4章-20
夏祭りは、長い石段を上った神社で行われる。
盆踊りはないが、出店と提灯が並び、やぐらの上ではリアルに笛太鼓の演奏が行われていた。
「何もないと大江戸は言ったが、どうだ? 立派なものだろう」
先輩は自分事のように大江戸に自慢する。
「ええ、思ったより大きいですね」
「ここらは一次産業、とりわけ農業が中心の所だからな。夏までの慰労と秋の収穫を祈願して大仰に行うのだ。このような祭礼を」
「祭りをしたところで、収穫が増える訳ではないと思いますが」
「気持ちの問題だ。祈りなど自分が納得する理由でしかない。柏手を打つ我らですら本当にご利益を期待している訳ではないのだからな」
大江戸の前では神はも死んだな。
合理主義と無神論が、哲学と信仰の間を行きかうのを聞きながら、石畳の中央を避けて参道を歩く。
手水で身を浄め、二拝二拍手一拝のお参りをして、それぞれに願いを掛ける。
俺が何を祈ったのかは秘密だ。人に言うと願いは届かなくなっちゃうからね。
人でごった返す会場は、熱気にあふれていた。
小さい子を肩車したおじいちゃんが遠目に見える。きっと帰省した孫をつれて来ているだろう。
もう少し大きい子は「ばぁちゃん、ばぁちゃん!!!」と大きな声で、しわしわの手を引っ張っている。相好をほころばせて、屈みながらその手について行くご老体。何とも心和む光景だ。
学生さんもいる。小学生、中学生くらいの子供も多い。サンダル履きの元気な子が、俺を左右に避けて駆けて行く。手にはりんご飴だったり、水ヨーヨーだったり、綿あめだったり様々な祭グッツが握られていた。今日日の子供は、ケの日にこんなものを買ってもらっても喜ばないだろうに。祭の魔力は恐ろしい。
少なからず俺達と同年代の学生もいるようだ。
田園風景といえ、近郊の都市からそう遠くはないので、全くあか抜けない感じではないのだが、俺の目から見ると、なにか一拍、テンポの遅い風情の高校生である。
「学生なんていたんですね」
「ああ、隣町に学校があるからな。ここまで遊びにくるのだろう」
「電車に乗って?」
「そうだ、駅から浴衣姿の人たちが降りてくるのを見たことがある。政治もそういう所に住んでいたのだろう?」
「俺は祭りなんて行くタチじゃなかったですから……」
「そうか、なら今日は楽しもう。皆で来る祭りは楽しいぞ! きっと!」
先輩は、きゅっと俺の耳たぶを引っ張ると、自分の口もとに近づけた。
「実は私も初めてなのだ。友人とこのような所に来るのは」
「先輩もですか。交友広いのに」
「……勇気がなかった」
「勇気?」
「まぁよいだろう! 見ろ、ヨミなど、あのはしゃぎっぷりだ。負けてはおれん!」
そう言うと、先輩は小走りにヨミ先輩の元に向かい背中をポンと叩く。
先輩もヨミ先輩も笑顔がはじけている。
神門はヨミ先輩の横に配されグリグリいじられている。いたずらされる手を払うのに必死だ。
先輩の斜め後ろには新田原が赤くなりながら、金魚の糞のように追従して歩いていた。横に並ぶのは畏れ多いのだろう。時々、先輩が新田原に話しかけると、どもりながら答え、先輩が前を向くと嬉しそうに、にや~とする。
気持ち悪いなコイツは。
大江戸は水分と先輩方の会話に入ろうと必死だ。女子の会話は理解不能だろう。経済の話もなければ効率の話もないのだから。
それでもメガネを上げ上げ頑張っている。
そして俺の手には、ほんわり湯気をあげる、たこ焼きがある。
あっつ! はふはふ。
楽しい。確かに楽しい! なんでこんな楽しい事を今までしてこなかったんだろう。『祭りなんてナニ浮かれやがって』と思っていた俺は何だったんだ。
往々にしてそういうものだ。やるまでは面倒だが、やってみたら楽しいことは世の中にいっぱいある。
やるまではムリだと思っても、やってみたら意外に出来たことも多い。
生徒会もそうだ。
自分という名の箱のサイズは自分では分からないし、自分の脳みそがバラ色なのか灰色なのか、誰とも比較できないから知る余地もない。
それほど自分で自分の事は、分らないものなのだ。
たこ焼きをはふはふしながら、そんな真理に目覚めていると、ヨミ先輩が「あー! 射的だ!」と出店に飛びついた。
「瑞穂! 勝負だ!」
「えー、なんで俺と」
「お前! バッテリーだろ。オレが投げたらお前が取るんだよっ!」
「いつからですか、そんなの聞いてないですよ」
「い・い・か・らっ」
ムリっくり肩を引っ張られて、ライフルを持たされる。
「お金」
「えっ!?」
「お金出して」
「俺が?」
「うん」
「うんって」
「男だろ」
「こういうときだけ、男を出すのズルい! じゃヨミ先輩は先輩じゃないですか。後輩に奢らなくていいんですか」
「くっ、最近、的を得た反撃するよな、瑞穂は」
「俺だって成長するんです。割り勘にしましょう」
「しょうがない。じゃ1回だけだぞ」
「奢ってもいないのに、1回だけって!!!」
「いいから! 勝負っ!」
後ろでは水分が、「ヨミさんと瑞穂くんっていつも楽しそうですよね」、なんて呑気な事を言っている。アホ抜かせ! こっちはヨミ先輩をいなすのに大変なんだよ。先輩も「わがままなヨミによく付き合ってるな政治も」と相槌を打っている。先輩は、よく分かってらっしゃる。
「後ろ、うっせー! 気が散る!」
「いつも散ってるくせに」
「がー! 球技大会のオレをみたろ、瑞穂」
「ヨミ先輩、かわいい浴衣なんだから、オレはなしです。わたし。もしくはわたくしでしょ」
「う、うるせー」
赤くなって反論する。なんだか分かってきたぞ。ヨミ先輩は「かわいい」と言われると弱い。
ぐふふふ、この勝負勝ったな。
「じゃ先輩、俺から行きますよ。いい商品を落とした方か、たくさん当てた方が勝ちですから」
「おう!」
銃身にコルクを詰めてコッキングレバーを引く。まぁ一発目は試し打ちだろう。銃のクセを見極めて勝負は二発目からだ。
照準を定めて引き金を引く。
それなりに重い空気銃は、スパンといい音を立ってコルクを発射。コルク弾は左に5センチくらいずれて着弾する。
けっこうズレるな。それに思ったより強くない。これは欲しい物じゃなくて落ちそうな重心が高いものを狙うべきだ。
なら、あの可愛くない、カエルともナマズともサンショウウオともつかない人形がいい。
よし。
「ヨミ先輩、じゃ交互に行きましょう。次どうぞ」
「おう!」
ヨミ先輩は派手に腕まくりして銃を構える。がばっと腕をまくり上げるものだから、身八つ口からブラがちらっとみえる。
あわわ、もう、油断しまくりだよこの人。自分がおっぱい大きいって自覚あんのかね。
「パンっ」
ヨミ先輩が撃った弾は、およそかけ離れたところに飛んでいった。「ありゃりゃ、ズレズレじゃん!」と甲高い声を上げて頭を捻っている。よしよし。
「じゃ俺ですね」
体をサンショウガエルの人形の前に向け銃を構える。想定では、人形の足元に着弾する筈だ。
「パン!」
撃った弾丸がギリギリ足元を掠めて、後ろのネットにポスっと当たる。
「惜しい!」
「あっぶっねぇ~」
かすった分だけ人形が斜めを向く。
「やるな瑞穂、さては祭りの達人だな、お前」
「どんな達人ですか!」
「日本中の祭りという祭りを渡り歩いて、射的屋破りをすという伝説の」
「どんなレジェンドですか! だいたいそんなの極めて、どうやって飯食っていくんですか」
「だから伝説なんだよ」
「いいから早く撃ってください。そして、とっとと俺に負けてください」
「うっせーな。いいから黙って見てろ!」
ヨミ先輩が、舌をぺろっと出して狙いを定める。もう気分はゴルゴだ。デューク・益込だ。
「パン!」
音と同時に向こうの棚にある景品の箱が「ポン」と音をたてて大きく揺れる。
「やばっ」
「おっ! おっ!」
だが揺れただけで……倒れ……ない。
「セーフ、危なかったぜ」
「ぢくしょー!! ぜってー倒れるって。あの箱、ノリでもついてんじゃねーの!!!」
大声で地団太を踏んで悔しがるヨミ先輩を、店員がジロリとにらむ。
やべーな。さすがヨミ先輩。こういう微調整の加減は手慣れたものだ。
「次、絶対落とします。ここでケリをつけます」
「全力で阻止する!」
「無理でしょ」
「神頼みで」
「はいはい」
くだらない事を言い合いながら、弾を強めに込めて狙いを定める。
狙い通り! 放った弾は見事サンショウガエルに足元に当たり、人形は足払いをくらうようにステンと棚から落ちた。
「イェェェーーース!」
「あーーーーーーーーーーーーーーーー!」
思わず下から突き上げるガッツポーズが出ちまったぜ。
後ろで見ていた、先輩や神門達からも、おおっとどよめき。
「どんなもんだ! ヨミ先輩! 勝った、勝ったなこの勝負」
「瑞穂。ついにお前の知らないオレを呼び覚ましちまったな。オレはな、逆転に燃えるタイプなんだよ」
「なに!?」
なんだか知らない気迫に、また後ろが「おおっ」とどよめく。
「いま、吠えずらかかせてやるからよ」
「わー、吠えずらって俺が言いたかったのに!」
「残念だったな。悔しかったらオレを倒してから」
「言っときますけど、負けてるのヨミ先輩ですからね。いま俺が勝ってるんですからね」
「わーってるて。頼むから静かにしてくれねーかな」
相当集中しているらしく、目が血走るほど真剣そのものだ。
弾を込めると、目を閉じて神経を集中するヨミ先輩。その集中力は、こんなうかれた祭りで使うモノじゃないと思うぞ。
かっ! と目を見開くと同時に、人差し指が残像がかって動く!
夢想転生かっ!
と、棚の向こうの箱が、ぽろっと倒れ落ちた。
「あっ、あーーーーー」
どよめく仲間たち。しかし俺と違って声を張り上げて大喜びしないヨミ先輩。撃った姿勢のままこちらを見てニヤリと笑っている。
怖い。この人。怖い。
「五分だな、このオレを敵に回したことを地獄で後悔するがいい」
「敵って、初めから敵でしょ。勝負なんだから」
「お遊びはこれまでだぜ」
「初めから遊びです!!!」
だめだ、なりきってる。何になってるか分からないけど。
この後の俺の一撃は、動揺が表れたか、残念ながら当たるも落ちず。
ここでヨミ先輩が落とせば、ヨミ先輩の勝ちだ。なんだか落としそうな予感がある。そういう気迫がある。
「ヨミ先輩、どれを狙ってますか」
「秘密」
「勝つ気……ですよね」
「絶対。勝負で負けたくねーもん」
ダメだ、やる気だ。
「ヨミ先輩がここで外したら、二発かすった俺の勝ちですよね」
「ああ、それでいいぜ」
ヨミ先輩が目を閉じて意識を集中する、この目が開いたとき引き金が引かれるのだ。
深い深い深呼吸の後、息を止める。周りの空間の雑味も整理されるような集中力だ。まったく能力の無駄遣い。
だが俺には奥の手がある。
そして、すっと息を吸ったと同時に目が開かれる。ここだ!!!
「ヨミ先輩の集中した顔って、かわいいなぁ~」
「ふぇえっ!?」
なんか変な日本語を発してヨミ先輩が崩れた、そしてコルクはテントの天井にポフっと当たり、力なく下に落ちる。
ヨミ先輩の首がゆっくり回り、とぼけた表情が俺を見る。
口が半分開いてる。
「なんて……ね」
「お、お、お、お前!!!」
うわぁ、手が手が出てきた! やめてー! 胸倉掴まないで~
「お前、お前、お前ぇぇぇ!!!」
わわぁ、ガクガク揺すらないで! 首が取れちゃうからー。
「もうっ! なんだんだ○×△◆」
なんだか怒ってるのか泣いてるの良くわからない事を、わーっと一気に俺に言ったかと思うと、「瑞穂のバカ! うんこたれて死ね」と、およそ浴衣少女が口にしないだろう言葉を吐いて、水分の胸の中に駆けていった。いや行ってしまった。
あのう……予想外の反応なんですけど。
水分が、ヨミ先輩の頭をよしよしと撫でている。撫でながら俺に言う。
「瑞穂くん、勝負勝ちたさに、あれはないわよ。謝りなさい」
「え、謝るの」
「謝りなさい!!!」
母ちゃんに怒られるのって、こんな感じなんだろうな。
「あの、ごめんなさい……」
口ごもって謝ると、
「男ならハッキリお云いなさいっ」
ひぃぃ!
「すみませんでした! 汚い手を使って申し訳ございませんっっ」
目が怖いよう。水分の鋭い目が。先輩は苦笑いしてるけど。
「ヨミさんも、そんなに取り乱さないの。あなたの素敵さはそんな事では傷つかないのですから」
「だって、だって」
どっちが先輩だかよくわかんねーぞ。この二人は。
ヨミ先輩が、恨み目でチラチラ俺を見ている。
「はい、子供じゃないんですから仲直りしてください。二人とも握手」
ちょっと待て。子供じゃねーって言ったのお前じゃん。俺達、もう16とか17だぞ。仲直りの握手?
二人で嫌がっていると、水分ママは無理やり二人の手を取って、握手させようとする。
それでも、いやいやしていると、
「もうっ!」
細腕ながら、ぐっと引っ張って無理矢理、俺達の手を合わせた。
「しょうがねー」ヨミ先輩が横を見ながらぶつぶつ言う。
「……」
俺も反対を向いて、仕方ない体で手だけ握手する。
無理やり重ねられたヨミ先輩の手は、ふわふわしていると思いきや、手のひらは思ったより固く、俺はそれにビックリした。
マメだ。指先や付け根にマメがある。
「すみませんでした、ヨミ先輩」
「オレも恥ずかしいところ見せたな」
なんか微妙な空気になっちゃった。今回の旅行はこんなのばっかりだ。俺が悪いのかな。つい羽目を外して空気読んでない気がする。
悪い状態じゃないんだ、ただ、何かが掛け違いそうになる。みんながそれをギリギリのところで戻そうとしている。
誰もが二つの顔を持っていて、それを分かりながらギリギリのところで抑え込んでる。その苦さがあちらこちらに見えていた。
これも、その顔の一面。