5章-6
「本当は、あまり人の居ないところで話したいんだけど」
スラリと背筋を伸ばして座る水分の横に立ち、ちょっと余所行きに話しかける。
あんな事件の後だ。俺も気持ちの収まりが悪いので、目的は無いがとにかく水分と話したかった。
「ええ、わたしもなのだけれど」と彼女はそこまで言って言葉を切り、ふっと周りを見回す。
俺も水分に合わせて周りを見ると、クラスの真ん中で微妙な距離を置かれている俺達がいた。
これに適切な言葉をあてはめるなら、『浮いてる』である。
水分は俺に苦笑いを向けると、「確かに人が多い所で話す方が良さそうね」とため息交じりに答えた。
事が事だけに、罷免された二人がコソコソやってると、また阿達に何か言われそうだ。あえて人のいる教室で話そうと思ったのは、水分も同じだったらしい。
「でもこういうときは、都合がいいな。堂々と内緒話が出来る」
「ポジティブなのはいいけれど、そうじゃないと思うわよ」
水分と同じ感覚だったことに、俺はちょっとした安堵と嬉しさを感じていたので、ポジティブは強ち間違いではない。
だが、そんな同じ感覚を共有する密かな嬉しさをぶち壊すオマケが二人いる。
「全くです! こんな状態になって何がポジティブシンキングですか!」
「鈍感にも程があります」
不満を満々と込めた声を俺に突きつけるのは彌子さん。泣きそうに囁くのは佳子さん。二人とも盛大なため息をついて、俺に歓迎の意を表している。
「別に俺もこの状況を喜んでるわけじゃないって。水分には悪い事をしたと思ってるし」
「宇加様です! あなたの失態のおかげで、私達も迷惑してるのですよ」
「その自覚が全くないのですね」
「いや君らには迷惑をかけてないと思うけど」
「見れば分かるでしょう! このクラスの状態を!」
そう言うと彌子さんは、遠慮がちに窓際の席をチラッとみた。そこには多くの女子に囲まれた笑顔の阿達がいた。
「もはや宇加様の横には、わたくし達だけ。この状態を作り出したのはあなたですよ! 責任を感じていないのですか!」
「今だけだろ。水分が委員長を外れて、皆もちょっと気をつかってるんじゃねーの?」
「もう、おバカ! もう何でこんな人を宇加様は」
プリプリ怒る佳子さんと彌子さんズ。俺の前に仁王立ちし、水分との視界を阻んでくる。
悪かったな! こんな奴で。
「それより宇加様のご尽力されてことが、あなたのせいで全て台無しです!」
「彌子さん、いいのです」水分が怒る彌子さんを諌める。
「いいえ、言わせてください。瑞穂さん! あなたは宇加様がお立場が分かってらっしゃいますか!?」
「お立場!?」
「もうっ! 旅行以前の問題ですわ。あなた、宇加様に何を仰ったのか知りませんが、宇加様が外部生と内部生の融和に、ものすご~く心を砕かれてたのですよ」
頭に手を当てて、全くこの人はという失望を彌子さんが示す。それでは不足と思ったか、今度は佳子さんが付け足す。
「思う所がある内部生がたくさんいらっしゃるのに、それでも宇加様は外部生のみなさんとの関係に心を砕かれて、それで凛様と……」
「佳子さん、彌子さん、いいのです。それは私がすべきことだったのですから」
なおもたしなめる水分を押して、一気呵成に話す二人。言いたいことが山ほど有ったのだろう、その矛先が俺だと穏やかじゃないのだが。
「いいえ、続けます! それなのに、このボンクラときたら、何も知らないでふわふわふわふわと」
「敵にいらぬ塩まで送って」
「俺が?」
「そうです! 特別内部生が外部生と泊りで旅行なんて、前代未聞です! 何をやっているんですか」
「宇加様も宇加様です。分かってらして」
「分かっていたから行ったのですもの。こだわりなく仲良くしましょうと言ってるのは、私なのですから」
「で、でもですね」
水分の言葉に狼狽する二人の後ろに、ふらりと教室に戻ってきた神門が立つ。そして静かに席を取ると、今までの話の続きでもするように、さらりと会話に加わってきた。
「宇加は、自分で決めて政治的コストをかけたんだよ。今はこんな状態になっているけど、結果は分からないさ。だから二人とも、そんなに荒れなくていいんだよ」
「神門様、そんな」
「宇加様だって、お立場を失うことだってあるのですよ」
「ふーん、じゃ、キミたちは宇加の肩書に追従しているのかい。ごめんねキツイ言葉で」
「そんなことは、絶対ありません!」
「たとえ神門様でも、仰ってよろしいこと、そうではないことがございます。私は例え宇加様が一般内部生だったとしても、宇加様をお慕い申し上げていた事でしょう」
神門相手に、拳を作って力説する佳子さんと彌子さん。
「ありがとう、佳子さん、彌子さん」
そんな二人を見て、水分がほろっときている。情にもろい大阪おばちゃんにはグッとくる一言だったろうな。
そんな心温まるシーンをぶち壊してまで、彌子さん佳子さんが俺に詰め寄ってくる。
「それなのに、コイツときたら。宇加様のお心も知らず」
「いや、だってそれって水分の考えだろ? そうしてくれって俺は言った覚えはないけど」
「じゃ政治に一つだけ、教えてあげるよ」
仰け反る俺を前に、神門は、さも退屈な話をするように説明を始めた。
「一等サロンの話さ、僕はもうほとんど出てないから最近の事は知らないけど、このクラスでは凛と宇加と僕が出席している。このクラスは多い方だよ。特別内部生は、普通はクラスに1名、多くても2名だから」
「ああ」
「その中で、宇加は決して上の方じゃない」
「そうなの? だってお父さんは大物政治家なんでしょ」
「逆。大物政治家だから、特別内部生なんだよ。水分家は平民出でも」
またそれか。身分制度。なんなんだよ、ココは。
「で、そのサロンの中で宇加は吠えていたわけさ。外部生との差をなくしましょう。学生なんですから特権意識は捨てましょうってね」
「それで……」
「押しなべて反応は冷たいよね。いくら葵がバックアップしても。逆にやっかみの対象になるくらい」
肩をすくめて見せる神門。鼻にもかからない訴えだったことが俺にも伝わってきた。
「宇加様! なぜ、そのことを私たちに仰ってくださらないのですか」
「宇加様」
「私の活動ですから。何かあればお二人にもご迷惑がかかるでしょ。だからもう少し、雪解けが訪れてからにしようかと」
「なんて、お優しい」
「宇加様!」
感動的な昼ドラの名シーンである。
「で、凛がそれを逆手に取ったって感じだね」
「何で逆手に取る必要があるんだよ。なんかイガミあってんのお前らは」
「お前ではありません。宇加様です」
はいはい。
「凛様は……、申し上げにくいのですが、その、少々、お強いところがありまして。級友の皆様からは、宇加様の方がお慕われていたと」
素直に阿達は嫌われていたと言えよ。
「ですから、宇加様に余りよい印象はお持ちになられてはなかったかと」
素直に水分の事が嫌いだったと言えよ。
「凛の家は血筋がいいんだ。確か天智天皇から名前を下賜された一族で、遡れば藤原に辿り着く」
「なにそれ! ちょっと歴史が深すぎ過ぎて実感わかないんだけど」
「まぁそのくらい名家なんだよ。だから本来なら、宇加が横に居るのも納得してなかったんだ」
くだらねー。そんな、大昔の事で上だ下だと。でもそんな事で長年やりあってたなんて俺は知らなかったので、「そうなんですか? 水分さん」と冗談半分で確認すると、「わたしは、争うなんて考えてませんでしたけど」と、そっけない返事が返ってきた。
その瞬間、「これだ」と腹に落ちるするものがあった。なるほど確かにこりゃ阿達は納得しないだろう。それどころか腹すら立つだろう。それは阿達の問題だが、水分の問題でもあると思った。
「お前、それだよ。それ! そのスタイルで来られたから阿達の奴、カチンと来てたんだよ」
「どうしてよ?」
「だって、その態度。貴方なんか歯牙にもかけませんってことだろ。プライドの高い阿達なら逆鱗に触れるわそれ」
「えっ! えっ!」
全く意味が分からないと、とぼけた顔を見せる水分。そんな急に崩れた顔を、不覚にも可愛いと思ってしまう。
「来たよ、ドジっ娘。ほらお前やっぱり天然なんだよ。俺の言った通りだろ。そうやって積年、恨みを買ってたんだぜ。気づかずに。お前マジメに仕事してるとき、冷たく見られんだよ。本当はそんなことないのに。この前も思ったもん。それって下から見たら頼もしいけど、自分が上だと思ってる奴から見たら超嫌味だぜ」
「そんなこと、急に言われても」
ごもっともであるが人の印象なんて、そんな思い込みの産物なのだ。どういう印象かなんてコントロールはできない。無口でいることが暗いと思われるか、知的だと思われるかは、相手次第、その人のお心次第なのだ。それが阿達の場合だと、嫌味として受け取られたのだと思う。
そして最初にそう思ったら最後、その後の印象は全てその色に染められてしまう。
「水分はさ、俺らと居るときみたいに自然がいいんだよ。あらあらって天然なお前でさ」
「それは、ちょっと……」
「なんですのそれは?」
佳子彌子コンビがきょとんとしてる。やっぱりだ。
「ほらな。二人を見てみろよ。知らねーのも無理ないって。水分が、そんな姿を見せてないんだもん」
「でも、そんなの……」
すっかり当惑の水分が、わたわたしながら二人を見ている。
「でもそうなんだよ、お前が同じ顔しかみせてないから。だから阿達に伝わってたお前だって、ずっと嫌味な宇加様のままだったんだって」
「そんなの心にも思ってないのに」
「多分俺の言ってる事って間違ってないと思うぜ。伝えたい事は伝わらないのに、間違った印象って勝手に伝わっていくもんなのさ」
「なら瑞穂くんも、私の事をそう見ているの?」
「俺はお前の素を知ってるからさ。知ってるよ。見えな所で頑張ってることも、友達想いでやさしい所も、だから厳しいところも。周りの事を考え過ぎちゃって、一歩出遅れるお前も知ってる。そういうのもひっくるめて水分はいい奴だって思ってるよ」
「そ、そんな見せてないわよ。瑞穂くんなんかに」
俯いて、かわいらしくもごもごと否定する。
「そう? 結構みせてるけど。じゃ、さっき阿達とやりあってる時に言った『信じて』って何だよ。あれ『るるはーと』の話だろ。分かるの俺達だけだぜ?」
「もう!」
ふくれながらも、テレて赤味を帯びる水分。
「でも、何を信じてと言ったのかは分からなかったけど」
すると彼女は、珍しくいたずらっぽい表情を浮かべて俺に言葉を向けた。それこそ珍しく人差し指を振りながら。
「瑞穂くんは成長がないわね。同じ事をしても同じ結果よ。そして同じ後悔をして、また同じ事件が起きるわ」
「そうか……でも俺は」
「迷ったんでしょ」
そう俺は迷った。堂々と自分の考えを貫く水分を信じるのか。それとも俺が悪かったと言って事なかれと治めるのかを。でも、そうしたらまた俺は水分を信じられなかった事を悔やんだろう。水分が止めなければ、同じことを繰り返した。
「ああ、迷った。ごめん、水分」
「ごめんは適切な言葉じゃないわ。実は私も、瑞穂くんにあんなことを言ったのだけれど、ずっと考えていたの。心の中で信じてる事なんだから、胸を張りなさいって言ったけど、良かったのかしらって。伝わらなきゃ意味がないんじゃないかって」
「じゃ、あの『信じて』は、その答えだったんだ」
うん、と微笑みながら頷く。その瞳から弾ける光が飛びちるような笑顔だった。
「私は、貴方を信じてます。逃げないでね」
「分かってる」
俺達はクスッと笑って頷き合った。あのときは安易な選択をして先輩を傷つけてしまった。貶めてしまった。先輩の為と言いつつ、本当は自分が傷つくことが恐かったから。
それは水分も同じだったんだ。
でも今度は俺達は間違えない。安易な道に逃げない。願いをしっかり掴んでちゃんと信じあえる。
水分は内部生と外部生の融和。俺は噂や反対勢力に惑わされずに先輩との約束を果たすこと。好きな人のやりたい事を100%応援すること。今度こそ、先輩や水分の選択を100%応援したい。
「み、み、瑞穂政治……。無礼にも程があります。さっきから、宇加様のことをコイツとかお前とか。許されません!」
「え、え? ちょっとー、コイツは言ってないと思うけど」
「しかも、なに二人で分かり合ってるんですか……」
視界のど真ん中で肩を怒らせて、真っ青な顔でわなわな震える彌子佳子コンビ。今にも俺の首を絞めそうな雰囲気だ。
「宇加様~、この二人怖いから、なんとか言ってよ~」
「瑞穂くん、そういう事からも逃げないでね」
「それとこれは別だー」
ところで、急に桐花祭実行委員に仕立てられた、鵜飼さんの事が気になる。
きっと大変だと思うので、大江戸には十分フォローしておくよう言い含めておいた。おかげで俺も、生徒会活動に集中できるご利益に預かっているからね。
なにせ、少ない生徒会と桐花祭実行委員で、桐花祭を成功させなきゃいけない。その方法も少なすぎる予算で実施する方法も、答えが出てないのだから。
ところが、また事件が起こる。
静かに仕事をさせてよ。もう!