5章-13
「という、喫茶店なんです」
「これの何処がクラシックなんでしょうか。鵜飼さん」
鵜飼さんが説明を終えると、クラスのホームルームは、阿達のヒクつく頬と、低く押さえた声に震えあがった。
「それは、店員の衣装がクラシックな……」
「ドレス? タキシード? メイド服? それではただのコスプレ喫茶と同じでしょう! 何をやっているのですか! 信頼して任せたらこのような言い分けがましい提案を持ってきて、あなたの頭はからっぽなのですか? それとも本気でこの提案で私が手を叩いて喜ぶと思ったのかしら。信じられませんわ」
したたか怒られるとは、まさにこの事。
「凛様が山縣さんと考えてと仰いましたので。山縣さんが考えられていた……」
「山縣さんも山縣さんです。桐花に相応しいと仰いましたよね」
「はい、歴史と文化を肌で感じてもらおうかと思い。それを衣装で」
阿達の剣幕に怯える学友を前に、山縣が涼しい顔で言い返す。
「感じる肌が違います!」
「おっ、うまいねぇ」
「バカにしているのですか!」
「でしたら、僕らの話し合いに阿達さんも入れば良かったじゃないですか。阿達さんは何を考えてたんですか?」
丁寧ながらも、そこには見事嵌められた阿達をバカにするニュアンスがあった。なにせ阿達さん扱いである。自称フェミニストの山縣も、流石に阿達にはイラついているらしい。
「クラシックと言えば。音楽に決まっているではありませんか」
「それじゃ、昭和ですよ」
「鵜飼さん。実行委員として、あなたは何をしていたのですか」
「あのっ、あの。発案者がそう言っている以上、それを持ってくるのが私の仕事ですし」
しゅるしゅると声も小さくなっていく。
「なんて、おバカなんでしょう。正しく導くのが、貴方の仕事です!」
「では、もう時間がないので喫茶は止めて、出し物ではないですが、託児所クラスのボランティアにしましょうか。対応クラスが決まってないので、全員参加ですがそれなら」
「嫌ですわよ。なんで、わたくしが子供の面倒など」
もう阿達に振り回されて、完全に行き詰っている。
本人の前では言えないが、阿達の気紛れに振り回される鵜飼さんを見ていると、本当に鵜匠のさじ加減で立ち回る、長良川鵜飼を思い出す。
もちろん本当の鵜飼は、そんな気紛れなものではないのは知っている。鵜匠は鵜の体調を管理し、鵜との絆を育み行われている。だが彼女の名前が連想させるのか、鵜飼さんが鵜。阿達が風折烏帽子の鵜匠に見えてしょうがない。
そんな一方的なやり取りの中、クラス空気がざわっと動く。集まる注目の先は水分。
振り返ると彼女は席を立ち、声を発しようする矢先だった。その口が「あ」の形を決めた刹那!
「宇加様! 宇加様が立たれる必要はございません」
乱暴に立ち上がり、髪を乱して止めたのは佳子さんだった。
それを見て阿達。
「あら、千島さんどうされたのですか」と、何ごとも無かったようにしれっとあしらう。
佳子さんは胸元にぎゅっと手を結んで気を溜めると、目力を込めて阿達を見据えた。阿達はそれを足元を這う虫けらの振る舞いと言いたげに見ていた。
「凛様、当クラスの桐花祭実行委員は鵜飼さんです。それは凜様も賛成されたと思います。進行は鵜飼さんの仕事ではないでしょうか。ですから、一方的に鵜飼さんがまとめた案を」
「おだまりなさい。二等の分際で弁えなさい」
「いいえ、桐花祭はクラスの共同作業です。一緒にやるのですから、内部生も外部生もなく」
「何を仰っているのですか。あなたも水分さんに洗脳されてしまったのかしら」
冷徹にあざ笑う阿達を前に、怯まず立ち向かう佳子さん。
「宇加様は間違っておられません!」
「わたくしは認めません。桐花の文化は代々、特別内部生が守り育ててきたものです。それを二等、そして外部生に伝えていくのが特別内部生たる私の使命です」
「わたしもそう思っておりました。ですが、特別内部生だから教え伝えるというのは驕りではないでしょうか」
「まさか千島さん、平等などと言う理想を信じていらっしゃるんじゃありませんこと。まさか貴方が虹追い人だったなんて。道理に明るい方だと思ってましたのに、わたくしの目も節穴になったものです。残念ですわ」
「畏れながら、凛様は尊敬と隷属を勘違いされていらっしゃいます」
「それは、私に対する侮辱と受け止めますが、お間違いなくて?」
麗人から出たとは思えぬ凄味のある一言は、最後通知に等しかった。佳子さんの唇が青く小刻みに震えている。誰もが彼女が踏み込んではならぬ領域にいることが分かった。そして彼女が支払う代償も。
誰かが救ってやる必要があった。でなければ彼女は、阿達に喰われてしまう。
その役は予想通り水分だった。
「佳子さん、お控えください」
「しかし、宇加様」
「佳子さんが、私の替わりに意見を言ってくださることを嬉しく思います。ありがとうございます」
佳子さんは渋ったが、それ以上は逆らわず黙って席についた。
シンと静まり返るクラス。クラスがこの雰囲気になるのは三度目だ。一度目は俺と新田原。二度目は水分の解任事件。再び勃発した二大巨頭の対決にまたも緊張が走る。
際どいエッジの上の融和とはよく言ったものだ。切れるか切れないかは、つまり阿達の気分次第ということ。
「凜さん、私が凜さんをとやかく言える立場にございませんが、ただ一つだけ思い出して戴きたいのです。私たちが最初にサロンに入会したときの言葉です。一等サロンは、学園や日本の良き文化や考え方、心を守り伝える義務があるの文言です」
阿達は腕を組み、睨みを利かせて聞いている。
「私は葵様にその意味を伺った事があります。葵様はこう仰いました。『等級制がなぜ、創立のしばらく後に出来たか分かるか』と」
「私が分かりませんと答えると、『必要になったのだ。明治に入り、日本は多くの日本らしさを一気に失った。自然と共に節度をもって生きること、謙譲の美徳、アミニズムの敬虔、美意識。創始者は、それを危惧したのだ』と。西洋化を進めたのは当学園の創始者ご本人ですが、文化が破壊される現実を前に、和洋二つの文化を融和させるべく、その処方箋を生徒に託したのだと教えて頂きました。茶会や観桜会、観楓会、座禅や年始の和の神事は、その都度、意味をとらえ直して実施されたものだと」
「残念ながら、現在は形骸化しており、等級制も一等サロンも存在意義はないとも仰ってました。私たちは、決して上にいるわけでも、外部生に下知する立場でもないのです」
二人の間に、暫しの沈黙が流れた。
「それが……」
クラスは阿達の次の言葉を待つ。
「それがどうしたと言うのですか」
「凛さん、ご理解いただけませんか」
「ご理解も何も、うふっ、見解の相違というものですわ。そのようなもの、葵様の私的な意見ではなくて」
「それが葵様のご意見だとしても、一等サロンに属するのでしたら、想いを馳せるべきではないでしょうか」
「昔からあなたとは相容れませんでしたわね。葵様のご意見をハイそうですかと納得して帰ってくる主体性のなさ。そのようにお話しを本気で納得されて、サロンで奮闘されてるのでしょう? 貴方らしいわ」
はっ! あのときの話だ!
俺には何の事を言っているかすぐに分かった。先輩がサロンの会頭を解任されたとき。『どの面下げてサロンに行けというのか』と先輩に食ってかかった水分が、週明けにはケロリとしてたのは、先輩とそんな話をしたからなんだ。そこが彼女の大きな転換点。先輩の意思を形にしようと覚悟した瞬間だったんだ。
だから『思っているだけじゃ伝わらない』って俺に言ったんだ。また俺は何も知らず……。
「相容れない事など。私は今まで凛さんを困らせるような事は……」
「それが腹立たしいのです! 澄ました顔して私を見下して!」
水分は珍しく、むすっとした顔で答えた。
「ならば、言わせて頂きます。凛さんは私の何をみて見下していると仰るのですか」
「あなたの、今まさに、この瞬間の、その態度です」
「ならば、直接、私に仰って下さい。鵜飼さんを巻き込むのは卑怯ではありませんか」
「わたしに言わせれば、御令嬢たる葵様の威光に浴している、あなたが卑怯ですわ」
水分は、くっと唇を噛むと、そのまま言葉を返さずに席についた。
阿達も強情だ。ドン引きするクラスの雰囲気をもって歯牙にもかけない。
鵜飼さんは、その様子を固唾を呑んで見守っていた。彼女は生来感情が顔に現れやすく、それが明るい性格と相まって、同性を引き付ける魅力となっているのだが、猿山のボスに生殺与奪を握られた状態では、ただ不安と恐れが全身から発散され、彼女の弱さばかりが誇張されていた。
「あ、あの、お二人とも、私はどうすれば」
「お好きになさい!」
ビシッと阿達の声が黒板に向かって飛び、鵜飼さんは反射的にぎゅっと目を閉じた。
その目がゆっくりと開かれ、恐る恐ると水分と佳子さんの方を見る。
だが彼女の表情筋が僅に上がる。
その顔を見て、俺はやっと胸を撫で下ろすことが出来た。俺からは見えなかったが、多分二人は阿達に分からぬように鵜飼さんに微笑み返したのだろう。
「凛さま、もう時間が有りませんが一日だけお時間を下さい。凛さまは、クラシカルミュージックの喫茶とお受け止めになっていたと伺いましたので、もう一度考えて参ります」
鵜飼さんは、やっとの事でその言葉を返して、ホームルームは幕を閉じた。
鵜舟と化した我クラスは何処へ行くのだろう。出し物は決まるのだろうか。そして阿達はどう出るのだろうか。俺は鵜飼さんや水分のために、何が出来るんだろうか。
身代りになった彼女達のために。