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彼誰刻の我楽多  作者: タカノケイ
我楽多
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 「関係者以外ノ立入ヲ禁ズ」の扉から出てきた晴明たち三人を見咎める者はなかった。看護師までもがまるで目に入らないかのように無関心に通り過ぎていく。自分の病室に戻るとピントが合ったように景色の色が鮮明になり、鳥の鳴く声が聞こえた。自分は相当に緊張していたのだ、と晴明は思った。


「会計を済ませてくるから、着替えててくれ」


 青沼がそう言って部屋を出ていく。


「え、あ、はい」


 一度も診察をされた覚えがないのだがいいのだろうか? 不思議に思いつつも、病衣を脱いで、棗が抱えていた紙袋に入っていた普段着に着替える。あんな状態で着替えを準備して、と思うと鼻の奥がつん、と痛んだ。雀は黙ってパイプ椅子に腰かけておとなしくしている。いつもの元気がないのが痛々しい。ちょうど着替えが終わった頃、青沼が病室に戻ってきた。


「お、準備できてるな。行こうか」

「すみません」


 晴明は頭を下げた。どうして、ここまで面倒を見てくれるのかわからないが、何もわからない自分ではどうにもできそうにない。お礼は後できちんとすればいいから、この際世話になってしまおうと考えて青沼についていく。先程とは違ってあっさりとナースステーションに辿り着いた。どうなってるんだ? と晴明は首を捻る。自分は相当に寝ぼけていたのだろうか。

 病院を出て、青沼のセダンに乗りこみ移動する。聞きたい事は山ほどあるのだが、何からどう聞いていいかわからない。そうしているうちにすずめ晴明はるあきの胸に頭を預けてすうすうと寝息を立てて寝入ってしまった。

 恐らく昨日は眠れなかっただろう。このまま寝かせて置いてやりたい。晴明は疑問を飲み込み、黙って車の窓を流れる景色を見つめていた。青沼の運転する車は見慣れた商店街を走り、スーパー「まるしち」を過ぎて、晴明のアパートに入る路地も通り過ぎた。


「あの……」

「あ、うん。アパートはしばらく帰れないと思ってくれ。必要なものは徐々に移動するから」


 青沼は言葉少なに言って、ハンドルを切った。帰れないってどういうことだ、と身を乗り出して聞こうとすると、うーん、と雀が身じろぎをした。晴明はそっと雀の頭を撫でて背もたれに寄りかかる。

 車は大通りから晴明が入ったことのない裏道に入った。引き返せるのかと不安になるくらいの細い道をかなり長く走る。どうして一本隣の大通りに出ないのだろう、と晴明は頭の中で逆名瀬市の地図を展開する。どう考えてもおかしいのだが、青沼は躊躇する様子もなく奥へ奥へと車を進めた。

 やがて、古い石造りの小さな門が見えて、車はギリギリで門を擦ることなく中に入った。


「俺んちだ」


 青沼が言葉少なに説明する。

 草が茫々と好き勝手に生えている庭は広く、車数台を停められるスペースがある。その奥に古い洋館のような建物が見えた。そこから醸し出される寂寞とした雰囲気は「お化け屋敷」という呼び名が妥当だなと、失礼なことを晴明は思った。車が停車した途端に門灯がカチッとついたところを見ると、どうやら家の中には人が居るらしい。青沼は一人暮らしだと聞いていたのに、と晴明は首を捻る。彼女、だろうか。

 青沼がドアを開けると、うーんと言いながら雀が目を覚まし車を降りた。晴明も続いて降りる。雀は、きょろきょろとあたりを見渡し、どこだか気づいたようにはっとして青沼を見上げた。


「もう隠すのは終わりにしよう」


 青沼は雀に向かってそう言うと、煙草に火をつけた。すごい勢いで一本吸い、「中は禁煙なんだ」と家を指さして歩きだす。晴明の手を雀が握る。見下ろすと思いつめたような硬い表情をしていた。最近ではあまり繋ぐこともなくなっていたが、相変わらずに小さな手だった。

 青沼はポケットから古い鍵を取り出して鍵穴に差し込み、ガタガタと戸を揺すった。かなり立て付けが悪いらしい。中に人が居るなら開けてもらえばいいのに、と晴明は鍵が開くのを待つ。


「ほら、遠慮なく上がってくれ」


 やっと開いた玄関からいざなわれた廊下は、顔が映るんじゃないかと思うくらいピカピカに磨かれていた。晴明はやはり青沼には恋人がいるのだろうと察しを付けた。残業続きの青沼が、家をこれだけ掃除することは出来ないだろうし、一人なら家の中で煙草を吸ってもいいだろう。

 だとしたら、いくら困っていたとはいえ、こんな時間に部下とその妹を連れて来られたら迷惑なのではないだろうか。だから、鍵を開けに来ないのではないか。


――こんな時間?


 晴明は慌てて携帯電話を取り出して時間を確認した。病院では青空が広がっていた。間違いなく昼日中だったはずだ。それなのに、今はどう見ても夕方である。


「十時……合ってるよな。なんで」


 どう見ても昼の明るさではなかった。曇りの日だってこんなに暗いことはないだろう。いつからこうだった? 思い出そうとするが、思い出せない。門をくぐるときはどうだったろうか。


「ここはずっと彼誰刻かわたれどきなんだよ。とにかく座って」

「かわたれ……」


 学校で習った気がするが思い出せない。案内する青沼に座敷に通されて座布団を進められる。雀と並んで、借り物のようにちょこんと座った。

 それきり沈黙が続いた。そう長い時間ではなかったはずだが、とても長く重く感じた。この沈黙は言いにくいことを言い出そうとしている時のそれだ。

 青沼は秘密は終わりだと言った。一体、何を開かされるのだろうか。「これは全部、誕生日どっきりでしたー」とでも言ってくれればいいと晴明は思う。長い間がチリリとした不安が晴明の手足を焦がしていく。青沼は、すう、と息を吸い込んだ。


「気づいていると思うが、俺たちは人間じゃない。多分、今お前の頭の中に浮かんでいる妖怪とか、モンスターと似たようなもんだと思ってもらっていいと思う」


 晴明は腹の中に何かどろりとした黒いものを飲まされたような気分になった。なんとなく、心の中のどこかで、それを感じてしまっていた。この異常を説明するにはそういうことになってしまうのではないか、と。

 それでも理性のどこかが「そんなことはあり得ない」と言っていた。それ以上に感情が「そんなことは信じたくない」と強く拒絶している。否定しきれない状況だと頭が冷静に判断している一方で、頑ななまでに心がそれを否定している。


「はあ、そうなんですか」


 心の整理がつかないまま、何か答えなければ、と言う思いだけでぼんやりと答える。


「俺たちのようなものを、人に非ず、と書いてわざおぎと呼ぶ」

「はい」


 晴明の態度に不安を覚えたのか、雀がすっと体を寄せて、顔色を窺うように晴明を見上げた。


「ごめんね、内緒にしてて。はる兄、あたし、人間じゃないの。棗も」


 雀が零れ落ちそうな目で晴明を見つめている。雀の口から聞いたことで、晴明の心の中で危険信号が灯った。しってしまう。事実になってしまう。なんとか笑おうと思うのだが、表情が歪んでしまっているのが自分でもわかった。


「へえ、そうなのか……って、何言ってんだよ雀。悪い冗談辞めろよ。お前も棗も可愛い女の子じゃねえか。そんな、化け物だなんて……そんなの、そんな……」


 言葉が胸に詰まった。あのことを思い出したくない、と脳が警鐘を鳴らす。あのことってなんだ? と冷静な自分が聞き返す。すぐさまに、聞いてはいけない。それを考えてはいけない、という波が真実を知りたがる心を押し流した。

 恐怖はそのまま、晴明の理性までを押し流す。昨日から続いていた異常に、膨れ上がっていた不安と不満がはち切れるのを感じた。


「そんなわけがねえじゃねえか! こっちは真面目なんだよ、ふざけんな雀!」

「おい、八塚」


 晴明を落ち着かせようとする青沼の目を避けて、晴明は立ち上がる。


「課長、マジで本当、冗談はやめてください。俺、病院に戻ります。あんなとこに棗を置いてきて、俺、一体何やってんだろ」

「ねえ。はる兄、聞いて」


 雀が泣きそうな声でつぶやく。晴明は黙って雀の腕を掴んだ。


「帰るぞ、雀。課長、お邪魔しました」

「八塚、アパートは危険かもしれない。棗は夜吹だとはいえ、あの傷だ。三鍼に任せれば間違いないから」

「は? なんなんですか? なんで課長が俺より棗の事を知ってるみたいに言うんですか! 棗は普通の女の子で、これは家族の問題で、課長には何の関係もない!」


 晴明は唾を飛ばして叫んで、青沼を睨み付ける。


「……そうか。そうだな、関係ないな」


 青沼はそう言って目を伏せる。世話になっておいて申し訳ない、そう思う気持ちが一瞬持ち上がったが、晴明は引くに引けなくなっていた。


「すみません。お世話になりました。……でも、俺は帰ります。お金はすぐに必ず返します」


 青沼の目を見られずに言って、晴明は雀の腕を力いっぱい握って部屋を出る。そのままわき目も振らずに前だけを睨み付けるようにして青沼の家から出た。無我夢中で歩き、門を過ぎてしばらくして気づくと周りが明るくなっていた。

 車であれだけ走ったはずの路地はあっという間に終わる。何かがおかしい……人間でない、彼誰刻といのは本当のことなのだろうか。頭に浮かぶことの全てに蓋をして、晴明は見慣れた大通りでタクシーを止めた。雀を押し込むようにして乗り込んで自宅のアパートの名前を告げる。


「あいつ、十万とか言ってたから、まず家に帰って通帳を持って。あ、あと俺の入院費を課長に返さなきゃいけないから多めにおろしたほうがいいな。そしたら棗を迎えに行く。んで、普通のちゃんとした病院で見てもらうんだ」


 晴明は、雀に言っているようで、恐らく自分に言い聞かせる為に喋り続けた。


「棗は、あそこでなくちゃだめだよ」


 雀が小さな声で言った。こちらを見上げる気配があったが、晴明は黙って車の外を流れる風景を見つめる。


「大学病院はちょっと遠いかな。でも、大きいところがいいし……」

「ねえ、はる兄。あたしたちは人間じゃない。だけど、化け物でもないよ」


 思いつめたような雀の声が耳に刺さった。だが、晴明は興味のあるものがあったように、飛び去った景色を目で追った。そして、苦しそうに息を吐く雀の気持ちに気が付かないふりをした。

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