5章-9
「つまり、益込姉妹の確執は決定的になったということだな」
LINE先の先輩が短くつぶやいた。
「ヨミ先輩が役員になりたいって言うんですから。そうじゃないかと思います」
「私としては、政治の近くにヨミがいるのは納得できんが」
何か言葉を繋げるかと思ったが、続きが無い。待ちきれずに「どうしましたか」と俺から打つ。
「いや、お前の生徒会だ。私は本来居ないのだから何も言うまい」
文字からも逡巡が伝わるようだった。突き放したような一言が、俺の気持ちにかすり傷を付けて行く。
「先輩はもう生徒会室には来ないんですか」
しばらく返事がない。
「政治にも言われたが、やはり私がそこに居るのは色々と問題がある」
その言葉にぎゅっと胸が詰まる。
「おらぬのが吉だろう」
「せめて、週1回くらいでも」
「いや、このような事はケジメが大事だ。ダラダラと続けては良くなかろう」
「いろいろ相談したい事もありますし」
「ならば、私のクラスまで来ると良い。相談に乗ろう」
「それは申し訳ないですし、やっぱり時々来ていただけた方が嬉しいのですが」
なんとか来て戴こうと言葉を尽くすが、メッセージを書き込んでいる気配だけで、暫く返事は来なかった。
「受験もあるのだ」
「そうですね。三年ですものね」
桐花にも大学はある。場所はここではないが、このまま行けば先輩はそこに行くだろう。
先輩の進路がどうなるのか、学部はどこなのか、いろいろ聞きたいと思ったが、メッセージを見るとどうにも口が重いので、それを今聞くのは憚られた。
夏休みの旅行の後、先輩は時々俺の家まで怪我の具合を見にきてくれたが、ちょっと顔を出す程度で、一緒に外出するでもなく、玄関先でわずかに言葉を交わす程度で終わっていた。
まぁ別に恋人同志じゃないし、ただ生徒会の先輩後輩の間柄なのだから、当然といえば当然なんだけど、そのひと時が幕間の席の譲り合いのようでなんともよそよそしく、俺は大いに違和感を感じていた。
そう思うのは、旅行中の先輩が余りに近しく、余りに弾けていたからだと思う。
そんなこんなで、休み明けからずっと、俺は先輩の顔を見ていない。長い髪を揺らして「政治!」と呼ぶ先輩の姿は、夏の季節に封じ込められたままであった。
桐花祭の実行組織は、正式に神門と大江戸が立てたプランとなり、いよいよ桐花祭の準備が進み始めた。
『中高合同開催』はかなり大きい方針転換なので、俺は桐花祭実行委員会はもちろん、職員会議でも理事会でも全校集会でも、この方針転換を説明し承認を得なければならなかった。もちろん合同開催なので中等部の合意も必要だ。
そのための根回し、根回し、根回し……。
なに! 根回しって日本の文化! いいじゃん会議で「こうします」って言ってOKもらえばさ。何で、えらい人から順番に説明していかなきゃいけない訳!?
一人一人に説明するのも、いっぺんに説明するのも同じでしょ! これに費やした、俺の放課後をかえせよ!
ふんがーーーーーー!!! くけーーーー!!!
「はぁはぁはぁ……」
熱くなってしまった。
思い出すだけでも吐きたくなる説明の連続だったが、でも俺はやったのは説明だけ。機械のように同じことを喋るのが俺の役割だと分かっていても、プランの所をやってないのが俺を暗くさせる。
先輩と一緒にイチから考えて、自分達で説明して実行してとやっていたのが遠い昔のよう。
環境は俺を置いてきぼりにして、急速に変わっていく。
それは、今迄大事にしていたモノが、どんどん俺の手からこぼれて行くようで、俺はちっとも手放したくないのに、周りが新しいモノを掴め掴めと追い立ててくるようで。
景色だけが猛スピードで駆け抜けて行く。
桐花祭もそうだけど、先輩の事、ヨミ先輩の事、水分の事。ただ周りに反応してるだけで、俺は溺れてるんじゃないのか。
いかん、いかん! 上手く行かなくなると、つい暗い方に考えるのは悪い癖だ。逆に上手く行くとお調子者になるのも悪い癖なんだけど。ついでに、すぐ熱くなるのも。
ダメじゃん、俺!
自己嫌悪に陥っている場合じゃない、いい加減、我クラスも出し物を決めないといけない。
だが、それが今でも大モメにモメている。
俺と水分が抜けた後釜に決まった鵜飼さんは、苦悶しながら出し物の案を絞り混み、概要をまとめまて決議をとるのだけど、決まりそうになると、『これじゃやる気にならない』、『出来ない』、『お金がかかる』と某氏から横槍が入るのだ。
これまでに、リアル脱出や、パン工房なんて、尖ったアイデアもあったけど全部否決。その度、ゼロからやり直して、三回目の今日のアイデア出しは、どれも角の取れた月並みの案になっていた。
「えーと、もう時間がありません、委員会にやることを提出しないとです」
青い顔をした鵜飼さんが震える声で前に立つ。そこにはいい加減決めてという、懇願が含まれていた。
「皆さんの意見をまとめると、喫茶店、お化け屋敷、演劇が多いようですが……」
か弱く説明する鵜飼さんに続けて、大江戸が横からフォローを入れる。
「この案の中から委員会に提出しますので、第一希望から第三希望までプライオリティをつけます。一人二票の挙手による決議をとります」
うむ。大江戸の推進力のある議事進行だ。けどこの凡庸なアイデアの中から決めると言っていいのかな。それを見る横の鵜飼さんが、きょろきょろしている。いや、おどおど?
「は、はい。それでお願いします」
するとキタ!
案の定、阿達がゆっくり挙手をする。すると鵜飼さんもクラスの奴等もびくっとする。
阿達よ。お前、恐れてられているぞ。お前のショートボブが黒いマスクに見えてきたぜ。コーホ、コーホって呼吸音が聞こえてきそうだ。
「喫茶といいましても、コンセプトによってやりたいか、やりたくないかは変わるんじゃなくて」
ほほう。そうきたか。それは至言だ。
「えっ、えっ、こ、コンセプトですか?」
鵜飼さんが聞き直す。
「ええ、もし殿方が、最近、巷で聞きますメイド喫茶など想像されてましたら、わたくしは断固反対させていただきますわよ。もちろんこのクラスの殿方には、そのようなお考えの方はいらっしゃらないと思いますけれども」
阿達の目は斜め下45度を向いている。
その視線を感じて、阿達の前に座る赤羽がぴくっと動いた。
あー、バネちゃん、昼休みにそんな事言ってるのを聞かれたな。
愚かなり。自分が女子の噂を聞くって事は、お前の妄言も聞かれてるんだよ。
男子沈黙。
だよねー。正直、美人比率の高いクラスだから、外部生の男子の俺達は全員、喫茶って聞いたらメイド喫茶を連想したもん。
そしてもう、妄想の中で着付けまでして、阿達に「いらっしゃいませ、ご主人様」って言わせたもんね。
言うわけねーけど。阿達が。
寧ろムチもってしばかれそうだし。
あ、それいいかも。SM喫茶。ハイヒールで踏まれながらオーダーを取るスタイルが斬新すぎ!
その沈黙を破って山縣が挙手する。コイツ、勇気ある! 山動くか! 山縣だけにっ。
「まさか、我々がそのような平凡なサービスを想像すると思いましたか。それでは他クラスの提案と丸被りです」
「では、山縣さんはいったい何をお考えでしたの」
「男子の総意ではありませんが」
と一呼吸。
「ええ、構いませんわ」
阿達。お前が議長じゃないだろ。
「クラシック喫茶です」
「まぁ」
「桐花の重厚な歴史を前に、オタク文化を来場者に見せるのは不適切だと思います。しかるべき方がいらっしゃるのですから、我々もそのような気概をもってサービスを選ぶべきかと考えました」
「素晴らしいお考えですわね。山縣さん、日頃、瑞穂さんと懇意のようですが、見直しましたわ」
いや、俺は関係ねーだろ。しかも俺の口からメイド喫茶なんて一言もいってねーし。
「ありがとうございます。一案として置いて頂ければ幸いです」
胸に手をあて、指先を揃えて深々と最敬礼をする山縣。静かに席を鳴らして着席する。
あわあわと、鵜飼さんが黒板にクラシックと言葉を書き足した。
「おい」
後ろを向いて、小声で山縣を呼び出す。
「なんだよアレ」
と聞いても答えない。軽く右手を上げて、ちらちら振るだけである。まぁ任せておけっていうことか?
ということで、俺達のクラスの三度目の出し物案は、阿達の強い意向が反映されて、1.クラシック喫茶、2.芝居、3.お化け屋敷となった。
仮に喫茶で落選すれば芝居である。どこでやるんだよ。誰がやるんだよ、そんなもんっ。
なんて疑問もあったので、後で大江戸に聞いたら、「2番目、3番目に奇抜なものを書かなかったのは策だ。あそこに人形劇とか紙芝居とか妙なものでも書いてみろ。実行委員会で、そっちが採用される可能性がある。だからあえて俺が選ばなかったんだ」と。
「適当に5つ選ぶと言ったときに考えてたのか」
「そうだ。インサイダー情報で悪いが、生徒会が実行委員会に多様性を持たせるように圧力をかけていたから、変わり玉に意思があるクラスは、そっちが優先されてしまう。それを未然に防ぐためにな」
「うえ~、悪魔の思考だよ。コイツ」
「その悪魔に救われてんだ! 素直に感謝しろ」
「はーい」
「だいたい、それは、お前が言い始めた事だぞ。桐花祭統括として多様性に意識を払うのはお前の仕事だろ」
「そうですけどー」
「張り合いがない。ほんと、お前は水分と違って張り合いがない」
「すみませんねー。宇加様と違ってバカで」
下らん奴とはもう話すことはないと言わんばかりに、俺に背を向ける大江戸にちょっと待てと呼びかける。
「ところで、お前さ、ちゃんと水分のことフォローしてる?」
「フォロー?」
「降ろされてんだぜ、あいつ。落ち度もないのに。特別内部生なんだし、プライドとかあるんじゃねーの」
「……」
「やさしい言葉の一つでも掛けてやれよ。相棒なんだからさ」
暫く無言。
「……怖くて、話してない」
「はぁ? 怖い!?」
「ああ、俺はこういう人間だ。無粋な事を言って傷つけそうで怖い」
「お前、ほんと何も見てねーな。水分はお前や俺より強いって。もしかして先輩より強いかもしんない。お前ごときの失言で傷つきゃしねーよ」
「そうか? 細くて華奢で壊れてしまいそうだが」
「見た目はな。でも、急だったから戸惑ってるかもしれない。だから」
「だから?」
「だから、誰かそばに居た方がいいんじゃねーかって。それは、俺よりお前の方がいいかもしんないぜ」
「なぜだ」
アホか! 俺の周りには、なぜなぜ聞く人が多すぎる!
「ああもう! 直感だよ、直感!」
気配りに気づけよ!