拾弐
* 「夜の市場」はVeilchen様の作品「夜の扉を開く鍵」の世界観とコラボさせていただいております。
鉱石西瓜はwatermelon tourmaline を参考にVeilchenさまが作り上げた創作物です。
この場を借りてお礼を申し上げます。
また、2つの物語に齟齬がある場合には、Veilchenさんの設定が優先されます
カランコロンと鈴の鳴る扉を開けて中に入ると、ドジョウ髭の中年の男が読んでいた新聞らしきものを置いて、椅子から立ち上がった。でかいな、と男を見上げた途端にぐらり、と視界が回ったように感じて晴明は瞬きを繰り返す。
「いらっしゃいませ。今日はどんな失せモノをお探しで? おお、千両様」
男は背が高く、驚くほど痩せていて、猫背だった。高級そうなスーツを着ているのに、窺うようにこちらを見る表情に一種の下品さのようなものを感じて晴明は眉を顰めた。
「久しいな、藍微。知り合いが無くしたライターがあればと思って」
いかにも、物のついでに立ち寄った、という顔で千太は涼しげに言った。カチコチカチコチ、と店の壁一面に掛けられている時計の針が音を刻む。その音に、心を図られているようで、晴明はそわそわと手のひらをズボンで拭った。
藍微と呼ばれた痩せた男は、千太から南天へと目を移し、最後に晴明を見る。かけていた小さな眼鏡を胸ポケットにしまい、首に鎖で下げていた眼鏡をかける。
緩慢な動作で上着のポケットから白い手袋を出して嵌めて、机の上に置かれた水晶玉を持ち上げた。ヒビの入った水晶は紫色の小さな座布団に乘っていて、インチキ占い師のような風情でいかにも胡散臭いものに見えた。
「ライター、ですね。では、手をこちらに」
藍微はにこりともせずに、千太に水晶玉を差し出した。千太はパーカーのポケットに突っ込んでいた手を片方出して、その水晶の上にのせる。
「はあ、ご友人のお父様のお持ち物」
ぴくり、と藍微の眉が上がる。しかしすぐに元の無表情に戻って、水晶玉を覗き込んだ。水晶玉に映りこんだ藍微の顔が丸くゆがむ。
「……失ったのは三年前……特に高価なものではない量産品、秘めた力もなし、その後の持ち主もなし……。なんとつまらぬ……いやいや、ええ、こちらにございます」
わざとなのかと思うくらい、藍微はゆっくりと水晶玉を机の上に戻した。眼鏡をはずして、ここだったか、あそこだったか、とぶつぶつ言いながら、店の中を歩き回る。
「はる、これ見て」
あそこだよ、とライターのある場所を振り向きそうになったタイミングで、南天に声を掛けられた。どれだ? と南天の指さすガラスケースの中を覗き込むと、またもやぐらりと視界が回った。目を閉じてぶんぶんと頭を振って、落ち着くのを待って目を開く。その目に飛び込んできたものを見て、晴明は息を吸い込んだ。
「なんで……これ」
それはなくしたと思っていたお守りだった。不思議な気配と暗闇を怖がる晴明の為に、一乃仁がハンカチを縫って作ったものだ。何故、自分に関わるものが、さほど大きくもないこの店の中に二つもあるのだろうか。
いや、これは自分が見たのに合わせてここに現れたように感じた。
「……南天、おまえ」
ちっと千太が舌打ちをして、南天は仕方ないでしょという顔で、バツが悪そうに千太を見た。あの夜の騒ぎで失ったもの――取り戻せるのだろうか、取り戻したい、と晴明の心臓が早鐘を打つ。
「そちらのお守りは、お高いですよ」
藍微は振り返りもせずに言った。
「いくらか……持ってます。っていうか、こんなもの俺以外にはゴミでしょう?」
喋るな、の約束を破って言ってしまってから慌てて口を噤む。藍微は初めてにやりと笑って晴明を振り返った。
「お金とは交換いたしません。ええ、それは何の価値もないものです。あなた以外にはね。だから、燃やそうとどうしようと少しも惜しくありません、私にはね」
何だと、と握った拳を南天がそっと抑えた。南天はいつの間にか俳の姿に戻っていた。
「雪女が百年刺していた簪ではいかがですか」
髪に刺している沢山の金の簪の一本を南天は抜き取る。藍微は値踏みするようにその簪を見つめた。そのままじれったいような時間が経過する。
「はる、ごめんね」
南天はふう、とため息をついて、簪を髪に戻そうとした。ごめんも何もない。あんな見るからに高価そうな簪と、布切れでしかないものを交換することがおかしい。いいんだ、と晴明が頷こうとするのに気づいたように、藍微はポンと手を打った。
「結構。交換いたしましょう」
そんな、と言おうとした晴明の横を滑るようにすり抜けて、藍微は南天に近づき、簪に手を伸ばす。
「待て。交換はしない」
簪に触れんばかりだった手を千太が握って止めた。
「いくらなんでも価値が違い過ぎる。これ以上時間がかかるならライターも要らないが」
藍微は千太を一瞬睨んでから目を細めると、まっすぐにライターを取りに行って戻ってきた。やはりそこにあると知っていたのではないか、と思うがぐっと我慢する。
藍微は黒いトレイの上に恭しくライターを乗せて、千太に差し出した。
「こちらのライターならば、雪女の簪一本の価値はありましょうな」
「決まりだ」
千太はトレイからライターをつかみ取る。
「では、お支払いを」
南天が簪を一本引き抜いて、藍微が差し出したトレイに乗せる。また、ぐわん、と空間が歪んだように感じて、晴明はたたらを踏んだ。
「またのお越しをお待ちしております」
藍微の声がやたらとエコーがかかって聞こえる。深々と頭を下げてから顔を上げた藍微は、何かから解き放たれたような顔で、南天の簪を愛おし気に見つめている。
「あ、あの、お守り……あなたにあげます。だから大事にしてください。どうか捨てないで」
晴明は思わず口走っていた。何故かはわからないけれど、藍微がとても悲しい生き物に見えたのだ。それがお守りをやることと何の関係あるのだと言われればわからない。
藍微の目が大きく見開かれた。その手には、ぼろきれのようなお守りがいつの間にか握られている。
――ありがとう、良き友人の息子。あなたもまた、よき友人をお持ちだ
「はい?」
響いたのは藍微の声ではなかった。意味が解らずに聞き返したが、その時にはもう藍微の姿も店内も何も見えなくなっていた。
「ばっかだよなあ、はるは」
「全く」
ぐにゃぐにゃと安定を失って歪んでいく空間に、千太と南天の優しい声が響いた。あいつらが落ち着いてるんだからこの歪みは何でもないことなのだろう。でも、一言先に教えておいてくれ、と無駄だとわかっていて思う。
それも含めて「お前らなあ」と言い返した声は意外にも現実味を伴って響いた。
「いい加減に……あ、あれ。どうなってんだ?」
いつの間にか店の外に出ていたのだ。うせもの屋は、と思って見ると「CLOSED」の札が扉にぶら下がっていた。店の中は真っ暗で何も見えない。
「用が済んだから吐き出されたんだよ。気分悪くない?」
南天はまた、男の姿に戻っている。少しくらくらするものの気分が悪いというほどではないので首を振った。晴明はちっと舌打ちをする。
「そっか。あの親父、お守りやったんだからもっと丁寧に戻せよな」
自分で言いつつも、相手にとっては何の価値もない手作りのお守りで恩を売るのは無理だな、と思う。むしろ迷惑だったかもしれない。
「店が吐き出したんだよ。藍微は、あの店に囚われてこき使われてるんだ。まあ、物欲が高すぎたせいってことで自業自得だけどな。交換したからってアイツのモノになるわけでもないのに……ああ、そっか。そういうことなのかな」
後半は自分に言っているように千太は店を見て呟く。
「千太?」
どうしたんだ? と呼びかけると千太はくるりと振り返った。
「あいつにタダで何かやるって発想はなかったわ」
「そういや、一乃仁は皆が無理だって言うようなものでも、あそこからひょいひょい引き出してきたよねえ」
南天が心得たり、という顔で頷いた。
「何が何だよ。俺にもわかるように言えよ」
じれったくなって言うと、二人は声を上げて笑った。
「いや、わかっちゃだめなんだよ多分。はるはわかんねえのがいいんだ。なあ、何でお守りをやろうと思ったんだ?」
ライターを手渡されながら聞かれて、何故だろう、と考えた。
「なんでって……俺は棗が作ってくれた新しいお守りを持ってるし、お化けだと思って怖がってたのって俳だったわけで、今は必要ないし」
本当にそこまで考えていたのかはわからない。考えればそういうことになったが、なんだかそれは正解とは遠い気がする。嘘だというわけでもないが。
「ふうん」
「へえ」
二人は気のない相槌を打つ。
「おい、聞いといて何なんだよ。本当にお前らそういうとこさ、そういうとこだよ」
ビシ、と二人を指さすと、その手の中に握っていたライターの蓋の傷が目に入った。これは間違いなく一乃仁のライターだ。重さと感触を確かめると、胸にこみあげてくるものがある。
「それより、南天の簪……金はもちろん払うけど、それで済むのか?」
気になっていたことを聞くと、それ気にすると思ったよ、と南天は笑った。
「年一で増えるから大丈夫。でもそろそろ雪山で遭難した人を助けるくらいのことしないと奉納してもらえなくなるかもなあ」
「……奉納? お前って山の神さまかなんかなの?」
「そう思ってる人にとってはそうかもね」
事も無げに南天はいう。簪を奉納して、その数が減っていたら信者たちはありがたがるのだろうか……普通に考えて泥棒だと思うんじゃないだろうか。大体、姿はともかく服装までコロコロ変わるものなのか? それとも、ここがそういう場所だからなのだろうか。
「はいはい、またくだらないこと考えてないで、戻ろうぜ」
千太はくい、と顎をしゃくって歩き出した。戻る、とはあの風鈴の帆の舟に、という意味だろう。
「妹に店番変わってるかなー」
晴明がぽつりと言うと、怪訝な顔で千太が立ち止まる。
「当たり前だろ。俺たちはリコに用事があるんだから」
だから、何でそれが当たり前なんだ!! そう怒鳴り散らす無駄に気づくくらいには、自分は彼誰刻の住人に染まってきているのかもしれない。
「そうだ、鉱石西瓜をお土産に買っていきたいんだけど」
「あー。あれはここじゃないと食えないんだよ」
千太は自分のせいでもないというのに申し訳なさそうに言う。なるほど、そういうものかもしれない。いいんだ、と首を振って、晴明は店舗さえどこにあったか朧げになったうせもの屋を後にした。