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Spring 006

 台本を忘れるなんて、不覚だった。

 映研でこれから女優をはっていかなくてはならないのは、このあたしなのに。

 四年生が皆脱退し、期待のホープだった周子先輩も抜けてしまった映研は、冬野先輩の脚本を持ってしても、東城先輩の撮影技術を持ってしても埋まらないほどの穴が出来ている。第一、役者として出演出来る人数も少ない。今年の入部者も、りかちゃんに何とか頼み込んで入ってもらっただけで、結局部員は六人と、かなり少数だ。いつも地味な活動しかしていないため、文化祭以外で映研が注目されることはまずない。入部希望者が少ないのも当然といえば当然か。

 文化祭――そういえば、あたしがこのサークルに入ろうと思ったのも、二年前の文化祭がきっかけだ。

 その年、受験生だったあたしは、受験勉強に行き詰まり、志望校のランクも一つ落とそうかと考えていた。そんなとき、同じ大学を志望しているるかに、気分転換とモチベーションアップのためにといって、この大学の文化祭に誘われたのだった。

 文化祭は、中学や高校のものとは似ても似つかないくらい、華やかで、盛り上がっていた。門を潜るとすぐ、ずらりと出店が立ち並び、大学生の男の人や女の人が、必死で客引きをしている。中央の広場ではダンスやバンド演奏が行われ、国立の大学なんて、常に偏差値のことばかり考えているようなガリ勉ばかりだと思っていたイメージが、ぽきりと折れた。

 そんな中映研は、法学部の校舎に特大の看板を掲げて、独自の盛り上がりを見せていた。あたしは、何かに導かれるように、その校舎に近寄った。色が白くて、すごく綺麗な女の人――入部後、それが周子先輩だとわかった――が、校舎の前で、あたしにビラを渡してくれた。

 これ、見てみない? と、あたしがるかに言うと、るかは興味なさそうな顔をしていたので、それ以上無理に頼みはしなかった。もし面白くなかったら、モチベーションを上げるために受験勉強の合間を縫ってこんなところに来たのに、逆に気持を萎えさせてしまうかもしれなかったから。るかには、終わったら連絡すると伝え、あたしは一人でその映画が上映される部屋に入った。

 映画が始まった瞬間、あたしは息をするのも忘れてしまうくらい、スクリーンに釘付けになった。

 物語の構成も、カメラワークも、そしてその映画に出演している役者も、何もかもがあたしの心をダイレクトで刺激した。中でも、その映画で主役をはっていた、周子先輩は格別だった。細かい動き、微妙な表情、台詞の抑揚、どんな僅かな変化からも、登場人物の性格や感情が伝わってきた。今まで、女優なんか、殆ど興味がなかった。ただ、テレビに出ている人という認識くらいしかなかった。しかし、周子先輩をスクリーンで見て、その見方は百八十度変わった。あたしも、こんな風になりたいと思った。人を感動させる力のある演技を、やってみたい、と。


 文学部の校舎を入ってすぐのところにある、ステンレス製の鍵付きロッカーを開けると、台本はロッカーの奥の方に押しやられ、教科書の隙間にはさまっていた。あたしはそれをバッグに入れて、また法学部の校舎を目指す。法学部の校舎は、文学部とちょっと距離がある。社会学部みたいに、渡り廊下か何かで繋げてくれたら、便が良いのにと思いながらも、さっき通った道を辿り返した。

「すなお、またばったりだねえ」

 校舎を出てすぐのところで、東城先輩の『必然ばったり』が待ち構えていた。もう、いい加減に突っ込んでやりたい。経済学部の東城先輩がいる校舎は、法学部の校舎を挟んで、文学部と対象の位置にあるんだから、こんな場所でばったりなんて、出来るはずがない。

 それでも、あたしはばったりを拒まない。今日に至っては、ばったりがちゃんと用意されていて良かったとすら思う。

「昨日はちゃんとお家帰れたか? 電車、降りる駅間違わなかったか?」

 東城先輩はあたしをからかうように、頭をよしよしと撫でる。子供扱いしないで下さいよ、と言いたいけれど、昨日、駅のホームで東城先輩に頭を撫でられていたあたしは、完全にお子様だった。東城先輩の手にあやされる、ただのお子様。

「もうあの男と会ったらダメだからね。あいつ、絶対すなおに惚れてるもん。何をしでかすやら」

 そんなのあたしの勝手じゃないですか、いつもだったら、そう反論しているのだろう。でもあたしは、何も言うことが出来なかった。

「ていうか、すなお。オレが居るっていうのに、あんなのに会って……」

 東城先輩は、話を止めて、驚いたような顔で振り返った。

 あたしの手が、東城先輩の腕をを軽く握っている。自分でもびっくりして、気が付いた瞬間反射的に手をほどき、自分の背中の後ろにさっと隠した。恥ずかしくて、顔を上げられなかった。今まであれほど、自分から東城先輩へのスキンシップは避けていたのに。

 東城先輩は、何も言わなかった。頭を二、三回ぽんぽんと軽く叩いて、俯いたまま立ち止まるあたしの手を引っ張った。恐る恐る顔を上げると、東城先輩はゆったりと笑っていた。

「早く、行こう」

 その言葉は、あたしの中の警戒心の塊を解していくように優しかった。

 先輩の手に包まれたあたしの手は、こっそり、その大きな手を握り返した。

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