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彼誰刻の我楽多  作者: タカノケイ
鬼火のライター
20/28

 盃に並々と注がれた酒を見つめるあまり、座長は少し前のめりになっている。鼻がひくひく忙しく動き、口は半開きで今にも涎を垂らしそうだ。恐らく、相当に酒好きなのだろう。


「北斗、盃もってこ!」


 座長がもう我慢が出来ないというように嬉しそうに叫ぶと、大杉校長の逆側の上座……晴明の斜め前に座っていた女がすっと立ち上がった。

 晴明が少し無作法に見上げていることを気にもせず、北斗と呼ばれた女は盃に向かって歩いていった。目を奪われるような美しい女性だった。容姿もさることながら目が離せなくなるくらい優美な歩き方なのだ。

 襟を大きく抜いて白いうなじを見せつけるように着た艶やかな着物の裾も、高く結った黒髪も、彼女を引き立てようという意志があるような滑らかさで動いているように見える。

 それにしても、あの細い腕で、あの盃を持ち上げられるのだろうか。本物の金かどうかはわからないが、大きさから見て、相当重いに違いない。それに一升瓶二本分の酒が入っているのだ。だが、そんな晴明の心配をよそに北斗は空っぽのアルミ鍋のように盃を持ち上げた。

 行と何ひとつ変わらぬ歩き方で、並々と注がれた酒を一滴も零すことなく戻ってきて、盃を座長に差し出した。


「すっげ」


 思わず口から出てしまい、晴明は慌てて自分の口を塞ぐ。どうやら遅かったようで、北斗は、ふ、と晴明を見て微笑んだ。赤く塗られた唇が少し弧を描いただけで、冷たく見えた表情が消え去り、しどけない少女のような顔になった。

 晴明がその顔にぼうっと見惚れているうちに、座長が盃の酒を、ごくん、ごくん、ごくん、と三回飲んだ。北斗は座長の盃を奪い取るようにして受け取る。恨めしそうに盃を追う座長の視線を気にする様子もなく、まっすぐ晴明に差し出した。


「え、あ、はい」


 三回飲めばいいのだろうな、と思って受け取ったものの、盃は驚くほどに重かった。落とさぬようにするのが精いっぱいで、ぶるぶると手を震わせて、盃を持ち上げ口を近づけようとするが持ち上がらない。なんとか飲もうとひょっとこのように口を突き出すと失笑する声と、ゴホン、と笑いを誤魔化す咳払いが聞こえた。

 どんなに焦っても、どうにもならず、盃はどんどん下がっていって、とうとう正座した足の上にのった。

 遠慮がちだった笑い声は大きくなり、おいおい、大丈夫か? と揶揄るささやきは遠慮のない大きさになっていった。


――クソ


 晴明は絶対に我楽多に入りたいと思ってるわけではない。自分が笑われるのも構わない。だが、このままでは、自分を推薦したという青沼や千太や校長先生までもが笑われる。

 晴明は腕に全神経を集中した。陰奴おんぬになればいい。あの感覚を思い出せ。陰奴おんぬなら軽々と持ち上がるはずだ。早くしないと、盃を傾けて、酒をこぼして、皆に恥をかかせる前に……徐々に腕が赤くなり始めた。やった、と思ったのは一瞬で、すぐに感情が暴力的な何かに飲み込まれてくのがわかった。すでに盃はプラスチックカップのように軽い。


――まずい。飲んで……見せないと……


 「暴力的な何か」を腹の底にねじ込んで、急いで三口飲み、突き返すように盃を北斗に返す。彼女は少し不審な顔をして、盃を受け取り立ち上がった。

 晴明は出来たぞ、どうだ、と周りを見渡す。すると、先ほどとは明らかに変わった顔つきで、皆が自分を見ていることに気が付いた。良く出来たと感心しているのではない、警戒している顔だった。

 早く元に戻らないと、と思って気が付いた。晴明は今まで自分の意志で戻ったことがなかったのだ。どうすれば……と焦る間にも体が大きくなってゆく。

 おい、あいつ、まずいんじゃないか? やっぱり陰奴おんぬを入れるなんて間違ってる。という囁きがとても大きく聞こえた。耳が良くなっているのだ。一番下座に座っている太ったネズミのような男の声だとわかった。この事態にも、内心は知らないが堂々としている我楽多のメンツの中で、妙におどおどして目立っている。その男は晴明の視線に気づいて慌てて目を逸らした。

 睨み付けたネズミ顔の男はだんだんピンボケしていった。眼鏡をはずすと、かけているときよりもはっきりと、その震える肩までが見えた。視界を回すと、居並ぶ者たちの批難するような表情が目に入った。その目を見た瞬間、なんなんだ、という怒りが胸に渦巻いた。


――何故、俺が責められるのだ。文句があるなら、喰って……


 ダメだ。晴明は強く心に念じる。だが、その意思が押し流されるように目の前が朱に染まっていった。どうして? この間は完全に意志を保てたはずだ。あの時はどうやった? どうすれば? 焦れば焦るほど、意識は支配されていく。


だめだ。

ダメなものか。

喰えばいい。

食べたくない。

喰ってしまおう。

ダメだ。


「よし。それではこの者は今日より我楽多の兄弟である。皆はこの者を守り、この者は皆を守る」


 鮮明な声が頭の中に響いた。気が付くと、後ろから二の腕を掴まれ、立ち上がらせられていた。首を回すと、校長の背広の胸ポケットが目に入る。

 背中にずっしりと重い感覚があり、そこから怒りが吸い取られ消えていくように思えた。そうしてしばらくするうちに、視界から朱が消え、弾けそうだった洋服が緩まる。体の大きさが元に戻ったと感じる頃には、恐ろしいほどの怒りは嘘のように消えていた。

 青沼がぱちぱちと手を打ち始め、我に返ったように千太も手を打つ。それは安堵と共に会場中に広がっていった。ただ、文句を言った二重のスーツの男や、怯えていたネズミのような男を入れた数人はあらぬ方を向いてては膝の上に置いたままだった。座長が大きな体でよっこいしょ、と立ち上がる。


「こら、めでてえ。さあ、飲め! やれ、飲め! たーんと飲め!」


 座長が音頭を取って、宴会が始まった。大きな盃は回され続けていて、それを回し終わったものから自分のグラスに酒を注いで飲んでいる。

 料理を運んでくるのは、人間とタヌキの中間のような見た目をした俳だった。人間により近いものから、ほとんど二足歩行している狸そのままのものまでが、せっせと働いている。

 腹はペコペコだったはずだ。だけど、目の前に湯気のあがる御馳走を並べられても少しも食べる気にならなかった。それなのに、腹だけはぐぐうと鳴って、晴明は唇をかみしめた。その肩を後からとん、と叩かれた。


「はる、久しぶり」


 なんだか聞き覚えのある声に振り返ると、固く閉じていた晴明の口は無意識にぽかんと開いた。


「おま……南天!?」

「お正月ぶりだね」


 南天こと、深谷ふかやみなみは、口をあけっぱなしの晴明を見て笑った。

 南天も、千太と同じく小学校から高校まで一緒だった腐れ縁の幼馴染だ。南という名前と可愛らしい見た目で性格も穏やかだから女の子に間違われることが多い。

 高校卒業後に都内の大学に進学してからも盆や正月には三人で集まっては騒いでいる。南天なんてんというのは、晴明が転入する前からの深谷のあだ名であり……その南天が何故ここに居るのだ。


「まあまあ、食べなよ。すごい顔で料理見てたよね」


 南天はからかうように言って晴明の隣に座った。涼しげな目を細めて微笑みを湛えている、いつも通りの友人の顔を見て、ふっと肩から力が抜けた。


「いや、ってか、なんで、お前も?」

「うん。それにしても知らなかったよ。はる、俳だったんだね」


 蚊帳の外に置かれたことを少し悔しがっているような顔の南天に向けて、知らなかったのはこっちだよ、とばかりに晴明は眉をしかめてみせた。


「俺も知らなかった。陰奴おんぬっぽい何からしいぜ」


 他人事のように言うと、南天は、ははは、と声を上げて笑った。その声が大きかったので、晴明は慌てて周りを見回した。もっと注目されるかと思ったのだが、俳たちは既に晴明になど目もくれずに楽しんでいる。晴明は安心して南天に視線を戻した。


「一乃仁のバカは何考えてんだかだよな。何にも言わねえで」

「まあ……良く考えれば、わざおぎが普通の子供を引き取るわけもない。だけど、一乃仁だから、ねえ」


 晴明は、だからに続く言葉を察して頷く。一乃仁は何をしたっておかしくない、と思わせるやつだったのだ。きっと、俳のくせに人間の子供を引き取っていたとしても頷けるくらいには。南天は千太と一緒にしょっちゅう家に遊びに来ていたから、そんな一乃仁の気性を良く知っている。

 懐かしさや恋しさに、自分を守るために死んだことへの罪悪感が混ざって、なんだか不思議な気持ちになって晴明は天井を見上げて目を細めた。


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