妄想への飛び立ち
姉と、妹が欲しい。
孤独で孤独でどうしようもなくてしょうもない私は、ある日ある時あるところで痛烈にそう思った。
姉と、妹が欲しい。
例えばこんな姉が欲しい。幼いころから私のキューティーさにめろめろになって、物理的な面でも精神的な面でもとことん甘やかしてくれる姉が欲しい。名前は景子がいい。あまり美人過ぎず、かといって醜いというわけでは決してない、そんなイメージの名前がいい。ちなみにおっぱいはDカップ弱くらいがいい。髪は黒くて長い方がいい。
例えばこんな妹が欲しい。幼いころから私の後ろをついてきて、成長するに従ってそのいまいち頼れないカリスマ性の無さに気が付くのだが、逆にそれがどうにもいじらしさを感じさせ、ついつい兄の世話を焼いてしまう妹が欲しい。名前は茉莉がいい。気の強さの中に少しばかりなのだが決して埋もれてしまうことのない優しさを持った、まさしくコクと甘みが両立したジャスミンティーのような名前がいい。ちなみにおっぱいはAカップくらいでそれに悩んでいるのがいい。目は大きめの吊り目がいい。
と、いうわけで、私は今からそんな二人との甘々いちゃいちゃな生活を送ろうと思う。どうにも忘れられがちなのだが、この小説という世界はそんな理不尽も容易く許容されてしまうのだ。バックボーン?設定?必然性?知らん。書けるままに書け。妄想人間?人間失格?社会不適合者?その通り。誰の言かは忘れたが、「リア充」とはつまるところ「リアルで充分」の意と解釈できると聞く。全くその通り。現実人間で人間合格で社会適合者な彼らには、精々理屈と必然性しか存在しない現実世界で、楽しくせっせと頑張って頂こう。だが、私たちは違う。少なくとも私は違う。現実世界なんぞでは足りないのだ。理屈と必然性が跋扈するあの世界では足りないのだ。何故かというと色々理由はあるのだが、差し当たっては姉と、妹がいないからである。
では、前置きはこのぐらいにして、私にとっての都合のいい世界の始まり始まり。
-朝 妹に甲斐甲斐しく起こされてにっこり-
「おにーちゃん!起きて!もうこんな時間だよ!学校に遅刻しちゃうってば!」
朝の訪れを告げる鳥のさえずりに混ざって、女の子の甲高い声が聞こえる。僕を起こそうとする妹のその声は、何というか鈴のなるようなシャウトというか、耳に優しい大声だ。覚醒はちゃんとできるのに、決して不快にはならない。だけど、
「うううーーむ、あと五分……」
何故だかもう少しの間ごねたくなって、二度寝を厳に要求してしまう。
「もうっ!ほんとに遅刻しても知らないんだからねっ!」
掛け布団の上から馬乗りになっていた体勢から、一度ベットに沈み込んだ弾みを利用して床に降り立つ妹。彼女―茉莉の触れていたところは他の部分より暖かく、彼女が離れたそばからその熱が冬の朝へと逃げていって、その寒さが少し寂しかった。
「んー……はいはい……、今起きるであります」
渋々寝床から身を起こした僕の姿を見てにっこりと笑う茉莉。
「じゃあ、もうご飯出来てるから早く降りてきてよー?お味噌汁おにーちゃんのために温めなおしたんだからね」
僕が本格的に起床のための身支度に取り掛かりかけたことを確認して安心したのか、茉莉はそう言い残して、てとてとと階下へ降りる階段へと向かっていった。
「そうか、今日はあいつが飯の当番だったか……」
よくよく鼻を利かせてみると、確かに正しく日本の朝餉といった匂いが一階から漂ってきている。ちなみに姉さん―景子姉さんは洋食派なので、彼女が当番の時はトーストしたてのパン、一品だけ添えられるハイカラなサイドディッシュ(僕はその中でもオムレツが好物だ)によるなんともディレッタントな朝食が楽しめる。そして料理のできない僕は申し訳ないと思いながらも、それらを食べる側に専心してしまっている。一応学ぶつもりはあるのだが、この前、姉さんにオムレツの作り方を実際に教わった時、姉さんは僕のその要領の悪さに終始ハラハラしていた。しまいには「葉造が料理をしている間、お姉ちゃん、ずっと見てなきゃ!」などと本末転倒なことも言いだしたので、それ以来僕の料理当番はスルーというか、触れてはならぬというかそんな公然の秘密然とした話題になってしまっている。まあ、それに甘んじている僕に一番の問題があるのだろうけど……。
「おにーちゃーん?!まだー?!」
「あーはいはい!今降りるから!」
そんな考え事をしながら着替えるものだから、痺れを切らした茉莉の激が飛んでくるというわけだ。それにそろそろ急がないと本格的に遅刻をしてしまいかねない。早いところ下に降りよう。
-朝食中 姉がとろとろに甘やかしてくれてにっこり-
一階の食卓に降りると、白ごはんと味噌汁、焼き魚に玉子焼きと、ザ日本の朝食が僕を待っていた。億劫な朝の始まりを元気づけてくれる食べ物の温かさが湯気となって、僕の正面にある出窓からの朝日に輝いていた。
「今朝も茉莉ちゃんに起こされてたわね。また遅くまで夜更かししてたの?」
右手に座る景子姉さんが、読みかけの新聞から目を離して聞いてくる。その口調は寝坊助ブラザーを詰るようなものでは決してなく、むしろ何らかの言い訳をするチャンスを与えてくれるようなものだった。姉さんはいつも僕に対してこういう風に甘い。僕が困っていること、悩んでいること、それを一々見抜いて、その上で僕が能動的に動いたと最大限思わせるような舞台を整えてくれるのだ。でも、僕もそんな事は先刻承知なので甘えたりはしない。……できるだけ。
「いや、ちょっと眠れなくてさ。ごそごそと映画とか見てたら結構遅くなっちゃって……」
だから、今回は言い訳をしない。宿題でもやってたとかもっとマシな言い方というか理由はあるはずだけど。そんなことは言えないんだ。
「そう?テストも近いんだから、余り眠いまま学校行ったりしちゃだめよ?授業をちゃんと聴く方があとからテスト勉強するよりも楽なんだからね」
「はあーい」
素直に返事。
「それに……」
長くてツヤのある髪をサラッと流して、首を新聞に戻した姉さん。目だけでこちらをちらっと見ながら。
「なんで眠れないならお姉ちゃんの部屋に来ないの?一緒にお布団で寝てあげるのにー」
ババババッバババカヤロウ!!
「僕をいくつだと思ってるんだよ……。もうそんな齢でもないでしょ」
味噌汁をすすり、ご飯を食み、玉子焼きをあぐあぐと腹に納めながらできるだけ淡々とそう口にする。
「えー、でも葉造、昔からお姉ちゃんと一緒に寝ればすぐ寝付いてくれたんだけどなー。もうね、その時の寝顔が可愛くって……。あのままおっきくなってくれた葉造の今の寝顔も可愛いんだろうなー……。ああ……、茉莉ちゃん、ご飯お代わりお願い!」
「おねーちゃん……、妄想をおかずにしてもお腹は膨れないよ……?」
「でも胸はいっぱいになるわよ?」
「だからあなたは巨乳なんですね!」
「そうよー。茉莉ちゃんもいっぱい妄想しなさい。そうしたらほら……ふふふ」
「や、おねーちゃん、その相談の話はもう言わないでって言ったでしょ……?」
姉妹が仲睦まじく、過去に行われたであろう第二次性徴的コンサルテーションの存在をあけすけに仄めかす会話をしている場面を何故か野次馬風にぽわぽわと眺めていると、自然と箸が止まっていた。なんだろう。今唐突に、僕はとても幸せだと思ったのだ。目の前では実地トレーニングとかわけのわからないことを言いだした姉さんが、茉莉の胸にパンプアップを施すべくワキワキした両手を差し伸べている。茉莉はそれを笑いながら避けて、廊下に逃げ、ドアの脇から顔をにゅっと突き出してあかんべーをした。二人の姿は差し込む朝の光を浴びてキラキラしていた。そして、その二人と一緒にこうして生きることができている僕の人生も、多少はキラキラしていた。少なくとも、そうあって欲しかった。