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彼誰刻の我楽多  作者: タカノケイ
我楽多
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――まただ、何なんだよこれ


 焦燥感で、叫びだしたくなる気持ちを何とかこらえながら、晴明はるあきはペダルを踏みこんで細い路地を入ってきた方に戻る。

 病院を出て、もそもそしたハンバーガーをコーラで無理矢理腹に押し込み、青沼の自宅へ向かった。ところが、間違いなくここだと思って曲がった路地は青沼の家に繋がっていなかったのだ。少し進んだだけで、大通りの一本隣の通りに繋がってしまった。

 念のためにひとつづつ隣の路地にも入ってみたが同じことだった。一縷の望みをかけて、通りに時々顔を出す住人に道を聞いたが「意味が分からない」という顔で首を横に振った。

 陽はゆっくり傾きかけていた。


「はるにい!」


 突然、後をついてきているすずめの甲高い声が響いた。その悲鳴のような声に、晴明は何事かと自転車のブレーキを力いっぱい握って振り返った。同時にものすごい衝撃が走り、自転車のハンドルが晴明の手から無理矢理にはぎとられる。


「はあ!?」


 目を戻すと、自転車の籠から下が、押しつぶされたように破壊されていた。上から鉄骨でも落ちてきたのか、と思うようなありさまだった。


『見つけたぞ。朱纏しゅてんを還してもらおう。恩知らずの小童めが』


 耳元で地鳴りのような太い声がして、生臭い息が首筋にかかった。何故ともわからずに、心臓が鷲掴みにされたように体がこわばった。

 そちらを見てはいけない、と思う気持ちに反して、目が先に動き、つられるように顔がゆっくりと動く。視界の隅に赤い色が目に入った。


「はる兄から離れろ!」


 高い声と共に、自分の横にあった気配が離れたのがわかった。晴明は金縛りが解けたように全力で反対方向に逃げて振り返る。そこには尻もちをついたように座り込んでいる赤い男がいた。

 顔も腕も、纏っている襤褸ぼろから見えているすべての皮膚が赤い。ハリウッド映画でしか見たことのないような分厚い筋肉を纏っている男だった。そして何より、その顔は人間のものではなかった。

 息をのむ晴明と赤い男の真ん中あたりに、兄を守ろうとするように雀が両手を広げて立っていた。


『耳も尾もないが、駆噛(かるこう)の仔か』


 赤い男は雀を睨め付けながら、ゆっくりと地面に腕をついて立とうとしている。


「はる兄、走って」


 雀は通りの奥を指さして叫んだ。動かぬ晴明を見て「早くして」とじれったそうに足踏みをする。その間にも赤い男は立ち上がり、ゆっくりと雀に近づいた。


「雀、こっちに来い! おいお前! 雀に近づくな!」


 晴明は慌てて叫びながら、雀に向かって走った。それに気づいた雀が、男に向かって走る。晴明の指が雀のパーカーのフードを掴み切れずに空を掴んだ。


「だめだ! 雀!」


 雀は赤い男に向かって飛び上がっていた。勢いを付けた雀の蹴りを、赤い男はうるさそうに叩く。雀の小さな体が吹き飛んで、コンクリートの壁にぶち当たった。そのまま地面にぐしゃりと落ちる。


「雀!」


 方向転換して雀に駆け寄ろうとする晴明の前に、赤い男が立ちはだかった。横を通り抜ければいい、と思うのにその強烈な圧迫感に晴明の足は止まってしまった。


『我は荊忌いばらき、罪はないが駆噛の仔には早逝して貰った』

「うるせえ! 意味わかんねえよ! どけよ!」


 威勢だけはよく叫ぶが、足がピクリとも動かない。誰か警察を呼んでくれ、とあたりを見回すが人っ子一人いなかった。


『逸るな、直にお前も同じところに逝く』


 荊忌は静かに一歩、晴明に向かって踏み出した。だが、その動きには隠しようもない警戒感が感じられた。それが少しだけ晴明に冷静さを取り戻させた。


――この化け物は俺を警戒している? 


 訳は分からなかったが、その隙に晴明は荊忌が踏み出した分だけ後退った。

 荊忌からは見えないが、雀が少しづつ動いているのが見える。晴明は少しづつ下がりながら、ポケットに手を入れて携帯電話を操作した。古いタイプの携帯電話は、見なくてもボタンの位置で操作できる。茨城が進むのに合わせてゆっくりと後退った。


――起きろ、起きて逃げろ、雀


 着信履歴の一番上にある親友は、学校の成績は悪いがバカな男ではない。無言の電話があり、そこから不穏な音が聞こえれば、携帯を切らずに警察に連絡してくれるはずだ。

 しかし、のんびりとした鬼ごっこは長く続かなかった。荊忌は突然動きを速めて、晴明の細い首を片手で掴んで持ち上げる。足をバタバタと動かして抵抗するがびくともしなかった。喉が痛んで涙が零れた。


「はる兄を……離せよ」


 雀が立ち上がれないまま、顔だけをこちらに向けて弱い声をあげる。

 棗が刺されていた時の、あの時の自分になれば、という思いが頭をもたげた。同時に、あれになりたくない、という心のストッパーがかかる。どこをどうすればあの状態になるか、たった一度のことなのに体が覚えていた。だからこそ、そうならない術もわかってしまっている。


「助けて」


 雀の見開いた丸い目から涙がポタポタと落ちた。


「助けて一乃仁」


 か弱い声で、雀は育ての親の名を呼んだ。


「助けて……はる兄が死んじゃうよ。戻って来てよう一乃仁。怖いよう」


 とうとうぐしゃりと顔をゆがめて、しゃくりあげはじめる。


「す……ずめ」


 晴明は荊忌の腕を掴んだ。その手はじわじわと赤く染まっていった。


――怖いのは化け物になる事じゃない。雀を助けられないことだろう?


 恐らく顔も変わっていっているのだろう。眼鏡がカシャンと地面に落ちた。

 眼鏡がないというのに、荊忌が驚いたように目を見開くのがしっかりと見える。晴明は腕に満身の力を込めた。指の下で荊忌の骨がギリギリと悲鳴を上げるのがわかる。たまらずに荊忌は晴明の首を掴んでいた腕を離した。


『小童』


 悔しそうに言う荊忌を睨んで、晴明は腕を掴んだまま地面に着地した。背も高くなったのだろう。地面までは思ったよりも近い。足が付いた瞬間に、荊忌の腹を思い切り殴りつけた。もう一歩踏み込んで同じく殴りつける。腕は決して離さなかった。


「逃げろ、雀!」

『調子に乗るな!』


 荊忌が激高して叫び、開いている方の太い腕をこん棒のように振り上げて晴明の脳天を殴りつける。重い衝撃に、頭よりも首が痛んだ。間髪置かずに、腹を思い切り殴られる。ふ、と意識が遠ざかった。

 だが、昨日のように意思がなくなるようなことはなく、殴り合いのケンカなどしたことがない晴明は、ただ闇雲に殴られ続けた。


「はる兄い」


 荊忌の股の間から、ぐちゃぐちゃの顔をした雀が見えた。晴明は必死に後ろに下がろうとした。出来ることは何も変わらない。少しでもこの化け物を雀から遠ざけることだけだと思った。

 もう、雀に向かって「逃げろ」と声に出すこともできなかった。


『無様な。生かす価値など微塵もない。だが、あの駆噛(かるこう)の仔は我の一撃に耐えたことを認めて生かしておいてやる』


 晴明の体から力が抜けた。その安堵は荊忌にも伝わったようだった。汚れた歯をむき出しにしてにやりと笑う。


『里に連れ戻り、わが種を仕込んでやろうぞ』


 晴明は、一瞬遅れて意味を理解する。


「ふざけんな!」


 腹に力が入り、立ち上がりかけたところを上から潰された。地面に強かに鼻を打ち付け、ぬるりとしたものが流れ出した。


「頼む。俺だけで、見逃してくれ」


 呻くように言いながら、荊忌の足を掴もうと手を伸ばす。


『無様というに』


 ひょいと避けた足を、荊忌が高く上げる。すぐに棍棒のような足が振り下ろされ、自分の頭蓋を砕くだろうと思った。


「雀……逃げろ」


 雀が逃げる時間を稼ぐ。その足にしがみ付いて、死んでも離さず食らいついてやる。晴明は覚悟を決めて目を見開き、汚れた草履の裏を睨み付けた。

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