おまけSS
晴明 十二歳の時のお話です。
妹とか、まじで面倒癖えって思う。
隣の部屋から聞こえてくる雀の声にうんざりして、俺は書きかけの宿題から目を上げてシャープペンシルを放り投げた。
俺はどうやら記憶喪失とやらで、ここに来る前の記憶がない。ここって言うのは一乃仁って男の家で、俺のほかに四歳の女の子が二人いる。全員、血は繋がっていないみたいだ。それはちょっと変なことらしいけど、特に問題はない。
だけど……記憶がない間、俺は学校に行っていなかったらしい。小学校六年生なのに、勉強は二年生のをやっている。
学校では、先生が俺だけについて教えてくれている。先生の教え方はとてもわかりやすいし、どんどん覚えられるんだけど、それでもまだまだ普通の教室には入れない。
一乃仁は馬鹿みたいな顔で笑って「普通じゃなくてもいいじゃないですか」なんて言う。
養子とはいえ、息子が勉強についていけてないってのに、正直言って父親失格発言だと思う。今日も平日の昼過ぎ、もう夕方近いのに部屋から出てこない。どこで働いているのかも謎だ。まあ、料理だけはすごく旨いから他はどうでもいいんだけど。
話が逸れまくったけど、俺は今、勉強したいんだ。いろんなことを覚えるのは楽しいし、早く千太と同じ教室に行きたい。千太っていうのは初めて……記憶がある範囲って意味だけど、出来た友達だ。
だから……だから俺には幼稚園児の妹を構ってる暇なんてないんだ。
「おにいちゃあああ」
とか思っている間にも、俺を呼び続けている雀の声がどんどん大きくなっていく。ため息をついて部屋を出ると、雀は一乃仁の部屋のタンスの上に乗っていた。引き出しが全部引き出されている。一乃仁はベッドですやすやと寝ていた。なんでこの声に起きないのかが不思議すぎる。
俺はため息をついて、自分の部屋から椅子を運んできた。俺の身長では、箪笥の上にいる雀に手が届かないからだ。慎重に椅子の上に載って立ち上がった。回転椅子だから安定が悪い。
「雀、手を伸ばして」
「は、あ、い」
泣いてたくせににっこり笑う雀に、はあ、とため息をつく。
手を伸ばす雀の体を抱きとると、ふくらはぎに激痛が走った。
「いってええええ」
ぐらぐらと椅子が揺れて、雀を抱いたまま落ちる。やばい、このままだと雀の頭が……って思った瞬間、雀は俺を踏み台にしてベッドの上に飛び移った。
蹴られた俺は勢いよく落下して、床に頭をしこたま打った。声も出ずに丸まって痛みに耐えていると、二の腕にふくらはぎと同じ痛みが走った。もう一人の妹、棗が腕に噛り付いている。
「棗! お前はなんで噛むんだよ!」
「だって、おなかすいたから」
「だからって、なんで噛むんだってば! 台所に行けよ!」
怒鳴りつけると、でっかい目に涙がコンコンと溜まって……棗はしくしくと泣き始めた。
「もう、台所にクッキーがあるだろ? それを食えよ」
「うん」
「おにいちゃあ……」
言い過ぎたと思って棗を宥めていると、雀の声がした。嫌な予感がして目を上げると、やっぱりというか何というか、雀がタンスの上にいる。
「なん、で……」
なんなんだ一体……
なんで俺の邪魔ばっかするんだ……
「お前らなんか、どっか言っちまえ! 棗も雀もバカで大っ嫌いだ!」
思わず爆発してしまった。俺だって泣きたいんだ。勉強は遅れてるし、頭はガンガンに……今はもうそんなに痛くないけれど。びっくりした顔で止まっている二人の妹の顔を見て、本当はこんなこと言いたくなかったのにって思ったら涙が零れそうになった。
「晴明君」
一乃仁がいつの間にか起きてきて……というか、この騒ぎだから起きて当たり前なんだけど、俺をそっと抱きしめた。
「そういうことは言っちゃいけません。自分が悲しくなってしまったでしょう?」
自分でもそう思った。だけど、素直に「ごめんなさい」が出てこない。俺だっていつもは我慢してるって気持ちが溢れた。
「ささ、雀ちゃんに棗ちゃん、僕と一緒に少しお出かけしましょう」
一乃仁は二人を両手に抱え上げた。棗は一乃仁の肩に嚙みついている。
「ちょっと散歩に行ってきます。晴明君はお勉強をほどほどに頑張るようにね」
一乃仁はへらへら笑って、ゆうらりふらりと出て行った。
――マジか。これって天国じゃねえか
俺は我に返って机に戻って、三年生用の漢字の書き取りを始めた。
先生は少しづつって言うけど、それじゃあ皆に追いつけない。九九はもう完璧。あとは……夢中になっていて気が付くと周りが薄暗くなっていた。カチリと電灯をつける。本当は六年生だから、教科書はもう六年生分まである。これ全部できるようにならなくちゃ、皆と同じ教室で勉強できない。
俺は夢中になって教科書に向かった。
ぐぐう、と腹が鳴った。ふ、と顔を上げると窓の外が真っ暗だった。びっくりして時計を見る。時計の見方は習ったばかりだけど……
「七時!?」
驚いて、部屋を出る。家はどこもかしこも真っ暗で、誰もいなかった。少し胸がざわりとした。
「まあ、いいや勉強しよ。そのうち帰ってくるだろ」
大きい声で独り言を言ってみた。不安……なんかじゃない。一乃仁は馬鹿だけど、家の場所を忘れるほどではないだろう……そう思っても勉強が全然手につかない。
「ただいまあ」
意味のなく家をうろうろしていると、間延びした一乃仁の声がした。だけど、その声はなんだかいつもと違う気がして、俺は慌てて玄関に向かった。
「あ、晴明君ごめんねー遅くなって。雀ちゃんが居なくなっちゃってさ」
「……はあ?」
全く、雀には紐でもつけておいた方がいいんじゃないかと思う。目を離す一乃仁も一乃仁だ。あいつは三秒でいなくなるんだ。眉を寄せた俺に向かって、一乃仁は笑ながら頭を掻く。
「棗を見ててくれる? 探してくるから」
「え? まだ見つかってないのかよ」
よく見れば棗の目が腫れあがっている。棗はツンとしているけど、本当は優しくて家族が大好きで、それ故に心配性だ。雀のことが心配で泣き通しだったんだろう。
「俺、探してくる!」
……気が付いたら俺は家を飛び出していた。雀はアホで、出来ないことにでもなんでも自信満々で手を出す。だけど、本当は臆病で気が弱い。きっと今頃泣いている。
雀が行きたがる場所は大体わかっているから、雀が好きな場所や、遊びたがる場所を一つ一つ探して回った。
「雀、雀!」
なりふり構わずに俺は大声で叫んだ。なんでこう雀はアホなんだろう。帰れなくなるかも、とか、攫われるかも、とか思わないんだろうか。
――攫われた?
自分の考えにぞっとした。あのバカはいつもニコニコして、誰にでも懐いて、この世に自分に悪さをする人なんていないと思ってるんだろう。……でも、それが雀のいいところだ。雀に何かあったら……じわりと涙が浮かんだ。
「おにいちゃあああ」
通学路を少し路地裏に入ったところにあるタコ公園から、聞き覚えのある声が聞こえた。雀はいつも登っては降りられなくなるタコの頭の上にいた。
「す……ずめ」
体の力が抜けてへなへなと倒れそうだった。俺はいったん休んで息を整えてから、助走をつけてタコの頭によじ登る。
「……降りられないのに……なんで登るんだよ」
タコの頭の上に並んで座って、無駄だと思ったけど聞いてみた。
「はる兄ちゃんに、おろしてもらいたいから」
「はあ?」
「抱っこしてもらいたいの。おにいちゃん大好きなの」
暗くて良かったと思った。俺の顔は今、多分赤いだろう。
「雀と棗がきらい? どっか行けばいい?」
雀が小さい声で言った。そうか、雀は俺に迎えに来てほしくてここで待っていたんだ。見つけられてよかった。俺は雀を前に抱っこして、タコの頭を滑り降りる。
「あれは全部嘘だよ」
「嘘は良くないよ!」
手をつないだまま、雀が俺を見上げて睨む。
「うん、ごめんな雀」
「いいよ」
「いいんだ?」
「雀と棗を好きならいいんだよ」
「……雀も棗も、ちゃんと好きだよ」
雀は、にひゃ、と泣きはらした不細工な顔で笑った。俺は何をやってたんだろう。勉強なんて二人が寝てからすればよかったのに。
家につくと、一乃仁が唐揚げを揚げながら「ほらね、棗ちゃん。晴明君なら見つけてくるから大丈夫だって言ったでしょう」なんてヘラヘラしながら言った。
殴るぞこのやろう、とも、これからも妹たちの事は任せろ、とも、一乃仁の事も好きだぞ、とも口に出さずに、俺は黙ってテーブルに座った。
みんなで食べる唐揚げは最高に旨かった。