5章-12
翌日。なんと!生徒会室で水分達と話したことが、新聞に取り上げられていた。
どこで分かった!? どうして漏れた!?
確かに水分はあの後、鵜飼さんを生徒会室に呼び出した。だがそれはクラスで話せない事だから、ここを場所に選んだだけだったのに。そして俺は冒頭の数十分しか、そこに同席していなかった。
なのになんで『生徒会室の密談』になるんだよ!
流石にコレには、俺もカチンときた。
今日は各部と実行委員、生徒会の合同ミーティングだ。
益込先輩も来る。
ちょうどいい、直接真相を聞き出してやる!
閉会後、ふんっと意気込み益込先輩を呼び止める。
「益込先輩、ちょっと残っていただけますか」
席を立つ益込先輩は、俺の気迫など無視して、「いいよー」なんて気楽さで生徒会棟に残った。
分かっている筈だ。なのにこんな対応をされたことに、またイライラが募る。
そういう高ぶる気持ちを気取られるのが嫌で、他の生徒会メンバーとは同席しなくてもいい貴賓室に場所を移した。
益込先輩をケツに従えて階段を下りる。その後ろにはヨミ先輩が付いてきていた。
映画にある明治時代のワンシーンのような、古びた扉の、でも神々しいノブを捻ると、そこには午後の日差しをたらふく詰め込んだ金色の空間が広がっていた。
「どうぞお座りください」
席を勧めると、益込先輩はニコニコしながら、日があたる椅子にそっと腰かける。
俺はテーブルを挟んで、正面に席を取った。
こっちが真面目な顔をしてるのに、依然笑顔を絶やさない。
最後に入ってきたヨミ先輩が扉を閉める。向こうからやってくる重みの軽い軋みが、最後に俺の後ろでキシッといった。
益込先輩を睨み続けていたので分からないが、ヨミ先輩が俺の後ろに立ったらしい。
益込先輩は、そんなヨミ先輩の動きを目で追うこともなく、細めた目でずっと俺を見ていた。
笑っているのか、構えているのか、それとも戦うつもりなのか、その心を読むことはできない。彼女の心はその笑顔の仮面の向こう側。
無言のまま、やや暫く俺達は向き合った。
「ヨミ先輩、すみませんが席を外してくれませんか」
そんな相手と俺は二人だけで対峙したかった。いや問い詰めてやりたかった。
妹をその場に立ち会わせるのが不憫でなんて優しさじゃない。私的な不満を思ひっきりぶつけたかったのだ。それは俺の醜さであり、ヨミ先輩の前では見せたくなかった。
くだらない男のプライドだ。
でもヨミ先輩にはそれが分かったのだろう。何も言わず、まるで待合室から診察室に移動する患者のように、機械的に扉の向こうに消えていった。
がちゃりと静かにドアが閉る。
「二人きりですね、益込先輩」
「二人きりだね。会長さん。まさか舞の事、押し倒しちゃうとか~」
「ふざけないでください」
「怖いよう~会長さんったら~」
わきゃっと両手を口によせた可愛いポーズで、目だけこっちに寄こす。この人はこういうノリなのだ。
「分かってますよね。あの記事です。生徒会が自分のクラスを優遇してるんじゃないかって記事」
「ん?」
「ん、じゃないです。あの記事。どうしてあんな記事を書いたんですか。それよりどうして、そんな内内の事が分かったんですか」
ニコニコ笑ったまま、何も言わない。
衣擦れの音が黄色に染まる部屋の中に静かに響き、益込先輩は口許に寄せた手をそっと髪にやった。
そして、ちょっとアンニュイに座り直す。
「李下に冠を正さずって知らないかな~」
「え?」
「桃の木の下で冠を直していると、桃を盗んでいると勘違いされるってことだよ」
「つまり、生徒会室でそういう事をしていると、贔屓してると思われるってことですか」
「そうとも云うかな~」
「そうとも?」
「そう」
「他の意味があるとでも云うんですか?」
「わたし、会長さんのこと気に入ってるんだけどなぁ~」
「さっきから、はぐらかさないでください!」
噛みあわない会話に俺がボリュームを上げると、益込先輩はスッとテーブルに身を乗り出して俺に話しかけてきた。
「舞だったら会長さんの事、助けてあげられるよ」
助ける? 何から?
「すみません、繋がらないんですけど」
「ヨミちゃんと組んでると、会長さんがやりたい事はちゃんと伝わらないと思うなぁ~」
「どういう事でしょう」
「だから李下にって」
「どんな誤解があるんですか!」
「ヨミちゃんはあんなんだもの。役に立たない事ばっかやって空回りして。乱暴だし、桐花のはみ出しっ子だよ。面白って言ってもらえても、それだけの子」
「いいじゃないですか、ヨミ先輩は素晴らしい方です」
「それは会長さんの個人的な感想だよ~。会長さんは生徒会長なんだから、もっと大きな影響を考えなくちゃ。生徒にどう思われているとか、学校の影響とか、会長さん自身の未来とか」
「僕に何を言いたいんですか」
益込先輩は、ちょっと呆れたような仕草をして、大きな胸を下に腕を組んだ。
「ちゃんと人を見て活動しようって事だよ~。同じクラスの一年ばっかで生徒会作っちゃうし、報道はヨミちゃんにまかせちゃうし。舞は会長さんが正しい事をしようとしてるの知ってるよ。でも皆にはそういうの、伝わってないんだよ」
「それは益込先輩が、そういう世論を作っているから。それにそう思っているなら記事にしないで直接、俺に言えばいいじゃないですか」
「だってぇ~、皆の声は伝えなくちゃだもん」
そう言ってちょっとイジワルな顔をする。
「それに~、葵さんのせいで会長さんには伝わらないしぃ~。葵さんが居なくなったら、今度はヨミちゃんだしぃ~」
「だからといって新聞で書くことはないじゃないですか!」
「だって舞は、報道新聞部だよ。そんな噂が聞こえたら書かない訳にはいかないじゃない。それに会長さんは痛い目をみないと分かってくれないんだもん」
「確かに、いろいろ偏ったやり方になってるなって思います。でも、一つもやましいことはしてないし、なんとか学園を存続させようと思ってやってる事です。それは益込先輩も分かってますよね」
椅子を蹴り上げてそれを伝えると、益込先輩は 「ふぅ」と、わざとらしいため息を一つついた。
「なんか暑いね、この部屋。ちょっと脱いじゃうね」
そう言うと益込先輩は、ベストをするすると女性らしい小さな動きで脱ぎ始めた。それをそっと左手にかけてまとめると椅子の背に丁寧に置く。
ぽいっと投げそうなヨミ先輩とは正反対の動きを意識しているかのように。
ベストを脱ぐと、そこには肩の余った大きなブラウスがあった。
益込先輩は、ゆっくり歩いて窓側に行くと、外の景色を見ながら、うーんと大きく背を伸ばす。
そしてくるっと俺のを方を見ると、窓の桟に斜めにもたれ、逆光を背負って、上目づかいに艶めかしく俺を見た。
逆光の陰影に表れるシルエットの見事な凹凸。
「ねぇ、会長さん。私と組まない? 舞は学園の信頼もあるし、影響力もあるよ。今回の事だって、こうなるかもって考えられなかったヨミちゃんと違って、舞ならちゃんと指摘してあげられる。きっと会長さんの役に立つと思うなぁ」
「……」
「黙っちゃうんだ」
「あんなに新聞でこき下ろしておいて」
「会長さんは、鈍感だから遠まわしじゃ分からないんだ。もうっ。女の子に言わせるんだ~。なんで舞のところに来てくれないのって」
「俺じゃないでしょ」
「疑り深いなぁ~、会長さんは」
トントンとローファーを鳴らして、ゆっくり俺の横にくる益込先輩。そして椅子の背に手をかけ、大きな胸を見せつけるように前屈みに話始めた。
きらっとした唇が、艶めかしく動く。
「政治くん」
圧倒的な女の存在感!
「舞、そんなに魅力ない?」
俺の手を取り、そっと胸の上に乗せる。ふわっと温かい柔らかさが、恐ろしいほど早く掌に伝わってきた。
「舞はずっと政治くんのこと……」
その風圧に耐えながら、ぎりぎりの声を絞り出した。
「ちっ、違いますよね。僕じゃない。益込先輩が見てるのは僕じゃない、ヨミ先輩しか見てない」
先輩の中指がぴくっと動くのが伝わってきた。
「ヨミちゃん? そんな事ないよ。たしかに最初、政治くんは葵さんの傀儡かと思ったけど、舞は政治くんのやろうとしてること応援してるし、政治くんに振り向いてもらいたくて……」
「何が障るんですか、ヨミ先輩の」
「さわる? そんなわけないよ。舞は、政治くんが」
「対抗意識を燃やしてますよね。どうしてですか。前から不思議だったんだ。僕の目には益込先輩が」
「気になんてしてないよ~、会長さんは面白い事を言うなぁ~」
僅かに声が変わった気がした。ほの少し声のトーンが上がったような。
「勉強だってヨミ先輩より上、一般内部生のトップはってて、巨大部活の部長もやって、学園の世論を作って。ヨミ先輩の持ってないものを全部持ってる。なのに自分の妹を目の敵みたいに」
「も~、してないよぉ~」
「どうして」
「してないって」
「ヨミ先輩が頑張っても、一緒に喜んでくれなくて」
「……」
「野球の時も益込先輩がインタビューに行けばいいのに」
「あれは役割分担で」
「本当は、ヨミ先輩が本気で熱くなれるのが、羨ましいんじゃないですか。一所懸命やっているすがすがしさみたいなのって、ヨミ先輩にあって」
「……」
「それはヨミ先輩を輝かせてて、先輩にはないキラキラした」
「うるさいなぁ、もう! いいんだよ、ヨミちゃんの話は!」
「でも、俺じゃないでしょ! 益込先輩はヨミ先輩のジャマをしてるんじゃないですか」
「ジャマなんてしてないじゃないない!!! ヨミちゃんは見ててイライラすんのよ。バカみたいで!」
バカの所に、すごい力が籠る。
「好き勝手、やりたいことやってるのに、みんなヨミちゃん、ヨミちゃんって。ヨミとばっかり楽しそうにして!」
「そんなの言いがかりです」
「なんなのよ! あの子は私の前から何でも奪ってて。私はヨミの影じゃなの!」
「だれも比べてませんよ! 影だなんて言ってないじゃないですか。ただの出会いですよ」
「会長さんも、ヨミの味方なの! いいよもう!!!!!!」
こっちがびっくりするほど、益込先輩は怒って、扉を蹴飛ばして駆け出して行った。
激情。
椅子には綺麗に畳んだベストを残して。
バタバタと古びた扉が暴れている。
そうだ、その扉の向こうには! ハタと思いそっと扉から顔を出すとそこには。
「いたんですね」
「うん」
壁にもたれて俯いたヨミ先輩がいた。
俺は益込先輩が残した、身長の割に大きなベストを手に取って、同じ壁にもたれてヨミ先輩と話す。
「聞かない方がよかったかも……ですね」
「いいんだよ、姉ちゃんのそういうのは知ってたし」
「でも真正面から言われると」
「うん、ちょっとショックだな」
「俺もあんなに怒るとは思わなかったから」
「姉ちゃん外面がいいからさ、ちっちゃい頃は姉妹喧嘩が絶えなくて、結構、負けず嫌いで気性が荒いんだ」
「俺と会うといつも人懐っこいニコニコ顔だから」
「そうだよな。特別内部生にいろいろ気をつかわなきゃなんないんじゃないの。オレには分かんないけど」
「俺が内部生と外部生の差のない学園にしたら、益込先輩も楽になりますかね」
「分かんねーよ。もう変わんねーんじゃねーの。もう、変えられないよ、きっと」
「それに益込先輩、もう三年ですもんね」
俺達にとってそれは、もう手遅れを意味する数字だった。
「それ、ベスト。持ってってやるよ」
「あ、すみません。返しに行くのどうしようと思ってたから」
ベストを手渡すと、ヨミ先輩はそれを開いてみる。
「でっかいベストだなぁ」
そう言うと、はさっとそれに手を通した。
「ぶかぶかだよ、あはは、ねーちゃんの」
胸元に手を当てて引っ張って見せて儚く笑う。
そして、彼女はそのまま二枚のベストを着て、玄関を出て行くのだった。