5章-11
さて、わがクラスの出し物であるが、先ほど震え上がった3分1に鵜飼さんがいた。
「申し訳ございません。再考してくださいと、言われてきました」とホームルームで報告すれば、大江戸が口を開く前に、阿達が「何がありましたの」と仕切り始める。
「まぁ、それでは瑞穂さんが突っ返したんですか!? あなた先日まで実行委員だったのに、なんて無責任な」
「ウチのクラスだけ特別扱いできないって。中等部と合同実施で内容のブラッシュアップが必要なんで、統括としては甘くできないですから」
「それでは、喫茶はダメということですか」
「ダメじゃなくて、喫茶は出店が多いんで、喫茶にプラス要素を求めてるんです」
「鵜飼さん、クラッシック喫茶の特徴をちゃんと説明したのですか」
「い、いえ、まだ細かいところは聞いてないので、説明は……その」
「それを考えて、提案するのがアナタの仕事でしょう。ご相談いただけたら、みなさんで考えますのに。ねぇ」
上から目線で、クラスに同意を求める阿達。
「す、すみません」
鵜飼さんは、声も小さくなりながら、教壇でちんまり畏まった。
鵜飼さんって、こんな子だったろうか。もっとハキハキとした明るい子だと思ってたんだけど。 いつからこんなオドオドした感じになってしまったのだろう。
いや、それより突っ返したのは俺なんで、責任を感じちゃう。ごめんね鵜飼さん。
「鵜飼さん、山縣さんがアイデアを出したのですから、山縣さんとまとめてはいかがですか?」
余りに恐縮する姿を見ていられなかったのだろう。水分が助け船を出す。
すると鼻につく声色で阿達、
「水分さんは、関係ないのですから、横から口を挟まないで頂けます?」
『いただけますぅ?』って、言い方が嫌味っっっ!
「私は、クラスの一員として発言したまでですが」
それに感情を動かされず、はっきりした口調で応じる水分。嗚呼、冷戦。コールドウォー。鵜飼さんを挟んだ代理戦争かよ。
「あら、それは失礼しました。クラスのイチ意見でしたか。ですが、水分さんが仰ることももっともですね。では山縣さんにもお手伝い戴きましょう」
しゅんとして、頷く鵜飼さん。
「あの、山縣さん、後ほど、ご相談させてください」
放課後。
「俺さ、鵜飼さんの事が気になるんだけど、水分どう思う」
生徒会室に水分と例の二人も呼び出して聞いてみると、三人からは微妙な表情が返ってきた。
「あれ? 俺、変な事、聞いちゃった……かな?」
行き交う視線から誰から話し出そうか譲り合っていたようだが、場を読んで彌子さんが重い口を開いた。
「瑞穂さんは、ご存じないでしょうけど……。凛様と鵜飼さんとはちょっとありまして」
また口が止まる。
「鵜飼さんは外部生でしょ……」
やっぱり、またその話かよ。
「外部生だから、なんだよっ」
つい言葉が荒くなってしまい、その荒さが彌子さんから「外部生としての慎みがなかったのです。鵜飼さんったら!」と、イラついた答えを引き出してしまった。
その上からの言い方に、水分が待ったをかける。
「彌子さん」
そう静かに名前だけ呼んで、手のひらを胸に当てる水分。押さえ下さいという合図なのだろう。はっとして彌子さんは口を押さえた。
「申し訳ございませんでした」
今度は佳子さんが続ける。
「瑞穂さんも外部生なのに、失礼しました。あの……鵜飼さんは、とても明るくて、誰とでも友達になるような方でしたので、私達にも気さくに声をかけて下さって。それが凛様には失礼に見えたのでしょう。4月の末だったと思います。それを咎めたことがあったのです」
「咎めたって、ちょっと言っただけじゃないの?」
「いえ、クラスの女子、全員の前で、随分きつく」
「そんなの、俺知らないよ」
「当り前ですわ。更衣室でのことですもの!」
彌子さんが、なぜか胸を張って言う。
「水分は、止めなかったのかよ」
水分は、ちょっと躊躇らってから、伏せていた目を上げた。
「ごめんなさい。私もその頃は、外部生の事を心の中で見下していたと思います」
「宇加様っ」
「ごめんなさい、瑞穂くん」
深々と頭を下げる。
「謝らなくていいって。ごめんな、嫌なこと、ほじくりかえしちまって」
こういう時、水分は本当に強いと思う。自分から逃げない。自分の弱さから逃げない。現実から逃げない。そういう人だから俺は彼女を本当に信頼できる。
佳子さんが、責められた鵜飼さんの心を代弁する。
「それが鵜飼さんだけではなく、鵜飼さんのご友人にも影響があることでしたので。鵜飼さんは、ご友人の事も考えて、ご自身が我慢すればと思われているのだと思います」
「人質じゃん、それ。なんかひでー話だな」
「そんな脅しなどではないのです。ですが、鵜飼さんはそう思われているのだと。凛様はそのくらい影響力がありますから」
なるほどね。あの元気な鵜飼さんが、こんなにグズグズになるにはそれなりの理由があった訳だ。友達思いなのはいいけれど、それで自分が潰れちゃったら意味ないだろうに。
「うーん、我慢かぁ。それで本人が納得してんならいいけど、そうは見えないんだよなぁ」
ずぶりとソファに身を沈め、「なんとかならないか」と独り言をこぼすと、水分が思い付いたように俺に提案を投げてきた。
「なら、わたしから、お話してみましょうか?」
「宇加様、それはちょっと」
「なんで? 佳子さん」
良い話だと思ったが、佳子さんが前のめりになって水分に待ったを掛けた。
「ご心配には及びません。最終的にどのような判断されるかは、鵜飼さんです。わたしは、もし私でよければお力になりますと、お伝えするだけですから」
「でも、凛様がそれを悪意に取られることも」
「構いません。でもその事でお二人にはご迷惑をお掛けするかもしれませんね。もし、お二人が立場が悪くされる事がありましたら、そのときは躊躇わず私の元を離れてください」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか!」
「そうですとも。ご無礼を申すのをお許し下さい、宇加様。私たちを見くびらないでください。宇加様が、私たちをそのような軽薄な人間だと思われていたのなら、とても残念です」
はっとしたのは水分。
慌てて席を立ち「ごめんなさい、そんなつもりではなかったの。許して」と、深々と頭を下げた。今日は頭を下げてばかりである。
それを見て、二人があたふたと水分の両脇に駆け寄る。教室では話せない内容なので生徒会室に呼び出したが、ここでよかった。教室だったら、何が起きたのかと、きっとザワついていただろう。
「瑞穂くん、何となく分かったでしょ。こういう派閥争いがあるの。私たちのクラスは他のクラスに比べて内外融合が進んでるけど、こういう際どいバランスの上なのよ。でもそれは本当に望んだ姿じゃない。凛さんは悪い子じゃないけど、プライドが高いから、同じクラスになった時、こうなることは想像はしていたのだけれど。それでも始めは上手くできると思っていたの。でも私が出しゃばり過ぎたから」
「もしかして、俺がかき回して随分事を荒立てた?」
水分は、さっきまで深刻だった表情をふっいと崩すと、間を取るように生徒会室の中をゆっくりと歩きだした。そして壁にかかる先輩の絵の前で足を止めると、くるりとこちらを向いて、ふっと俺に微笑みかける。
「そうね。言ったじゃない。瑞穂くんは私に迷惑ばかりかけるのねって」
可愛く小首を傾げて微笑む。
「やっぱ、そうだったのかァ! なら早く言ってくれよ」
「気づいてなかったの!? クラスの様子をみて気づいていると思ったわ」
「わかんねーよ、男には! けど、さっきの水分の言葉じゃないけど、それを選択したのは水分だろ。俺も迷惑かけたけど」
すると毅然とした表情に戻ってキッパリ言う。
「そうよ。私が決めた。瑞穂くんのいう通り、内部生の受け止め方、考え方、行動は、正しくないと思うの。葵さんも気にされてたけど、私はそれに見ぬふりをしていた。だからこれは私の答えよ。あなたと葵さんが私に投げた問の答え」
そこには細い体には似つかわしくない、揺るぎない安定感を持った一人の女性がいた。水分は俺の知らない所で覚悟を決めていた。『信じて』と言った彼女の言葉は、そういうモノを根っこにした言葉だったんだ。
「分かった。なんか水分の覚悟か分かった」
鵜飼さんの事は、内部生と外部生の軋轢を象徴する出来事だ。水分はこれを何とかすると覚悟を決めたのなら、ここは彼女に任せた方がいい。しかも女子の派閥争いの要素も絡んでいる。もう男が出る幕じゃない。そう思うと、自分の中でもふっきれた気がした。
「じゃ鵜飼さんのこと頼むよ。甘えちゃうけど、俺だったらストレートに切り込んで逆に事態を悪くしちゃうと思う。佳子さん、彌子さんにも迷惑がかかるかも知れないけど、ここはよろしくお願いします」
頭を下げて、鵜飼さんの事は水分たちに頼むことにした。
やっぱり相談して良かった。水分はしっかりしてるなぁ。なんか尊敬してしまう。
なんて心震えていたら、そこに何も知らないヨミ先輩が勢いよく入ってきた。
「よお、瑞穂! なんだ? 何アタマ下げてんだ?」
「あら、ヨミさん」
急な参上に驚きながら、佳子さん、彌子さんも丁寧に頭を下げて挨拶をする。
「あ、ヨミ先輩。ウチのクラスの問題で。教室で話せない話だったからここで話してたんですけど」
「なんだよ、またなんかやらかしたのか瑞穂」
「違がいますよ!」
「だって、謝ってたじゃん。あ、分かった! 廊下の角っこで宇加とぶつかって、押し倒したはずみにおっぱい触って、きゃー瑞穂くんのバカーってなっちゃったんだろ! にゃはははは、そりゃマンガかーっって」
「いや、ないですから。そんな都合のいい展開」
「だははは、だよな~。あれ? なんか引かれてない? あたし」
一気に喋り倒すヨミ先輩に、ぽかんとする彌子佳子が、やっと正気を取り戻して言葉を発する。
「あ、あ、すみません。ちょっとテンションについてこれず」
「わたくしも、球技大会や報道の益込先輩のお姿しか知りませんでしたので」
「ヨミさん、地が出過ぎです。二人とも驚かれてますよ」
「ほら、気ぬけ過ぎなんですよ。ヨミ先輩は」
「うっせー、瑞穂に言われたくねーよ。ところで何やってたんだよ。廊下でぶつかったあと」
「かぶせてきたよ! 違いますって。クラスに鵜飼さんって子がいて、その子の事を見て欲しいってお願いで」
「へー、誰」
「なんか特別内部生に弱みを握られているみたいで、ちょっといざこざしてるんです」
「ふーん、どこでもある話だなぁ。それで宇加か。それにお前らも?」
佳子さん彌子さんに目をやるヨミ先輩。
「わたくしたちは、宇加様のお考えに従うまでです」
その言葉を聞くと、ヨミ先輩は急に真顔になり、何かを言わんと口を開いた。だがその心は声にはならず、「まぁいいや」の言葉で濁されてしまう。
気になるのは佳子さん彌子さん。向き直ってヨミ先輩を見ると、「あの、益込先輩。とても気になるのですが」と詰まった思いを問いただす。
「いいよ、気にしなくて、ごめん忘れて」
「いえ、私たちの事です、気掛かりを持ちたくありませんので」
「言った方がいい?」
「是非、よろしくお願いいたします」
「じゃ言うけど。自分の意見を水分にぶつけたらどうかな? あたしとねーちゃんみたいにならなくていいけど、その方が水分も嬉しいと思うぜ」
「そんな宇加様に楯突くなんて!」
「意見を持つ事と、楯突くは違うだろ。だったら宇加に聞いてみたら?」
「わたしは、もっと佳子さん、彌子さんとお話をしたいです。お二人のお考えや学園の話も、その……佳子さんや彌子さんの好きなタイプとかも」
「まぁ宇加様ったら」
ここから先は水分に任そう。きっと水分なら大丈夫だ、万事うまくやる。
さて、こっちはオッケーだ。次は山縣が言う『クラシック喫茶』とやらも考えないとな。