4章-21
ヨミ先輩は不機嫌ながらも、ほつほつと俺達の後ろをついてきていた。
先輩が気を遣ってだろう、薪能を見に行こうと誘ってくれた。競争ものは、負けず嫌いが多い、このメンバーによろしくないと考えたのだと思う。
「お前達は、能や狂言を観たことはあるか。狂言はなかなか面白いぞ。人の滑稽さは時代を越えて笑いを誘うものだが、ん?」
きょろきょろする先輩に、皆が顔を見合わせる。
「ヨミはどうした?」
「知らないよ」
「私も見てませんわ」
もちろん俺もいつ別れたのか分からない。
「糸の切れた凧だな、あやつは。自由なのも大概だ」
「全くです」
新田原が追従する。お前、自分の意見を持てよ。
同じくらいフリーダムな奴等に言われて、ヨミ先輩も浮かばれないが、この混雑だ、どこかではぐれてもおかしくない。
「そう大きくない所ですから、探しに行きます」
俺が言うと、「わたしも」と水分が名乗り出る。
「宇加はここにいた方がいいよ、走り回ったら赤母衣さんも大変でしょ、僕も居るから」
神門が探しに行こうと踏み出す水分の足を止めた。
子供じゃないのだから、心配することもあるまいが、確かに誰か残っている必要はある。
そこで、先輩と新田原がセットに、大江戸と俺はバラバラに探しにいくことにした。
しまったなぁ、俺もヨミ先輩もスマホを持ってねーや。だって浴衣にはポケットがないんだもん。
喧騒にごった返す人混みの道を、鳥居へと向かって遡る。
だが、赤く黄色く色づく出店の明かりをくぐり、太鼓囃子を抜けて、参道の鳥居を越えても、ヨミ先輩には出会わなかった。
「居ない。神社の方かな?」
楼門側の脇道を横から回り込んで、人気の少ない細道から本殿に向かうことにする。
「それとも、どっかで行き違ったかな~」
そのとき、闇の向こうにうっすらと人影が見えた。
浴衣のシルエットに巾着。ぼんやりと見えるのは、ショートカットのはねっけ。
ヨミ先輩じゃないのか?
「ヨミっ」と、言いかけて留まる。なんだ? 誰かと居るぞ。
剣呑な気配を感じとり、身を潜めてにじりにじりと近づくと、聞こえてくるのは影の声。
「震えちゃって、かわいいじゃん」
「んだよ、さっきまでの威勢はどうしたんだぁ、おら~っ」
男が二人? チャラい鼻がかった高めの声と、どっしりした低い声。これは大学生か、それとも社会人?
「お前ら、手だすんじゃねー、震えてんだろ。キミ、ここらじゃ見かけないね、どこから来たの?」
もう一人いる。二人を叱責すると柔らか目の声色で女の子に話しかける。声優みたいなイイ声である。
だがはねっ毛の子は、なにも言わない。
「なぁ、遊びに行こうって言ってるだけじゃん、どうせナンパされに来たんだろ、アンタもさ」
草を踏む音がする。どうやらチャラ男が彼女に近づいているらしい。
ぺっ
「うわ! こいつ唾かけてきやがった!」
「甘くみてんじゃねーぞ、ゴルァ!」
人が動く気配がして、ビリっと縫い目が裂ける音がした。それと叩くような音が。
手を上げたんだ! 捕まれて、抗って、浴衣が破けて、叩かれた?
「エグチ、女の子は優しく扱えって言ってんだろ! 何度も言わせんなっ」
ドスの効いた声優の声が薄暗闇に被さる。
「すみません。カイさん」
声の低いエグチと呼ばれた男が謝るところを見ると、どうやら、この声優がボスらしい。
「場所、変えるぞ」
「はい」
ガサガサと、もみ合う音と女性の息遣い。
「行くぞ!」
「いやっ!」
鋭い声がする。間違いなくヨミ先輩だ。
「いってぇな、このアマ!!!」
ヨミ先輩の、ウッともキッともいえない、言葉にならない声が精一杯の抵抗を示していた。影を見ただけでも、体格差は歴然だ。いくら野球のために鍛えているといっても、ヨミ先輩の腕は驚くほど細かった。球技大会で男と張り合っても、悲しいほどに。
「いって! くそ! こいつ噛みやがった! カイさん、もうイイっすよ。コイツじゃじゃ馬で」
「アハハ、エグチやられてやんの」
「うるせー」
男達の笑い声が合わさる。
「なに手まどってんだよ、押し倒しちまえば、大人しくなるんじゃねーの。男にゃ勝てねーんだからさ」
「離せ!!!」
ヨミ先輩の切り裂くような声。ヤバイ事になってきてる。もみ合いになってるんじゃないか。
もう、いくしかない。
腹の中で声を出して覚悟を決める。「よし!」
「おい、ヨミ、こんな所いたのかよ。探したぞ」
一斉に俺を見ると六つの白目が、闇にギラリと光った。
ヨミ先輩は、大木を背を向ける形で立ち、右手で左の腕を押さえていた。瞳に一杯涙を貯めて。
「誰だてめー」
予想通りの声が三人から放たれる。遠くの提灯明かりだけでは、よく分からないが、20代の男性が三人。一人は無精なあごひげを生やして、耳にはピアスが光っている。
もう一人は黒のつば付きの帽子に腰から、やたら太いチェーンをぶら下げている。まさか武器じゃねーよな。
そして少し離れて優男。品のいい体にピッタリのスーツを着ている、そして、この宵の口にサングラス。見えねーだろ、こんなに暗いのに。ファッション行き過ぎだろ、ていう勘違いヤロー。
「誰っすか? ヨミの友達?」
なるべく相手を刺激しないように、自然に収めたい。
ヨミ先輩に目を配ると、ふるふると小さく首を振る。
「ジャマすんじゃーねよ」
「コイツは、お前じゃなくて、俺達と遊びてーんだってよ」
低い声のあごひげが、ガニ股気味に威勢よく歩いてくる。所謂、ガンをつけて。
まずいなぁ。やる気なんだろうな。なんとか逃げ出さないと。
「ヨミはしょうがねーなぁ。ちょっと目を離したらいつも迷子だもんなぁ、ははは」
ははは、なんて笑ったが、辺りの反応はない。ですよねー。
「それでヨミ、こいつらと何してんだよ」
一歩、一歩とヨミ先輩に近づいて行く。
「てめー、ナンパに決まってんだろ」
「バカかコイツ」
あははは、とチャラい方がチェーンを鳴らして高笑い。
ナンパね。女の子泣かせて、こんな所に連れてきて、それは拉致って言わねーか。
「そうだ、ヨミ。さっきヨミが食べたいって言ってたイチゴ飴。そこで見つけたから、こんなところに居ないで行こうぜ」
ヨミ先輩の方に一歩一歩と近づき、手を取ってゆっくり動こうとすると、
「ゴルァ、てめー何逃げようとしてんだ!」
やっぱだめか。穏便にはいかねーか。しゃーない。
「逃げる? ヨミは俺の女だ。手出してんじゃねーぞ!」
目一杯、強がって声を張る! やるしかねー!
「ああ? なんだコイツ。急にいきがりやがって。ヒーロー気取りか、てーめー」
「ヒーロー? 自分の女に手出されて黙ってる奴いるわけねーだろ」
「痛い目みてーのか、このガキが!」
あごひげが俺の浴衣の襟をぐいっと掴む。その手首を俺も捕まて、相手の動きを少しでも押さえにかかる。
やべぇなぁ。だめな方向に向かっている。
チャラ男も、こっちに来ているようだ。
よくない。非常によくない。
二人の頭の向こうにいるサングラスの優男が、嫌味な声で手下に指示を出してきた。
「ヒーロー様をちょっといたぶってやれ。程々にな」
その言葉に、にやっと口を上げる二人。
「ああ!」の声と同時に拳が飛んできた。顔にだ!
それは余りに露骨な一撃だったので、容易に避けられたが相手は二人。もう一人がこちらに突っ込んでくる。
襟を掴んでいたあごひげの腕を捻り上げて、前に放り投げ、かかってくる相手と鉢合わせを狙う。
が、そんなに簡単にガチンコとなるわけもなく、突っかかってきたチャラ男は、左にステップしてそいつを避けて、一歩踏み込んでパンチを繰り出してきた。
正拳突きに近い。
それも体を引いてギリギリで避ける。こっちから手を出したくないが、そんなことも、言ってられない。
二発目が髪をかすっていく、あぶねっ!
殺気を感じて、ちらっと左を見ると、さっき放り投げたあごひげが俺に挑みかかってくる所だ。
1対2だと、このやり方が一番いい。一人が押さえて一人が殴ればいいのだ。それはガキの喧嘩でよく知っている。
捕まるわけにはいかない。
今度は、あごひげが相手だ。奴の方を向きボクシングのガードの構えをする。
こうすると相手はきまってこう思う。拳を出してくるのだろうと。だからここで、ローキックを放つ。思いっきり!
バシッっと、いい音が決まった。
相手は、ううぅと声を上げてうずくまる。脛は想像より遥かに痛い。決まるとマジ唸るほど痛いのだ。だが足止められる時間は僅かだろう。
それに怒気を高めた、チャラが襲い掛かってきた。
「やろうっ!」
ワンツーで殴り掛かってきた。ボクシングかっ!
何発か受け止め、何発か避けたが、一発は腹に食らった。うぇっと上がるものがあり、腹を押さえたくなるが、ぐっと痛みをこらて相手を睨み返す。
そのうち、ローキックが決まった奴も起き上がってくる。
「やりやがっな」
あごひげの声に、ちらっと後ろを見るチャラ男。
そして、さすがに拳だけでは芸がないと気づいたろう。突きのような軽いフェイントのあと、チャラの大ぶりなケリが俺の腿に決まる。
「瑞穂!!!」
ヨミ先輩が叫ぶのが聞こえた。その声に反応したあごひげ野郎がヨミ先輩を手を強引にとって、振り回すように投げ捨て押し倒す。
「てめぇ、ヨミ先輩になにしやがる!」
無意識に大声が出て、俺は真っ白になった。
目の前にいるチャラに頭突きをブチかます。しかも鼻筋に。
「がー!」
後で思えばかなり俺も痛い攻撃の筈だが、リミッターが外れていたのだろう、痛みは全くなかった。
チャラはダーと鼻血を吹き出すと、大声を上げ、鼻を押さえて転げ回った。俺はそいつを力の限りに蹴りあげると、ヨミ先輩を押し倒した奴に飛びつき、そのまま馬のりになった。
血の味がするのを感じながら、そいつの顔とも胸とも、肩ともどことも分からず、ド突きぶん殴りまくった。
突然、頭に衝撃が走った。
一瞬意識が飛びそうになる。ああ、あたりまえだ。もう一人いるんだ。こいつばっかり相手にしてたら、そうなる。
「うわぁーーー」とヨミ先輩の叫び声。それとどさっという音。
振り返ると、ヨミ先輩が優男の足元に絡みつき、ぶっ倒れている。
俺を助けてくれたのか?
だが、せっかくヨミ先輩が倒しても、奴は起き上がってくる。ヨミ先輩は、まだ優男の足を押さえているか、そいつはヨミ先輩を蹴るように払うと、指を鳴らしてこっちに来た。
まるで貫一お宮の構図だ。
「このやろう!!! ヨミ先輩に、手出すんじゃねー」
こんどはコッチが相手だ。すたっと立ち上がり、先制のパンチをお見舞いするが。
力んでいたのだろう、俺の拳は空を舞った。
「手を出すなか。かっこいいじゃねーか」
女受けしそうな響きのいい声が聞こえて、俺は一撃を脇腹にくらった。
ぐーっ! つ、強い。早えー。さっきの二人とは比べものにならない。
これはヤバイ、まじヤバイ事になってきたって。けど引くにひけない。引けるわけねーだろ。ヨミ先輩を守れるのは俺しかいねーんだ!
「やりやがったな!!!」
「おお、やるかガキ」
「やったろうじゃねーか、タイマンだ!!!」
わざと大きな声を出して、派手にやらかしてやる。
こうすれば人がくるかもしれない。1対3だ。ヨミ先輩もいる。人がくれば。人さえくれば、この状況は打開できるかもしれない。
「うぉらーーー!」