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彼誰刻の我楽多  作者: タカノケイ
我楽多
3/28

 翌日は、真っ青に晴れ上がった空の高い日だった。昨日遅くまで千太と飲んだせいで、アルコールの抜けきらない頭には眩しすぎるほどの秋空だ。

記憶の最初の一日も、こんな風にバカみたいに晴れていたなあ、と晴明は空を見上げる。晴明には十二歳以前の記憶が一つもない。あの青空から以前の記憶は、いくら思い出そうとしても真っ白なのだ。


「晴兄、なつめ、いつまでやってんの。蚊に食われちゃうよ」


 妹の声に八塚晴明やつづかはるあきは白昼夢から目覚めて目を開いた。そこは、田舎には珍しくない、道端に突然現れるような小さな墓地である。崩れかけた古い墓石に書かれた文字は「八塚家之墓」とようやく読むことが出来た。養父ちちの命日に二人の妹を連れて墓参りに来るのも三度目だ。


すずめも、一乃仁いちのじんにちゃんと手を合わせなよ」


 晴明はるあきの横にしゃがんで手を合わせていたもう一人の妹、なつめが振り返っていった。長い髪が目にかからぬよう顔を傾けている。ようやく中学生になったばかりで、まだ表情には幼さが残っているのに、棗は最近やけに大人びた口調で話すようになった。両親が居ないことで、大人になろうとしているのかもしれない。

 晴明はもう一度、軽く手を合わせてから立ち上がった。それを見た棗も渋々といった様子で立ち上がる。雀は半袖のパーカーのポケットに手を入れたまま墓を囲った外柵の上を、ひょいひょいと歩きはじめた。


「毎日、仏壇に線香あげてるじゃん。もう一乃仁に言うことないもん」


 記憶も身寄りもない晴明を引き取ってくれたのは、一乃仁という変わった名前の変人だった。その時にはすでに、雀と棗も引取られていたから、晴明は三人目の養子、ということになる。


――晴明君、変人はひどいよお


 まだ声も鮮明に思い出すことができる。一乃仁のだらしのない笑顔を思い出して、晴明はくすりと思い出し笑いをして、笑った自分に驚いた。笑えるようになったのだ――でも、それは少しいけないことのような気もして、顔に力を入れて、まだ水の残っている黄色いやかんを拾い上げた。

 棗は線香を片付けながら、雀を目で追っている。雀は普通の地面を歩くように、かなり高い囲いの石を軽々と渡り歩く。すっかりと大人びた棗に比べて、雀の行動はいつも歳の割りに子供じみている。


「いい加減にしてよ、雀」


 少し口調で言う棗に向かって、雀はぺろりと舌を出す。


「妹のくせに、うるさいよ。棗」


 雀はぴょんぴょんと跳ねるように歩く。短めに切った柔らかい栗色の髪がふわふわと風に揺れた。雀は可愛らしく愛嬌のある顔立ちで、心のままにくるくると表情が変わる。感情をあまり顔に出さない棗が少し眉を寄せて雀を睨んだ。


「妹って言っても同い年でしょ」

「でも、妹でしょ」


 ぴょん、と囲いから降りる勢いで、雀は晴明に飛び付いてきた。


「うわ、こら」


 ちゃぽん、と水が鳴って、やかんの蓋が落ちた。妹とはいえ血が繋がっていないし、最近はすこし大人の体つきになってきているというのに雀には全く自覚がない。肩を掴んで体を離しても毒気のない顔で笑っていた。

 信用されていると喜んだらいいのか、男として何かが足りないと悲しめばいいのか、妹がまだまだ幼いだけなのか。晴明は諦めに似た気持ちでその笑顔を眺めた。


「帰ろ、はる兄。ケーキ買って食べよう」

「お前は食べることばっかりだな全く。じゃあ帰るか」


 雀は晴明のあいている方の手を取って、ぶんぶんと振りながら甘えた声を出す。仕方なく笑って、晴明は同意を得ようと棗に目をやった。


「そうしようか。お兄ちゃん、ニ十歳のお誕生日おめでとう」


 棗はぺこりと頭を下げて、口の端をほんのわずかに上げた。


「さすがにそろそろ、彼女くらい作ったらいいと思うよ」


 ませた表情で棗が言うと、雀がわはは、と笑い声を立てる。


「それ賛成。晴兄は彼女いない歴も成人式なんだから。そのダサイ黒メガネをコンタクトにしたら?」

「うるせえんだよ、小姑ども」

「ひどーい!」


 雀は弾けるように笑い、棗は口元に手を当てて肩を揺らす。

 本当に、生意気なことを言うようになった。成長した二人の、この笑顔を一乃仁に見せたいと思った。不意にこみあげるものがあり、晴明はやかんの蓋を拾うことを言い訳にして慌てて俯いた。

 一乃仁の亡くなった三年前の今日は、薄曇りの日だったように覚えている。恐らくは強盗の犯行で、犯人はまだ捕まっていないそうだ。なんで一乃仁が――昏い感情が心にじわりと忍び込み、晴明は慌てて顔を上げた。

 目に飛び込んできた二人の妹の笑顔には一点の曇りもない。背後に広がる抜けるような青空は、今日も少し眩しすぎると晴明は思った。鼻の奥に残った線香と苔の青い匂いをふう、と吐き出す。


「さてと、じゃあデブの素を買って帰るか」

「ちょっと、はる兄。食べにくくなるじゃん」

「でも食うんだろ?」


 雀は黙って晴明に体当たりをする。墓地の出口で晴明はまだ線香の煙の上がる墓石を振り返った。


――一乃仁、俺、まだまだだけど、これからも、ちゃんと雀と棗を守るから


 晴明は苔むした石の下に眠る恩人に、強く誓って墓地をあとにした。



 電気を消した安アパートの六畳間の、古びた丸いちゃぶ台の上には三枚の皿が並んでいた。雀の前にはチョコレートケーキ、棗の前にはチーズケーキ、晴明の前にはプリンが置かれている。

 プリンに立てられた二本のロウソクがあたりを丸く照らしていた。期待に満ちた顔をしている二人の妹の顔を見ながら、晴明はふうっと息を吐いてロウソクを消す。


「ハッピバースデー! はる兄!」

「おめでとうございます」


 雀が拍手をしながら立ち上がって、蛍光灯の紐を引いた。白熱灯の光でぱっと明るくなった室内に晴明は目を細めた。飲み物を準備しようと立ち上がろうとして、棗に制止される。


「お兄ちゃんは座ってて。誕生日なんだから」


 棗は立ち上がって、玄関横の狭い台所へと向かった。カチン、とコンロに火をつける音が聞こえる。


「あたしは牛乳ねー! でもさープリンっていうのは、誕生日の雰囲気でないよねえ」


 雀はスプーンを振り回して言う。そう言うな、ケーキは三百八十円だが、プリンは二百三十円で買えるのだ、と晴明は心の中でつぶやく。


「お兄ちゃんが好きなんだから、別にいいじゃ……あ」


 台所で紅茶の缶を手にしている棗が小さな声を上げた。


「どうした?」

「紅茶、切れてた」


 ぼそっと言って、缶を握りしめたまま固まっている。


「皆も牛乳でいいよー。ね?」


 早く食べたいらしい雀が、晴明に同意を求める。紅茶の好きな棗はゆっくりとうな垂れた。

 父が亡くなってから料理は晴明がしている。だが、今日は二人の妹、特に棗が張り切って夕飯を準備してくれたのだ。ポテトサラダに、から揚げに、いなり寿司。から揚げは出来合いだったし、いなり寿司も味が付けられている油揚げにご飯を詰めただけのものだったが、全て晴明の好物だ。


「コンビニに行って、買ってくるよ」


 コンビニは割高だが仕方がない。晴明は財布を持って立ち上がり、台所の横の玄関に向かう。棗が申し訳なさそうに晴明を見上げた。


「でも……コンビニは高いよ」

「今月は残業したから大丈夫。俺も飲みたいし」


 晴明は、ぽんぽん、と棗の頭を撫でる。父の残した貯蓄と、事件があったせいで買い叩かれたとは言え一戸建てを売り払ったおかげで、通帳には三人が当面食べていくには十分な額があった。

 高校を卒業して地元の堅実な製造会社に就職して二年目。給料は多いとは言えなかったが、最近はなんとか貯蓄を切り崩さずに生活出来ている。

 だが、二人の妹のこれからの学費を考えれば無駄な出費は極力抑えたかった。養父が亡くなってから、晴明はよく言えば倹約家、悪く言えばケチになった。


「ありがとう。いってらっしゃい」


 ぱっと貴重な笑顔を見せた棗のおでこを小突いて、晴明は外に出た。

 夏も終わりかけ、昼はまだ暑いが夜は少し肌寒く感じるようになった。何か羽織ってきた方が良かったな、と二の腕をさすりながら自転車に跨る。コンビニまでは五分もかからないから、寒さは我慢してこのまま行ってしまおう……自転車の鍵を外してスタンドを外した時、ぞわっという独特の感覚が全身を包んだ。


「またかよ、くそったれ」


 じっとしたまま、嫌な感覚が去るのを待つ。この感覚は気が付けばいつも晴明の隣にあった。時にはおかしな物や人が見え、声や匂いが付随することもある。だがそれらはしばらく待てば消えてしまう。

 それ・・が来たら「目を閉じてじっとしていなさい」と一乃仁に言い聞かされていた。一乃仁に引き取られる前の、記憶のない十二年間に関係する心の病だろうと思う。でも、何も聞けないまま一乃仁はいなくなってしまった。月に一度通院している病院の医師からも同じように対応するのが良いと言われている。


――消えろよ、今回長えな畜生


 心の中で毒づいても一向に気配は消えなかった。消えないどころか、大きくなって近づいている気さえする。消えろ、消えろ、消えろと心の中で念じながら息を潜めて自分を消そうとした。

 突然、目を閉じてさえわかるほど暗闇が増した。街灯の灯りが何かに遮られたのだろうか。それと同時に生臭いような、鉄臭いような臭気が漂う。その濃さに耐え切れずに晴明は目を開いてしまった。


「え」


 目の前には緑色の大きな男が立っていた。いや、男かどうかはわからない。奇妙にぬめぬめした肌で、服だかなんだかわからないくらいの襤褸を身に纏っている。

 手には粗削りな長い棒を握っていた。その棒を視線を上げながらゆっくり辿っていくと、その先はフォークのように三本に分かれており、先端に青いワンピース姿の棗が突き刺さっていた。

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