3話 現れた銀髪少女
ふぅ、と吐息を一つ――――俺はさっきまでの不思議な出来事にまた少し疲れてしまったようだ。
目の前にした森は、近くによるとその姿が徐々に明らかとなった。秀はその上部に位置する高木の高さに少し驚いた。杉の木だろうか。あまりにも高すぎる気がする。
富士の樹海――――ではなさそうだが、樹海に行ったことがない俺にその風景を彷彿させるほど、流れている空気が同じであるように感じた。つまりは自殺スポット。
だが、今の秀にとっては好都合だった。
クシャッと、枯れ葉で埋め尽くされた腐葉土の上に足を踏み入れる。
夏とは言っても夜、ましてや森の中だから少しは涼しいだろうと思っていたが
「..あちぃ...」
額から流れた汗が、鼻筋を通って地面にしたたり落ちた。木々から水分が蒸散されたせいか、森の中はサウナである上にミストサウナだった。
道らしきものはなく、俺は地表に生えたシダをガサガサとかき分けながら、奥へと進んでいった。たまに肌につく胞子が気持ち悪い。
ガサガサ、ガサガサッ
秀は前進した
ガサガサ、ガサガサッ
前進した
ガサガサ、ガサガサッ ガサガサ、ガサガサッ
前し...
「ん...?」
と、背後にもう一つ、動くものを察知した。
まだついてきてるのかよ。めんどくせえ奴だな。
煩わしい少女を追い払いたかった俺は、少し語気を強めて言った。
「そこにいるのはわかってるんだぞ。」
ガササササアアアアアアアァ!!!!!
言った瞬間、ものすごい音を立てて、背後のシダが揺れ動いた、刹那
「にゃ、にゃーん...」
は....?誤魔化したつもりなのだろうか、あれで。
やれやれ、といった感じで右手を額にあてた俺は、
「なんだ、猫か」
と言ってわざとらしく騙されてやった。
「にゃん、にゃんにゃーん」
え、いや、ハイ、ソウデス!と言わんばかりに、明らかに猫ではない鳴き声で返事が返ってきたんだけど...。あいつ、バカなんじゃねえのか?
呆れた俺は、もう少し進んでいけばあきらめて帰るだろ、と思って、声の主を無視して先に進むことにした。
ガサガサ、ガサガサッ
俺は前進した。
ガサガサ、ガサガサッ
前進した。
ガサガサ、ガサガサッ ガササササアアアアアァ!!!!!
「おい!しつこいぞ!とっとと失せろ!!」
極度の怒りを感じながら、俺はキッと振り返った。
そこに少女の姿があると思って。
しかし、そこにいたのは少女ではなかった。
「グオォオォォォ...!!」
その鼻息に、周りにある木々さえもが静まる気がした。
竜の逆鱗をに触れてしまった、そんな表現が似合いそうな様子のドラゴンが、眼前にいた。
「ぎぃやあああああああぁぁhdygfjrhzxcmn@#$!!!」
なんだなんだこいつ!!
断末魔のような声を出して、その場から逃走を試みる。が、しかし腰が抜けるということは本当にあるようで、足が言うことを聞かずその場にへたり込んでしまった。
「グオオオオォォォォォォ!!」
ドラゴンは雄叫びのように上を向くと、その大ぶりな口から燃え盛る火炎を噴いて咆哮した。
俺は動かない脚の代わりに必死で腕を這ったが、それも力が入らず、ひっくり返ったダンゴムシのように無様にもがくだけだった。
だめだ、殺される....!
刹那、差し迫ってきたドラゴンが翼と一体になった鋭利な詰めを振り上げ、眼前まで襲い掛かってきた。
ああ、ついに、秀は死んでしまうのだ。あれほどにまで望んだ死が、ようやくやってくるのだ。
と、いうのに秀は生きるために必死にもがいている。
後から思えば、建前が本能と矛盾していて、はたおかしかったであろう。
この時の彼は、そんなことを考える暇もなく、次来る衝撃に備え、微かに歯を食いしばり、目を瞑って死を決意し
左手で眼前を覆い隠した
そのとき――――
バァーン!!!!
戦闘物でよくある、二つの勢力がお互いに牽制しあうときのような、そんな衝撃が森中に響き渡った。
え、なっなんだ今の!
恐る恐る目を開けると、そこには目に見えないバリアのようなものが張られていて、ドラゴンの攻撃をこちらに寄せ付けないようにしていた。
それに負けじと、力んでその詰めを見えない壁にめり込ませるドラゴンは、だが、その見えない壁に押し返されて軽くのけぞり体制を崩した。
誰かが、守ってくれた、のか....
あり得ない光景だったが、それでも現実に起こっていることであるのは間違いない。秀はとっさに誰かの手によるものだと思った。
そう思った矢先、
「こっちよ、ズメイ!!その人から離れなさい!!」
凛とした透き通った少女の声が響いた。
それは、さっき俺を救ってくれた彼女のものだった。さっきまでおどおどしていた彼女からは、想像つかない芯のある声だったので、俺にはそれが一瞬違う彼女のものだとは信じられなかった。
だが、声のした方に振り返ると、そこに彼女が立っているのをとらえると枯れ葉信じざるを得なくなった。
俺はその声を聴いて何か落ち着いたのか、乞うように彼女を仰ぎ見る。
ズメイ――――と呼ばれたドラゴンは瞬時に少女のほうに向きなおった。
少女は俺との間にズメイを挟むようにして、反対側に立っていた。
丸腰だったさっきとは打って変わって、背筋を伸ばしたその姿は、星空の光が垣間見える木漏れの中で煌びやかに輝いて見えた。束ねられた金髪は、宝石と見比べても何ら遜色はない。
その美しさに、ズメイのことも忘れ、目を奪われてしまう。
その表情は、わが子を守ろうとする母親のように重々しいものがあった。
しかし
いやいや!と、俺はブンブンと頭を横に振って少女に叫んだ。
「ばかやろう!!死んじまうぞ!早く逃げろ!!」
さっきまでの己の発言のことなどすべて棚に上げ、俺は声を裏返しながら叫んだ。死にたがっていた人間からの危機宣告など何の説得力もない。
「大丈夫です!あなたは私が守ります!」
おいおいこいつマジで言ってんのか?目算だが俺よりも30cm近くは小さいぞあいつ。
自分よりも大きなものと戦おうなど無謀すぎるだろ、と俺は顔を覆って嘆いた。
もうだめだ、あいつが先に死んじまう....。
「『ディザスト』」
そう口にすると、
少女の左手に、「結界」のようなものが現れた。
何重にも重なっているそれは、各々違う模様を形成しており、暗闇の森の中で眩い緑色の光を放ち始めた。
う、嘘だろ?!あんな魔法みたいなものが?!
次の瞬間、その手の甲を天にスッ、と振りかざし
「『ペルセフォネ』!!」
少女が叫んだ。
その瞬間
六角形の柱のようなものが少女の周りに現れたかと思うと
少女の周りの大気が轟轟と唸り始めた。
空が、森が、大地が、軋むようにギシギシとなった。
少女の周りの風景が歪み、その体に吸い込まれるようにして、白く輝いた。
あまりの光に、思わず俺もズメイも眼前を手やら翼やらで覆い隠した。
竜巻か、それ以上か。天変地異のような風が周囲に吹き荒れた。
しばらくして風が止み
少し光が収まったかと思い、薄目を開けてみると
え...?
銀髪の少女が、両手に双剣をもってその場に立っていた。