5章-15
真っ青になった鵜飼さんは、慌てて阿達の元に馳せ参じた。狼狽した俺達は、半パニックの頭を最高に働かせて、どうしようかさ迷う足を神門の元に向けた。廊下は歩きましょうなんて標語は当然無視してクラスに急行する。
神門は、ちょうど大江戸と山縣と話しているところだった。たぶん俺抜きでクラスの出し物について話していたのだろう。
ラッキー! いいメンバーだ。
「神門様、神門様」
「神門様、お助け下さい!」
俺より早く、彌子さん佳子さんが神門に縋り付く。高くよじった声色がヘルプを求めるサインそのものだった。
神門はそんな二人の顔を見て、ちょっと思考したかと思うと、俺に目を向けふーっと深いため息をついた。
「宇加の事だね」
「はい、瑞穂政治が」
「俺?」
水分宇加。この名前の効果は絶大だ。興味なんてありませんと無視を決め込んでいた大江戸が、ざわっと動く。
「水分がどうした?」
「歳は聞かない方いい話だと思うよ」
「そうはいかん」
聞かない方がいいと言っているのに大江戸のやつ。
残る山縣はそんな雰囲気など関係なく「なになに~」なんて能天気をぶちかましている。コッチが大変だって分かって楽しんでるな! アホが、死ね!
「神門様、わたくしたち瑞穂政治に騙されて……」
「騙してねーよ、お前らも乗った話じゃん!」
「はいはい、言わなくていいよ。凛と仲直りさせようとして、逆に事態を悪化させちゃったんでしょ」
「そうなんです!」
「それで、僕になんとかしてって、お願いに来たんでしょ」
「そうなんです! このポンコツを頼った私たちが愚かでした」
「ポンコツ!?」
その表現に声を殺して笑っていた山縣が「そうそう、よく分かってらっしゃる」なんて、面白半分に俺の評価を落としにかかろうとしてくる。逆だろ。親友なら俺をフォローしろ! してください!
「残念ながら、それは僕には出来ないよ」
「そんな! 冷たい事を仰らないでください!」
「人間関係なんて他人がとやかく言えることじゃない。最終的には本人同士の問題なんだ。どんなに僕らが関係の糸を紡いでも、二人の気持ちが変わらなきゃ、あっという間に朽ちてしまう。それが分からない君達じゃないでしょ」
「だよなぁ、ようは信頼だって。日頃の積み重ねだよ」
「山縣さんまで!」
どの口が言うか! たった今俺の日頃の積み重ねを足元から蹴倒しといて! お前の信用をはガタ落ちだわ!
「僕はそういうのを嫌というほど見てきたから。もし、それで切れちゃうならそれまでの縁さ」
「いいじゃん、切れちゃったら新しい出会いを作ればさ」
すっかり神門側の山縣は、調子よく話を繋げるが、無責任と思えるその発言はある種の正しさがあると思えた。世の中には70億の人がいる。たまたま出会った馬の会わない人と仲良くなるのにエネルギーを注ぎ続けるのは、無駄かも知れない。
「でも、それでは宇加様がおかわいそうで」
「そう思うなら、水分さんの側にいてあげなよ。それが友達ってもんでしょ。ねっ」とパチっウインク。
違う!こいつ、ただ二人の前でカッコつけたいだけだ! あわや騙されるところだった。正論でもなんでもない、ただ己の株を上げたいだけだ。
しかも顔がいいと俺と違って何を言ってもサマになる。これは俺の存在意義が危うい、なんかイイこと言わないと。
「えーと、やっぱり友情だよな」
「おだまりなさい!!! 瑞穂政治! 元はと言えばあなたの穴だらけの計画のせいですからね」
「うわーん、ごめんなさーい」
「まぁ政治を責めないでよ。これはこれで悪気はないんだから」
これ扱い!
「神門様がそう仰るなら」
「早く行ってあげな。水分さんのところに」
「はい!」
声を揃えて山縣に頭を下げる二人。山縣くんよ、いつの間にか俺より上の立場にいるよね。……僕は悲しいよ。
二人が水分を探しに行くのを悲しい気持ちで見送ると、三人がじっとり俺を見ている。
「瑞穂、またやったな」
なんだよ、またって大江戸!
「なるほどな、こうやって荒らしてるわけだ」
荒らしてるってなんだ山縣!
「やっぱり口出しちゃったんだ、止めておいた方がいいって言ったのに」
神門さん、あなた言いましたけど、言われましたけど。
「でもさ、何もしないってないでしょ、冷たすぎるでしょ」
「二人は、といっても凛は宇加にはずーっと思う所があったんだから。そういうの考えないで動くからだよ」
「分かってたけど、それでも何とかしたかったんだよ、俺は」
「はぁ~、葵が似たのか葵に似たのか。似た者同士だよキミたちは。僕はいつも損な役回りだ」
人差し指を額に大きくため息をつく神門。
「はふー。瑞穂、損得抜きだ。水分のところに行ってやれ。だが間違っても阿達との仲介に入ろうとするなよ。間違っても変な事を考えるな!」
「わかったよ。もう懲りたって」
メガネをチャキっと鳴らして念を押す大江戸の視線が痛い。本当に懲りた。申し訳ない事をしたと思ってる。けどせめて悪意はないと、それだけは分かってほしいと思う。水分だけには。
◆ ◆ ◆
その夜、電話が鳴った。
俺のスマホが鳴動するのは珍しい。べつに友達がいないわけじゃない。昨今の高校生男子は電話なんてしないんだよ。たぶん一般的に。
ごろんと横になったまま、頭の上にあるスマホを手に取ると、そこには『水分宇加』の文字。
急いで居住まいを正しベットの上に正座して、キャッチのアイコンをタッチする。見えないだろうけど、せめてもの誠意を示したくて。
「こほん、ああ水分か!」
「瑞穂くん、こんばんは」
「ううん。今晩は。えーと、いま家か?」
「ええ、自分の部屋にいるわ」
「良かったよ、家出とかしてないかと冷や冷やしたよ」
「そんな。でも心配かけちゃってごめんなさい」
「いや。というか謝るのは俺の方だし」
「……それは、確かにだまし討ちは卑怯だと思ったけど」
ぐさっと来るなぁ……。
「逃げられないところに、追い込まれたけど」
抉るなぁ、抉ってくるなぁ。
「す、すまない」
「ううん、それは私がずっと逃げてたからで、別に瑞穂くんが悪い訳じゃなくて」
そんなチクチクくる一言もありつつ、自分の事となるとなんとも歯切れが悪い。
「あそこに居たって事は、聞いてたんでしょ。凛さんとの話」
「すまない。なんとか二人の間を取り持たないとクラスが分裂しちまうと思って、いろいろ画策したんだ。話も申し訳ないけど聞いた」
「そう」
「すまなかったと思ってる」
「恥ずかしいなぁ」
「……」
「泣きたくなっちゃう」
「それは困る。本当に俺が悪人になっちまうだろ」
「違うわ。自分に。私が凛さんに桐花祭の件から降ろされた時、瑞穂くんが私に言ったじゃない。『お前は冷たく見られる。嫌味だって』」
「あっ、言った……かも。ごめん。口が滑って」
「ううん、私、凛さんにも同じことを言われて、それで何も言えなくなってしまったの。凛さんとは初等部からずっと一緒よ。何度か同じクラスにもなって、もう10年近くも知ってる。凛さんはずっと思ってたのよ、『水分宇加はなんて嫌味な子なんだろうって』」
「でもさ、それはお前は知らなかったんだから」
「ううん、知ってたの。そうじゃないかって思ってた。でも怖くて凛さんには近づかなかった。面と向かって言われたら、どうなっちゃうんだろうって思うと怖くて」
あちゃー、トラウマだったんだ。俺、何度もこのトラウマを踏んでたんだ。本人も気づいてて、そのザラザラとして気持ちを感じていたのはたぶん阿達にだけじゃなかった筈だ。だから反動で、近しい人にお節介なほど優しかったのかもしれない。
代議士のよくできたお嬢様としての仮面を被れば、お高くとまった特別内部生になる。でもそれは確実に要求されている顔。でも、そう見られている自覚と辛さも持っていて、その葛藤に揺れていたんだ。
だからこそ、同じ境遇の先輩を応援したくもなったのだろう。俺に過干渉になるのも無意識にそういう気持ちが動いていたのかもしれない。
……俺は、また同じ境遇の人の心を無遠慮に突っついたって事だ。分かってたなら、素直に神門のアドバイスをきいておくんだった。
「あのさ、謝って済むことじゃないけど。何も知らなくてごめん。水分に会った時から、そんなことも知らずにズケズケ傷つくことを言ってたと思う。俺さ、お前が強い奴だと思ってたから。もしかしたら先輩より打たれ強いかもって思ってた」
「違うわ、わたしがそうしてんだから。高い壁を作って」
「でも、俺は水分の声を聞こうしなかった」
色々な想いを飲み込むような、沈黙が流れる。
手でスマホを覆っているのだろう。でもその向こうから鼻をすする音が聞こえてきた。
後悔。
心は僕らが思う以上に後悔を刻む。痛むほど深い溝を掘っていく。その痛みは涙となって溢れる。
電話だから見えないけど、彼女の心が震えるのが全身に伝わってくるようだった。10年間現実から目をそらしてきた苦しみを。それが俺の心にも溝を刻んでいく。
(高い壁か……)
ふと部屋に目をやると、俺の部屋にある水分が残していった、無駄に女子力の高いタペストリー。彼女の置いて行った台所のフライパン。
生徒会の資料が置いてあるボックスも彼女が買ってきたものだ。
俺の部屋にあるそれらが目に飛び込んでくると、そのときの彼女の呆れた顔、怒った顔、笑った顔が思い出された。
そんなことはない。高い壁なんてない。あの表情はウソじゃない。でも今の彼女を慰める言葉を俺は持たなかった。
「大阪の……大阪のおばちゃんなら、こういうときどうするの?」
「え?」
「瑞穂くんが知ってる、大阪のおばちゃんなら」
微か、涙声の問い。
「ああ、たぶん近所の仲のいいおばちゃんの家に駆けこんで、目いっぱい喋って怒ったり泣いたりするんじゃないかな」
「……それ、わたしらしい?」
「ああ、お前らしいよ。本当のお前らしいよ」
水分は、俺が謝っているのに震える声で「今まで、ありがとう」と言って電話を切った。
普段はツンデレからデレを取ったような彼女だが、そのツンもなく消沈している声は、俺を不安にさせるに十分だった。
大丈夫だろうか。学校に行きにくくはないだろか。その憂鬱は俺も同じだった。
翌日、その不安は現実のものになる。
水分は学校に来なかった。佳子さんも彌子さんも来なかった。
クラスの奴らは知らないが、俺はもうドキドキして授業どころじゃなかった。まさかの事があったんじゃないのか?