隠した。
「そうか、これで『しゅう』って読むんだな」
なるほど、面白いな。
なんて興味を示してしまうのも、現世で俺が高校生をやっている時、文系選択をするほどに言語分野に興味を持っていたからである。
俺はしばらくの間その文字をまじまじと見つめた。
「やっぱり、思い出せなさそう?」
俺が見つめ続ける理由を別の形で解釈したらしいビアンカが、上目遣いで尋ねてくる。
「ああ...全然だ」
「そ、そっか…大丈夫、焦らずゆっくりでいいからね、思い出すの」
また、彼女を騙してしまったことに罪悪感を覚えた。彼女が情けをかけてくれているのが、より一層俺の心を締め上げた。
「ま、まあとりあえず食べてみて?」
どうやらこいつは、自分が作った料理が俺の口に合うかどうかが気になるらしい。さっきこいつ自身「美味しい」と自画自賛していたから、まあまず不味くはないだろう。
たとえ好みじゃなくても、美味しいと言っといてやるか。
そう言って、端から一口分のオムライスをすくって口に含んだ
「ど、どうかな…?」
彼女が俺の顔を伺うように緊張の面持ちでこちらを見た。
途端
「な、なんだこれ?!すげえ、うまい...!!」
今まで食べたことの無いような味が口内、鼻腔、消化器官を支配した。少し表現がオーバーかもしれないが、それほどに口の中でとろける卵とライスのハーモニーがたまらない。
「たとえ好みじゃなくても」とか思っていた自分が恥ずかしくなった。
俺の偽りのない素のリアクションを見たビアンカは
「え?!ほんと?!よかったぁー!!お口に合わなかったらどうしようと思って、ドキドキしちゃった!」
「いやこれまじでうまいぞ、おまえ!人生で食った飯の中で一番うまい!!」
その言葉に虚偽はない。彼女が作ったオムライスはほんとに美味しかった。
「もう、シューったら、そんなに褒めても何も出てこないよ〜♪」
自分の料理を褒めてもらえたのがよほど嬉しかったのか、ビアンカは頬を染めて恍惚の表情を浮かべてよがった。
案外こういう感じなのかもしれない。
昨日異世界に来たときは、ドラゴンや魔法が目の前を飛び交っていたので、モンスターによって荒廃してしまった世界に来たかとも思ったが、彼女の表情を見るとそんな風には思えない。
この世界は、きっとスローライフものなんだ。きっと神か何かしらが現実世界に疲れた少年を見かねて、争いも何もない世界でゆったりとした第二の人生を歩ませてやろうと、この俺を異世界転移させたのだ。
ディザスト、だったか。朝起きたらすぐにでも聞こうと思っていたが、とりあえず今はやめておこう。魔法もあのドラゴンについても。これからゆっくりと時間をかけて、この世界を知っていけばいい。
この話を誰かに語るとすれば、題名は、そうだな...「死にたがりのスローライフ」とでもいっておこうか。
この世界の摂理を尋ねるのも、俺が異世界から来たということも、口にするのはしばらくお預けだ。
これから繰り広げられる、この少女との他愛ない日常のためにも。
それまでは、記憶を失ったフリをしていよう。
「ふっ」
そんなちんけな考えが、少しばかりだが、俺を生きさせようとしている気がしてしまった。
「もーシュー?なに笑ってるのー?」
ビアンカが腰に手をあて、むっと怒ってみせた
その時だった。
ドォンドォンッ!!
「きゃっ!!」
「うぉっ!!は?なんだ?!」
床を、否、大地を揺るがした鈍い低音と衝撃が、俺の望んだ空想を引き裂くように響き渡った。