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Spring 002

 東城先輩と、ばったり出会った。

 ばったりと言っても、偶然ではない。故意に作られた、ばったり。

「今終わり?」

「まあ、そうです」

「これからいずこへ?」

「いつもどおり、映研ですけど」

 東城先輩が、くっきりと笑う。全て見越した上での、くっきりした笑みだ。

「じゃあ一緒に行こうか」

 あたしは無言で、それについていく。背の高い先輩は、ゆっくりした歩調で、あたしに合わせながら歩いてくれる。

 先輩は他愛ない話をぽんぽんと産み出しては消していく。あたしは、うん、とか、そうですね、というような相槌に、抑揚をつけながら対応する。あたしの言葉の強弱が変わったとき、先輩は少し嬉しそうにする。

 その会話は、階段が尽きる頃、速度が弱くなる。さらに、立て付けの悪い扉を開ける頃には、東城先輩は、少し不服そうな顔までする。

 わかりやすい人。

 それでいて、とてもわかりにくい人。

 あたしはその横顔を見る度に、少し切なくなってしまう。

 この人の性格がもたらす、他人からの羨望や嫉妬。あたしはその波乱から、出来るだけ遠い位置にいたい、と切に思う。だからこそ、東城先輩の過度のスキンシップをかわさずにはいられない。東城先輩を深く知れば知るほど、あたしは過去彼に泣かされたたくさんの女の子たちと、同じ道を歩かされる結果となるに違いない。そんな気がする。

「こんにちは」

「ちは」

 この掛け合いが、そろそろ当然になってきていそうで、あたしは少し怖かった。現に、もうここ一週間、東城先輩の『ばったり』は続いている。東城先輩は、わかりきっていても『ばったり』と言い、私も敢えてそれに何とか言おうとも思わない。いずこへ、と訊かれたら、映研へ、と返す、その程度しか考えていない。

「最近よく二人で来るね」

 埃っぽい部屋の真ん中にある、小さい机と椅子に座っている冬野さんは、丁寧な笑みを浮かべた(丁寧、という言葉が、この人には一番よく似合う)。

「だって運命だもの」

「冬野先輩、聞いてくれません? 最近ストーカーまがいに待ち伏せされちゃって」

「ぬあに、すなおに近づくなんて怪しからん! 俺が成敗してくれるう!」

 冬野先輩の返答が返る前に、東城先輩が冗談めいた口調で割って入る。

「心強いですけど、さあどうやって自分を成敗するのでしょうかね」

「……いじわる」

 東城先輩は、むうと頬を膨らませて俯いた。

 無邪気な表情に、あたしはまた、事実とのギャップを感じる。

 この表情のどこに、あたしは疑いを持てばいいのだろうか。事実が色濃く記憶に残っているというのに、その記憶を塗り替えてしまうほど、東城先輩の表情は無垢だ。あたしはいくらでも動揺する。動揺して、動揺して、子どもをいじめているような気分になって、虚しくなる。毎日、彼といるときはいつでも、その虚しさを引き連れて歩く。


 東城先輩は、かなりのプレイボーイだ。

 一方的に女の子が寄ってくる場合が大半だけれど、それもさることながら、彼は来るものを拒まない。

 その広い心を持ってして、東城先輩は数々の女の子と関係を築き、ときにそれが修羅場へと発展する。

 噂で聞いた話では、女の子が急に教室に乗り込んできて、東城先輩に向かって泣きながらあらゆるものを投げつけて帰っていったことがあったらしい。そんな話を聞くと、彼と付き合っていくのは相当デンジャラスだ。あたしは今なぜか、東城先輩のお気に入り女子らしいけれど、そんなデンジャラスな身分に配置されるなんて気が気じゃない。

 現にあたしは一度、東城先輩が数人の女の子を侍らせてホテル街を歩いているのを見たことがある。多分相手は気付いないと思うが、あたしは遠目から見たその姿を、忘れることは決して無いだろう。

 でもそれが、彼自身の意思でそうしているのではないということは、彼の表情を見ていれば、何となくわかる。東城先輩は、いつでも満たされた表情をしない。自分の撮影した映画が他人から評価されても、綺麗な女の人と一緒に歩いていても、美味しいものを食べているときも、表面だけ取り繕った顔をする。あたしは、その裏面を殆ど知らない。でも、たまにちらりと見える裏面の端っこは、凄く深くて暗い。その顔を見るたびに、あたしはとてもたまらない気持ちになる。放って置いてはいけないような気持ちになる。それがきっと、デンジャラスだと知りながら、彼を切り離せない理由。


「これ、昨日一晩で一気に書き上げたんだ」

 冬野先輩は、小さな机の上にあった、A4サイズの冊子を手渡してくれた。右上にホチキスが打たれていて、表紙はまっさら。これは、この前の作品も、前の前の作品もそうだった。始めて冬野先輩の脚本を読ませてもらったとき、タイトルのないのに違和感を感じずにいられず、

タイトルはつけないんですか、と訊いたところ、冬野先輩は、恥ずかしそうに笑いながら、

「映画が完成した後にタイトル考えるのが、この映研の習慣になってるんだ」と答えてくれた。

「すげいじゃん、冬野。俄然やる気出た! オレもそろそろスナオの調節に入ろう」

「あの、東城先輩、カメラにあたしの名前つけるの、止めて。紛らわしいから」

「でも、大事なモノには好きな子の名前つけたくなるじゃん」

「認知しません」

「しなくてもつけるもん」

 東城先輩は勝ち誇ったように笑って、ベージュ色の大きなバッグから、直方体の黒いケースを取り出した。マジックテープを剥がすと、中にはシルバーのコンパクトなビデオカメラ――といっても、おそらくビデオではなく、もう少し時代の流れに沿ったもの――が収められている。

「おお、スナちゃん。またお前の出番だぞ」

 東城先輩は、子猫を抱き上げるようにして『スナちゃん』をケースから取り出し、わざと音を立てて、軽いキスをした。

「半年に一回ってなると、キャメラマンとしての腕が鈍りそうだよね」

 カメラのスイッチを入れ、レンズを覗く。カメラがジジジと小さく唸っている。やがて、レンズの向かう先があたしになる。

「はい、すなおちゃん、その表情いいねえ。ちょっと脱いでみようか」

「セクハラ」

「違うもーん。こういうのも、立派な仕事だもーん」

 先輩は口を尖らせながらも、カメラを作動し続ける。あたしはカメラに背を向けて、わざとフレームアウトするように動き回った。最初は東城先輩も執拗に追いかけ回してきたが、徐々に飽きたのか、いつのまにか冬野先輩の端に腰を下ろして、ぼんやりとカメラ越しに天井を見上げていた。

 こんな風にしてられたらとても楽なのになあ。

 東城先輩は、すぐそばの冬野先輩にさえ聞こえないような、小さな、小さな声で、そうっと呟いたのを、あたしは聞き逃すことが出来なかった。

 彼が作り出す表情の裏側。

 それがちらりちらりと見える度に、あたしはいつも以上に虚しくなるのだった。

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