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姉と、妹と  作者: 飽和茶
3/3

愛してくれる

なんかだんだん不健全になってくる。安心してください。病んでませんよ!

 第三場

 一通りふざけまくった景子姉さんと茉莉は、時間が遅刻確定のそれに近づいていることに気づき、慌てて支度を始めた。姉さんは大学に、茉莉は僕と同じ高校に通っている。どちらも一時間以内で着ける距離とは言え、過度な油断は禁物だ。

「ほら、おにーちゃんも食器下げるの手伝ってよ!」

 ぼーっとしていると、せかせかと急ぐ茉莉に怒られてしまった。あーごめんごめんと返しながら自分の目の前の食器を流しまで持っていく。運んでいく間中、金属食器と陶磁器の触れ合う甲高い音が、僕の腕の中で少し速いリズムで鳴っていた。運んだそれらをおたおたと上から順番に流しの中へ置いていく。

「あーっ、おにーちゃん、そこ洗った食器おいてるところなのに!一緒にしないでよ!」

 早速ワンミスである。

「ごめん」

「って、もうこんな時間!急いでるのに仕事増やさないでよね!」

 僕を叱りに振り向くついでに時計を見た茉莉が、そろそろ疾走登校確定な時間帯であることに気づく。うおお、急がねば。しかしなにをすりゃええんじゃあ。

「葉造、茉莉ちゃん、後はお姉ちゃんがやっておくから、もう学校に行きなさい」

 わたわたと流しをうろちょろする僕と、食器洗いの修羅と化す茉莉を見て、姉さんが助け舟を出してくれた。

「いいの?お姉ちゃん、今日一限からでしょ?」

「大丈夫!いつもあの教授遅れてくるしね。大体、大学の授業なんて遅刻があって無いようなものだし」

「んじゃ、お言葉に甘えて!おにーちゃん、私ブレザー着て髪整えて持ち物確認して鞄取ってトイレ行って遅くなるから先行っといてー」

「あ、うん。わかった」

 言い終わる前に突風のように階段を駆け上がる茉莉。ううむ、また僕がへっぽこなせいで家族に迷惑をかけてしまった……。男だから身づくろいに時間をかける必要がない分、僕が水場の仕事をするべきだったのに……。

「のしっ」

 ぼんやりと沈んでいると、姉さんが口で擬音を発しながら、僕の背中にのしかかった。後ろから抱きしめられる形になる。高校二年目に入って背は伸びたけど、それでもまだ姉さんの方が身長は高い。びっくりする前に、包み込まれるような安心感に「へふう」と情けない声を出してしまった。

「まぁた何か余計なこと考えてたんでしょ?茉莉や私に迷惑かけちゃったーとか」

「うん」

 肩に感じる柔らかい膨らみの温かさとその下に流れる僕とは別の鼓動を感じながら、僕はそう答えた。

「前にも言ったでしょ?いいのよ、そんなこと。気にする必要はないの。茉莉ちゃんも私も葉造のこと、大好きなんだから」

「本当に?」

「本当よ」

 僕を抱きしめる両の腕に強く力を込めて、姉さんはそうささやく。耳元にかかる吐息がくすぐったくてふふふと笑ったとき、僕は自分の笑顔に気づいた。

「元気になった?」

「うん、ありがと」

 我ながらめんどくさいくせに単純な奴だと思った。いや、単純だからこそめんどくさいのかもしれない。

「こっち向いて」

 身体を離した姉さんが、僕にそう呼びかける。素直に回れ右をして、姉さんと正面から向き合った。

「ぎゅー」

 もう一度、今度は正対したまま、姉さんは僕を抱きしめた。先ほどは肩に当たっていた膨らみに、姉さんの胸に、顔をうずめる。温かくて、柔らかくて、いい匂いがして僕はとても幸せな気分になった。

「ねえ、葉造?」

 僕を胸の中に抱きしめたまま、姉さんは問いかける。

「葉造は、お姉ちゃんや茉莉ちゃんのこと、好き?」

「うん、大好きだよ」

 抱きしめられて、顔が埋まって、その声はくぐもっていたかもしれないけど、僕はちゃんとそう口に出して答えた。誰かのことが好きなのだと、誰かに愛されながら答えることが、できた。


 幕間

 手ごたえを感じた。恐らく、私が欲しがっていた世界はこれだったのだろう。誰かに愛されること、誰かを愛すること、そしてこれらの行為に胸を張ることのできる(許される)世界が、欲しかったのだろう。以前感じた絶望はそこには無かった。私は、描くことができるかもしれない。自分自身に向けられる愛と、他人に注ぎ込む愛を。

「ありがとう、姉さんのおかげだ」

 溢れんばかりの感謝の気持ちを、執筆中ずっと傍らにいてくれた姉さんに伝える。

「でも、私何もしなかったわよ?そんな風にぎゅっとしたりなんかしてないし」

 不思議そうな顔で姉さんが私に問いかける。

「いや、晩御飯を作ってくれただろう。それだけでも、人に優しくされるということを思いだせたんだ。多分、それだからこそ、自信を持って誰かに愛される場面を描けたんだと思う」

「ふうん……」

 理解半分、疑義が半分というような顔で姉さんは相槌を打つ。

「ねえ、それって誰かに見せるの?」

「まさか」

 質問の意図は測りかねたが、私はそれを即座に否定した。

「これは私の精神的な自慰行為だよ?自分の都合のいい妄想を、誰にでもみられるようなそれらしい加工をする努力すらせず垂れ流す作業なんだ。誰かに見せられるわけがない。いや、違うな。見る人がいないんだ。だって、見せるために書いているわけじゃないからね」

「そうなんだ」

「誰かに見られたら、困ることでも?」

「どうして?」

「いや、いきなりそんなことを聞いてくるから」

 姉さんは少し首を傾げた状態で、しばしの間黙した。どうやら、自分の中で言葉を整理しているらしい。そしてその後、出てきたのはこんな言葉だった。

「○○くんの世界って本当に閉じてるんだねえ」

 衝撃があった。しかし、それがどういう理由で私の心に刺さったのかはわからない。震える声で私は問を返す。間抜けな問を。

「それって、どういうこと?」

 返す答えは素早く、まっすぐだった。

「だって、自分だけのために自分の頭の中からお話を作りだすんでしょう?閉じてるじゃない。それって、○○くんの世界には、○○くんしか必要ないってことでしょう?」

「それは違うよ」

 即座に否定する。何故なら、そうではないことをもう今の私は知っているからだ。

「私も、実は最近まで、いや、さっきまではそう思っていたんだ。自分の世界には自分しか必要がないと。自分の欲求は自分自身がよく知っている。だから、それを忠実に形にすれば、永遠に精神的に閉じた世界で自分を癒し続けられるのではないかと。しかし、そうではなかった」

 そこで、姉さんに視線を向ける。こちらをまっすぐ見ていた彼女と目が合った。背けたい。自分以外の人間と見つめ合うことは、私の身体の反射に対する条件だ。人と目を合わせることは、私にとって理屈を超えた苦痛なのだ。だけれど、私は目を背けなかった。こちらを見返す姉さんの視線を正面から受け止めて、言葉をつないだ。

「自分の欲求を映し出す鏡を、私は作りだすことができなかった。私は所詮、現実世界にいる人間だ。だから、欲求自体も何らかの現実的な形を伴ってしか満たされようがない。それが現実での出来事にしろ、ヴァーチャルな出来事にしろ。では、現実的な形を伴った欲望の鏡を精巧に作りだすにはどうすればいい?才能がある人ならば、自身の頭の中の想像だけでそれを作りだすことができるだろう。けれど、私のような馬鹿はそんなこと、成し遂げようもない。では、どうすればいい?そう、経験しなければならないんだ。自分の欲求を満たすためには、それに近い経験を現実で味わわなければならない。現実でそんなことができないからこそ、非現実にそれを求めるのにね。だから、つまり、私の世界は原理的に閉じようがなかったんだ。一つは私の無能さから、一つは私の欲求の現実性の低さから」

「……」

 まくしたてる私を見て、姉さんは言葉を継ぎあぐねているようだった。胸の中の全てを吐き出す私を見るその目は、しかし、嫌悪に満ちていないことだけは確かだった。

「でも……」

 しかし、喋りながら、その前提は今崩壊しつつあることを理解していた。私の世界は閉じようとしているのかもしれない。何故なら、今、目の前に、世界に対する唯一の要求、経験を満たし得る存在があるのだから。

「でも、今は、姉さんがいる。だから、本当は、そうなのかもしれない。私は、自分自身を自分自身が作り上げた壁の中で、甘やかし続けることができるのかもしれない」

 姉さん、もうあなたが、幻覚なのか、現実なのか、私は実はどうでもよくなっているのかもしれない。私に経験を与えてくれる姉さん。私に世界を構築させてくれる姉さん。私を愛してくれる姉さん。

「……姉さん、小説に書いたようなこと、してくれないか?」

「……どんなことだっけ?」

 いたずらっぽく笑う彼女に、しかし私はためらいなく言葉を告げた。

「抱きしめて欲しい。そして、愛していると、言ってほしい」

「いいよ」

 笑顔のまま、両手を開く姉さんの胸に顔をうずめる。温かく、柔らかく、いい匂いのするその場所は、想像していたよりも、遥かに心地が良かった。今この時だけは信じてもいい。私は愛されていると。外の世界に拒絶されてはいないと。何故なら

「愛してる。大好きだよ、○○」

 今、この部屋には、私を抱きしめて、愛を囁いてくれる姉がいるのだから。


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